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贈り物

 おばあさんからの手紙を開いて一週間。私はまだ、この奇妙な依頼の意味を理解することができていなかった。分かっていることといえば、この手紙は四百年前の魔女の無実を訴えるものだということくらい。けれどそれすらも、なんの中身もない、空っぽの推理でしかなかった。


「ねぇ。聞いてるの?早く私のおばあちゃんを生き返らせてちょうだい」


 今は手紙よりも、目の前の問題の方が私の頭を悩ませていた。

 歳は、七、八歳くらいだろうか。全体的なシルエットは丸みをおびていて、幼い印象を受ける。少し()()()話し方も、この頃の女の子ならよくあることだ。ただ緊張の表れなのか、さっきから首を辺りを掻いているのが気になる。軟膏を持ってこようと立ちあがろうとした時、彼女の刺すような視線がそれを許してはくれなかった。早く私の依頼を何とかして、という意思がその目には込められていた。

 どんなに優秀な魔女でも、死んだ人間を生き返らせることはできない。人間も、魔女も、この星に生きるものすべてに対して、命は悲しいくらいに平等だ。この子もいつか、その悲しみに気づく日がやって来る。だけどまだ何も知らないこの少女を、私は羨ましくも思った。おばあさんは星になって、私を見守ってくれている。そう信じられることが、どれほど心の支えになってくれるだろう。


「残念ですが、私ではお力になれません」


 今、私ができる精一杯の回答だった。

 依頼の内容が叶えられないと知らされた少女はショックを受けたように顔を青くさせて、それから大きくて丸い瞳を潤ませた。涙がこぼれ落ちる寸前のところをなんとか保っている彼女を、私はただ見つめることしかできなかった。


「……どうしても、ダメなの?お金はお小遣いを貯めたものしかないけど、足りないならまた貯めて必ず持って来ると約束するわ。ね、ほんの少しでいいの。少しだけ、お話ししたいだけなの」


 ついさっきまで大人のように振る舞っていた少女が嘘のように、弱々しく私には訴える。情に引きずられるように、私も「大丈夫ですよ。任せてください」と言ってあげたかった。だけどどうしたって、ダメなものはダメなのだ。

 いったい今までにどれだけの人が、彼女と同じ思いをしてきたか分からない。けれど一つ確かなことは、その思いを叶えられた人が誰ひとりとしていなかったこと。みんな同じ思いを何とか誤魔化して、抑え込んで、魔法が起きることを願いながら、足掻いている。それはきっと遥か昔から行われていた、一種の儀式のようなものだ。


「もしよければ、どうして生き返らせたいのか聞いてもいいですか?お役に立てることがあるかもしれません」


 少女は一度押し黙った。顔を曇らせたまま少し間を置いて、それからぽつりぽつりと呟くように再び話し始めた。


「私の家はパン屋さんなの。お父さんもお母さんも朝から忙しいから、私はいつも近所のおばあちゃんの家に預けられてた。でも全然つらくなった。だっておばあちゃんのことが大好きだったから」


 おばあさんの話になった途端、少女の顔が少しだけ柔らかくなったように見えた。けれどそれも束の間のことで、彼女はまたすぐに顔を暗くして続きを話しはじめた。


「でも、喧嘩をしちゃった。それで言っちゃったの。おばあちゃんなんて大嫌いって。そしたら、次の日からおばあちゃんの家に行くのがなんだか嫌になって、家でお手伝いさせてもらってたの。その2、3日後におばあちゃんは倒れて、そのまま……」


 その後のことは言葉にしなくても分かった。とうとう彼女の目からぽたぽたと涙がこぼれ落ちて、私はそっとハンカチを渡す。それを素直に受け取って、ごしごしと目元を拭く姿はまだ幼さが見てとれた。


「そもそも、どうして喧嘩なんてしてしまったんでしょう」

「……ネックレス」

「ネックレス?」


 私の問いかけに、少女は小さく首を縦に振った。


「うん。透明な、ぴかぴかの石がついてるの。ずっと前にお星さまになったおじいちゃんが、おばあちゃんに贈ったものなんだって。いつもはおばあちゃんが付けてるんだけど、その日は飾ってあったの。だから内緒で付けようとしたら見つかっちゃって、ダメ!って大きな声で言われちゃった。おばあちゃんに怒られたのなんて初めてだし、大きな声にびっくりしちゃって、……そしたら、大嫌いなんて言っちゃったの」


