エバーグリーンの魔女
『眠る彼の手は二つ、胴体は一つ。
魔女の手は一つだけ。
王家の頭からは三つ。
それらを捥いで、干して、すり潰す。
どうか恐れないで。一つ間違えても、二つ間違えても、きっと神様は許してくれるはずだから』
「またややこしい手紙が来たものだね」
ノアの言葉には激しく同感だ。
けれど今回に限っては悠長なことは言っていられない。私はおばあさんの綺麗な字を目で辿りながら、ひとつひとつ確認していった。
「……これはそんなに難しいものではないかもしれませんよ」
私の言葉に、ノアの瞳が希望に輝いた。
「何か分かったのかい?」
「物騒な言葉が並んでいますが、『捥いで、干して、すり潰す』というのは調合の手順のことを言っているのだと思います。そのまま、薬草を摘んで、乾燥させて、すり潰して粉末にする、といった感じです」
ノアが「あぁ、なるほど」と呟く。
「じゃあこれは薬のレシピというわけだ。ということはこの文に出てくる魔女は『魔女の木』のことじゃないかな。『眠る彼』は……鎮まり草?」
私は頷いた。適当に聞いているように見えて、いつもノアはちゃんと私の話を聞いてくれている。ノアのそういうところが、私はとても好きだ。
「恐らくそうです。この国で睡眠薬に使われる最もポピュラーな薬草は鎮まり草なので。だけど頭や手と言われると……」
私はそこで言葉を詰まらせた。代わりに口を開いたノアだ。
「シンプルに考えてみようよ。魔女の木も、鎮まり草も、つまるところ植物だ。これらを人の体に喩えたとき、手は葉っぱ。胴体は茎、足は根っこになるんじゃないかな?」
言われてみれば確かにそう思えた。
じゃあ頭は……?ぐるぐると思考を巡らせる。
「頭は、花?」
「たぶんね。一口に花といっても色々あるけど、たとえば『花を描いてみて』と言われたら、大抵の人は一番上に花を描いて、その下に茎を描いて、茎の横に葉っぱを描くだろう?」
うんうんと頷く。
ということは『王家』からは花を摘むことになるのだ。そしてこれはそう難しい問題ではなかった。
「この国の王家の紋章は百合、ですね」
「そう。つまりこの文は、『鎮まり草の葉を二枚と茎を一つ。魔女の木の葉を一枚。百合の花びら三枚を薬の材料にしろ』ってことだね。でも最後の文は?間違えても神は許してくれるって」
ノアが手紙の最後の文を指先でトントンと叩いた。
「ノアがさっき言っていた伝説の話ですよ。魔女の木の葉を食べた男は胸を押さえて苦しみ、やがて死んだ。つまり普通に口にすれば魔女の木の葉は毒なんだと思います。続けて、魔女は『呪いを解けるのは偉大な魔女だけ』と言っていた。呪いとは毒のこと、偉大な魔女とはリリーさん……つまり百合の花。調合を間違えれば、話の中の男のように人間は死んでしまい、許しを乞う相手は神しかいなくなる、ということです」
もっというなら、『恐れないで』というのは人間が滅べば自分を責める相手もいなくなるという意味なのかもしれない。けれどそんなこと、ノアには伝えられなかった。
「責任は重大ってことだね。だけど二の足も踏んでいられない。百合の花は季節には遅いけれど、諸外国にも声をかけて必ず手配を。薬は安全性が確認でき次第、国中の薬剤師に依頼を。特効薬さえ見つかればあとは時間の問題だ。エマ、もう少しだけ頑張ってくれるかい?」
私は頷いた。私たちの間にこれ以上、言葉はいらなかった。
・
それから数ヶ月経った。
長く、寒い冬はようやく終わりを迎え、この国は春を迎える準備を始めている。清々しい朝に私は大きく伸びをしながら、看板を店の前に立て掛けた。
『お困りごとがあればお気軽にどうぞ』
ピカピカだった看板は、いつの間にか年季が入ってなんだか随分サマになっているように見えた。それを感慨深く思いながら眺めたあと、扉にかかっているドアプレートをひっくり返す。『open』の文字が表に出て、これで開店準備はおしまいだ。
ここは、魔女の店。
嫌われ者の魔女が、人のために開いた店。
