操縦訓練
訓練場は、学園の敷地の中でもひときわ広かった。
地面は踏み固められた土と砕石で整えられ、周囲には低い観覧壁が巡らされている。
その向こうには、整備用の簡易工房と、オレンジ色に塗装された訓練用鉄騎が整列していた。
胸部装甲と肩部装甲が省かれた、どこか骨格標本のような姿。
だが、全高二十メートル近いその威圧感は、ハイドの知るどんな存在よりも大きい。
(……城で見たのと、同じだ)
違いは分かる。
自分の鉄騎より、どこか落ち着きがない。
吊り下げ式のコクピット、むき出しの関節、簡略化された制御系。
「全員、所定の機体に搭乗しろ!」
教官の声が響く。
白髪混じりの壮年の男で、鉄騎操縦士としての経歴は長いらしい。
その目は厳しく、生徒を「子供」ではなく「操縦者」として見ている。
ハイドは、指定された機体の下に立った。
(……この中に、ぶら下がるのか)
城で何度か試したとはいえ、慣れたとは言い難い。
自分の鉄騎は、座って操縦するものだった。
身体を預ける感覚が、まるで違う。
足場を登り、吊り下げ式のコクピットに体を滑り込ませる。
革のベルトが腰と胸を固定し、身体が宙に浮く。
わずかに揺れるその感覚に、無意識に歯を食いしばった。
「……落ち着け」
自分に言い聞かせる。
城で受けた姿勢矯正訓練が、ここで役に立った。
背筋を伸ばし、余計な力を抜く。
重心を、機体に預けすぎない。
周囲では、同年代の貴族の子弟たちが、慣れた手つきで準備を進めている。
幼少期から練習用の簡易機体に触れてきた者も多い。
「……遅いな」
誰かの小声が聞こえた。
ハイドは気にしない。
(急ぐな)
レバーに手を伸ばす。
武装用の擬似グリップは、今回は装着されていない。
純粋な歩行と姿勢制御の訓練だ。
「――起動」
教官の合図で、訓練用鉄騎が一斉に動き出す。
低い駆動音。
吊り下げられた身体が、わずかに引かれる感覚。
ハイドの機体も、ゆっくりと立ち上がった。
(……重い)
だが、城で初めて量産型を動かした時ほどではない。
足の位置、膝の角度、腰の入れ方。
姿勢矯正訓練で叩き込まれた感覚が、少しずつ繋がる。
一歩。
地面を踏みしめる衝撃が、コクピットを通して伝わる。
(二歩目……)
バランスを崩しかけるが、すぐに修正する。
吊り下げ式は、身体が正直に揺れる分、誤魔化しが利かない。
だが、それが逆に、分かりやすかった。
「……ほう」
観覧壁の上で、教官が小さく呟いた。
完全に初心者の動きではない。
ぎこちないが、恐怖で固まってもいない。
その少し離れた位置では、ルートヴィヒが機体を動かしていた。
(……遅いが、倒れない)
それが、彼には不気味だった。
炭鉱奴隷なら、もっと無様に転ぶはずだ。
吊り下げ式の恐怖に耐えられず、動けなくなるはずだ。
(なのに……)
ハイドの機体は、確実に前進している。
一方、訓練場の反対側。
イーリスの機体は、明らかに異質だった。
無駄な揺れがない。
足の運びが滑らかで、まるで人が歩くようだ。
いや――人以上に、機械として合理的だった。
(……同じ生徒、だよな?)
誰かが呟く。
イーリスは、吊り下げ式の制御を一切苦にしていない。
重量分布を瞬時に把握し、最適な動きを選択している。
教官は、思わず視線を向けた。
「……記録を取れ」
副官に指示を出す。
「今の動き、全てだ」
ハイドは、イーリスの方をちらりと見た。
(……すげえな)
だが、羨望よりも、妙な安心感があった。
(……俺だけじゃない)
訓練は続く。
直進、停止、方向転換。
ハイドは何度も小さな失敗を繰り返しながら、それでも確実に動きを覚えていった。
倒れない。
逃げない。
それだけで、周囲の評価は変わり始めていた。
「……あれ、思ったよりやるぞ」
「筋力があるな」
「姿勢が安定してる」
囁きが、訓練場に広がる。
ルートヴィヒは、歯噛みした。
(……違う)
こんなはずじゃない。
炭鉱奴隷は、見下される存在であるべきだ。
努力など、無意味だと証明されるべきだ。
だが、目の前の光景は、それを否定していた。
ハイドは、最後の課題を終え、機体を停止させた。
汗が、額を伝う。
腕も、背中も、重い。
それでも――立っていた。
「訓練終了!」
教官の声が響く。
ハイドは、ゆっくりと息を吐いた。
(……終わった)
その瞬間、確かに感じた。
ここは、炭鉱ではない。
殴られる場所でも、鞭に怯える場所でもない。
戦う場所だ。
だが――
立っていられる場所でもある。
学園の操縦訓練は、
静かに、しかし確実に、力関係を揺らし始めていた。
——————
操縦訓練の翌日、学園の空気はわずかに変わっていた。
表立って何かが起きたわけではない。
だが、視線の向きと、声の落とし方が違う。
訓練場での動きは、すでに記録として教官団の間を回っていた。
特別クラスの生徒たちには、まだ正式な評価は告げられていない。
それでも――噂は、評価よりも早く広がる。
「……あの炭鉱出身の」
「倒れなかったらしいぞ」
「初日で?」
そんな囁きが、廊下や食堂の隅で交わされていた。
ハイド自身は、それに気づいていない。
いつも通り、教室の隅の席に座り、分厚い教科書とにらめっこしている。
文字を追う速度は遅く、内容も半分ほどしか理解できていない。
それでも、以前よりは確実に進んでいた。
「……ここは、昨日やった」
小さく呟きながら、指で行をなぞる。
その隣で、イーリスは相変わらず静かだった。
教科書を一ページずつ正確に開き、目を走らせる。
視線は紙面に落ちているが、周囲の音も、人の気配も逃していない。
(……ざわついています)
耳打ちの声は、穏やかな敬語だった。
(理由は分かる)
ハイドは、首を傾げる。
(俺?)