 そう言って項垂れる少女の気持ちを、私はなんとなく分かる気がした。

 大きな声は、それだけで人を萎縮させる強力な武器だ。自分に関係がなくたって、びっくりしてどきどきするのに、その武器が自分に向けられたならどんなに怖いことだろう。それがこんなに小さな子どもなら、尚更。

 だけど今なら少し分かるけれど、大人が大きな声をあげる時には重要な意味がある場合があったりする。たとえば、火のついている大釜に近づこうとした幼い私を、大きな声で叱ったおばあさんのように。


「知らなかったの、そんなに大事なものだって。でも、今なら分かるわ。私ね、おばあちゃんのネックレスをもらったの。かたみ?ってお母さんは言ってた。私もあのネックレスを勝手に誰かに触られたら嫌な気持ちになると思うわ。……だから謝りたいの。大事なものに勝手に触ろうとしてごめんなさいって」


 私は少女の話を聞きながら、変な違和感のようなものを感じていた。けれどその違和感が、幻みたいに浮かんだり、はたまた消えたりして、なかなか正体を見つけることができない。


「そのネックレス、今はどこにありますか?」

「今?今は、お母さんが預かってる。もう少し大人になったらくれるんだって」

「そうですか。では、最近それを身につけたことはありますか?」


 そう言うと、少女は目を丸くした。「どうして分かったの?」と顔に書いてある気がした。それからおずおずと、内緒話でもするように声を小さくしながら彼女は口を開いた。


「実は今朝、お母さんに内緒で一度だけ付けたの。その……」


 少女はそこで言葉を区切って私をチラリと見る。その意味を、私はなんとなく察することができた。

 魔女の店に来るなんて、大人でも嫌がる。それを小さな子どもが決断するには、どれだけの勇気を振り絞ったことだろう。家を出る前にこっそりとおばあさんの形見を身につけて、勇気をもらうことになんの疑問も抱かなかった。


「おそらくですが、おばあさんは大事なものに触れようとしたから叱ったのではないと思います」

「え?でも……」

「話の前にまず軟膏を持ってきましょう。首が赤くなっています」

「あれ?本当?どうもありがとう親切な魔女さま。……そういえばまだ名前を聞いてなかったわ」


 私は微笑んだ。

 名前を聞かれるのは嬉しい。無粋なやり方ではなくて、丁寧に、お行儀よく、私のことを知ろうとしてくれる感じがする。


「私はエマです。あなたは?」

「ご親切にどうも、エマ。私はミラ。どうぞよろしく」





 ミラという名前の少女と、おばあさんを結びつけるのは簡単だった。

 一ヶ月ほど前、孫娘のために軟膏を買いに来たおばあさんがいた。もしかしたら必要になるかもしれないから、と。その孫娘の名前というのがミラだ。


「おばあさんの名前は、レイラですか?」

「え?どうして分かったの?そう、レイラよ。すごいわエマ」


 私はそのおばあさんが注文していた軟膏を、彼女の首に塗りながら尋ねた。完成した薬は明日また取りきますと言ったっきり、おばあさんは店を訪ねることはなく、念のために数日前作り直しておいたものが功を奏したようだった。


「この薬は、おばあさんから貴方への贈り物です」

「え?」


 軟膏を塗り終わると、ミラさんは目を丸くしていた。おばあさんによく似た柔らかな茶色の目だった。


「ミラさんの肌は、金属に弱いみたいです。アクセサリーや時計のような金属が直接、肌に触れると痒くなったり、かぶれたりしてしまう体質ですね」

「そ、そうなの?知らなかったわ」

「軽いもののようですし、たぶん周りの大人たちも気をつけてくれていたのだと思います」


 以前、私のおばあさんのところへも、薬を求めて似た症状のお客さんがやってきたことがある。その人の場合は、特定の食べ物を食べると体が痒くなるらしかったけれど、金属や花粉なんかでも症状が出てくる人がいるのよと、おばあさんは教えてくれた。本当なら医者に診てもらったほうがいいのだけど、残念なことに今はまだこういう体質への知名度は低いうえに、薬代は庶民にはちょっと厳しい。なのでこうやって、魔女の店を頼る人は意外と少なくなかった。

