FILE No.079 大境の陣
京洛には、硲ノ原より凱旋した兵馬の列が、絶え間なく行き交っていた。
戦の勝敗は、既に誰もが知っている。
人々は息を潜め、街道の脇から、その威容をただ見つめていた。
堂々たる姿で兵馬を従え、京洛へと凱旋した豊川家吉に、最早迷いはない。
天下を支えるのではなく、己で天下を治めるのだ。
ならば、為すべき事はただ一つ。
反目した諸大名へ、相応の裁きを下す事である。
中納言•富治多秀宗は、照羽勢の主力として最後まで抗戦した咎により、改易の上、遠島。
また、総大将として布陣しながらも、戦場で動かなかった中納言•八握景元には、家名存続を認める代わりに40万石への大減封。
奥州で豊川家に抗した中納言•上江輝勝にもまた、30万石への大減封と麦沢への移封。
一方、大納言•金樫利親の嫡男•利秀には、家吉への臣従を明らかにした事で、嘉賀100万石を安堵。
国津仁弘には、遠方の領国•隼摩を安堵する代わりに、豊川家への臣従を強要。
そして、戦場で照羽勢から離反した小速瀬徳秋には、その功を認め、丘山50万石を加封した。
こうして諸大名は次々と家吉に臣従し、天下の秩序は最早戦場ではなく、家吉の裁定によってのみ組み替えられていった。
そして、照羽家の天下を守るべく兵を挙げ、最後まで家吉に抗した五奉行筆頭•磐岐継成に至っては……。
刑場へと引き立てられていた。
その傍らには、照羽勢の主力として戦った末に捕らえられた小寺行成の姿もあった。
京洛の六段河原には、夥しい人々が集まり、二人は縄を打たれたまま群衆の中を歩かされた。
されど継成の背は、少しも屈まず、群衆へも目を向けず、ただ真っ直ぐに京洛の空を仰いでいた。
「……殿下、申し訳ございませぬ。」
そう呟いた継成は、刑場の中央へ進み出ると、静かに膝を折った。
照羽の御世を守ろうとした継成は、最後の最後まで信念を曲げる事なく刑場に果て、行成もまた、その後を追うように処刑された。
その一報が京洛を駆け巡った時、誰もが悟る。
最早、照羽家の天下に戻る道など、残されてはいないのだと……。
そして最後に、照羽家にも沙汰が下された。
徳幽を戴く照羽家は、天下人としての地位を失い、藤御城と洛耀第を召し上げられた。
されど、家名と旧領のうち65万石は安堵され、以後一大名として大境へ移るよう命じられた。
太閤•徳臣が築き上げた天下は、ココに終焉を迎えたのである。
○☆○☆○☆
この頃、澄政所(郁々)は洛耀第を離れ、出家して香台院を称していた。
世に知られているのは、亡き夫の菩提を弔うため、香台寺を建立した事だけであるが……。
この寺の奥深く、人目に触れぬ場所には、茶壺が一つ、厳重に安置されていた。
その中に封じられているのは、表向きには薨去した恐閤•照羽徳臣こと、黒羅霧である。
そう。郁々が守っていたのは、夫の菩提などではなく、夫が封じられた茶壺と、その封印に他ならなかった。
だが、その封印を郁々が一人で守り続ける事は、容易ではない。
歴史の裏で、郁々を密かに支えていたのは、老陰陽師の氷御角清鸚と……。
もう一人は家吉であった。
コレは決して、世に知られてはならぬ密事。
家吉は、封印を補強する清鸚の咒方術のみならず、深い学識と政を見通す才をも買っていた。
そのため、清鸚は徳臣の封印を守る傍ら、政の諮問も受けるようになっていく。
それは朝廷との折衝、寺社政策、さらには新たな天下の骨組みに至るまで……。
清鸚の進言は次第に、家吉の政に欠かせぬモノとなり、後の江津幕府二百六十余年を支える礎となったのである。
そして、硲ノ原の合戦場から三年後……。
景長八年(西暦1603年)、家吉は朝廷より征夷大将軍に任じられ、本拠地•江津に幕府を開いた。
