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心のない人生

「その絵本を読んだあと、私は孤児院を出ることを決めたの。私、両親からたくさん愛してもらっていたから、絵本を読むまで魔女が嫌われ者だなんて知らなかった」


 細い手首に形だけ縄をかけられたフィオナさんは、思っていたより随分とあっさり口を開いてくれた。私は安堵に胸を撫で下ろしつつ、彼女をそっと見つめる。美しいだけの思い出ではないはずなのに、フィオナさんは優雅な微笑みを崩すことはなかった。


 鳥の姿をしたフィオナさんを、私の家へ連れていきましょうと提案したのは私だった。リロイさんは、彼女の罪の有無についてはひとまず置いて、城へ連れていくことを強く勧めたけれど、どうにかと頼み込んだ末にリロイさんが折れてくれたのだ。私は彼に感謝し、薬が切れた彼女を拘束することを条件に、家へ連れてきた。そして彼女は本当にあっさりと、拍子抜けしてしまうくらい簡単に事の次第を話してくれた。


「どうして胸に穴が空いているのか、聞いてもいいですか?」


 とても不躾な質問だというのに、フィオナさんはにっこりと笑って「ええ、もちろん」と答えた。


(ハート)はね、孤児院を出る時に自分で取ってしまったの。理由は……ごめんなさい、あまりよく覚えていないわ。だけどきっと、あの時の私にはいらないものだったんだと思う。ほら、あれってちょっと重たいでしょ?身軽になりたかったのかもしれないわね」


 まるで他人事のように、とんでもないことを口走る彼女に頭の中がくらくらとするようだった。けれど悠長に時間を使うわけにもいかずに、私は気を取り直して次の質問をすることにした。


「では、どうしてリロイさんの心臓を奪ったのですか?フィオナさんにとっては、必要のないものだったのでしょう?」


 彼女は頷いて、「そうね」と答えた。遠い過去を思い出すような、遠い目をしていた。


「必要ないと思っていたけど、なかったらなかったで落ち着かなかったの。……そうね、例えるならお菓子のないティータイムかしら。お菓子がなくてもティータイムはできるけど、お菓子のないティータイムなんて物足りないでしょう?それと同じよ。身体さえあれば生きてはいけるけど、心のない人生って物足りないでしょう?」


 そんな例えをされたところで、心を失ったことのない私には、彼女の気持ちを完璧に理解することはできない。私は、


「うーん。どうでしょう」


 と曖昧な返事をすることしかできなかった。


「でもそれは、他人(ひと)の心臓を奪っていい理由にはならないと思うのですが、」

「もう。さっきから気になっていたのだけど、言ったはずよ?私は奪ったつもりなんてないって。それに、呪いをかけたことはないとも」

「では、どうして……」


 フィオナさんは一度顔をきょとんとさせたあと、少し考えるように「うーん」と唸った。


「奪ったんじゃなくて、くれたの」

「くれた?」

「そう。私が微笑んだり、手を握ったり、見つめたりすると、勝手に相手が差し出してくれるの。私はそれを貰っただけ。まぁそちらの騎士様は、別のところへ飛んで行っちゃったけど。でも誓って、力ずくで奪ったことなんて一度もないわ」


 きっと彼女の言葉は本心なのだろうと思う。

 相手からすれば、“奪われた“。けれど彼女から見ると、“差し出された“。そこにあるすれ違いに目を瞑れば、フィオナさんの主張には、一応、筋が通っているように思えてしまう。


「でも他人(ひと)のものって、やっぱり駄目みたい。余計に落ち着かないの。だから全てこっそり返しておいたわ。手元にあっても困るだけだもの」

「では自分のものを戻せばいいのではないですか?」

「うーん、それが困っているの。孤児院に置いてきたっていうのは覚えているのだけど、私ったら自分がどこの孤児院にいたかも覚えていなくて……。だって、ほら、その孤児院には一年もいなかったし、今まで思い出そうとしたこともなかったものだから」


 『困ったわぁ』なんて、全然困っているようには見えないおっとりとした口調で言われてしまっては、怒るに怒れない。これはまた孤児院探しが始まってしまうなとひっそりと覚悟していたところに、今まで黙って脇に立っていたリロイさんが口を開いた。


「あなたがいた孤児院を知ってるかもしれない」


 彼の言葉に目を丸くしたのは私だけではなかった。フィオナさんも優しげに下がる瞼を開いて驚きを表した。


「ケイトがね、以前言っていたんだ。『うちの孤児院には昔、半年で抜け出したまま帰らなかった魔女がいたらしい』って。多分、あなたのことじゃないかな」


 それを聞いたフィオナさんは呑気な顔で、「そうかもしれないわね」なんて言っていたけれど、私はほとんど確信していた。孤児院を抜け出したまま行方不明になる魔女なんて、そうそういてもらっては困る。





「ふぅん。それでまた面会の取り付けをしてほしかったんだ」


 後日、私たちはノアの力を借りて、再び孤児院へ訪れることに成功した。問題だったのはここに辿り着くまでで、リロイさんづてにノアに面会の手配を頼んでもらっている間、フィオナさんはずっと私の家で匿っていたのだ。当然、それを後から聞かされたノアはあまり面白くなかったようで、大きなため息を吐いたあと、「過ぎたことは言ってもしょうがない」と最後には納得してくれた。


「それで、ここがあなたがかつて暮らしていた孤児院であっているかな。フィオナ」

「さぁ。どうかしら」

「どうかしらって?」

「だって覚えていないんですもの」


 頬に手を添えながら穏やかに微笑むフィオナさんに、ノアもにこにこと笑顔を見せる。天然の笑顔と、人工的な笑顔、といった感じだ。ノアが一方的に険悪的な雰囲気なって、私もリロイさんもたじたじになった。


「じゃああなたの心臓とやらはどこにあるのかな」

「それも忘れちゃったわ」


 もう限界だった。私は慌てて二人の間に体を滑り込ませて、ほとんど無理やり二人の会話を中断させた。


「私に心当たりがあります。まずはそこへ向かいましょう」

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