魔女からの手紙
リロイさんと不思議な再会を果たしてから三日後、私の手元にはいまだに未開封の封筒が握られていた。なんの飾りもないシンプルな白い封筒に、赤い蝋で蓋がされている。裏を返せば、「エマへ」と久しぶりに見るおばあさんの字で宛名が書かれてあった。子どもの頃、私がお手本にしていた美しい字のままで、なぜか少しだけホッとした。
「まだ開けてなかったんだ。なんなら僕が開けてあげてもいいよ」
三日ぶりにやって来たノア王子は、いまだに私が手紙を開いていないことに、呆れた様子で顔を顰めた。彼の気持ちが分からないわけではない。だけど、どうしようもなく不安なのだ。
ずっと普通のおばあさんだと思ってた。魔女という時点で普通とは言えないかもしれないけれど、それでも順当に歳を重ねた普通のおばあさんだと思っていたのだ。それなのに、本当の姿は赤い髪をした若い娘だったという。どうして黙っていたの?私に言えない秘密があったの?そんな考えを巡らせてじっと手紙を見つめる。もしこの手紙に、重要な告白が書いてあったらどうしよう。そう思うとなかなか手紙を開くことができなかった。
「──開けます。ちゃんと、自分で」
「そうだね。きっとその方がいい」
ノア王子は、私が緊張の面持ちで封筒に鋏を入れていく様子を兄のように見守っていた。そんな中で、いつもの倍の時間をかけながら開封して中から手紙をとりだす。すると、一枚の紙切れとはべつに、鍵がひとつ入っていたことにも気がついた。一度、私たちは顔を見合わせたけれど、鍵については全く心当たりがない。私は仕方なく、手紙の方を読むことにした。
手紙にはこう書かれていた。
愛する弟子、エマへ
あなたの店に依頼をするわ。どうか願いを叶えてね。
大事なローブが汚されて真っ黒になってしまったの。洗濯して、真っ白なローブに戻してちょうだい。
そうすれば呪いは解けて、赤子だったあの頃に戻れる気がする。
私は真実の先で待っているわ。もちろん、会いに来るときは身だしなみを整えること。寝癖がついていてもダメ、靴下がちぐはぐでもダメ。
あなたが私を見つけたとき、そこですべてをお話ししましょう。
予言の魔女
「これはまた、難題だね」
手紙を読み終えると、ノア王子は苦笑いしながら言った。私も同じだった。
おばあさんはこういう回りくどいことをよくする人だった。魔女が言葉をそのまま伝えるなんて端ない。魔女とは悪戯っぽく、回りくどく、人間を惑わせて、勘違いさせてこそ一人前よ、というのがおばあさんの考えだった。そういう、古い考え方の魔女なのだ。
とはいっても、私まで惑わせる必要なんてないのに。少しは新しい魔女の気持ちにもなってほしいものだわ。そう思いながら、私はちらりと鍵を見た。結局この鍵については、何も分からないままだ。
「ともあれ、まずは手紙の解読ですね。気になるところは色々ありますが、一番気になるのはやっぱり“呪いが解ける“という文でしょうか」
「まぁ、そうだね。だけど僕は最後の方の文が気になるかな」
「最後?」
「この文通りに解釈するなら、予言の魔女は生きていて、真実の先とやらで待っていることになる」
彼の言う通りだった。
私は確かにおばあさんの最期を看取った。とても穏やかに、まるで昼寝でもするみたいに、おばあさんは静かに息を引き取った、はずだ。だけどそのおばあさんが、本当は若い娘の姿をしていて、少なくとも本屋のおじいさんよりずっと長生きしていると知った今、私はあの最期の瞬間さえ信じられない。
春の昼下がりのような穏やかな微笑み、少しずつ力が抜けていく手のひら、ゆっくり下がっていく瞼を祈るように見ていた私。おばさんが生きていてくれたら、それはどんなに嬉しいことだろうと思う。きっと枯れるまで涙を流して、力いっぱい抱きしめて、「会いたかった」「愛してる」とただそれだけを声の限り伝えるだろう。だけど、それらの光景がすべて嘘だったとしたら、それはあんまりだ、とも思う。あの時、頬をつたった熱い涙は真実だったのよ、と。