天下の実権は、確実に照羽家から豊川家へと移り、日ノ本は新たな時代を迎えたのである。
○☆○☆○☆
景長九年(西暦1605年)十一月末。この頃、徳幽の齢は、まだ七つ。
されど、その姿だけを見れば、とうに少年とは呼べぬ若武者となり、供の者達を従え、大境城の南東に聳える天嶺山へ、鷹狩りに赴いていた。
山へ分け入った徳幽は、鷹が一羽、冬枯れの木々の向こうへ、獲物を追って消えるのを見た。
それを追い、ほんの僅かに道を外れると、供の者達ともはぐれ、いつしか獣道さえ途切れた山奥で足を止めていた。
そこには半ば崩れた屋根、霜を帯びた石段と、長く人の手が触れていない事の分かる、古びた祠があった。
徳幽は、吸い寄せられるように祠へ歩み寄ると、奥には剥き出しとなった巨大な磐座が、苔に覆われ、地より真っ直ぐ立ち上がっていた。
表面は風雨で削れてはいたものの、そこに刻まれている文字を読み取る事はできた。
有徳幽居慎勿開之
此中所封天下大厄
後世之人至此速退
万代此封不可開之
徳幽は、その文字をじっと目で追った。
刻まれた文字の意味は理解できずとも、その中に己の名を見出した徳幽は、確信する。
自分はココに呼ばれたのだと……。
徳幽は、徐に磐座に手を触れた。
その刹那、刻まれた文字は青白く発光し、磐座の中央には一本の大きな亀裂が奔る。
その直後、天嶺山そのものが低く鳴動し始めると、大地は激しく揺れ、磐座は大地を割るように裂け、深奥からは漆黒の瘴氣が立ち昇った。
解咒の余波は、瞬く間に地の底を奔り、海へと達すると、極大の波塊となって海沿いの国々へ押し寄せ、村々も、街道も、人々さえも呑み込んでいった。
ーー京洛ーー
御所より程近い一角に、表向きには何の変哲もない屋敷があった。
その奥座敷には、三つの人影が見える。
一つは、上座に座す焰間一党総本家首領。
一つは、その傍らにて控える焔橋家当主。
そしてもう一つは、二人より少し離れて座す琥慈郎の影であった。
三人は、地の底から轟く地鳴りに顔を上げた。
それは次第に大きくなり、屋敷そのものを激しく揺らし、柱を撓ませ、床板を跳ね上げた。
「な……何事や!」
揺れは容易には収まらず、琥慈郎の顔も硬直していた。
「この地震、よもや……。」
上座の人影が、僅かに動く。
「お館様…。」
総本家首領と焔橋家当主は、示し合わせたかのように、揃って天嶺山の方角へと視線を向けていた。
--江津城--
同刻、江津城もまた凄まじい揺れに襲われていた。
城下からは、幾つもの悲鳴が重なって聞こえ、ただならぬ事態に騒然としていた。
「……何という揺れか。」
大地は幾度となく大きく揺れ、やがて沿岸より、津波襲来の報せが齎された。
『景長大地震』
海沿いの村々は次々と呑まれ、街道は寸断され、諸国から凄惨な被害が報じられた。
日ノ本全土を打ち揺らした、絶大なる惨禍。
されど、この惨禍の引き金となったモノが、六百余年に渡り封じられてきた“大厄”の覚醒にあったという事実を、人々が知る由もなかった。
限られた者を除いては……。
-----
「上様。途轍もないモノが、目覚め申した……。」
大地震より幾刻かを経た後も、城内は未だ緊張に包まれていた。
諸国からは続々と早馬が駆け込み、各地の惨状は家吉の知る所となっていた。
されど、その最中にあっても、清鸚と清是が齎す報せだけは、他のいかなる報せとも異なるモノだった。
「途轍もないモノとは、何か?」
「恐れながら、何が目覚めたのかまでは、我等にも判じかねまする。」
「されど、此度の異変は、ただの地震に非ず。恐閤を遥かに凌ぐ、大厄の顕現かと……。」
「………!!」
家吉は言葉を失い、暫しの沈黙の後、視線を城下へと向けた。
未だ余震の続く大地。その底で目覚めた、得体の知れぬ大厄。
