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少年の頼み

 ケイトさんについて分かっていることいえば、孤児院で暮らしていること、それくらいだった。この国は平和で、豊かではあるけれど、人が多い分、抱えている事情も色々だ。やむなく子どもを手放した親がいれば、望んで手放した親も。もちろん、それらに限ったことではない。親も、子ども、みんな嵐のなかで、少しでも穏やかに過ごせる場所を探し求めている。

 ともかく、そういった背景もあって、数十人が暮らす大規模なものから、数人程度の小規模なものまですべてを含めると、決して少なくない数の孤児院が、この国にはあることになる。その途方のなさに私が表情を暗くしていると、対照的にノアは明るい口調で話し始めた。


「魔女の木だよ」

「…‥魔女の木?」


 馬鹿みたいに、私は彼の言葉を繰り返した。まだ理解できていない私に呆れることもなく、彼は微笑んだまま頷いた。


「魔女の木で雨宿りしていたと言っていたね。きっとその少女がいる孤児院は、広場からそう遠くない場所にあるんじゃないかな。それにこの店からもそう遠くない場所だとするなら、けっこう限られてくるよ」


 その言葉に、暗くなった視界に一筋の光のようなものが見えた気がした。少なくとも、途方のない話ではなくなったように思えた。


「一応、いくつかの孤児院に当たりをつけて、ケイトという少女について問い合わせることもできるけど、王家が魔女を探していると勘違いされると、ちょっとややこしい問題になりかねない。かと言って、君が問い合わせたところで子どもに関することはまず教えてもらえないだろうね」


 私は頷いた。

 

「では正直に、知り合いだから会わせてほしいと頼むのはどうでしょう」

「良い施設なら無事に会わせてもらえるかもね。だけどその反対だったら、相手は君を困らせるかもしれないよ」

「困らせる?」

「たとえば今までケイトに使ったお金をよこせ、とかね」


 それは、困る。もし魔法が使えたなら、錬金術で黄金を生み出すこともできたのだろうけれど、私には魔法が使えない。ほとんど中庭の畑で自給自足をしているなかで、作った薬を売ったりしながら細々と生活しているのだ。空いた瓶にこつこつと貯めているお小遣い程度ではきっと足りないだろう。


「視察という(てい)で施設を訪ねるのはどうだろう。エマは助言役として連れてきたことにしよう」

「助言役ってどういうことですか?」

「魔女という立場からの助言役だよ。魔女は数こそ少ないけれど、親のいない魔女というのは多いだろう?それなりに大きい孤児院なら、だいたい一人はいるものだ。だけど大人も子どもも、魔女との距離を測りかねている。分からないんだ。魔女はどうしたら怒るのか、悲しむのか、喜ぶのか。何も分からない。当たり前だ。今まで関わろうとしてこなかったんだから」


 一緒よ、と私は思った。

 細かな違いがあったとしても、魔女も、人間と同じ。嫌なことがあった日は、布団にくるまって明日なんて来なければいいと願ったり。良いことがあった日の夕食は、何だかいつもより美味しく感じたり。小さなハプニングで慌てて、ちょっとしたラッキーで浮かれて、きっと人間だってそうでしょう?

 それを口にしないのは、たぶんノアはもう気づいていると思うから。魔女は絵本に描かれているほど強大ではないことも、思っているよりずっと感情に振り回されていることも。本当なら、知られたくなかった。自分の弱い部分を知られているのは、何となく居心地がわるい。だけど、彼ならいいやと最近は思うようになった。うん、ノアならいい。


「きっと、本当は彼らも待っているんだと思うよ。君みたいに、人間に歩み寄ってくれる魔女を。こういうのってさ、偉い人が『人間も魔女も仲良くしましょう』なんて偉そうに言ったところで、表面ばかりよくなるだけなんだよ。だけどエマ。君は等身大で相手を思いやれる。それはすごく大事なことだ」


 どこまでも透明な時間が、私たちの間に流れていた。

 私はなんだか照れくさくなって、頬杖をつくようにして口元を隠した。積み重ねてきた石ころのような小さなものが、ふとしたきっかけで誰かの目にとまって、「よく頑張ったね」と、「君が積み上げてきたものは無駄ではなかったよ」と、そう言ってもらえることを、私は心のどこかで待っていたような気がする。そしてそれが今、叶ったような、そんな気持ちだった。


「…‥ありがとう、ノア」


 独り言のように呟いた言葉をノアは当然のように拾って、春の木漏れ日のようなやさしさで「どういたしまして」と微笑んだ。





 ケイトさんが暮らす孤児院の候補をいくつか絞って、数日後、私たちはそのうちの一つを訪れた。あくまでも非公式な訪問だからということで、できるだけ穏便にしてもらったけれど、王子と魔女の組み合わせは人の目をよく引く。まるで値踏みでもされるような遠くからの視線に背中を丸くしていると、ノアが背中をぱんと叩いた。彼の表情は初夏の風のように爽やかだ。


「さぁ背筋を伸ばして。前を向いて。大丈夫、何と言われようと君は世界でいちばん素敵で、特別な女の子だよ」


 私は笑った。周りの目を気にしているのが馬鹿馬鹿しく思えたからだ。


「ふふ、そうですね。今はそう思うことにします」

「僕は本当のことを言っただけなんだけどなぁ」


 優しい彼に励まされて、私は背筋を伸ばした。心なしか、視界も明るくなったおかげで気分も晴れやかだ。そんな私を見てノアも穏やかに微笑み、それからちょっと困ったように眉を下げた。


「どうかしましたか?」

「さっき案内をしてくれた院長に名簿を見せてもらったんだけど、ケイトという少女はいなかったよ。今回は当てが外れたみたいだ」

「そうでしたか……」


 それはとても残念だけど、仕方がない。今日はここをしばらく回ってからお暇させてもらおう、そう考えていたところで、少し離れたところからこちらをじっと見つめている男の子の視線に気がついた。ちょっと尖った目つきは、似たような年頃の子供と比べてずっと深い感情を秘めているようで、私は少しどきりとした。


「あの子、エマに話があるみたいだね」


 私は頷いた。だけどなんと声をかければいいのか、声をかけた途端、猫のように逃げてしまうんじゃないか、そんな風に考えて、私はなかなか足を踏み出せないでいた。すると思いがけないことに、先に動いてくれたの少年のほうだった。彼は私のへと小走りで駆け寄って、「なぁ」と短く声をかけた。ノアはその態度が気に食わなかったらしく、隣で顔をムッとさせていた。


「は、はい。なんでしょうか」


 私が屈むと、灰色がかった薄い青の瞳と目があった。少し大人びて見えるのは、彼の今までの人生の深さがそう見せているんだろうか。


「あんた、魔女だよな」

「そう、ですね。魔女です」

「なんだか頼りないな。でも、ちょうどいいや。あんたに頼みがあるんだ」


 少年はそう言ってから、後ろの方にある木の方へ目を向けた。それは先ほどまで少年が立っていた場所だったけれど、よく見ると、その木の影にはもう一人、女の子が立っていた。

 怯えた様子で木の幹に手を添えて、こちらをじっと見つめていている。少し距離があるのでよく見えないけれど、私は直感していた。


 あの子は、魔女だ。

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