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アップルパイ

 少年の名前はディランといった。少し刺々しい物腰と、見た目より随分と達観した雰囲気が、彼の背後に潜む影をより鮮明に、濃く見せていた。

 そして彼の後ろで、隠れるようにしながらこちらを覗いているのが、妹のハンナさん。彼女は、兄であるディランさんとは対照的に、穏やかで、引っ込み思案な性格をしているようだった。けれど何より私の目を引いたのは、彼女の瞳の色だ。春の新緑のようなやさしい緑色をしている。間違いなく、ハンナさんは魔女だった。


「俺の妹をあんたの弟子にしてくれ」


 突然の申し出に、私はぎょっとした。そんなことを言われたことも、考えたこともなかった私は、びっくりしながらディランさんとハンナさんを交互に見つめた。ディランさんは真っ直ぐに私を見つめ返しているし、ハンナさんは彼の服の袖を掴みながら、私の反応を伺うようにひっそりとした目でこちらを見ている。


「で、できません」


 私がそう答えると、ディランさんはぎろりと目を光らせて私を睨んだ。


「どうして」

「私はまだ、弟子を取れるほど立派な魔女にはなれていません。なので、弟子を取るなんてとても……」

「なんだよ。いいだろ、弟子の一人くらい」


 そこまで言葉にしたあと、隣からにゅっと影が伸びてきた。影の正体はノアだ。私たちの間に入るようにして一歩前に出てきたので、私の目の前には彼の背中だけが広がっていた。


「エマは『できない』と言ったんだ。無理強いはよくないよ」


 どの口が、と思ったけれど口にはしなかった。

 私の記憶違いでなければ、彼が初めて私の店を訪ねた時、無理だと断る私に『重く考えなくていい』なんて優しい言葉で騙してくれたのは、今、騎士のような顔で私を庇う彼だったはずだ。


「……よければ理由を教えてください。何か力になれることがあるかも、」


 私の言葉を遮るように、ディランさんは「もういい」と絞るような声でそう言った。それからハンナさんの手を引いて、建物の方へ向かっていった。小さな背中が二つ、寄り添うように並んでいる。それは彼らの今までの人生を、まるで一つの絵のように表しているよう思えた。


「何だか気になる二人だね」

「はい。できればちゃんと話を聞きたいのですが難しそうですね」

「うーん、そうだね。……あぁ、いや。僕にいいアイディアがあるんだけど、エマ、少し耳を貸してくれるかい?」





 ノアの作戦というのは、こうだ。

 兄であるディランさんには、『院長先生が探していた』と、妹であるハンナさんには、『メアリー先生が探していた』と、それぞれ別の部屋に呼び出して、彼らに話を聞くチャンスを作るというものだった。お互いに、決して無理に話を聞き出すことはしない、と約束をして、私たちは別れた。

 彼らの呼び出しには、近くを歩いていた子どもたちにノアが言伝を頼んでくれた。けれどその際、子どもたち表情から、なんとなく、この孤児院での二人の居場所というものが想像できてしまったように感じた。

 嫌われているとは少し違う。

 好かれているとも違う。

 子どもたちはみんな曖昧な表情を顔に浮かべて、遠慮がちに、言葉を慎重に選んでいた。彼らは断りこそしなかったけれど、良い顔はしなかった。『腫れもの』というのは、きっとこういうことだ。


「──こんにちは、ハンナさん。私はエマといいます。少し、私とお話をしませんか?」


 ハンナさんは目を丸くしていた。

 部屋で待っていたのが私だと分かると、慌てて後ろを振り向いて走り去ろうしたのを何とか踏みとどまって、彼女はぎこちなく、ゆっくりと私を振り返った。血の繋がりがないというのに、私たちの瞳の色は悲しいほどによく似ている。


「……メアリー先生は?」

「すみません。あれは嘘です。あなたとお話がしたくて、私がハンナさんを呼びました」

「私とお話を?…‥でも私、話すのは得意じゃないの。きっと退屈させてしまう」


 ハンナさんは私が嘘をついたことを責める様子もなく、かといって腹を立てるでもなく、両手を胸の前で結びながら、ただ悲しそうに目を伏せた。


「では好きなものの話をしましょう。好きなものを考えているときって、なんだか、しあわせな気持ちになりませんか?」

「……うん、ちょっと分かる。私、お兄ちゃんのことが大好きだから。あのね、お兄ちゃんはいつも私を守ってくれるの。絵本に出てくる王子様みたい」


 柔らかくなるハンナさんの目尻に、私も頬を緩ませた。


「あとは、お花が好き。いろんな植物を見るのも。本物は難しいけど、図鑑に載ってるのを眺めてるのが好きなの」


 ちょっと恥ずかしそうに、けれど誰かに聞いてほしそうに、彼女の口はとても滑らかに動いた。それから伏せていた目を開いて、熱を帯びた瞳で私を見つめた。


「ねぇ、お姉さんは何が好き?」


 彼女から質問されるとは思っていなくて、私は少し考えた。それからふと、窓のほうに目を向けた。

 窓の向こうには中庭の緑がよく見える。芝生の、若い緑。低木の、明るい緑。庭には一本の大きな木が立っていて、光をいっぱいに含んだ上の方は黄色にも、黄緑にも見える。陰になっている下のほうは重たくて、濃い緑をしている。そのどれもが私の心を穏やかにしてくれた。


「私も、植物が好きです。ほとんど、本能に近いものなのかもしれません。気づいたら、薬草を使って薬まで作るようになっていました」


 おばあさんに初めて薬草の扱い方を教えてもらったのはいつだろう。まるでずっと遠い記憶を辿るように、おばあさんの優しい手つきを、薬草の香りを、すり鉢の音を、一つひとつ丁寧に思い出してみても、最初の記憶には辿り着くことはできなかった。


「あとは、最近アップルパイが好きになりました。なんとなく食わず嫌いをしていて、でも友人が好きだと知ってつられて食べてみたんです。拍子抜けするくらい、ふつうでした」

「え?おいしかったんじゃないの?」

「あぁ、いえ。美味しかったです。でも、友人があんまりにも美味しそうに食べるので、もっと特別な味がするんだと思っていました。食べてみたら、想像通りの味がして、でも彼はすごく美味しそうに食べていて、それがおかしくて気づいたら自分で作ったりするようになっていました」


 ハンナさんはきょとんとして、それから口元を手で押さえながら、くすくすとおかしそうに笑った。


「それって、アップルパイじゃなくて友達が大好きなんでしょう?」

「え、」


 それは考えてもみなかった。


「……私、思っていたよりずっと友人のことが大好きだったみたいです」

「ふふ。自分のことなのに、自分のことを何も分かってないみたい」


 普通の子どもと同じような明るい笑顔に、私は少しほっとした。心配で思わずこんなところへ呼んでしまったけれど、単なる私の思い過ごしだったのかもしれない。そう思っていたところに、ハンナさんは私に声をかけた。相変わらず表情は明るいけれど、何かを躊躇うような、不思議な顔をしていた。


「お姉さん、さっき植物が好きだって言ってたよね?」

「はい。植物の図鑑なら家にたくさんあるので、よければ今度、ぜひ」


 そう言うと、ハンナさんは一瞬、花が開くように顔を輝かせて、そのあとすぐに目を伏せた。私が不思議に思っていると、彼女は深刻なことを打ち明けるような雰囲気で、慎重に言葉を選びながら、口を開いた。


「あのね、私、魔法が使えるの」

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