負けた記録
負けた翌日。
カイは賭約院へ行かなかった。
学校からそのまま家へ戻り、父の店を手伝う。
棚から修理待ちの魔道具を下ろし、依頼票と番号を合わせる。
小さな携帯灯。
温度調整具。
古い通信用の端末。
いつもと同じ仕事だった。
「今日は行かないのか?」
作業台の向こうから父が聞いた。
「行かない」
「昨日は負けたんだったか」
「うん」
「それで?」
「記録を見たい」
父は少しだけカイを見る。
「負けた記録を?」
「勝った時より、分からないことが多いから」
父はそれ以上聞かなかった。
店の仕事が一段落すると、カイは机の端に昨日の正式記録を広げた。
五ラウンド。
箱の配置。
自分が確認した箱。
選択した箱。
得点。
リグの選択。
起きたことは、全部残っている。
けれど。
第一ラウンド。
リグが中央の箱を確認したあと、右を見た。
カイはそれを見て選び、正点を取った。
記録には、リグがどこを見たかまでは残っている。
だが、それが何を意味していたのかは書かれていない。
カイは自分の紙に書き足した。
『視線に意味があると思った』
第二ラウンド。
『まだ判断していない』
第三ラウンド。
『視線を避けた』
結果は負点。
第四ラウンド。
『視線を見ることを意識していた』
第五ラウンド。
リグはどこも見なかった。
カイは、それすら情報として扱った。
そして負けた。
そこまで書いて、カイの手が止まる。
「……最初か」
一番最初。
一度だけうまくいった。
それだけで、
次から同じものを探し始めていた。
リグが何をしたかではない。
自分が何を見ようとしたかが変わっていた。
「面白い顔してるな」
父の声に、カイが顔を上げる。
「どんな顔?」
「壊れた魔道具見てる時の俺みたいな顔」
父は手元の小型魔道具を持ち上げた。
「動かないからって、最初に魔石を替えた」
「うん」
「それで直ったら、次も魔石を疑いたくなる」
「でも違うこともある?」
「もちろん」
父は裏蓋を開ける。
「こいつは導線だ」
細い線の一本が、端子の近くで切れていた。
「同じ症状でも原因は違う」
「じゃあ、何を見るの?」
「一個ずつ確かめる」
父は簡単に答えた。
カイは自分の記録へ視線を戻す。
一個ずつ。
リグの視線。
箱の位置。
確認した箱。
自分の選択。
その時点で知っていたこと。
それぞれを分けて考える。
第一ラウンドで視線を見た。
そして勝った。
それは事実。
視線に意味があった。
これは推測。
第三ラウンドで視線を避けた。
そして負けた。
これも事実。
リグが自分を誘導した。
これは推測。
カイは紙に線を引いた。
左に『記録』。
右に『自分の考え』。
同じ出来事を、二つに分けて書いていく。
しばらくして父が覗き込んだ。
「増えたな」
「何が?」
「紙」
「分けた方が分かりやすかった」
「そうか」
父は興味を失ったように作業へ戻る。
カイはもう一度、最初から読み返した。
勝った初戦の記録も持ってくる。
二つを並べる。
勝った記録では、
自分の判断が正しかったように見える場所が多い。
負けた記録では、
結果と考えがずれている場所が目立つ。
でも。
勝ったから正しいわけではない。
負けたから全部間違っているわけでもない。
「結果だけじゃ足りないんだ」
小さく呟いた。
その日の夜。
カイは二枚の記録を机に残した。
勝った記録。
負けた記録。
どちらも同じくらい必要だった。
むしろ今は、
負けた方をもう少し見ていたかった。
次に勝つ方法は、まだ分からない。
リグの視線に本当に癖があったのかも分からない。
ただ一つ。
自分が何を見て、
そこから何を決めたのか。
それを分けて残せることだけは分かった。
【今回の補足】
今回は新しい勝負はありません。
カイが見直しているのは、第3話の「三箱選択」の正式記録です。
賭約院の記録には、
箱の配置や選択、得点など、実際に起きたことが残ります。
一方で、
「相手の視線には意味があると思った」
「これは誘導だと思った」
といった本人の推測までは、正式記録には入りません。
そこで今回はカイ自身が、
「実際に記録されていること」
「その時、自分がそう考えたこと」
を分けて書いています。
たとえば、
「リグが右を見た」は観察できた事実。
「右を見ることで誘導しようとした」は推測。
似ていますが、この二つは同じではありません。
勝敗だけを見るより、
こうして分けて見た方が、自分がどこで判断したのかを追いやすくなります。
カイにとって今回は、
負けた理由を一つに決める回ではなく、
まず記録と自分の考えを分けて見る回になっています。




