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君はどうしたい?

 最近、私の耳はとてもよくなったと思う。

 迷いのないノックの音や、真っ直な足音、それから初夏の風みたいに軽やかな声。たとえ工房の奥に引っ込んでいても、私はこの来客が誰なのかをすぐに言い当てることができる。


「エマ、王子様が女の人を連れてきたわ!」

「……えぇ?」


 「ほらやっぱり」と心の中で思った次の瞬間に、私は自分の耳を疑った。ノアが女の人を連れて来た?……それは、なんだかちょっと、予想外だったかもしれない。

 私はなんだか急にソワソワとしてしまって、急いで壁にかけていたローブを羽織ってから工房を後にした。



「やぁ、エマ。お客さんを連れてきたよ」

「……お客さん?」


 慌てて店に出ると、ノアは優雅に足を組みながらソファに腰掛けていた。ひらひらと片手をあげて、いつものような柔らかな微笑みを浮かべている。

 そしてその奥。窓際の席には女性が一人、緊張した面持ちでじっと私を見つめていた。……なるほど、ノアの言うお客さんは、たぶん彼女のことだろう。


「店の前で悩んでいるようだったから声をかけたんだ。すまない、迷惑だったかな?」

「い、いいえ。寧ろ感謝しています。あとはわたしの仕事ですね。よーし、がんばるぞぉ」


 私の様子に違和感を覚えたのか、ノアは不思議そうに首を傾げた。そんな目で見つめられたって、私だってどうして慌ててしまったのか分からない。背中にひしひしと視線を感じながら、私は不安を肩に乗せている彼女に声をかけた。


「お待たせしました。店主のエマです」


 声をかけると、女性は一瞬びくりと肩を跳ねてから小さく頭を下げた。


「こ、こんにちは。……あの、看板に書いてあったことは本当かしら?」


 恐る恐ると言った感じで彼女は私に尋ねた。

 看板?とすぐには思い至らなかったけれど、よく考えてみれば、毎朝、店の玄関先に置いている小さな立て看板のことだろうと思い出した。『お困りごとがあればお気軽にどうぞ』と書いてあるものの、看板を見て来た人は今まで一人もいない。だからあの看板が役に立ったがちょっと信じられなかった。


「もちろんです。といっても先ずは依頼内容を聞いてからですね。聞かせていただいてもよろしいですか?」


 私が向かいの席に腰掛けると、彼女は右手で左の前腕あたりをさすりながら目を伏せた。


「痣を隠すことできる?」


 彼女の言葉に、私はすぐに頷くことはしなかった。


「痣ですか?」


 私の言葉に彼女は頷いて、それから重たいまなざしで服の袖をめくった。そこに隠れていたのは、赤褐色の少し大きな痣だった。


「生まれつきなの。見ていてあまり気分の良いものではないでしょう?」


 眉を下げて微笑む彼女に、私は何も答えなかった。ここでどんな答えを返しても、なんだか言葉が軽く聞こえる気がしたのだ。だから私は頷くことも、首を振ることもせずに、ただ真っ直ぐに彼女の瞳を見つめ返した。


「私も昔は嫌だった。何も悪くない母を恨んだりもしたわ。……だけど今はね、まぁこれも悪くないかもって思えるようになったの。そりゃあ痣なんてないほうがいいけど、だからといって不幸なわけじゃない」

「──じゃあどうして痣を隠すの?」


 ちょうどお茶を運んできてくれたケイトさんが、少し強引に話しに参加した。けれど依頼人の彼女は嫌な顔ひとつせず、寧ろ恥ずかしがるようにしながら視線をテーブルの上に落とした。


「こ、恋人ができたの。痣のことも知ってるわ」

「じゃあ余計に隠さなくてもいいのではないの?」

「ええ、そうね。隠さなくてもいいわ。でも、素顔を隠す必要がないからといって、お化粧をしない理由にはならないでしょう?とくに好きな人には、とびきりにお洒落をした特別な自分を見てもらいたいの。たまに一緒に出かける日くらいはね」


 彼女の言葉に、ケイトさんは難しい顔をした。


「私、好きな人なんてまだできたことがないから分からないわ」


 素直なケイトさんの言葉に、彼女はそっと微笑んでから、


「きっと貴方もいつか分かるわ」


 と言った。

 私は彼女のその柔らかく、甘い微笑みに、胸が高鳴るのを感じた。私もいつか分かるだろうか。彼女の微笑みの奥に隠された甘い蜜ようなものの正体に、私もいつか触れる時が来るのだろうか。


「分かりました。ちょうど痣や傷跡を隠すクリームが店にあります。ですが、痣や傷跡も完全に消してしまうクリームも作ることができるのですがどうしますか?」


 そう言うと、彼女は困ったように眉を下げて笑ってから


「隠す方でお願い。あのね、彼が私の痣を見て『花の形に似てるね』なんて言ってくれたから、なんだか消すのが勿体なくなっちゃったの。いつか消したくなるかもしれないけど、それは今じゃない。消したくなったら、またこの店を訪ねるわ」


 私は頷いた。

 それから彼女は痣を隠す方のクリームを受け取り、代金とお礼を置いて店を後にした。彼女を店先で見送って店の中へ戻ると、ちょうど空になったカップを片付けているケイトさんが目に入った。なんだか心ここにあらずな様子に、私は首を傾げた。


「ケイトさん?」


 声をかけても、ケイトさんはこちらを見なかった。

 ただお盆の上にのっている空のカップを見つめたまま、


「瞳の色を隠したかった私と、痣を隠したかったあの人。私たちに違いはあるのかな」


 と、独り言のようにぽつりと呟いた。

 なんと返事をしようか考えるより先に、口を開いたのはノアだった。


「さてね。君はどう思う?」


 質問を質問で返されて、ケイトさんは難しい顔をした。


「自分の嫌なところも受け入れなさいって言いたい?」


 ムッと表情を固くするケイトさんとは対照的に、ノアは「あはは」と明るく笑った。あまりいい雰囲気ではない二人の間に入るべきが悩んだけれど、ノアは悩む人を揶揄って遊ぶ人ではないわと思い直して、私は開きかけた口を閉じた。


「嫌いなところを受け入れるだなんて、そんなことを簡単にできたら誰も悩んでなんていないよ」

「じゃあ王子様は私たちに違いはないと思うの?」

「さぁね。似たような依頼だなと思うよ。だけどさ、君たちの気持ちは根本的に違うんじゃない?」


 ノアの言葉に、ケイトさんの顔がさらに険しくなっていく。『言っている意味がわからない』と言った様子だった。


「彼女の依頼はあくまでも恋人と、自分のための依頼だった。対して君は、誰かに嫌われないための依頼だった。自分を好きになるための努力と、誰かに嫌われないようにする努力は違うよ。どちらが良いとか、悪いとかではなけれど、単純に後者は疲れ果てるだけだ」


 ノアの顔は真面目だった。その言葉と、表情をうけて、ケイトさんは何も言わずに俯いた。ノアは最後に、「だけど、決めるのは君だよ。君はどうしたいのかちゃんと考えてごらん」と付け加えた。ケイトさんは変わらず口を閉ざしたままだったけれど、ノアの言葉にしっかりと頷いた。

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