王子の頼みごと
この国の王子を名乗る男が我が家を訪ねてきた。
雨の降る午後。私は眠気を瞼に乗せながら、ぼんやりと窓に線を垂らしていく雨粒を眺めていた。家にある本はすべて読んでしまったし、雨が降ってるから中庭の畑に水やりをしなくていい。気まぐれに開いている占い屋も、雨のせいか客足は遠い。……まぁ客がいないのは、天気に関係なくいつものことだった。
とにかくそんな具合の時だった。雨のせいで気分は下がるし、占いをする気分でもなかった私は、今日はもう店を閉めるつもりで席を立った。するとタイミング悪く扉がノックされたものだから、私は内心「げっ」と思いつつ、追い返す心持ちで扉を開いた。扉の前に立っていたのは、ずぶ濡れの外套を羽織った一人の男だった。
「あぁ、よかった。留守だったらどうしようかと思ったよ」
私が扉を開くと、男は被っていたフードをとって、その下に隠れていた笑顔を見せた。瞼の隙間から蜂蜜色をした瞳がのぞいている。
「占いなら今日はしないわ」
私はそう言ってから扉を閉めようとした。だけど完全に扉が閉じる前に、男が慌てた様子で「ちょっと待ってくれ」と言ったので、私はつい動きを止めてしまった。男が力のこもった目で私を見ている。何だか嫌な予感がした。
「叶えてほしい願いがあるんだ。どうか頼む」
「願いですって?あのね、私が商いにしているのは占いなの。違うなら帰ってちょうだい」
「待ってくれ。頼む、貴方じゃないとダメなんだ」
一瞬、その一言にどうしようもなくぐらついた。それくらいの熱量が、その言葉には詰め込まれていた。もし私があと千年若ければ、間違いなくコロッといってただろう。
「帰りなさい、坊や。今帰るなら見逃してあげる」
「帰らないし、坊やでもない。とにかく話だけでも聞いてくれ」
「話を聞いてどうなるというの」
「貴方が心優しい魔女ならきっと願いを聞き入れてくれるはずだ」
遠くの方で雷が鳴った。まるで今の心境を表しているようだった。きっと今の私は、ひどく冷たい目をしている。
「人間は魔女に優しさをくれないのに、魔女に優しさを求めるというの?」
雨足が強まって、空がどんどん重たい色になっていく。まだ夕方にもなっていないというのに、夜明けのように薄暗い外で、私たちは見つめあっていた。彼は私の瞳の色を、どんな思いで見ているのだろう。
私は、正体がバレて村を追い出された魔女を知っている。親に捨てられた魔女を知っている。石を投げられた魔女を知っている。珍しい話ではない。きっとそういう話を、この男も聞いたことくらいあるだろう。
「僕は、この国の王子だ」
「……へぇ、そう。それが本当だとして、権力で私を従わせるのかしら。上手くいくといいわね」
「違う。王子だから、この国の民を守る義務があると言いたかったんだ。そのために貴方の力を貸してほしい」
嘘をついている様子はなかった。だからと言って、何だという話ではあるけれど。
「もう一度言うわ、帰りなさい。貴方に民を守る義務があったとしても、私に人間を守る義理はない。さようなら、哀れな王子。これも運命と思って受け入れなさい」
そう言って、今度こそ私は扉を閉めた。杖を取り出してひょいと一振りすると、扉には鍵が閉まり、男がどれだけ力いっぱい開こうとしても、決して開くことはなかった。
私はテーブルについて、カーテン越しに男を眺めた。しばらくして諦めて帰っていく背中を見届けてから、私は部屋の奥のほうで恐る恐るこちらを見ている小さな影を手招いた。
「もう行ったわ。さぁ、こっちへいらっしゃい」
そう言うと、私の可愛い子猫はパッと表情を明るくさせて、駆け足でこちらへやって来た。私の膝に頭を投げ出して、撫でてやると嬉しそうに目を細める。私に守りたいものがあるとすれば、それはこの子だけだ。
「……さて、退屈しのぎにあの坊やについて占ってみましょう。自分のことを王子だなんてつまらない嘘をついていたけど、本当は正義感に溺れる騎士ってところかしら」
◯
「やぁ。今日こそ話を聞いてもらうよ」
私は絶句した。
普通、昨日追い出されたばかりだというのに、次の日にノコノコやってくる人間がいるかしら。……いたわ、この呑気な顔をした男よ。