(はい)
イーリスは、短く答えた。
(操縦訓練の初期評価が、想定より高い位置にあります)
ハイドは、少し困った顔をした。
(……よく分からない)
それは本音だった。
倒れなかった。
それだけで、褒められる理由が分からない。
だが、教官たちの評価は違う。
訓練棟の一室。
分厚い木の机を囲み、数人の教官が記録板を見ていた。
「ハイド」
名を読み上げ、白髪の教官が顎に手をやる。
「操縦経験なし。吊り下げ式は初」
「姿勢制御、平均以上」
「倒伏なし」
一つ一つが、静かに確認されていく。
「……身体能力が高いな」
別の教官が言った。
「筋力もだが、体幹が異様に安定している」
「炭鉱労働か」
「だろうな」
重労働で鍛えられた身体。
それが、鉄騎の操縦に噛み合っている。
「問題は……」
白髪の教官が、別の板に視線を移す。
「思考が遅い」
「判断に時間がかかる」
「だが、慌てない」
誰かが、小さく笑った。
「慌てる癖がない、というのは珍しいな」
「恐怖に慣れている」
その言葉に、室内が静まった。
「……褒め言葉として、扱うべきか?」
「少なくとも、操縦においてはだ」
結論は、慎重だった。
突出してはいない。
だが、危うくもない。
「――育てる価値はある」
それが、教官団の一致した評価だった。
一方で、保守派の生徒たちは、その評価を直接聞いていない。
だが、何かがおかしいことは、肌で感じていた。
「……教官の視線が違う」
ルートヴィヒは、訓練場の端で腕を組んでいた。
自分よりも、ハイドを見ている時間が長い。
それが、我慢ならない。
(評価されるはずがない)
そう思っていた。
炭鉱奴隷は、貴族の遊び場で恥を晒す存在であるべきだ。
なのに。
「……噂、聞いた?」
同派の生徒が、声を落とす。
「教官が、あいつの姿勢を褒めたらしい」
「冗談だろ」
「本当だ。記録係が言ってた」
ルートヴィヒは、唇を噛んだ。
(……レオポルトの言う通りか?)
いや、違う。
これは、まだ初期段階だ。
基礎が良くても、応用で潰れる。
(そうだ……)
そうでなければ、困る。
食堂では、別の変化も起きていた。
昨日まで、誰も近寄らなかったハイドの席に、数人の生徒が視線を向ける。
声をかける者はいないが、完全な無視ではなくなった。
「……あの人、鉄騎で倒れなかったんだって」
「本当?」
「イーリスと同じ班になるかも、って」
その名前が出ると、声はさらに小さくなる。
イーリス。
人の姿をした遺物。
教官も、生徒も、どう扱っていいか分からない存在。
だが、その隣に立つハイドが、少しずつ「異物」ではなくなり始めていた。
「……気に入らない」
ルートヴィヒは、はっきりとそう思った。
評価が追いつけば、立場が生まれる。
立場が生まれれば、発言力が生まれる。
それは、秩序の侵食だ。
(……急がないと)
保守派の中でも、焦りが広がっていた。
露骨な嫌がらせは、逆効果になる。
だが、放置すれば、流れは止まらない。
「……次の訓練で、仕掛ける」
ルートヴィヒは、静かに決めた。
規則の中で。
評価の枠内で。
“失敗”という形で、叩き落とす。
一方、ハイドは、その夜も机に向かっていた。
文字を追い、指でなぞり、何度も書き直す。
「……難しいな」
素直な感想だった。
イーリスは、隣で静かに見ている。
(焦る必要はありません)
(……そうか)
(はい。評価は、積み重ねです)
ハイドは、よく分からないまま頷いた。
彼はまだ知らない。
自分が、すでに“評価される側”に立ち始めていることを。
そして、その評価が、
誰かの恐怖を、確実に煽っていることを。
学園という箱の中で、
噂は静かに、しかし確実に力を持ち始めていた。