 きっと形見のネックレスをお母さんが預かっているというのも、ミラさんが自分の体質のことを理解できるような年齢になるのを待ってから渡すつもりなのだろう。だけど、それは間違いかもしれない。子どもは大人が思っているよりずっと色んなことを理解して、色んなことを考えている。自分だって子どものころがあったはずなのに、大人はいつもそういうことを都合よく忘れてしまうのだ。


「レイラさんは、ミラさんを叱ろうとしたのではなく、守ろうとしたのだと思います。この軟膏を頼んだのは、貴方がネックレスに触れたかもしれなかったからでしょう」

「そんな……。私、おばあちゃんにひどいことをしちゃった。謝っても許してもらえないわ、どうしよう」


 ミラさんはこの世の終わりのように顔を青くして。項垂れた。大好きな人に嫌われたかもしれない、というのは、自分の世界を壊されるような衝撃だと私は思う。

 私も、おばあさんに八つ当たりのようなことをしてしまったことがある。理由は忘れたけれど、たぶんつまらないことだった。私は普段言わないようなひどい言葉を使って、それから逃げるように夜まで自分の部屋にいた。部屋にいる間、私はずっと後悔していた。あん嫌な言葉が自分の口から出てきたことも嫌だったし、おばあさんを傷つけてしまったことも嫌だった。今さら謝りに行けなくて真っ暗な部屋で泣いていたら、おばあさんが温かいスープを持って部屋へやって来た。何も言わずに一緒にベッドに座って、おばあさんが持ってきてくれたスープを飲んだら何だか泣けてしまって、私は涙をこぼしながらたくさん謝った。おばあさんは微笑みながら、「いいのよ。愛しているわ」と言って、私のおでこに優しくキスをした。

 あの優しい夜を、私は二度と迎えられない。けれどこの子には、その機会さえ与えられなかった。許されないことも辛いけれど、許しを請う相手がいないというのはきっと、もっと辛い。


「‥‥少なくとも、おばあさんはミラさんを嫌ってなんていなかったと思います」

「そんなことないわ。私だったらこんなイヤな子、大嫌いよ」

「嫌いなら、わざわざ貴方のために薬を用意しようとは思いません。貴方のことが心配で、大好きだったから、おばあさんはこの店へやって来たんです」


 私は一ヶ月前にこの店へやって来たおばあさんを思い出した。孫娘のことを話す彼女は、さっきおばあさんのことを話していたミラさんのように表情を穏やかにしていた。それから、できるだけ肌にやさしくて、上等なものをお願い、と彼女は言った。憎しみも、恨みもなく、ただ純粋にミラさんのことを想っている優しい茶色の瞳だった。


「おばあちゃんにとって孫は私だけだから、大切にしてくれたのね」

「いいえ、それは違うと思います。きっと家族でも、許せないことは許せません。おばあさんがミラさんを許したのは、貴方の本心ではないとちゃんと分かっていたからだと思います。初めて会った私ですら、おばあさんのことを大切に想っているのだと分かるくらいですからね」

「……えぇ、そうね。私、おばあちゃんが大好きよ。うまく言葉にできないけど、それって家族だから好きだとかそういうのじゃないと思う。おばあちゃんがちゃんと私のことを見てくれて、愛してくれたから、私もおばあちゃんのことを大好きになったんだわ」


 なんだかすっかり本物の大人になったような横顔で、ミラさんはそう言った。


「私、おばあちゃんのお墓参りに行かなくちゃ。お葬式の時は泣いちゃって、ちゃんとお別れできなかったの。お代は、お小遣いで足りるかな」

「いいえ。薬代はおばあさんからすでに頂いています」

「そっか。……あのね、私の名前はおばちゃんから付けてくれたんだって。贈り物って意味らしいんだけど、名前も、薬も、私おばあちゃんから贈ってもらってばかりね」

「きっとミラさんも、おばあさんにたくさんの贈り物をしたと思いますよ。目に見えないものかもしれませんが」


 ミラさんは不思議そうに首を傾げてから、「そうかしら」と言って笑った。私の言葉の意味が分かるころには、彼女は本当の意味で立派なレディになっているだろう。

 それから彼女は晴れやかな顔で店を出て行った。手にはしっかりと軟膏を握って、通りの向こうへ消えていく。小さくなっていく背中を見送って、店の中へと戻ろうと来たとき、ふと予感めいた何かが頭の中をよぎった。私はこの依頼のなかで、何か大事なことを見落としている気がする、と。

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