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リリー

 ルイスが我が家を訪ねた日から半年が過ぎた。

 暑さはすっかり遠くに去って、最近は随分と涼しい日が続いている。そろそろ暖炉に火を入れようか迷うくらいには、秋は深まり、冬はもうすぐそこまで来ていた。

 教会を訪ねる病人は、相変わらず後を絶たない。みんな一様に痩せ細って、あらゆることに疲れ切っていた。それでも私を見た途端、彼らの瞳にきらりと光が宿る。それは私が教会で過ごした日々の、一つの答えのように思えた。


「リリー。貴方に大事な話があるんだ」


 そんなある日のことだった。教会と王家を忙しなく行き来していたルイスが、久しぶりに我が家を訪ねてきた。いつも、春の月のような優しい光に満ちている彼の表情が、今日はどんよりと重たく、暗い。私は努めて明るい顔を見せた。たとえ不可能だとしても、私はこの日々に一点の曇りさえ残したくはなかった。できるなら最後まで美しく、振り返った時にそっと微笑むことができるような時間であるように。


「大事な話をするならお茶を用意しましょう。さぁ、座って。今日は特別に私が淹れてあげるわ。貴方、それどころじゃないって顔をしてるもの」


 ルイスは困ったような顔で笑った。無理をしているような、何かを誤魔化すような、そんないろんな思いが複雑に絡み合った曖昧な笑みだった。

 彼は促されるままに席に座り、それから私が淹れた紅茶に口をつけた。ほんの少しだけ、表情が和らいだのを感じる。けれどそれも束の間、ルイスはまた難しい顔をして、飲み込めない感情を引きずったまま口を開いた。


「今から話すことは、貴方の信頼を裏切ることになるかもしれない。ひどく、傷つけてしまうかもしれない。それでもこれだけは信じてほしい。僕も、そしてこの国も、貴方を裏切ったり、傷つけようだなんて欠片も思ってはいないんだ」


 私は何も言わず、紅茶に口をつけた。

 彼がこういう勿体ぶった話し方をするときは、必ず大切なことを話すときだ。私はひっそりと覚悟した。今から彼の口から出てくる言葉が、きっと私の運命を決定づける。そう確信していた。


「今、我が国が隣国に支援を求めているのは知っているね」


 私は頷いた。

 とはいえ、あくまでも噂話だ。詳しいことは知らされていない。


「いい返事は貰えていないと聞いたわ」

「うん、そうだね。このままこの国が弱ってくれれば、隣国は領土を拡大できるチャンスだ。逃したくはないだろう。……だけど、その内の一つの国が、とある条件さえ飲めば支援をしてもいいと言ってきた」

「へぇ、そう。どうせ無茶な要求でしょうね」

「──貴方だよ、リリー。要求されたのは、“人を救う魔女“だ」


 なんですって?

 私は眉を顰めた。まるで物を要求するように私を扱ったことも、“人を救う魔女“だなんて思われていたことも、何もかもが私の怒りを刺激した。


「冗談じゃないわ」


 私の非難の声に、ルイスは頷いた。


「もちろん陛下は断った。けれど隣国が次に要求したのは、魔女の処刑だった。……貴方にそのつもりがなくても、それがたった一時のものでも、『魔女が人間に手を貸している』という事実は、隣国にとっては脅威になるらしい。僕の考えの甘さが貴方に迷惑をかけた。本当にすまない」


 手のひらを固く握りしめながら、ルイスは項垂れるようにして頭を下げた。この国の王子を名乗る男だというのに、この男は随分と簡単に頭を下げる。いっそ自分は悪くないのだと口にしてくれた方が、私は彼を思いっきり軽蔑できたし、口汚く罵ることもできた。それすらも、彼は私に許してくれないのね。


「それで?なんて答えたのかしら。快く魔女を処刑すると?」

「承諾するしかなかった。そうしなければ、支援どころか戦争を仕掛けると言ってきたんだ。だけど勘違いしないでくれ。それはあくまでも表向きで、貴方には裏で逃げてもらうことになっている。リリー、貴方はしばらく外国で暮らすんだ。隣国の目が光っているうちは手を貸してあげられないが、魔法があれば一人でも暮らしていけるだろう?不便をかけることになるけど、どうか頼む」


