第21話 閉店した店に、迎えが来る
朝から「なし」を三度確認した。
昨日の夕方、女子大小路本会議第二回の表示を、名称確認ログへ変更した。会議ではなく記録。次回はなし。今朝もそのままだった。私は画面を更新し、別の画面へ移り、戻ってきてもう一度見た。なしである。大変よろしい。これで安心して閉じればいいのだが、三度目には、この更新操作が出席確認になっていないか気になってきた。
会社にいた頃も、障害が直った後の画面をなかなか閉じられなかった。正常になったものを眺めているうちに、正常な表示の細部がおかしく見え始める。結局、隣の人間に「これ、普通ですよね」と聞くことになる。普通の確認に二人使う。あまり効率のよい仕事ではない。
今日は隣に誰もいないので、自分で閉じた。
コーヒーに湯を足していると、スマホが震えた。白河さんからだった。
瀬戸口さん。
保管している紙片に、今朝、新しい文字が見えました。
「帰宅確認未了 三」と読めます。
受付台などに新しい表示は出ていません。紙片は保管袋の中です。
添付された写真を開く。透明な袋の中に、古い封筒と領収書、それより小さな紙片が並んでいた。名駅西、預かり返し、女子大小路筋。先日見た三つの記載の下に、薄い罫線が一本あり、そのすぐ上へ新しい文字が収まっている。
私は前の写真を横に出した。紙の右下に、欠けた歯のような裂け目がある。罫線の左端には茶色い染み。同じ紙だった。ただ、前の写真では、その部分は空白にしか見えない。
同じ向きで、もう一枚お願いします。
袋から出さなくて結構です。文字の部分と、紙全体が写るものを一枚ずつ。
返ってきた写真でも、文字は同じだった。袋の照り返しが動いても、三という字は残っている。
帰宅の確認が終わっていないものが、三つある。
白河家の名簿には、少なくとも三か所の剥がし跡があった。数字は合う。合うが、それだけで同じものにすると後が面倒になる。紙が三枚なのか、名前が三つなのか、一枚に何人分も書いてあったのか。私はまだ、剥がされた紙を見ていない。
確認しました。
剥がし跡との対応は、まだ分かりません。
紙片はそのまま保管してください。こちらでは、前の写真と今朝の写真を分けて残します。
返信し、比較用の画像を一枚に並べた。廊下の複合機へ印刷を送る。自分で印刷を指示したのは久しぶりな気がした。いつも勝手に出てくるので、こちらから頼むと、少し借りを作ったようで落ち着かない。
出てきた紙は、指示した通りのものだった。余計な備考もない。私はそれを取り上げたところで、階段の方から呼ばれた。
「瀬戸口さん、いる?」
真島珠子さんだった。手すりから手を離し、息を整えている。薄紫に染めた短い髪が、額のところだけ湿っていた。少し後ろに榊原さんがいて、珠子さんの手から小さな布の鞄を受け取っていた。
「います。どうしました」
「お店の前に、女の子が立ってるの」
「お客さんですか」
「それが、分からなくて」
私は事務所へ二人を通した。珠子さんは椅子に座ったものの、鞄を膝へ戻すと、すぐに立ちかけた。
「予約は入っていないのよ」
「確認しましたか」
「閉店のお知らせも、ちゃんと出てる。水滴もない。椅子も動いてないわ」
「では、店の中ではなく」
「外。真珠の扉の横にいるの。声をかけたら、迎えを待っています、って」
「どなたのお迎えかは」
「聞いても、そっちを見たままで」
珠子さんは階段の方を見た。ここから店先が見えるはずはない。それでも、下に置いてきた人を気にしていることは分かった。
私は机の下から靴を引き寄せた。
「見に行きます」
「悪いわね」
「一階ですから」
靴のかかとを踏みかけ、指を入れて直した。立ち上がってから、机に置いた比較写真を取りに戻る。現地が遠ければ、まず資料を揃えてから、と言うところだった。一階なら先に靴を履く。私の調査手順は階数に左右される。
紙をクリップボードに挟んでいると、榊原さんが鍵束を持ち直した。
「私も、今朝初めて見ました」
「昨日はいませんでしたか」
「昨日は、あの場所には」
榊原さんはそこで言葉を切った。知っていることだけを答えたらしかった。
私は鞄にスマホを入れ、紙を持って階段へ出た。珠子さんは、上がってきた時より速く降りていった。
昼前の一階は、掃除の時間だった。
小料理屋の戸が開き、店の人が暖簾を抱えて外へ出てくる。路地では配送の台車が、ごろごろと継ぎ目を越えていた。夜なら酒と煙草の匂いが溜まる辺りに、今日は床を拭いた洗剤の匂いがある。私は壁に寄って台車を通し、それから真珠の方を見た。
女が一人、立っていた。
