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答え合わせ

 名前だ、と閃いたのはミラさんのおかげだった。

 彼女が去り際に教えてくれた名前の意味。その時は深く考えなかったけれど、後から流れの悪い水みたいに妙な引っ掛かりを覚えた。ミラさんの名前の意味は「贈り物」。じゃあ、四百年前に厄災を起こした魔女の名前の、その意味は?


「ユリだ」


 ノアの言葉に私は頷いた。

 以前、彼から聞いた魔女の名前はリリー。ユリの花を意味する名前だった。


「つまり『黒と白のローブ』は、悪い魔女と良い魔女の意味の他に、黒百合と白百合の意味もあったんだと思います」

「でもそれって、僕たちが勝手に四百年前と結びつけてるからそう思うだけじゃないかな」


 私は黙って一冊の本を本棚から取り出した。そんな大きなものではなく、小さな辞典のようなサイズで、古いわりには不思議とカビのにおいはしてこなかった。表紙には『植物とその花言葉』と書いてある。この本は、私がはじめておばあさんに買ってもらったものだった。


「ノアはユリの花言葉を知っていますか?」

「詳しくはないけれど、王家の紋章だからね、一応は知っているよ。確か、『威厳』だったかな?」


 私はにっこりと笑って頷いた。


「よく知ってますね。ですが一口に花言葉と言っても花の色や品種、さらには国によっても花言葉は変わってきます。気になったので久しぶりにこの本を開いてみました」


 そう言って、私はしおりを挟んでおいたページを広げて、本をテーブルの上へ置いた。ノアは顔だけは本に向けて話を聞いている風を保っていたけれど、やっぱり男の子ということだろうか、ちょっと退屈そうな顔をしていた。


「では要点だけをまとめましょう。ユリ全般、あるいは白百合の花言葉の中には『純粋』『無垢』という言葉が、対して黒百合には『呪い』という花言葉があります」

「呪い?」


 ノアの問いかけに私は頷いた。彼はやっと興味が出てきたようで、きらりと輝く黄金の瞳で私を見つめる。


「東のほうにある国の花言葉だそうです。……手紙には「赤子」という言葉がありますが、ノアは赤子にどんな印象を受けますか?」

「そうだな。小さくて、丸くて、純粋?……あぁ、なるほど」


 ノアは、ややこしい問題の答えが、分かってしまえばこんなにも単純なものだったことにちょっと落胆したような、それでいて問題を解けたことに安堵したような、複雑な表情を浮かべながら力なく笑った。

 

「でも、洗濯というのは?」

「洗濯とは水でそそぐこと。つまり『汚名をそそぐ』……リリーという名前が汚されて黒くなってしまった。汚名をそそいで元の白いユリ、良い魔女に戻してほしい‥‥ってことだと思います」

「依頼の内容は名誉の回復だったのか」


 そういって顎に手を添えるノアを尻目に、私の心境はやや複雑だった。

 一度凝り固まった考えや思想を覆すというのは、とてもつない労力が必要だ。カラスは今さら白にはなれないし、雪は黒色にはなれない。魔女だって同じ。「あいつは悪いやつだ」「あいつがやったに違いない」そう一度疑われてしまえば、そう簡単にその疑いは晴らすことはできない。そうやって無実を訴える声はだんだんと小さくなって、心をすり減らして、諦めて、終いには謂(いわ)れのない罪を受け入れる。その方が楽だから。言ったって無駄だから。賢いふりをして、自分を誤魔化していく。そうしてできた小さな傷を、私は何度見ないフリしただろう。


「これは、難しいだろうね」


 と、ノアは言った。私は何も言わなかった。本当は「難しいどころか不可能だ」と言いたいくらいだった。言ってやろうとも思った。魔女より人間の方がよっぽどひどいって。

 でも言えなかった。ノアが悪いわけではないし、すべての人間が悪いわけでもないと、もう知ってしまったから。この店を開いて、たくさんの人を見て、関わって、話をした。嫌な人もいた。でもいい人もいた。嫌な人のなかにも優しさがあったり、正しさがあったり、尊敬できる部分があったりして、嫌いになりきれることができなかった。人を嫌いになるには、私は人を知り過ぎてしまった。


「ねぇ、エマはどう思う?人間と魔女は分かり合えないと思うかい?」

「……そんなこと、」


 ない、と言おうとして、やめた。ノアは嘘が分かると言っていた。何より、彼の信頼を、こんな形で裏切りたくなかった。


「正直に言うと、分かり合うのは無理だと思いました」

「だろうと思った」


 言葉のわりに、彼の表情は柔らかかった。窓から漏れる日差しと彼の美しい顔立ちも相まって、いっそ神々しささえ感じられる。


「だけどさ、本当に魔女って嫌われてるのかな?」

「……被害妄想って言いたいんですか?」


 今度こそは私はムッとした。それはあんまりな言い草だ。


「あぁ、いや。ちがうちがう。遠巻きにされているのは本当だと思うよ。ほとんどの人は魔女と距離をとっている。一定のラインから越えてくることはないだろうし、越えようとすれば逃げられるだろう」