 私は紅茶を一口飲んでから、ふぅとため息を吐いた。

 とても勝手な話だ。それこそ、お話にならないくらい一方的で、私には何の得にもならない話。……だけど、不思議と心は穏やかだった。まるで砂浜に一脚の椅子を置いて、激しく荒れる海をじっと静かに見つめている。そんな不思議な感覚で、私はルイスを見ていた。


「私が姿を消したら、隣国は攻めてくるのでないの?」

「隣国だって馬鹿じゃない。相手が切り札を隠し持っているかもしれない状況で、勝負は仕掛けてこないよ。もちろん保証はないけど、これが妥協点だ」


 どうやら彼に似て、この国の王もずいぶん甘いようだ。いや、この場合、彼が王に似ているのだった。なんにせよ、魔女ひとり見捨てられないなんて、とんだ笑い話だ。


「いいわ。その話にのってあげる。だけど、いろいろ準備しなくてはいけないことがあるから、明日の朝、また来てくれるかしら」

「……うん。しっかり準備しなくていけないね。それにあの子にも伝えてあげないと」

「あの子?」

「ほら、いつも僕らのことをこっそり見てる子がいるだろう?そういえば、今日は見かけないね」


 辺りを見渡すルイスに、私は「あぁ」と呟いた。彼が探しているのが誰なのか、すぐ見当がついたからだ。


「あの子なら、広場の本屋に行ったわ。そこの店主だけは、自分の目の色を見ても顔色を変えないからお気に入りなんですって」


 ルイスは嫌な話ばかりの中に咲いた心和むエピソードに少しだけ顔を緩ませて、「それはよかった」と漏らすように言った。それからまたボロボロの笑顔を取り繕って、「それじゃあ、また明日」と言ってから我が家を後にした。


 さぁ、私も準備をしなくては。そう意気込んで私は書斎へと向かった。とびきりの魔法をかけるために。





「魔女を捕縛せよ」


 次の日、ぞろぞろと騎士を連れてきたルイスは挨拶もなくそう言った。優しい彼に不釣り合いな、冷たい二つの黄金の瞳。私はこの時はじめて、王子としての彼の顔を見た。

 なんだ、そんな顔もできるのね。

 そう思いながら、自分の手に嵌められた鉄の輪っかを見下ろした。こんなの魔法ですぐに外せる。こんなままごとに付き合うなんて、半年前の私では考えられなかった。そんな自覚はさらさらないけれど、きっと私、変わったのね。千年変わらなかった生き方も、価値観も、考え方も、ほんの些細な出来事で大きく変化することを、私は今まで知らなかった。きっと彼に出会わなければ、私はまた同じ千年を繰り返すことになっていただろう。

 でもそれは、どちらがいいという話ではないように思えた。きっと変わることで手に入れられるものも、変わらないこと得られるものも、ちゃんとあるのだ。けれど、それでも私は千年の安寧よりも、夏の夜に激しく散る火花のようなこの一瞬を選んだ。たったそれだけの話だ。


 牢屋では三日を過ごした。罰は与えられないというのに、立派なご飯は与えられる、笑えてしまうくらい馬鹿ばかしい三日間だった。

 そしてその日の真夜中に、彼はやって来た。どうやら逃げ出すのは今夜らしい。まるで囚われの姫を助けにくる王子のように颯爽と現れたルイスは、ほんの少しだけ格好よく見えた。


「国境近くの森まで僕も行くよ」

「止めたって着いて来るのでしょう。勝手にするといいわ」


 そして私たちは、まるで秘密の逢瀬のように真夜中の城を抜け出した。いくつもあるのだという城の地下に伸びる抜け道を通って、何度か道を曲がって、しばらく歩いた先にその森はつながっていた。国境の近くにある名無しの森。

 ランタンのオレンジの灯が、暗い森の中をゆらゆらと揺れている。そのまま奥へ奥へと進んでいくと、一角だけ木があまり生えていない空き地のような場所に辿り着いた。空を見上げると、彼の瞳によく似たまん丸の月が気持ちよさそうに空に浮かんでいる。私は静かに笑った。……えぇ、そうだわ。この場所にしましょう。