「貴方の話を聞く気はないわ。今すぐ帰って。そして二度と来ないでちょうだい」
そう言って扉を閉めようとしたところに、彼のブーツが捩じ込んできた。こんなに行儀の悪い男が王子だなんて世も末ね。だけど知ったことじゃないわ。このまま力いっぱい閉めれば流石に足を引っ込めるしかないでしょう?そんな私の思惑もよそに、男は涼しい顔して扉の隙間に手を入れて、思い切り開いた。
「信じられない!王子が不法侵入したわ!」
「まぁ落ち着いて。怒ったらせっかくの美しい顔が台無しだ。さぁそこに腰掛けて。キッチンを貸してくれたら僕が紅茶を淹れてあげるよ」
「出て行ってって言ってるのよ!」
何なのこの男!勝手に家に上がり込んで、勝手にテーブルに着いてる。そっちがその気なら、私にだって考えがあるわ。そう思って杖を取り出そうとして、やめた。どうせここで追い出したところで、この男はまたやって来る気がする。それならここではっきりと言って、二度とこの家に近寄らないようにしてやらなくちゃ。
「いい?私は魔女なの。人間がどうなろうとしったことじゃないわ」
「あぁ、うん。そのことなのだけどね。昨日、城に戻ってから反省したんだ。急に願いを叶えてくれだなんて不躾すぎた。すまなかった。許してほしい」
怒っている時にしおらしい態度をとられると、どうしてこうも手鼻をくじかれたような感じがするのだろう。私は急に熱くなっている自分が恥ずかしくなって、「分かってるならいいわ」と言ってすとんと席に座った。
「思ったんだよ。僕は貴方の魔法を目当てにこの家を訪ねた。だけど同じように権力を目当てに誰かが僕を訪ねてきたらどう思うだろうって。‥‥いい気分ではなかった」
「……へぇ、そう」
「だからさ、僕ら友人になろうよ」
……は?
その一言に尽きる。友人って言ったわよね、この男。魔女であるこの私と、王子であるこの男が友人?そんなの前代未聞よ。そもそも、今の会話のどこにも友人なんて関係ないじゃない。
「馬鹿にしないで。魔女は孤独だから愛に飢えてるだろうって言いたいのかしら。勘違いしないで。ひとりでいようが、ふたりでいようが、自分がいたいと思える居場所でないなら虚しいだけだわ。少なくとも、ひとりは可哀想だなんて決めつける人間と友人になりたいとは思わない」
今度こそ追い返してやる。そして二度とこの家に踏み入れないように呪いをかけてやる。そう意気込んでいたら、男は目を丸くしながら、「ちがうちがう」と両手を胸のあたりで振った。
「すまない、そうじゃないんだ。僕らさは、たぶん最初を間違えてしまったんだよ。僕は貴方を魔女としか見ていなかったし、貴方は僕を人間としか見ていなかった。中身がどうでもいいなんて、そんなに悲しいことはないよ。だからさ、お互いのことをちゃんと理解して、もし僕のことを頼みを聞くに値するやつだと思ってくれたなら、その時は僕の頼みを聞いてほしいんだ」
何を青臭いことを、と思った反面、正しいことを言っているようにも思えた。
名前も知らない誰かに、「魔女のくせに」と言われるたびに、「あんたが私の何を知っているというの」思ったし、時には腹いせに水をかけてやったこともあった。だけど私も、その名前も知らない誰かと同じことをしていたのだ。私はこの男を人間だから魔女の敵だと感覚的に思ったし、言葉を吐くたびに何だか苛々した。彼がどんな男なのかも知らないのに、勝手に嫌な奴だと決めつけて、嫌っていたのだ。それってすごく馬鹿みたいだ。
「……そんな回りくどいことしなくてもいいわ。頼みというのは国のことなのでしょう?貴方を人間としか見なかった非礼を詫びて、特別に手を貸してあげる。どうせ私が首を縦に振るまで、貴方はこの家に来るのでしょうし」
彼は表情を明るくした。子供のような顔で笑う男だと思った。
「協力してくれるのか?」
「私、気分屋だから途中でやめちゃうかもしれないけどね」
「じゃあ見限られないようにしなくては」
「あっそう」
男は手を差し出した。私が怪訝そうな顔でそれを見つめると、男は「握手だ」といって強引に私の手を引いて、自分のそれと重ねた。
「改めて。僕はこの国の王子、ルイスだ。よろしく頼む」
「……リリーよ」
私の返事に、彼は満足そうに笑った。