「……じゃあ」


 私が言葉を繋げようとすると、ノアは手のひらを前に突き出してストップをかけた。


「だけど今まで君と行動を共にして、悪意を持って君を傷つけようとする人はいなかった。騎士の真似事をするつもりだったのに、拍子抜けなくらいね。でも、それって変じゃないか?まるで仲直りがしたくてウズウズしてるみたいだった。魔女に興味があるけど、今さら謝れなくてよそよそしい感じ」


 何それ、と思った。今さらそんなことを言われたって困る。だけど怒りなのか悲しみなのか分からない感情に心が振り回されるなかで、ささやかな喜びも感じられた。すべては魔女の思い過ごしだったのもしれない。本当は嫌われてなんていなくて、お互いの間にあるのは、ほんの些細なことで崩れるようなハリボテの壁でしかなかったのかもしれない。

 ……そこで、考えるのをやめた。期待すればするほど、それが勘違いだったと気づく時のショックは簡単に私の心を粉々にする。


「この話は、やめましょう」

「……エマがそう言うなら、今はやめておこう」


 ノアはあっけなく引き下がった。曖昧な笑みを浮かべて一度口を閉したあと、彼はぱっと表情を明るくさせてから再び話し始めた。


「じゃあ最後の暗号に取り掛かろう。“真実の先で待ってる“についてだが、これについて今度は僕から推理を披露したいんだけど、どうかな?」


 お茶目にウインクするノアの言葉に私は頷いた。

 彼のそ(・)う(・)い(・)う(・)気遣いは、いつも私の心を軽くしてくれる。


「さて、この文は、“身だしなみに整えること“と続いているね。それも頭から足元までしっかりと。……ここで質問なんだけど、この家には全身を映せるような鏡はあるかな?」



◯


 ノアの推理はおそらく正しかった。

 真実とはつまり鏡のこと。そして頭から足元までを映せるような鏡は、この家にひとつしかない。……おばあさんの書斎だ。


「どうぞ。ここが書斎です」


 中は簡単な掃除だけをして、家具や雑貨はそのままにしてあった。順番がめちゃくちゃな本棚、物が散らかっている机、描きかけの魔法陣のメモ。この部屋は唯一、几帳面なおばあさんらしくない部屋だった。


「ねぇ、その足元に転がってる骸骨って本物じゃないよね?」

「だめですノア。私だって怖くて放置してるんです。絶対に調べないでください」

「えぇ……うん、まぁ、分かったけど」


 曖昧な表情を浮かべるノアに、私は「これです」と言って鏡を見せた。大きな鏡が額の中に入って壁に掛けられている。この家で一番大きな鏡はこれだった。


「真実のその先。鏡には‥‥普通に触れますね」

「こういうのは大抵、隠し扉になっているものだよ。押したら……開かない。じゃあ手前に引くと……ほらね?」


 そう言ってノアが額を手をかけて手前に引くと、彼の言うとおり鏡はゆっくりと開かれて、薄暗い奥からうっすらと階段が覗いた。


「うわぁ。古典的ですね」

「確かに。でもこういうあ(・)り(・)が(・)ち(・)なことが、何だかんだ一番見落としやすかったりするものだよ」


 確かに、と私は思った。この部屋に何度も入っていながら、いまだにその仕掛けに気づいていなかったのだから、彼の言うことは正しいと証明されたようなものだ。


「じゃあ、進むよ。念のため、エマは僕の後ろへ」

「ふつう王子が守られる側ではないですか?」

「民を盾にする王子なんて僕は嫌だね。念のため僕は短剣を、君はランプを持って行こう。そこのランプは使えるかな?」


 私は頷いて、机に置いてあったランプを手に取った。そして2人で頷いてから、ノアを先頭に薄暗い階段をゆっくりと降りていく。ほどなくして行き止まりに当たったようで、ノアが動きを止めた。


「扉だ」


 と、ノアは言った。

 私がランプで照らすと、そこには確かに立派な作りの扉が静かに佇んでいた。ノアがドアノブを捻ってみると、ガチャガチャと無機質な音だけが響く。そこで私は閃いた。封筒の中に入っていた手紙以外のもの……どこに使うかわからなかった鍵だ。


「ノア。鍵を使ってみます」

「分かった」


 妙な緊張感を引きずりながら、私はドアノブに鍵を差し込んだ。カチャッと軽い音がして、扉が開いたことを教えてくれた。すぐ近くで、ノアが息を呑んだ音が聞こえる。私はそのままドアノブに手をかけて、ゆっくり開いた。


「……これは、」


 先に口を開いたのはノアだった。

 扉の先でまず目が入ったのは、緑。それから色とりどりな花たち。天井には青空まで広がっていた。それは部屋というより植物園のような光景で、私も、そしてノアも、目を丸くしてしばらく立ち尽くしていた。


「……ここは魔法で作られた部屋みたいですね」

「これが魔法。はは、すごいな」

「あれ?あそこに何かありますね」


 私が指を刺したその先には、ガーデンテーブルと二脚の椅子が置かれていた。そしてテーブルの上、そこには一冊ノートが置かれている。かなり古いもののようで、紙は黄ばんで、表紙の文字も掠れている。目を凝らしてみると、それはどうやら日記のようだった。


「読んでみようか」


 私は頷いて最初のページを開く。年は、四百年前だ。


「──4月30日。雨。今日、この国の王子を名乗る男が我が家を訪ねてきた」

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