魔法みたい
今、この国は少しずつ死んでいっている。
よくある話だ。ほんの少し前まで、この国は輝かしい栄華を誇っていた。圧倒的な軍事力と、溢れるほどの財が、王都を中心として国の至るところまで行き渡っていた。美しい芸術品を目当てに人々が他国から引っ切りなしにやって来て、貴族は毎晩のように舞踏会に明け暮れ、平民ですら明日の暮らしを憂うものは誰もいない。夢のような時代だった。
──その美しい夢が終わったのは、二代前の王の時代だった。当時の王は、とにかく戦争が好きだった。欲に溺れて領土を拡大しようとするものの、負けはしなかったが勝ちもしなかった。おかげで民はただ疲弊して、有り余っていたはずの財は少しずつ底が見え始めた。
「陛下はこの国を、もとの豊かな国に戻したいと願っておられる。……でも、貴方にも分かるだろう。並大抵のことでは叶わない」
「……そうね。多少人間が努力したところで、どうにかなる問題ではないわね」
先代も、今代の王も、間抜けではなかった。
先代は反乱が起きないように貴族と平民、それぞれの税を少しずつ、長い年月をかけて上げていった。もとの生活が豊かだった分、民がすぐに生活に困るということはなかったけれど、それは真綿で首を絞めるように、本人たちですら気づかないほどに、ゆっくりと、じわじわと、人々を苦しめた。
最初はお菓子ひとつ分の我慢。次にお菓子は一週間に一度のちょっとした贅沢に。そうした細やかな変化がゆったりと続き、気がつけばちょっとした節約ではままならなくなっていた。
今代の王も対策を講じた。民が飢えることのないように宮廷の出費を抑えて、日曜の朝には教会で食料の供給をおこなった。パンも安い値段で供給できるように力を尽くした。そんななか、今度は人々を追い込むように日照りが続いた。ルイスがこの家にやって来た日、あれは数日ぶりの雨だった。
「今、民の間で病が流行っている。本来なら慌てるようなものではないのだが、栄養不足で体力が落ちている人々は、そのまま肺を患い、命を落とすものも少なくないそうだ。……そこで、リリーの力を貸してもらいたい」
「魔法を使って病を治せってことかしら」
「治してほしい、だよリリー。友人なら対等でなくてはいけない」
案外つまらないことを気にするのね。
そう思いつつ、言葉にするのはやめておいた。彼の顔があんまりにも真面目だったから、私もすっかりそんな気になってしまったのだった。
「……まぁ、いいわ。とにかく治せばいいのでしょう。でも私がいちいち患者の家を訪ねていたら時間がかかるわよ」
「それは大丈夫。重症の患者は教会に集めて、今はシスターが看病してくれている。さすがに治療する医者や薬は用意できなかったけどね」
「そう、教会に集めてるのね」
私が言葉を繰り返すと、ルイスはちょっと不思議そうに小首を傾げながら「あぁ。何か変かな?」と答えた。
「そうね。意地悪なひと、と思ったかしら」
「?……僕はリリーに意地悪なんてしないよ」
◯
「──僕が悪かった。事前に魔女の立ち入りを許可してもらっていたから油断していたんだ。すまない」
教会の敷地に立ち入った途端、頭から聖水をかけられた私を見て、ルイスはしばらく石のように固まっていた。こんなことが起こるなんて、想像すらしていなかったようだった。それから慌ててハンカチを差し出すルイスを断って魔法で乾かそうとしたら、今度は「治療以外の魔法は禁止です」と言われ、流石に帰ってやろうかしらと思った。帰らなかったのは、ここで帰るのはなんとなく、後味が悪い気がしたから。それだけだ。
「べつにいいわ。兵隊を呼ばれて追い返されることも考えていたし、それに比べれば水をかけられただけなんて奇跡みたいなものよ」