若い。二十歳になるかならないか、そのくらいに見える。薄い上着の袖が手の甲にかかり、肩から下げた鞄を、身体の前へ寄せていた。顔には日除けの影が落ちている。すぐ脇の床には光が当たっているのに、靴の先だけ、暗がりから出てこない。
閉店の貼り紙は剥がされていなかった。角の一枚だけ色の違うテープも、以前のままだった。
「こんにちは」
私が言うと、女はこちらを見た。
目が合った、と思った。けれど何色の目だったかを確かめようとすると、眉から下が店のガラスに映ったもののように頼りなくなる。地下で見た卒業式の客たちも、こんなふうに輪郭が曖昧だった。ただ、あの時は五人いて、暗かった。今の一人と同じかどうか、顔を見ただけでは分からない。
「こちらで、どなたかとお約束ですか」
「迎えを待っています」
「ここへ来ると、おっしゃっていましたか」
女は返事をせず、私の肩越しへ視線を戻した。
真珠の入口ではない。隣のバーの、奥へ続く方を見ている。通りを走るタクシーにも、こちらへ近づく台車にも目を向けなかった。
「榊原さん、あちらは」
「昔、地下へ降りる階段があった方です。今は外から入れません」
榊原さんが声を落とした。真珠が地下にあった頃の入口。先日、私たちが降りたのは、一階の店の奥にある細い扉からだった。
女の目の先には、扉がない。
待ち合わせ場所を間違えた人なら、入口を探して歩くだろう。彼女は、壁になったところの前で、半歩だけ場所を空けて立っていた。そこから誰かが出てくるのを待っているようにも見えた。
「中に椅子があるけど、座る?」
珠子さんが尋ねた。
女は閉店の貼り紙を見た。それから、小さく首を横に振った。
珠子さんは鍵を出しかけて、やめた。鞄の内側へ戻す際、金具が鳴った。女の右手が動いたのは、その時だった。
左の袖口をつまみ、内側へ折る。少し歪んだ折り目を、親指でならす。一度離し、またつまむ。
珠子さんの手が、鞄の中で止まった。
「……あんた」
女は袖から顔を上げた。
珠子さんが一歩近づいた。私は、手元の紙が擦れる音を聞いた。風ではなかった。クリップに挟まれた紙の、印刷していない下端へ、黒い縦線が二本浮かんでいた。
「ゆ……」
線の間に文字が出た。
点呼
応答待ち
「待ってください」
珠子さんが私を見た。
私は紙を裏返し、クリップボードごと身体の脇へ下げた。女は、さっきよりこちらを向いていた。口がわずかに開いている。
「すみません。今は、名前を呼ぶのを待ってください」
「呼んじゃいけないの?」
「この紙に、点呼と出ました」
珠子さんが見ようとしたので、女から離れたところで紙の下端だけを示した。プリンタから取った時には、なかった文字だ。今朝の紙片を写した画像ではなく、その外側の、白い余白に出ている。
珠子さんは唇を結んだ。榊原さんが、私と女の間へ静かに立った。
「何が返事を拾うのか、まだ分かりません。あの人に呼びかけたつもりで、別のところへ返事が行くのは避けたいです」
私の言葉を聞きながら、珠子さんは鞄の口を閉じた。金具がうまく噛まず、もう一度押した。
「知っている方に似ていますか」
「袖をね、待ってる時に、ああやって折る子がいたの」
珠子さんは女を見た。顔を見ようとしているのに、目が袖口へ戻ってしまうようだった。
「顔は、よく分からないんだけど」
「写真はありますか」
「家に。探せばあると思う」
私は頷いた。その場で、誰に似ているのかを最後まで言ってもらう気にはなれなかった。
女は再び、バーの奥へ目を向けていた。折った袖が、手首まで落ちている。珠子さんは声をかけず、自分の袖を指で押さえた。
榊原さんに店を開けてもらい、私は入口から中を確認した。カウンターは乾いている。伏せたグラス、収められた椅子、奥の棚。地下へ通じる細い扉も閉じていた。
スマホで閉店のお知らせを開く。予約を受けるための入力欄はない。管理画面の新規予約もゼロだった。
背後で、女が靴を擦った。店の鍵が開いても、中へは来ない。こちらでまた営業が始まると思って立っているわけではなさそうだった。
「前と同じではないんですね」
榊原さんが言った。
「少なくとも、予約は戻っていません」
「では、店を開ける必要は」
「ないと思います。本人も入りたがっていませんし」
私は店を出た。榊原さんが戸を閉めると、女は貼り紙を一度見てから、壁の方を向き直った。
その様子を珠子さんがずっと見ていた。
スマホが震えた。
白河さんからの着信だった。名前の出ている画面を確認してから、私は電話に出た。
「瀬戸口です」
「いま、お話しできますか」
「はい」