「──まずは一つずつ見ていきましょう。真っ黒なローブを洗濯して真っ白に……ローブというのは魔女を表しているのではないでしょうか」
「確かに魔女はローブを羽織るイメージがあるね。だとしても、黒い魔女を白い魔女に、の意味が分からないけれど」
「うーん。そもそも魔女のローブは黒いもので合ってるし、ローブは魔女というのは間違いでしょうか」
テーブルを挟んで、私たちは同じように頭を抱えた。私の店へ依頼する人はみんな、どうも気持ちをストレートに伝えるのが苦手らしい。おばあさんはその中でもとびきりだった。
「それぞれ黒い魔女は悪い魔女のことを、白い魔女は良い魔女のことを表しているんだとしたら、悪い魔女を改心させてほしいってことでしょうか」
「それなら、汚されたというのが気になる。それってつまり、誰かのせいで悪い魔女になってしまったってことじゃないかな……うん?そういえば、」
ノア王子は顎に手を添えて、少しの間、何かを考える様子を見せたあと、もう一度口を開いた。
「四百年前、魔女がもたらした病は実際、大したものではなかったと僕が以前言ったのを覚えているかい?」
「はい。風邪のようなものだったと」
「そう。つまりこの手紙は、人々の命を奪ったのは魔女ではなく、魔女はただ濡れ衣を着せられただけだと言いたいんじゃないかな?」
なるほど、と思った。
なんの確証もないけれど、筋は通っている気がした。そうだとしたら、おばあさんは悪い魔女を改心させてほしいのではなく、もともと良い魔女の名誉を回復させてほしいということになる。白いローブに戻すというのは、そういう意味かもしれない。
「だとすると、濡れ衣を着せられた魔女はどこにいるんでしょう」
「うん。そのことなんだけど、今後のためにはっきりさせておこう。君のおばあさんの名前を聞いてもいいかな?」
彼の言いたいことはすぐに分かった。
四百年前も生きていたかもしれない謎の魔女。疑うなという方が無理があった。むしろ胸の内で疑われるより、ここで聞いてくれたのは彼なりの信頼の表れなのかもしれない。
「おばあさんの名前は、分かりません」
「分からない?」
「私たちに血の繋がりはありませんし、おばあさんの名前を呼ぶ人は誰もいませんでした」
思い出のなかで、おばあさんは「予言の魔女」としか呼ばれていなかった。私も、なんだかタイミングを逃してしまって聞き損ねたまま永遠の別れをした。こんなことなら……ううん、こんなことがなくたって聞いておくべきだったのだ。唯一の家族の名前すら知らなかったなんて、それはとても悲しいことだと思った。
「そうか。それはすまなかったね」
「いいえ。私も、おばあさんのことが少し分からなくなりました」
私も、ノア王子も、なんだかしんみりしてしまった。その空気を壊すように、ノア王子は少し大げさに明るい口調で話し始めた。
「よし。僕は今日から君をエマと呼ぶよ。だから君も僕のことをノアと呼んでくれ」
「えっ。それは困ります。私が不敬罪で捕まってしまいますよ」
「公的な場所では敬称を使ってもらわないといけないが、そのほかの場所では気にしないでほしい。名前を呼ばれないというのは淋しいよ。お互いにね」
お互いに?不思議に思って聞き返そうとして、やめた。以前、彼が言っていた言葉を思い出したのだ。
王子という役目は、立派な服を着ているにすぎない。
私だってそう。時には豪華な服で身を飾りたい日だってある。だけどたまには楽な格好でいたい日だってあるのだ。それが安心できる人と一緒の時なら、なおさら。ありのままの自分で、話をしたい。
「分かりました、ノア」
「ありがとうエマ。……さぁ、気を取り直して次の解読に進もうか」
ぐっと腕を伸ばすノア王子……もとい、ノアに、私は小さく笑ってから席を立った。
「いいえ。まずは小休憩です。そろそろ貴方が来る頃だと思って、今朝クッキーを焼いておきました。一緒に食べましょう」




