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二度目の依頼

 冬だ。

 生前、おばあさんがよく座っていたロッキングチェアに腰を下ろして、爆ぜる暖炉の火で悴む指先を温める。この国の冬は寒い。昨日どっさりと降った雪は今もまだ溶けずに、玄関の脇で石のように固くなっている。「昔はもっと寒かったのよ。雪だって、玄関が埋まってしまうくらい」とおばあさんはよく言っていたけれど、今思えば冗談だと聞き流していたあの言葉は本当だったのかもしれないと、揺れる火を眺めながらそんなことを考えていた。


「エマったら、また暖炉の前に座ってる。風邪薬の依頼、また増えたんでしょう?」

「作ります。作りますが、工房は寒いのでもう少し暖まってから……」

「そんなこと言って昨日もなかなか工房に行かなかった」


 ケイトさんはむすっと軽く頬を膨らませながらも、最後には折れて部屋の掃除に戻っていった。その小さくも頼もしい背中を見つめながら、私はやっと重たい腰を持ち上げた。自分ばかり楽をしてはいられない。気合いを入れ直して、私は冷え込む工房へと足を運んだ。

 ケイトさんは変わらずにお店の手伝いにやって来てくれた。本当ならケイトさんの自由な時間を奪いたくはなかったのだけど、彼女の言う通り、風邪薬の依頼は冬が深まるにつれて増えていく一方だ。手伝いなら、猫の手でも借りたいほどだった。


「ええっと。まずは鎮まり草と、夜明けの雫と、それから……あぁ、去年よりずっと薬草がなくなるペースが早くなってる。冬の山には採りに行けないから、質は落ちるけど庭の薬草で代用して……」


 目がまわる。

 ここ最近ずっと、瞼や、肩や、背中に、重たくて暗くて、どんよりしたものがぶら下がっているような感じがする。数日の間、店を空けてどこかへ逃げてしまいたい気がするけれど、そういうわけにもいかないので、どうにかこうにか自分を誤魔化したり、自分で自分の機嫌を取ったりしながら何とかやっている。今日の分を終わらせたら、久しぶりにクッキーを焼こう。夜ご飯のことも、お腹のお肉のことも気にせずに、好きなだけ食べてやろう。

 そんな細やかな企みをしている時だった。店の扉がノックされた……気がした。ノアが来たのだ。私はすぐに直感した。


「──エマ?王子様が来たわ」


 すぐにケイトさんが工房を訪ねた。


「ありがとうございます。では後からまた顔を出しますね」

「あ、ううん。それが、今日は遊びに来たわけじゃないみたい。だから手が空いたらできるだけ早く顔を出してあげて」

「?……分かりました。キリのいいところで一度切り上げますね」


 私がそう言うと、ケイトさんは「うん。お願い」とだけ言って店の方へ戻っていった。きっとケイトさんもノアの用事について詳しくは分からないのだろう。私は再びテーブルに着いて、いつもよりも少し手早く作業に取り掛かった。





「依頼があるんだ」


 お決まりの窓際のテーブルに、彼と向き合って座るのは随分と久しぶりな気がした。私と彼が、初めてこのテーブルで向かい合って座った日から、浅いとまでは言わずともそう昔のことでもないはずなのに、もう何年も、何十年も前の出来事のように感じる。


「また無茶な依頼をする気でしょう?」


 悪戯を仕掛ける子どものように私は尋ねた。するとノアは真面目な顔を崩して、「バレたか」とでも言いたげにへにゃりと笑った。


「うん。ごめん」

「仕方ないですねぇ。……えぇ、いいですよ。私だってあれからけっこう成長したつもりです。ちょっとした無茶なら叶えられるくらいには、一人前の魔女に近づけたと思っています。ね、そうでしょう?」


 私の微笑みに、ノアも微笑みを返す。言葉は必要なかった。


「──では、こほん。改めまして、店主のエマです。ご依頼を聞かせていただけますか?」


 私の言葉に、ノアの背筋がすっと伸びる。この国の“王子“の顔だった。


「……四百年前の出来事は覚えているね?」


 私は驚いた。今その話が出てくるとは、思いもしなかったからだ。けれど同時に、依頼の話を始める前にノアがケイトさんに席を外すよう頼んでいたことにも納得がいった。


「もちろんです。でもどうして急にその話が?」


 ノアは真面目な顔つきのまま、束の間黙りこんで、それから少し言いにくそうに口を開いた。


「君も知っているとは思うけど、今、我が国では風邪が流行っている。主な症状としては、微熱が続いたり、咳や鼻水がでるといったよくある風邪の症状だ」

「はい。私もそう聞いています」

「そう。だから僕もあまり気にしてはいなかったんだが、一週間経っても熱が引かない、それどころか症状が悪化していく者が増えてるみたいなんだ。医者も手を焼いていてね。このままじゃ死者が出るかもしれない」


 私は息を呑んだ。

 私が知らないうちに、知らないところで、恐ろしい何かが始まっていたような恐怖を感じた。


「四百年前のこともある。同じ過ちは繰り返せない。……だけど情けないことに、真っ先に浮かんだのは君の顔だった。この店に来れば、君とだったら、この無茶な願いも何とかなるんじゃないかと」


 真面目な顔つきのまま、ノアがテーブルの上で手を組む。いつも余裕で、柔らかな印象の彼にしては珍しく、表情も、雰囲気も、岩のように固く、きごちなかった。緊張している。もしくは何かに躊躇っている。私はどうすることもできずに、ただ彼の言葉を待った。


「……エマ。僕はね、恐ろしいんだ。四百年前と同じことが起きたらどうしよう、とね。君を失うのはさ、絶対に嫌なんだ。けれど僕は王子だから、国全体のことを考えなくてはいけない。個人を見ていてはいけないんだ。…‥ねぇ、エマ。いっそこんな頼み断ってくれ。『馬鹿を言うな』と頬を引っ叩いて、僕の目を醒させてほしい」


 結んだ手をぎゅっと固めて、ノアは背中を小さく丸めた。きっとその背中には、たくさんの期待と重圧が、まるで鉛のように重くのしかかっているのだろう。

 私は、力が入り過ぎて白くなっている彼の二つの拳にそっと自分の両手を被せた。瞬間、目が合う。あの日。初めて会った日に、美しいと感じた瞳のままだった。


「ノアは本当に、時々めんどうくさい人になりますね」

「……エマは時々、口が悪くなる」

「ノアにだけですよ」


 私がそう言うと、やっとノアの表情がフッと柔らかくなった。


「ノアはただ私にこう言えばいいんです。『力を貸して』と」

「そうしたら、君は何で答えるんだい?」

「『はい。よろこんで』と」


 どちらともなく笑い合う。

 きっと大きくて、大変なことがこの先で待ち構えている。それでも私は何度も首を縦に振るだろう。何度でも、固く握りしめられている拳を包み込むだろう。

 あなたが何度も私を救ってくれたように。私だってあなたの力になりたいのだから。

三部で完結にしようと思います。

よければあと少し、お付き合いください。

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