これより先、天下に何が起こるのか、誰にも分からない。
「……ならば、尚さらじゃ。」
家吉は決断を下す。
「……将軍職を徳忠に譲る。」
「上様……。」
「天下を儂一人の手に、置いておくワケにはいかぬ。」
家吉の声に迷いはない。
「それが宜しいかと…。」
清鸚は即座に応じた。
表の政を嫡男•徳忠へ。そして己は、その後見に回る。
されど、それは政を退く事を意味しない。
「儂は、これより大御所として、幕府の盤石を陰から固める。」
家吉の言葉に、清鸚の目が僅かに細められる。
「……大厄が目覚めたならば、尚の事。天下に、政の空白などつくってはならぬ!!」
景長十年(西暦1605年)四月。
豊川徳忠は藤御城にて朝廷より宣下を受け、第二代征夷大将軍に就任した。
そして、景長十二年(1607年)。家吉は江津を離れ、園府に居を移すと、将軍•徳忠を表に立て、その背後より天下の政を掌握する二頭体制を確立した。
--大境城--
大境城本丸の最奥、萬耀御対にて、紗々は届けられた一通の書状を読み終え、静かに膝元へと置いた。
「……着々と、固めておるではないか!!」
その声に、僅かな苛立ちが滲む。
豊川家の力は、最早、一時のモノではない。
将軍と大御所。二つの座を以て天下を動かす二頭体制が、日ノ本に深く根を下ろしていく。
「このままでは……。」
紗々の脳裏に、徳幽の姿が浮かぶ。
「……徳幽を奪わせはせぬ!」
その時……。
「なら、力が要るよね〜。」
「……っ!」
紗々は弾かれたように顔を上げるが、広い御対には誰の姿もない。
「……誰じゃ!?」
返る声はない。
だが、御簾の向こう側には、いつしか黒い兎の人形が一つ、ポツリと畳の上に置かれていた。
「……このような物、誰が持ち込んだのじゃ!」
紗々は訝しげに、人形を冷たく見下ろす。
「若君を守るためなら、何だってするんでしょう?」
「……!!?」
今度は、すぐ傍らから声がした。
紗々は弾かれたように振り向くと、黒髪を二つに結った童女の姿が目に映る。
「……どこの童じゃ?」
墨黒の小袖に白い襟、膝元には黒兎を抱え、童女はにこりと微笑んだ。
「フフフ。だから、会わせてあげる。」
「誰にじゃ?」
「そんなの彼の方に決まってるでしょう。」
「彼の方!?」
童女は黒兎の耳を撫でながら、クスクスと喉を鳴らした。
「私は闇散。貴女と彼の方を繋ぐ者よ。ウフフフフ……。」【黒屋敷童子 闇散】
紗々の視線が僅かに揺らぐ……。
-----
夜も更けた頃、朧沙門は独り、とある城下を見下ろす高みにいた。
人の声も、灯火も、いつもと変わらない。
されど、その何気ない夜の底に、以前とは異なる妖しい氣配が、静かに滲み始めていた。
「……また、世を騒がせおるか。」
朧沙門は、遠くに連なる灯を眺め、僅かに目を細めていた。
○☆○☆○☆
景長十九年(西暦1614年)。
京洛の広耀寺にて、再建の進められていた大仏殿に、新たな梵鐘が鋳造された。
その鐘銘の写しが大境城へも届けられ、紗々はそれを読み終えると、静かに膝元へと置いた。
「……何の変哲もない、祝い文句ではないか!」
されど幕府は、鐘銘に記された言葉を"大境の繁栄のみを願い、豊川家の天下を蔑ろにするもの"と断じ、照羽家の異心を示す証拠であると、執拗に責め立ててきたのである。
「……難癖じゃ!」
紗々の声には深々と怒りが滲む。
これまで積み重ねられてきた幕府と照羽家との軋轢は、既に一触即発の所まで来ていた。
「こんなもの……徳幽を亡き者にする口実でしかないわ!!」
紗々は、その写しを怒りに任せ、幾重にも引き裂いた。
「そうだね〜。難癖にもほどがあるよね〜。」
闇散は黒兎の耳を撫でながら、紗々を嘲るように嗤った。
