城へ
ノアと気まずい「また今度」をしてから、一週間と数日が過ぎた。その間、彼は一度も店を訪ねてはきていない。普段ならそんな日もあるかと思えるのだけど、あんな別れ方をして気にするなと言うほうが無理がある。私はもやもやした気持ちを引きずりながら、それでもいつものように日々の暮らしを営んでいた。
それからまた一日、二日と過ぎて、とうとう私の我慢は限界に達した。「私が悪かった」と、「はっきりしないノアが悪い」を行ったり来たりしていた私の心は、遂にそれさえもどうでもよくなった。
とにかく、彼に会いに行こう。そしてできることなら仲直りをしよう。そう思って、私は店を出た。
◯
「宮廷魔女のエマ様ですね。今、案内の者を呼びます。少々お待ちください」
──城に来ることがあれば、このブローチを見せるといい。僕のところへ案内するように言っておくよ。
以前、ノアが言っていたことがまだ有効だったことにほっと胸を撫で下ろす。もしここで彼に拒否をされたら、私はたぶん、立ち直れなかった。そんな子どもじみたことをするような人ではないと思いながら、どうしてこんなにも心細くなるのだろうと、手元のブローチを見つめながらぼんやりと考えていた。
そんな時だった。聞き慣れた声が私の名前を呼んだ。
「あれ、エマじゃないか。城で会うなんて珍しいね」
声につられて振り向くと、そこには手をひらひらと振りながらこちらへ向かうリロイさんの姿があった。一瞬、驚きはしたものの、よく考えれば彼が城にいることは何も珍しいことではなかった。私は軽くお辞儀をして、彼に挨拶をした。
「こんにちは、リロイさん。今は休憩中ですか?」
「いや、今日は午前だけだったから、もうあがりだよ。エマは城に用があるの?俺が城を案内しようか?」
「でもお疲れではないですか?」
「いいや、むしろ元気だよ。それにどうせ暇だったから、今から街をぶらつこうかと思ってたところなんだ。だから気にしないでくれ」
そこまで言ってもらえるなら、私としても断る理由がない。「ではお言葉に甘えて」と私が言うと、リロイさんはパッと明るい顔をしてから、「俺が案内するから後は任せて」と門番の人に声をかけた。
彼は本当に、太陽のような人だと思う。誰にでも気さくで、明るい。「誰とでも仲良くなれる人」というのは、まさに彼のような人のことを言うのだろうと、私は彼のすっきりとした笑顔を見ながらそんなことを思った。
「城へは初めて?」
「いいえ。勲章をいただいた時に一度だけ。その時のことは緊張でほとんど覚えていませんが」
「あぁ。病の流行を治めた時のことだね。あの時は本当に大変だった」
「えぇ、本当に。無事に収束してよかったです」
「そうだね。……あぁ、そうだ。行き先を聞き忘れていた。ノア王子のところでいいのかな」
「はい。よろしくお願いします」
改めて考えてみると、何だかすごいところに来てしまったなぁと思う。何より今から会いに行こうとしているのは、この国の王子様だ。本来なら絶対に交わることなかったはずのか細い縁が、いつの間にかこんなに丈夫なものに変わっていたことに、私は今さら気がついた。
(本当なら、王家の呪いの真実に辿り着いた時点で終わっていた関係だったのにね)
それでもよかった。
関係が長く、深くなるほどに、別れは辛くなるばかりだ。ましてや王子と魔女の友情なんて長く続くわけがない。そうやって最初からなんでも諦めたふりをして、傷つく前に自分で自分を傷つけていた。そうすれば、傷はずっと浅いものになったからだ。
だけど本当は、諦めたくなんてなかった。いつだって、他愛のない話しを聞いて欲しくてしょうがなかった。クッキーが上手く焼けた日は、店に来てくれないかなと期待した。「それでもよかった」なんて、所詮、私の強がりでしかなかったのだ。
「ノア王子の執務室はここだ。ノックするけど大丈夫?」
私は頷いた。それを確認してから、リロイさんは扉をノックして、
「騎士リロイです。宮廷魔女様をお連れしました。入ってもよろしいでしょうか」
と扉越しにノアに声をかけた。
すると中からバタン、ガタンと激しい音が聞こえたかと思うと、すぐに勢いよく扉が開かれた。リロイさんはさっと私を庇いながら扉を避け、部屋の中からは慌てた様子のノアが飛び出してきた。いつもふんわりと整えられている髪が乱れて、服も着崩れている有様だ。初めてみる彼の一面に私が驚いていると、リロイさんが私の方にぽんと手を置いて、
「じゃあ、俺はこれで」
と爽やかに微笑んで、ノアに一礼をしてから本当に戻っていってしまった。
急に助け舟がいなくなってしまい、おずおずとノアに視線を戻すと、彼もやっぱり少し気まずいようで、視線を逸らしながらぎこちなく微笑み、
「どうぞ。入って」
と言った。
部屋の中はあまり物がないシンプルな雰囲気だった。部屋の奥には彼が執務を執り行うための机があって、その横には難しいタイトルが並ぶ簡単な本棚があった。部屋の真ん中には簡易的な応接用のテーブルとソファがあって、私はそこに座るよう言われた。
当たり前だけど、生活感は微塵もなかった。執務のための机には積まれた書類と灯り、ペン置きがあるくらいで、所謂「思い出の品」だとか、花なんてものは飾られていない。センスのいい上品な家具も、生活感のなさをより際立たせている。自然とできてしまうような細かな傷を除けば、家具には傷らしい傷はないし、埃の一つすらこの部屋にはないようだ。完璧に整えられた部屋は、私には少し窮屈に感じた。
「僕が君を訪ねることはあっても、君が僕を訪ねることなんて初めてだね。おかげで見苦しいところを見せてしまったよ」
向かいのソファに座りながら、ノアはそう言った。さっきまでの慌てぶりが嘘のように、彼の表情は相変わらず優雅で、穏やかだ。狐につままれる、というのはこういう時の気持ちを表す言葉なのかもしれない。
「謝りに来ました」
「謝る?僕に?」
ノアはきょとんとした顔で目を丸くした。本当に予想外のことだったらしい。
「はい。リロイさんの依頼のとき、イヤリングを砕いたことをノアはよく思っていないのだろうと思って。店に来なくなったのもそれが原因じゃないかと思ったので、ちゃんと話をするために会いに来ました」
私がそう言うと、ノアはやっと合点がいったというように、「あぁ……」と小さく呟いた。
「別に怒ってないよ。本当に。むしろうちの騎士の呪いを解いてくれて感謝すらしているくらいだ。……ただ」
「ただ?」
尋ねると、ノアは眉をハの字に下げて困ったように微笑んだ。まるで聞き分けのない子供を前にしているような顔だった。
それから彼は勿体ぶったように足を組み直して、「ふぅ」と短く息を漏らす。慣れないこの空間も相まって、意識しなくても手のひらに力がこもってしまう。
「いや、まずはお茶を用意しよう。話はそれからだ」