大通りの方から聞こえてくる人々が交わす挨拶や、他愛のないお喋り、鼻先をくすぐる焼きたてのパンのいい匂い。少しずつ広がっていく朝の気配を、薄い膜のこちら側で感じとる。耳や、鼻や、肌がひりつくような、そわそわするような不思議な感覚を引きずりながら、私は店の中へ──
「やぁ。会いにきたよ、エマ」
聞き慣れた声に後ろを振り向くと、細められた蜂蜜色の瞳が優しいまなざしで私を見つめていた。手には、いま女の子の間で人気なケーキ屋さんの箱が下げられている。
「中へどうぞ」
私の返事にノアは機嫌よく店の中へ足を踏み入れた。
それからいつものテーブルに腰をかけて、私がお茶を運ぶとそれを受け取った。
「ねぇエマ。君はもう宮廷に仕える魔女なわけなんだから、今度は君が僕に会いにきてくれてもいいと思うんだけど」
皿の上のケーキを一口食べながらノアが言った。ちょっと不貞腐れたような言い方だった。
「それは国王からの任命だったので断れなかっただけです。本業はこっちなので店を疎かにはできません」
私がそう言うと、ノアはおかしそうに声を出して笑った。今度は私がむすっとする番だった。
「宮廷の仕事を副業呼ばわりするなんて、エマは大物だなぁ」
「揶揄わないでください。もう店に入れてあげませんよ」
そう言ったところでノアは笑うのをやめない。とはいえ本当に締め出すわけにもいかず、怒りのままフォークをケーキに突き立てて大きな一口を口に運ぶと、ノアはまたおかしそうに笑った。
「はは。やっぱりいいね。ここで君となんでもない話をする時間が、僕は一番好きだ」
あまりにも屈託のない笑顔に、私はつい口ごもってしまった。私もですよと素直に言うべきか迷っていると、ノアは何か思い出したように「そういえば」と言葉を続けた。
「そういえば君のおばあさまは、どうしてあんな暗号めいた手紙を残したのかな。助けてくれるなら、普通に薬のレシピを教えてくれたらよかったのに。やっぱり魔女は回りくどいことが好きだから?」
ノアの疑問に、私は少し考えてから口を開いた。
「それもあると思いますが、多分おばあさんはやっぱり人間のことを好きになれなかったんだと思います。だから何がなんでも助けようととはしなかった」
私がそう言うと、ノアは少し淋しそうに小さく笑って、「そうか。それは仕方ないね」と呟いた。私はノアの言葉に答えることはせずに、「だけど」と言葉を繋いだ。
「だけど嫌いにもなれなかったんだと思いますよ。そうじゃないと、いくら商売とはいえ人間相手に何百年も占いなんてできないし、私たちに手紙を託すこともなかったでしょう。……私はこれでよかったと思います。無理に人間を愛す必要はないし、無理に嫌い続ける必要もない。好きと嫌いを行ったり来たりしながら、私たちは相手を知っていくんだと思います」
ノアは静かに笑って、「そうだね」と言った。
柔らかな光がカーテンの向こう側からやって来て、私たちを温かく包み込む。紅茶を一口飲んでホッと一息つきながら、私は何故だか「やっと帰って来れたわ」と思った。
肌に馴染むテーブルと、温かい紅茶。そして目の前には同じようにカップに口をつける愛すべき友人。この空間に帰って来れたことが何よりも嬉しく思えた。
「今思い出したんだけど、君、おもしろいあだ名が付いていたよ。知ってる?」
突然、ノアが揶揄うように目を細めて私を見た。私が「いいえ」と答えると、ノアはいたずらっ子の笑みを浮かべた。
「この国の民は、君の美しい緑の瞳と、人々からの枯れることない感謝を込めて、君をこう呼ぶんだ」
そう言って彼は立ち上がり、私の横までやって来て跪き、手の甲に口づけを落とした。そして黄金の瞳を三日月の形にして、私を射抜くように見つめる。
「エバーグリーンの魔女、と」
『エバーグリーンの魔女』はこれで終わりにしようと思います。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。