「……ならば、いかが致す!?」
闇散は、にこりと笑った。
「そりゃもう、戦うしかないんじゃない?」
-----
大境城を取り巻く空気が、俄かに戦の色を帯び始める。
紗々が幕府の曲言を照羽家の名で断固撥ねつけるや、二代将軍・徳忠は討伐軍の動員を命じた。
幕府による大境西征。
事実上、照羽家の命運を懸けた、天下を分かつ決戦が、ついに始まろうとしていた。
紗々は、徳臣が蓄えた莫大な財を惜しみなく投じ、諸国から行き場を失った浪人衆を集め、大境城へと集結させた。
その数、十万余……。
ー大境城本丸大広間ー
居並ぶ将器達を前に、紗々は、その傍らに齢十七とは思えぬ風格を纏う徳幽を示した。
その黄金の双眸には、父•徳臣を思わせる不氣味な光が宿っている。
「照羽の血を絶やさぬため!徳幽を守るため!者共、力を尽くすのじゃ〜!!」
城の内外から、十万余の兵が鬨の声を轟かせる中、闇散は黒兎を抱きながら妖しく微笑む。
「ウフフッ……集まってる、集まってる。」
そんな闇散の視線が、居並ぶ将器の中で見覚えのある巨躯……大高頭四郎木村丸を捉えた。
「あらま……。やっぱり、四郎も来てたのねぇ。」
闇散の顔には、ふと、童女らしからぬ母親めいた慈愛が浮かぶ。
-----
景長十九年(西暦1614年)七月。
将軍•徳忠を総大将とする幕府軍は、大境へ進軍を開始し、園府からは大御所•家吉も出陣した。
総勢二十万。大境城は瞬く間に包囲されたが、堅固な城構えと十万余の兵が幕府軍の進攻を阻み、容易には落ちなかった。
殊に城の南側に築かれた出城•"霧田丸"は、破格の威容を誇り、霧田朔村率いる軍勢が、幾度となく押し寄せる幕府軍を悉く退け、甚大な損害を与え続けた。
朔村は、青黒き長髪を風に靡かせ、黒き嘴の如き面頬と、その身を包む黒鉄の甲冑には、血のように赤い意匠が走る異端の将であった。
戦は兵を多大に消耗させ、幕府軍の兵糧も次第に底を突き始め、これ以上の力攻めは幕府の威信そのものを損ないかねなかった。
されど、大境側もまた無傷ではなく……。
大境城は連日の砲撃で城内至る所が破壊され、兵の疲労も極限に達していた。
双方とも、このままでは果てがない。
幕府と大境は幾度も交渉を重ね、景長十九年(西暦1614年)九月、和議を成立させた。
和睦の条件は、照羽家の存続を認める代わりに、大境城を取り巻く堀を埋め、外郭に築かれた霧田丸を含む防衛施設を破却するというものであったが、紗々は、それを疑う事なく受け入れていた。
「ホホホホッ。その程度の事で徳幽を守れるのなら、安いものじゃ。」
和睦が成立すると、難攻不落を誇った城郭からは、守りの要となる施設が次々と失われ、かつての威容も見る影を失っていった。
「二十万の大軍を退けたのじゃ。幕府に照羽家を滅ぼす力などありはせぬ。」
闇散は黒兎の耳を撫でながら、くすりと笑った。
「ウフフッ……。本当に、そう思ってるの?おめでたいわねぇ。」
闇散の言葉に続き、朔村が静かに口を開く。
「戦は終わったワケではない。次に、この城を落とすため、守りを削らせおったのだ。」
「……!!」
紗々の顔から勝ち誇った色が消え、朔村は黒き嘴の奥で薄く笑う。
「氷御角清鸚、相変わらず抜け目ない奴だ。」
こうして、大境秋の陣が終わり、天下に再び静けさが戻るが、それは束の間に過ぎない……。
何故なら、和睦が成立して幾月も経たぬうちに、幕府からは無理難題が突き付けられたのである。
『浪人衆を国元へと帰し、異形な兵は解散させよ。』
『大境城より退去せよ。』
『照羽家は幕府の庇護の下へ入るべし。』
「……何じゃと!?」
紗々は顔を強張らせ、書状を両手で引き裂くと、紙片をその場へ撒き散らし、要求の悉くを拒絶したのである。