私がそう言うと、ルイスは目を伏せた。王子のくせに、こんなことでいちいち心を痛めているなんて、この先が大変そうね。そんなことを考えながら、私たちは神父に案内されるままに病人のいる部屋まで歩いた。その間、ルイスはずっと難しい顔をしていた。
「どうぞ、こちらです」
案内された部屋には、年齢も性別も関係なく合わせて30人ほどの人間が白いベッドの上に横たわっていた。ベッドの間には簡易的なカーテンが敷かれていて、最低限のプライバシーだけは保っているようだった。
赤い顔をして熱にうなされている子供がいるかと思えば、その隣では老人が青白い顔をしてぐったりしている。部屋のあちこちから激しい咳の音が響くのがいやに耳に響くけれど、それよりも気になったのは部屋の中を満たしている空気だった。
暗くて、重い。どんよりと濁っている。そんな雰囲気だった。患者も、シスターも、ここにいる誰もが生きることを諦めている、そんな感じがした。
「できるかい?」
ルイスは言った。
「当然のことを聞かないでちょうだい。さぁ、まずはそこの、今にも天国に旅立ちそうな人間から治していくわよ」
魔女は本音なんて言わない。思っていることをそのまま伝えるなんて端ない行為よ。一人前の魔女ならこういう時こそ不敵に笑って、自分にも、相手にも発破をかけるものだわ。あとは、野となれ山となれ、ね。
「……リリーはすごいな。僕にも手伝えることはあるかな」
「残念だけどないわ。まぁそこでじっと見ていなさい」
そう言って、私は骨が浮き彫りなったような老人の手に自分の手を重ねた。そして力を流そうとしたとき、今まで閉じていた目がうっすらと開いて、薄い灰色の瞳が私の目をしっかりと見つめた。
「……私に、触るな。魔女の助けなど、いらん」
はっきりとした拒絶だった。色を失った唇から、やっとの思いで絞り出した言葉がそれだと思うと、いっそその願いを叶えてやりたい気にさえなる。だけど私は魔女だ。素直に人間の願いを叶えてやる気まぐれなんて、千年に一度あれば十分よ。
「ならば選べ、小僧。このまま私に助けられるか、殺されるか。後者を選ぶなら、今よりずっと苦しい地獄を見せてやるぞ」
にやりと笑うと、老人は青い顔をさらに青くした。そして何も言わなくなったのを見て、私は今度こそ老人に手を重ねてゆっくり力を流していった。
始めのうちは何の変化も表れなかった。少し離れたところから様子を窺っていたシスターは落胆の表情を浮かべていたけれど、次第に老人の白い肌が、時間をかけながら少しずつ色を取り戻していくと、表情は驚きに変わっていった。冷たかった手に温もりが戻ってくる。うっすらとしか開かなかった瞼が、ゆっくりと持ち上がる。
「……魔法みたいだ」
すぐ後ろに立っていたルイスが独り言のように呟いたのを聞いて、私は声を出して笑ってしまった。こんなに端ない声を出したのはいつぶりだろう。もしかすると、生まれて初めてかもしれない。
「当たり前よ!これは魔法だもの」
そう言われたルイスは、今やっと思い出したみたいにハッとして、少し恥ずかしそうに笑った。
「そうだった。これは魔法で、リリーは魔女だったね。どうしてこんな当たり前のことを忘れてしまっていたんだろう」
「さてね。……でも、魔女である自分を嫌ったことなんて一度もなかったけど、魔女以外の自分を見てくれるっていうのは、案外、悪い気はしないものね」
まさか千年生きて、まだ知らない感情があるなんて思いもしなかった。照れくさくて、くすぐったくて、少しだけ涙が出そうになる不思議な感覚。ずっと、私たちの間にあるものは、分厚い壁か、遥か高く聳え立つ山のようなものに感じていたけれど、本当はもっと薄い何かだったのかもしれない、と柄にもなく思ってしまった。
「さぁ、次よ次。さっさと治していきましょう。のんびりしてたら午後のティータイムに間に合わないわ」