「私、ここで終わりにするわ」


 私の言葉に、ルイスの動きがぴたりと止まった。私の言葉の意味が理解できていないようだった。


「終わりって言ったのかい、リリー」


 震える声に、私は穏やかな笑みで返事をした。


「えぇ、そう。私、この半年ですっかり力を使い果たしてしまったの。魔法が使えないのに他所で暮らすなんて無理だわ」

「何でそんな大事なことを黙っていたんだ!」


 彼の怒鳴り声は初めて聞いた。すっかり何もかも知った気でいたけれど、けっこう知らないことも多かったのね。それは少し、残念な気がするわ。


「言っても、どうしようもなかったでしょう。この国の飢えを止めるためにも、この国が戦火から逃れるためにも、こうすることが最善だった。それは貴方も知っているはずよ」


 ルイスは激しく動揺しているようだった。瞳を揺らして、懇願するように私を見つめている。


「それでも、こんなのはあんまりだ。ねぇ、お願いだ。僕の話を聞いてくれ。ちゃんと話をしようよ。もっと別の方法があるかもしれない」

「ないわ。あったとしても、結局何かを犠牲にしなくてはいけない。それなら私がいいわ。だって、千年も生きたのよ。もう十分だわ。……それに、もう覚悟ならとっくにできてた。だって私、占いを生業にしてるんですもの。この道の果てくらい、分かって当然でしょう」

「……そんな、」


 堪えきれなかった彼の頬に、涙の粒が弾ける。彼はもう気づいていた。私の手が、足が、皮膚が、少しずつ形を変えていることに。

 体の至るところから、パキパキと乾いた音が鳴る。肌の柔らかさが失われていく。足ももう、動かない。

 人の姿から木へと変わっていく。これが私の、最後の魔法。


「この半年、たくさん考えたの。私がいなくなったあと、どうやったら貴方を見張れるかしらって。それでね、思いついたの。とびきり大きな木になってやろうって。そうしたら貴方が道を踏み外しそうになったとき、その木を見れば私のことを思い出すでしょう?」


 思い出して、なんて絶対に言ってやらない。私の口からそんな愛らしい言葉を言わせるなんて、千年早いわ。


「約束して、ルイス。この国を必ず守ると」

「……分かった。約束するよ。必ず、もとの豊かな国に戻してみせる。何百、何千年かかったとしても」

「えぇ、約束よ。この国には私の弟子が暮らしてるんだから、守ってもらわないと困るわ。もし約束を破ったら、呪ってやるんだから」


 彼は笑っていた。次々に溢れてくる涙を拭うこもとなく、ところどころ木肌が覗く私の手を必死に握りしめて。


「最後に、私の弟子……ベアトリスに伝えてちょうだい。『愛してる』って。あの子に会えたこと、あの子と暮らしたこと、あの子に魔法を教えたこと、ぜんぶ、私の宝物だった。……あぁ、それと、私の書斎に贈り物を用意したことも伝えなくちゃ。賢いあの子なら、きっとそれだけで分かるわ。ね、お願い。寂しがりやなあの子に伝えてね。子猫みたいに警戒心が高い子だけど、貴方ならきっと大丈夫」


 私のお願いに、彼はうんうんと何度も頷いていた。

 今度は私が頼みを聞いてもらう番だなんて、少しおかしな感じがした。


「うん……、うん。ちゃんと伝えるよ。……だけど、僕にはなんにも言ってくれないのかい?さいご、なんだろう?僕も寂しがりやなんだ。僕にも、リリーからの言葉がほしいなぁ」


 小さな子どものおねだりみたい。

 私は笑って、ルイスの頬を両手で包み込んだ。すべすべとして、今の私の肌と大違い。


「そうね。私、人間は大嫌いだったけど、貴方のことはけっこう気に入っていたわ。貴方と、弟子のためなら、この先の千年を諦めてもいいと思えるくらいにはね」


 彼は泣いていた気がする。でも、笑っていたような気もする。視界は薄く、白く、滲んで、ぼやけている。体も、魂だけになったみたいにとても軽い。……もう終わりね。千年を生きた魔女にしては、間抜けな幕引きだった。だけど、しあわせな終わりだった。


「……おやすみ、リリー。僕もね、貴方のことを──」


 その先の声はもう届かなかった。だけど、不思議と気分はいい。まるで長く、孤独な夜が、なにか温かいもので埋まっていくような心地いい感覚がした。


 おやすみ、ルイス。

 どうか、貴方のこれからの旅路が、祝福と、愛に満ちたものでありますように。

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