「おのれ豊川め……!絶対に許さん!!」
-----
景長二十年(西暦1615年)二月。
幕府は、秋を遥かに上回る規模の軍勢を動員した。
その数、二十五万。
大御所•家吉が園府より出陣し、将軍•徳忠も江津を立った。
二手に分かれた幕府の大軍は、守りを削がれた大境城へ怒涛の如く押し寄せた。
今の大境城には、籠城して持ち堪える術がない。
そのため……。
「我等が勝利を収めるには、討って出る他あるまい!!」
青黒き長髪を風に靡かせ、手にした槍を高々と掲げた朔村が、嘴の如き面頬の奥から叫ぶ。
「城は防御を失おうとも、我等の牙まで抜かれたワケではない。幕府の首魁•家吉の喉元を刺し貫いてみせようぞ!!」
号令一下、大境側は一斉に城から討って出た。
先頭には、朔村の黒地に六つの紅い円環を掲げた軍旗が翻り、数で押し潰さんと迫る幕府軍へ、真正面から怒濤の勢いで雪崩れ込んだ。
「怯むな!恐れず押し返せ!!」
幕府の諸将の怒号が飛び交い、幾重にも連なる陣列から、幕府軍が波の如く押し寄せてくる。
されど、その勢いを討ち砕いたのは、四郎木村丸の咆哮と膂力であった。
戦列のただ中へ四郎木村丸の巨躯が躍り込むと、巨大な斬馬刀と金棒が縦横に唸りを上げる。
一振りする度、数十の兵が跳ね飛ばされ、幾重にも築かれた幕府軍の防衛線が力任せに引き裂かれていく。
その隙を突き、朔村率いる黒備えの異形武者達が、血煙を上げ数多の陣列を喰い破っていった。
混戦の遥か奥、小高い丘の上に、三つ葉の意匠を刻む巨大な金扇が見えた。
「アレだ!大御所•家吉の本陣だ〜ッ!!」
朔村の咆哮が、黒き嘴の奥から戦場を震わせる。
「家吉!その首、貰い受ける!!」
朔村率いる軍勢が、本陣前の幕府軍へと喰い込む。
「大御所様をお守りせよ!」
幾重にも築かれた防衛線が崩れようとも、本陣を守る旗本衆が一斉に立ちはだかった。
だが、朔村の進撃は止まらず、旗本衆は次々と槍に呑み込まれていく。
「大御所様〜ッ!」
それでも数多の兵が、家吉を守るべく殺到する。
「邪魔だ〜ッ!!」
朔村は槍を振るい、一直線に家吉へと迫った。
「……ッ!!」
流石の家吉も、一歩、二歩と後退し、朔村はその姿を見据え、槍を握り直した。
その時だった。
「待て!」
横合いから、一人の武将が割って入った。
「……朔村。」
男がその名を呼ぶと、朔村は男の声に僅かな反応を見せた。
「…………兄上か。」
霧田矗之は弟を見据え、刀を抜いた。
「……やはり違う!」
「何がだ?」
「貴様は、俺の知る弟ではない!何者だ!?」
朔村は無言のまま、人とは思えぬ氣配を纏い、ゆっくりと槍の穂先を矗之へと向けた。
「さあな……。だが、コレだけは言える。貴様の知る弟は、もう顕界のどこにもおらぬ。」
妖しく光る朔村の目に、矗之の表情が凍り付く。
兄と呼ばれた者と、兄の知る弟ではなくなった者……。
二人の死闘は、瞬く間に周囲を置き去りにし、幾合か討ち合った末、朔村の槍が矗之の刀を弾き飛ばしていた。
されど、その間隙を縫って旗本衆が動く。
「大御所様!今のうちに、お下がり下され!」
家吉は促されるまま、本陣後方へと退くが……。
「逃さん!!」
朔村は槍の穂先を矗之ではなく、退避する家吉に向けて構えた。
「その命!ココに置いて行け〜ッ!!」
朔村が全身の力を槍に乗せ投げ放つと、槍は唸りを上げ、風を裂き、退く家吉の背へと迫った。
「!!?」
されど、槍は虚空に弾かれ、旋回しながら地へと突き刺さった。
「お主、あの鴉の使魔じゃな?」
戦場の喧騒を押し退けるように、朔村の声が響く。
「貴様は……朧沙門!!?」
朧沙門は煙管を咥えて不敵に笑うと、地に突き刺さった槍を一瞥した。
朔村の意識が逸れた刹那、旗本衆は家吉を本陣の奥へと退かせた。
