失敗しても大丈夫
「へぇ。そんなことがあったんだ」
ケイトさんが店にやって来た日から数日後、しばらく顔を見ていなかったノアは疲れ果てた様子で店を訪ねに来た。倒れ込むようにしてテーブルに着いた彼に、「そんなに疲れているなら城で休んでればいいでしょう」と声をかけたら、ノアは「エマが悩んでる気がして」とへらへらした顔で笑った。きっとノアお得意の軽いジョークだ。それなのに、見事にその直感を的中された私は、込み上げてくる感情を必死に押さえ込みながら、数日前にあった出来事を涙の代わりにぽろぽろと吐きだした。
「私、間違ったことをしたでしょうか」
弱音を吐くなんて格好悪いことだと思っていた。私は、いつだって自信に満ちていて、後悔なんてしない立派な魔女になりたかった。そういう強い魔女に憧れていた。だけど彼を前にするとどうも上手くいかなくて、私はいつも武装を解かれた兵士みたいに途端に弱々しくなってしまうのだ。
「エマはどうして間違ってると思ったんだい?」
「え?……深い意味は、ありません。なんとなく、不安で」
「よく考えみて。きっとそこには、君なりの理由があるはずだよ」
まるで偉大な指導者のように、彼は優しく微笑んだ。彼には答えが分かっているのだろうか。分かっているのだとしたら、教えてくれたっていいのに。そう思っていても、目の前で焼きたてのアップルパイを頬張る彼は教えてくれそうになかった。彼につられて、私もアップルパイを口に運ぶ。サクサクのパイ生地と、とろっとした林檎が我ながら上手く焼けていると思う。これは練習した甲斐があった。
「私には、彼女が間違っていると思えませんでした。傘を貸してくれた人が魔女に好意的とは限りませんし、『怖がっていては前に進めない』なんて偉そうなことも言えません。強くなろうとする気持ちは立派です。でも、弱さが必ずしも悪いことだなんて、そんなこと思いたくないです」
ノアは、「うん。そうだね」と言って微笑んだ。私は否定されなかったことに、内心、ほっとしていた。
「世界には、強いひとも、弱いひとも、どちらも必要なんだよ。強さがあったからこそ世界は発展したし、弱さがあったからこそ秩序が生まれた。どちらか一方に合わせていたら、人間も魔女も獣のようになっていたか、もしくは滅んでいただろうね」
そうだろうか。
そうかもしれない。
彼の言葉は魔法みたいだ。鉛が引っ付いたみたいに重くなっていた私の心を簡単に掬い上げてくれる。さっきよりも気持ちが楽になって、私は改めて先日の彼女のことを考えた。
“どうして間違っていると思うんだい?“
もう一度、ノアの言葉を頭の中で繰り返す。
私は彼女の願いを叶えたし、彼女だって喜んでいた。依頼は確かに果たしたのだ。私の選択は、ちゃんと正しかったはずだ。
……でも、本当に?
私はちゃんとケイトさんの願いを叶えることができただろうか。
人間のふりをすることを、ケイトさんは本当に望んでいたんだろうか。
「……ノア。やっぱり私は間違えた気がします」
「ふぅん?それは、どうして?」
「だって、彼女は言っていました。『人間のふりをしないと、友だちになれない』って。私がしなくちゃいけなかったのは、人間のふりなんてしなくても、彼女が自信を持って傘を貸してくれた人に会いに行けるようにすること。そのためにできることを、考えなくちゃいけなかったんです」
それは彼女に目薬を差し出すことよりも、ずっと良いことのように思えた。少なくとも、そのためなら私はもっと頑張れたはずだった。
「へぇ。いいんじゃないかな。エマらしい答えだと思うよ」
思ったよりも随分あっさりとした答えに、私はちょっとムッとした。気持ちが顔に出ていたのか、ノアは「ごめんごめん」と平謝りをしながら笑った。
「どうでもいいと思ったわけじゃないんだ。ただ僕は、目薬を渡すことも一つの正しい選択だったと言えるんじゃないかと思ったんだよ」
「え?でも……」
「君がちゃんと考えて出した答えなら、僕はその選択を応援するよ。だけど君は、自分の気持ちを無視して彼女の意見を優先させただろう?そういう選択って、きっと後から後悔するし、自分の選択に自信が持てなくなっていく。少なくともエマの目指している“よい魔女“ は、そういう魔女じゃないはずだ」
私は黙って小さく頷いた。
叱っているような、諭しているような、そんな話し方なのに、彼の声があんまりにも優しかったので私は胸がじんわりと温かくなった。
自分のことを、ちゃんと分かってくれる人がいるというのはすごく幸せだ。言葉をいくら交わしても、分かり合えない人はたくさんいる。きっと思っているよりずっと、私たちは別の星の生き物のように遠い存在なのだ。そんな中で、言葉で、まなざしで、時には触れ合って、分かろうとしてくれる人、分かりたいと思える人に出会えることって、きっと涙が出そうなくらい素晴らしいことなのだと思う。
「…‥ノア。今度は私から貴方にお願いをしてもいいですか?」
そう言うと、ノアはお月様の色をした目を三日月みたいに細くして頬杖をついた。どんな頼みでも聞く自信があるのか、私がなんと言おうとしているのか予想がついているのか、とにかく彼の表情からは余裕さみたいなものが滲んでいた。
「では、ご依頼を聞かせていただけますか?」
いつか聞いたことがあるフレーズだった。
「私、ケイトさんにもう一度会いたいです。それで何が出来るかは、まだ分かりません。もしかしたら、出来ることなんて何もないのかも。それでも会いたいんです。力を貸してもらえませんか?」
ノアは小さな声で、けれど力のこもった声で「うん」とだけ答えた。たったこれだけのことで、私の手のひらには汗が滲んでいた。改まって誰かに頼むということは、こんなにも怖くて、緊張するものだったのか。私は、今、初めて知った気がした。
今までだって、ちゃんと分かっているつもりだった。でもそれは、言葉だけを知って、その意味をよく理解せずに使っているのとよく似ていた。鼻の先をくすぐる花のあまい香りも、焦がしてしまった料理の何とも言えない苦みも、眠る前に読み始めた本をなかなか止められずに迎えた朝の、瞼のうえの眠気と不思議な充実感も、それらはきっと、言葉だけでは分からなかった。
「私、今度こそ間違えません。自分の気持ちと、相手の気持ちをちゃんと考えて、納得できる答えを見つけます」
「なに、緊張することはないよ。常に正しい選択なんて、出来なくて当たり前なんだ。失敗しても何も出来なくなるわけじゃないんだし、気楽にいこう。それに君には、僕がついてるだろう?怖いこと何もなんてないよ」
失敗してもいいだなんて、すごく太っ腹だ。私は笑って頷いた。もう、何も怖くはなかった。
こちらのミスで前回の話を消してしまったので、同じ話を少し編集したものになります。前回も見てくださった方は申し訳ありません。




