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リロイと魔女

「魔女に呪いをかけられたんだ」


 まだ寒さが後を引く春の昼下がりのことだった。

 久しぶりに店を訪ねたリロイさんは、テーブルに着くとほぼ同時に絞るような声でそう言った。私は何故だかどきりと緊張の走る心臓を抑えつつ、「呪いですか?」と尋ねた。


「呪い、だと思う。詳しくはないから分からないが、たぶん」


 すっきりとした彼には似合わない、歯切れの悪い口ぶりだった。


「詳しく教えていただいてもいいですか?」


 私がそう言うと、彼は頷き、記憶を辿るように話を始めた。


「あれは確か、三日前の夜だった。その日は街の見回りの当番で、俺は決められたルートを巡回していたんだ。運のいいことにその日は何事もなく、見回り終えた俺は城へ戻ろうとした。そうしたら声をかけられたんだ。『ごきげんよう、騎士様』と」


 それが魔女だった、ということだろう。私だったら腰を抜かしてしまいそうな出来事を、彼は淡々と話した。

 彼は怖くないのだろうか。

 頼りない灯りで歩く夜の街も。

 闇の中で声をかける魔女も。

 彼は騎士だから恐ろしいものなどないのか、恐ろしさに負けない心があるから騎士なのか。とにかく私には彼の真似なんて到底できそうもないなと思った。


「それで、どうして呪いを?」

「それが…‥よく分からないんだ。俺が『こんばんは』と返事をすると、彼女は一度目を丸くして、それからにこにこと笑った。敵意はなかったんだ。暗くてよく見えなかったけど、嬉しそうだったと思う。……だけど、」


 リロイさんはそこで一度口を閉じた。

 目を閉じて、その夜の出来事を、魔女の様子を、一つひとつ丁寧に思い出しているようだった。


「突然、彼女は俺の胸に手を当てたんだ。俺は驚いてすぐに身を引いた。もう一度顔を上げた時には彼女はもう姿を消していて、甘い香りだけがその場に残っていた。夢のような出来事だったけど、いつまでも街に残っているわけにもいないから城に戻ったんだ。それから胸の違和感を覚えた」


 胸の違和感。

 そう言われて急に不安になったのが顔に表れていたのか、リロイさんは優しく笑ってみせたあと、首を横にふった。


「大丈夫だよ、エマ。痛みや苦しみがあるわけじゃないんだ。……ただ、」

「ただ?」

「ごめんね。見苦しいかもしれないが、これを見てほしい」


 リロイさんはそう言ってから自分の服のボタンに手をかけた。

 手際よく彼の肌から離れていく布に私が固まっていると、彼はついに最後のシャツまでも開き、胸元を見せた。


「……え、」


 そこにあったのは穴だった。向こうの景色まですっかり見える、穴。


「見ないと信じてもらえないと思って、ごめん」


 そう言って彼は素早くシャツを閉じて、ボタンを閉めた。

 私はぱちぱちと瞬きをしながら、今見たものを頭の中で思い出していた。

 胸の、真ん中よりもやや左にあって、こぶしほどの大きさの、穴。その位置にあるのは──心臓だ。


「だ、大丈夫なんですか。脈はありますか?息は?体温は?」

「大丈夫なんだ。本当に。脈も息も、体温だってちゃんとある。不思議なことにね。どういうわけかご飯だってちゃんと食べられるし、食べ物が穴から落っこちることもない」

「ご飯を食べたんですか。その体で」

「あはは。まぁね」


 唖然とする私とは対照的に、リロイさんは呑気に笑っている。

 私は目眩を起こしそうなのを堪えて、ありったけの呪いの知識を引っ張り出した。けれど私はもともと呪いには疎い。とてもではないけれど、今すぐに解決できるような技術は私にはなかった。


「すみませんが、時間をください。必ず呪いを解いてみせますとは言えませんが、力を尽くすことはお約束します」

「うん。それでいいよ。ありがとう、エマ」


 まるで大きな犬ような人懐っこい笑みだ。

 必ず呪いを解くと言えない罪悪感が余計に刺激されて、私は少しいたたまれなくなった。


「それにしても、どうして三日もそのままにしたんですが」

「任務に穴を開けるわけにはいかなかったからね。三日後には休みだと分かっていたし」

「そうだとしても、……」


 私が食い下がろうとしたところを、ノックの音がそれを中断させた。私が玄関に向かうよりも先に扉は開かれ、外にいた人物が入ってくる。


「あぁ、君もいたんだ」


 ノアだった。

 慌てて椅子から立ち上がり、膝をつこうとするリロイさんをノアは手で制止した。


「いい。ここでは()()()()()()()()をしたくないんだ」


 「分かるだろう?」とノアが念を押すと、リロイさんは少しやりにくそうに姿勢を正した。それを確認したあと、ノアはじーっとリロイさんを見つめてから、彼の胸元を指さした。


「どうして服が乱れてるんだ」


 指摘されたリロイさんは分かりやすく動揺したあと、しばらく迷ってから結局は正直に打ち明けた。ノアは大して驚く様子もなく、「ふぅん。そうか」と言ってから空いた椅子に腰掛けた。なんだか冷たいように見えるけれど、主従というものがイマイチ分からない私には、二人の間に口を挟むことができなかった。


「その……すみせませんでした」

「どうして謝る?」

「俺が油断していたばかりに。騎士として不甲斐ないです」


 リロイさんの言葉に、ノアは「ふむ」と一度考えるよう素振りを見せたあと再び口を開いた。


「油断した、とちゃんと分かっているのなら私から言うことは何もない。失敗を恐れて縮こまってしまっては、それこそ誰の益にもならないからね。だからお前も必要以上に自分を責めるな」


 リロイさんは何も言わなかった。ただ深く頭を下げている。

 ノアは「だからそういうのはいいって言ったのに」とボヤきながら、今度は彼がやりにくそうにしていた。


「なんだかノア、王子様みたいですね」

「王子様だよ」


 にっこりと笑った顔を見て、私は少しほっとした。いつもの彼だ、と思ったからだ。急に王子さまのような素振りを見せられると心臓がそわそわしてしまう。

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