「待て、家吉!!」
朔村が追おうとするも……。
「押し返せ!!」
幕府軍の号令が轟き、乱れていた戦列が瞬く間に組み直され、二十五万の大軍が再び大境側を押し返しにかかった。
朔村、四郎木村丸等が率いる異形の兵達は、血煙の中、尚も激しく抗うも、大境側は十万余……。
しかも、先の和議によって大境城は、外郭の守りを悉く失っていた。
「大境城へ戻るな!!押し返せ!!」
諸将の怒号が飛び交う中、大境側は尚も踏みとどまった。
されど、幕府軍は数にものを言わせ、左右から戦列を広げながら、大境城を包囲していった。
そして……。
かつて難攻不落と謳われた大境城の城門は破られ、幕府軍が一気に城内へと雪崩れ込んだ。
「本丸へ進め!!」
鬨の声が城内へ轟き、幕府軍の先鋒が次々と本丸へ押し寄せていく。
「何じゃと……城門が?」
「はい……既に二の丸まで、敵兵が入り込んでおります!」
本丸御殿にいた紗々は、しばし言葉を失った。
遠くから響く鬨の声が、本丸内の空気を震わせる。
ふと傍らへ目を向ければ、徳幽は何も言わず、燃え始めた大境城に黄金の双眸を向けていた。
「申し上げます!」
そこへ、新たな報せを携えた兵が駆け込む。
「幕府より、降伏の申し入れで御座います!!」
「……降伏じゃと!?」
「徳幽様をお引き渡し頂ければ、他の照羽家の者には手出しせぬと……。」
紗々の顔から血の気が引き、口元には歪んだ笑みが浮かんでいた。
「……ホホホホッ。秋には城を裸にさせ、此度は徳幽まで差し出せと申すか。」
紗々は徳幽の傍らへ歩み寄ると、その身を守るように強く抱き寄せた。
「徳幽は照羽の嫡子じゃ。幕府に渡してなるものか!!」
だが、その言葉を掻き消すように、外では激しく大砲の轟音が鳴り響き、襖が大きく震え、天井から細かな塵が舞い落ちた。
しかも、轟音と重なるように幕府軍の鬨の声が、刻一刻と本丸へと迫ってくる。
「申し上げます!本丸へ敵兵が迫っております!!」
「大境が落ちれば、照羽家も終わる。ならば……。」
紗々は燃え上がる城楼へと目を向けた。
「妾は最後まで、ココに残る。」
徳幽は何も言わず、燃え盛る大境城を見つめたまま、小さく頷いた。
城の各所からは黒煙が立ち昇り、火の手が櫓を呑み込み、やがて本丸御殿へと燃え移っていった。
ほどなくして、幕府軍が本丸へと雪崩れ込む。
最後まで天守に翻っていた照羽家の旗印は、ゆっくりと炎の中へと落ちていった。
景長二十年(西暦1615年)三月、大境城陥落。照羽家滅亡。
天下を二分した大境春の陣は、幕府の勝利によって終結し、長きに渡り続いた戦国の世は、ココに終わりを告げた。
照羽家嫡子•徳幽と、その母•紗々は"大境城天守にて灰燼に帰す"と、幕府の公記には刻まれていた。
されど、幕府の公記の裏側で、炎に呑み込まれゆく大境城の周囲には、人ならざる影があった。
朔村は、燃え落ちる大境城を無言で見つめ……。
四郎木村丸は、幾多の傷をその身に刻みながらも、悠然と戦場を後にし……。
闇散は、抱えた黒兎の頭を撫でながら、つまらなそうに溜息を吐いた。
「あ〜あ。もうちょっと、掻き乱してくれると思ったのに……。」
「……相変わらず悪趣味じゃのう。小娘モドキ。」
「あら……。でも、貴方ほどじゃないわよ。朧沙門。」
闇散の笑い声は、燃え盛る大境城を背に、夜風の中へ溶けていく。
「でもね……。」
無邪氣な笑みを浮かべる闇散を前に、朧沙門は口元を僅かに歪ませた。
「ココからが、妖幻の世よ。」
泰平の世が訪れる陰で、戦乱の世の地獄は終わりを告げた。
戦場を去る異形な者達は、各々の思惑を胸に、再び闇の中へと消えていった。
人の世に泰平が訪れるその陰で、妖幻の世も静かに幕を開けようとしていた……。




