魔女のお客さん
四百年前の真実を知ったからといって、私たちの生活が大きく変わることはなかった。ノアは相変わらず王子としての執務をこなしつつ、暇さえあれば私の店を訪ねに来るし、私は相変わらず人のために店を開いている。きっと私たちはこうやって日々を重ねていくのだと思う。大きな出来事を乗り越えたあとも、淡々と、切実に、喜びも悲しみもひっそりと胸に残しながら。
そんな変わり映えのない日々を送っていたある日のことだった。今日のお昼ごはんはサンドイッチでも作ろうかなと考えていたところに、珍しいお客さんがやって来た。
「……こ、こんにちは。ここは人を助ける店だと聞いたけど、魔女の助けもしてくれる?」
目にかかる前髪から右目だけを覗かせて、目の前の少女はそう言った。私はできるだけ優しく微笑み、そして口を開いた。
「もちろんです。お話を聞かせてください」
彼女はほっとしたように一息ついてから、案内されるままにテーブルに着いた。小さな体に合わない大きな服や、落ち着かない様子でそわそわと椅子に座る所作からは、見た目よりも幼い感じがした。
彼女はまず、私が差し出したハーブティーに口をつけた。強張っていた顔の筋肉がほんの少しだけ緩むのを見て、私は内心ほっとした。この瞬間、私はいつもちょっとだけドキドキする。自分が美味しいと感じたものを、相手にも美味しいと感じてもらえるのは、私にとってけっこう嬉しいことだった。
それから少女はティーカップをそっとソーサーの上に置いて、決意を固めた眼差しで私を見つめた。若葉のような瑞々しい緑がとても美しかった。
「私の名前は、ケイト。見ての通り、魔女。私、どうしても瞳の色を変えたいの」
少したどたどしい話し方で、少女──ケイトさんはそう言った。
私は一瞬、口ごもってしまった。瞳の色は、魔女の唯一の証といえるものだ。逆に言えば、瞳の色さえ違えば、魔女はなんの気兼ねもなく人間の暮らしの中に溶け込むことができる。それでも瞳の色を変えないのは、ささやかなプライドがそれを邪魔するから。だって、それはあまりに悔しい。魔女として生まれながら、魔女として生きられないだなんて。
彼女の依頼に、私はなんだか私自身を否定された気分になった。もちろん、彼女に悪気がないのは分かっている。分かっているけれど、うまく気持ちを割り切ることができない。
そんな中で、ふと窓際に置かれた花瓶が目に入った。花瓶の中には生けてあるのは、小さくて、素朴な可愛らしい黄色の花。それは昨日、ノアが城の花壇から摘んで持って来てくれたものだった。それを眺めていたら、まるでノアが慰めてくれているように思えて、私は少しだけ元気を取り戻した。
「……もしよろしければ、理由を伺ってもいいですか?」
決して暗い雰囲気にならないように気をつけながら、私はケイトさんに尋ねた。彼女は少し言いにくそうに口をもごもごさせてから、しばらくして口を開いた。
「友だちになりたい人ができたの」
「友だちに?」
少し予想外だった返事に、私はつい聞き返してしまった。ケイトさんは少し恥ずかしそうに頬を染めながら、こくりと首を小さく縦に振った。
「私、孤児院にいるの。周りのみんなは悪い人ではないけれど、だからといって仲間に入れてくれるわけでもない。だからいつもこっそり孤児院を抜け出して、一人で外で遊んでるの」
私は黙って聞いていた。
同じだ、と思った。私はおばあさんと共に暮らしていたけれど、周りに友だちだと呼べる人はいなかった。いつも一人で、歳が近そうな子たちが遊んでいる様子をただ眺めていた。彼女は、幼い頃の私そのものだ。
「先週、いつものように外にいたら雨が降ってきたの。帰れなくなって、魔女の木の下で雨宿りしてた。だけど雨は全然止まなくて、どうしようって思っていたら、傘を貸してくれた人がいたの。彼は『どうぞ』と言って傘を渡したかと思えば、そのまま雨の中を走ってどこかへ行ってしまったわ。きっとあの広場に行けば、いつかまた会えると思うの」
ケイトさんは表情を柔らかくしながら、思い出の輪郭を唇でそっとなぞった。その優しいまなざしに、ついうっかり流されてしまいそうになったけれど、私は一つの疑問を彼女に投げかけた。
「そのまま広場で待っていては駄目なのですか?」
そう言うと、ケイトさんは首をブンブンと横に振った。
「それは、駄目。私は前髪で目を隠しているし、雨だったから視界も悪いでしょう?きっとあの人は、私を人間だと思って傘を貸したの。だから人間のふりをしないと、あの人とは友だちになれない」
それは強い思い込みのようにも思えた。けれど、そんなことないですよ、と無責任な言葉を投げかけることもできなかった。そんな言葉で慰めてもらったって、気持ちが晴れることを、私はよく知っている。ケイトさんの震える睫毛の先を、私はただ切ない気持ちで見つめることしかできなかった。
きっと、すべてを話せる関係だけが友人なわけではない。少なくとも私は、秘密や、隠し事があったって、信頼し合えるような、お互いを思いやれるような、そんな関係を友人と呼びたい。だけどこの隠し事は、なんだか悲しい感じがした。
そんな私の思いを悟ったのか、それとも押し黙る私の沈黙に耐えられなかったのか、ケイトさんは少し怒ったような顔をして口を開いた。
「嘘をついて友だちになるのは、そんなにいけないこと?人間は、友だちに嘘をついたり、見栄を張ったりしないの?私にはそんなことできない。だって嫌われたくないんだもの」
大きく揺れる瞳に、私はついに観念するしかなかった。魔女として生まれたことが悪いことではなかったしても、どうしたって後ろめたい気持ちが纏わりついてくる。その気持ちは、私にも痛いほど分かってしまう。
私は一度席を立って、小さな引き出しがずらりと並ぶ棚の方へ向かった。そこから一つの引き出しを引っ張って、中に入っていた目薬を取り出した。テーブルの上に置くと、ケイトさんはそれをじっと見つめていた。
「目の色を一時的に変える薬です。効果は半日なので、気をつけて使ってください」
「ありがとう!これで私にも友達ができるわ!」
彼女は嬉々としてそれを受け取って、お代を置いていった足でそのまま店を出て行った。とても喜んでいたと思う。私がしたことはやっぱり正しかったのだと、強く思わせるくらいには、彼女の笑顔は夏の向日葵のように眩しかった。それなのに、彼女を思えば思うほど不安が募ってしまうのはどうしてだろう。




