騎士の正体
「決めたわ。私、あの人に会いにいく」
ケイトさんの決意は岩のように固く、緑の瞳は燃えるようにギラギラと熱意に満ちていた。
私と、そしてフラフラと店に顔を出していたノアは一度彼女の言葉に動きを止めたけれど、互いに「いってらっしゃい」とだけ声をかけた。ケイトさんは少し不服そうだった。「もっと言うべきことがあるんじゃないの?」と顔に書いてあったけれど、私たちはそれ以上は何も言わず、ついには不満げな表情のまま「行ってきます」とだけ言葉を残して、傘を手に、彼女は店を出た。
「行ったね。着いていくんだろう?」
「もちろんです」
旅立っていく小鳥を、追いつけなくなるまで走る無邪気な子どものように、私たちはそっと店を後にした。
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ケイトさんの確かな足取りで、たどり着いたのは広場だった。お昼より少し早い午前中の広場は、人もまばらで穏やかだ。ケイトさんはキョロキョロとあたりを見渡したあと、真ん中にある噴水近くのベンチにそっと腰をかけた。私とノアは近くの路地の隙間からその様子を見つめていたけれど、『親切な騎士』は一向に現れる気配はなかった。
「広場で会ったと言っていたけれど、まさか再会するまで毎日ここに通うつもりじゃないだろうね?」
訝しげな目をしながら、ノアは半分独り言ように呟いた。
「どうでしょう。でも改めて広場に来て、少し気になることがあります」
「気になること?」
首を傾げるノアに、私は頷いた。
「私はケイトさんに、『お手伝いに来るのは何時でもいいですよ』と言ってあるのですが、彼女が店に来るのはいつも決まって店が開くか開かないかの朝の早い時間でした。ずっと孤児院より店の方が心地いいのかなくらいに思っていたのですが、もしかすると別の意味があったのかもしれません」
「別の意味?」と、さらに首を傾げているノアに、私は広場から見えるとある屋台を指差した。この広場はお城のすぐ近くにあることもあって、その周りにはいくつものお店がある。とりわけ多いのが、軽食を扱っている屋台だ。
私はそのうちの一つ、サンドイッチを取り扱っている屋台が気になっていた。良心的な値段でありながら、新鮮なレタスと、ハム、たまご、トマトが挟んである実に食欲のそそられるサンドイッチだ。
「へぇ。サンドイッチを売ってるんだ。珍しいね」
「ケイトさんはよくあの屋台のサンドイッチを買ってくるんです。私が昼食を作ってる間に、『ちょっと出かけてくる』と言って。ちょうど今のくらいの時間です」
「……あぁ、なるほど」
ノアは顎に手を添えてしばらく考えたあと、閃いた顔で私を見た。
「朝と昼のその時間帯に、“傘を貸してくれた騎士“がこの広場を通るんだね」
「はっきりとは分かりませんが、おそらく」
『あの人に会いにいく』と言ってから、広場にたどり着くまでの足取りに迷いはなかった。傘を貸してくれた人の正体が騎士だと分かってから、何かしらのやり取りをしているようでもなかった。
それなら、ケイトさんは知っていたんじゃないだろうかと思う。騎士は嫌いだと口にしながらも、どうしても気になって、何度も何度もこの広場を通って、彼がいつも似たような時間に広場に来ることを知った。けれど話しかける勇気はないまま、遠目から一目見るだけ……。
「どうやらエマ、君の予想は当たっていたようだよ。だけど、うーん‥‥これは少し予想外だったね」
ノアの言葉につられて、私は顔を上げた。
ケイトさんがベンチから立ち上がって、一人の男性のもとへ駆け寄っている。声をかけられた様子の男性は立ち止まり、振り返った。ノアよりも高い背丈と、体格のいい身体、流れるような黒髪。私はすぐに、「予想外だった」と言ったノアの言葉を意味に気づいた。
「……リロイさん、ですよね?」
「うん、そうだね。傘を貸した紳士はどうやら彼だったみたいだ」
その言葉を聞いた途端、すとん、と肩の力が抜けたような気がした。遠い国に旅立っていくのだと思っていた小鳥が、隣の庭の木に足を下ろしたように、間抜けな笑いが二人から溢れた。
「リロイさんなら安心ですね」
「まぁ、そうだね。ちょっと気に食わない気もするけど、彼ならきっとレディを傷つけるようなことはしないよ」
私たちは少しの間、ケイトさんの一生懸命な横顔と、リロイさんの誠実な微笑みを眺めてから、どちらともなく帰路についた。穏やかな帰り道だった。
ケイトさんはすてきな魔女だ。他者との関わりのなかで、迷ったり、悩んだり、壁にぶつかったりすることがあっても、それを解決するために行動できる。たとえそれが空振りだったとしても、結果的に間違いだったとしても、他者にぶつかっていけるというのはすごい。私はそんなケイトさんの強さを尊敬するし、叶うなら、その直向きな思いが報われることを願っている。そして、その思いはきっと、今ごろ広場で叶っている。それがとても嬉しかった。
・
「友だちになってくれるって」
店に戻ってきたケイトさんは、開口一番そう言った。嬉しそう、と言うよりは、信じられないような、まだ夢の中にいるような、そんな様子だった。そんな彼女を窓際の席に座らせて、紅茶を出し、その向かいに私とノアは座った。
「魔女ということは?」
質問したのは私だった。ケイトさんは少し夢から覚めたようにハッとして、ゆっくりと頷いた。照れたように、情けないように、眉をハの字にしながら縮こまった。
「たぶん、知ってた。あの人は何も言わなかったけど、私を見て眉の一つも動かさなかった。それから言ったの。『濡れずに帰れましたか?』って」
「へぇ。いい男じゃないか」
ノアはこの場にいない知り合いを、半分からかうように、そしてもう半分は誇らしげに讃えた。まさかしばらくの間、遠目から見ていましたとは言えずに、私は静かに頷くケイトさんを黙って見守っていた。
「気にしてたのは、私の方だった。魔女だからと意地悪をしないで、と。仲間外れにしないで、と強く思っていたのは私だったのに、一番、外側ばかり気にしていたのは私だった。私はそれが恥ずかしい」
そう言って、ケイトさんはぐっと表情を歪めた。ティーカップを持つ手に力が入っているのか、指先が白くなっている。
「君も、エマも、魔女ってちょっと真面目すぎないかい?」
「……え?」
突然話題のなかに放り込まれて、私は驚いた。それなのにノアは調子を変えずに、あっけらかんとした顔で話を続けた。
「人間も、魔女も、まず最初に見るのはその人の外側だよ。それでも自分を知ってもらいたいなら、知ってもらう努力すること。相手を知りたいなら、丁寧な関わり方を心がけること。大切なのは、そういうことじゃないかな」
「王子様の言葉っていつもちょっと難しいわ」
ケイトさんにそう言われると、ノアは「ごめん、ごめん」と困ったように微笑んだ。確かにノアは、分かるような、分からないようなことをよく言う。王子様って、どこの国でもこんな風なのだろうか。
「そうだね。たとえば身だしなみを整えるっていうのは、誰でもできる『自分を知ってもらう努力』だ。寝起きの髪を整える、顔を洗う。それに、ほら。君が侮られてしまわないように、君の体に合う服をエマが繕ったことだってそうだ」
ケイトさんがチラリと私の顔をのぞいた。私は視線をずらして無言を貫いた。
「……じゃあ丁寧な関わり方って?」
「それはちょっと難しい。自分も、相手も、心地いい関係でなくてはいけないからね。当然、自分だけよくては駄目だ。かといって相手だけよくても駄目。どちらも疲れて離れていってしまうだけだからね。まずは相手を傷つけないこと。傷つけたら必ず謝ること。感謝を忘れないこと。逆にこれを蔑ろにする相手なら、僕なら関係を見直すね」
ケイトさんは「ふぅん」と小さく呟いた。ノアの言葉を軽くみたわけではなく、何かを考える様子でティーカップに揺れる水面を見つめていた。
「私、あんまり友人がいなくて、彼で二人目なの。だからどうしたらいいのかよく分からなかったけど、王子様の言葉は大事にしようと思うわ」
「そう?それはよかった」
「ケイトさんは他にもご友人がいるんですね。今度はぜひその方も連れて遊びにきてくれると嬉しいです」
「何言ってるの?あなたよ、エマ。私の最初の友人は、あなた」
唐突な話に、私は驚いた。そんな私の様子に、「……私の勘違いだった?」と心配そうに顔を覗き込むケイトさんに、私はぶんぶんと首を振った。
「い、いいえ。そう思ってもらえたことが、嬉しくて……」
素直に答えると、ケイトさんは可笑しそうに口元に手を当てながら笑った。つられてノアが、「僕は友人じゃないのかい?」なんて冗談っぽくケイトさんに尋ねると、「じゃあ三番目の友人ね」とさらに笑った。この国の王子に向かって、「三番目」だなんて、きっと彼女は大物の魔女になるわ、と思いながら、三人のお茶会はしばらく続いた。
二部はこれで終わりにしようと思います。
駆け足になったり、間が空いたりしましたが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
気に入ってくださった方はもう少しお付き合いください。