「従業員用の通路が、おかしくなっています。裏口へ向かった者が、同じ扉へ戻ってきます」
私は店先から、通りの明るい方へ数歩出た。
「戻ってきた方は、今どこにいますか」
「こちらにいます。それ以上は通らないよう止めました」
「ほかに通路の中に人は」
「今、確認しています。出入口に一人ずつ立ってもらっています」
「分かりました。そちらへ行きます」
通話を切り、榊原さんに事情を伝えた。彼女は鍵束をしまい、真珠の隣へ場所を移した。
「私はここにいます」
「勝手に連れていこうとする人が来たら、知らせてください」
「はい」
「珠子さんも、名前で呼ぶのは、ひとまず」
「分かったわ」
珠子さんの返事は小さかった。頼みたいことはほかにもあったが、重ねて注意を言うのはやめた。
私は広小路の方へ歩き出した。紙を鞄へしまおうとして、下端を確かめる。
応答待ち。
文字は増えていなかった。
ホテルの正面では、客が大きなスーツケースの持ち手を引き出していた。
片方だけ上がらないらしく、連れの人と交替して引いている。ベル係が近づくと、持ち手はあっさり上がった。さっきまで上がらなかったのに、と客が笑った。私はその脇を通ってロビーへ入り、白河さんを呼んでもらった。
案内台には普通の館内案内がある。傍聴席も名称整理会もない。
白河さんはロビーの奥から来た。手に持った小さなメモには、時刻と人数が何行か書いてあった。最後の行だけ、文字が罫線を越えている。
「こちらです」
白河さんに案内され、従業員用の扉を通った。絨毯が途切れ、靴音が硬くなる。壁には掲示物があり、台車が一台、通行を妨げない位置へ寄せられていた。
通路の手前に、私服へ着替えた女性が立っていた。白い運動靴を履き、畳んだ制服の袋を腕にかけている。白河さんが事情を説明すると、その人は困ったように笑った。
「帰るところだったんです。あちらへ行ったつもりが、白河さんの後ろに出てしまって」
「途中で引き返した感じは、ありませんでしたか」
「ずっと歩いてました。曲がるところも、いつもと同じで」
言いながら、女性は通路の先を見た。もう一度歩けば証明できる、と考えかけたように、足が動く。
「もう試さなくて大丈夫です」
私が言うと、足が止まった。
白河さんはメモを見た。
「戻ってこられるまで、二十秒ほどでした。裏口までは、その時間では着きません」
「設備の方は」
「確認をお願いしています。今のところ、扉も照明も故障はありません。ただ、表示が」
白河さんが、曲がり角の壁を示した。
本来の案内板の下に、灰色の矢印が出ている。紙は貼られていない。壁そのものの擦れが、文字の形になっていた。
帰寮はこちら
私はその場で、以前保存した池田公園の記録を開いた。配達員の黒川さんが送ってきた画像。十九時を過ぎると配達先が旧女子大の寮監室に変わった、あの件である。
壁の矢印を目でたどる。曲がり角の向こうにも薄い文字があり、最後までは読めない。私は近づかず、白河さんに撮影済みの写真を見せてもらった。
門限後の荷物は必ず寮監へ。本人受取不可。
黒川さんのアプリに出た文面と同じだった。
女性が、制服の入った袋を持ち直した。私はその袋を見て、すぐに目を戻した。服を持って帰るだけの人を、荷物ごと昔の寮へ案内する。何がどこまで対応しているのか分からないが、本人が帰りたい場所とは違う。
「旧学生寮の表示と一致します。ここを何度も通って確かめるのは、やめましょう」
「はい。帰宅する者は、正面へ回せます」
「客用の通路を通るんですか」
「責任者には話しました。搬出入も、当面は別の経路を使います」
私は通路の入口を写真に残し、迂回する経路を白河さんと確認した。曲がり角の先へ足を入れずに済む道がある。そこに立つ係の人へ、壁の矢印ではなく、今説明した方へ案内してほしいと伝えた。
白河さんは私服の女性と一緒にロビーへ出た。私も少し離れてついていく。
自動ドアが開く。女性は外へ出て、こちらを振り返った。
「帰れました」
白河さんが頭を下げた。
「お疲れさまでした」
「お先に失礼します」
女性は袋を肩にかけ直し、駅の方へ歩いていった。信号待ちの人に混じる。青になり、通りの向こうへ渡った。私は、同じ扉から戻ってこないことを確かめてから、スマホに時刻を入れた。
白河さんもメモへ書き込んだ。
「どうぞ、お帰りください、と言うのに迷いました」
「裏の表示があれでは、迷いますよね」
「はい。いつもの挨拶なのですが」
彼女はメモを閉じた。胸元へ戻そうとして、もう一度開き、書き漏らした何かを足した。
私も通路のことを考えた。今の人は帰れた。だが、壁の矢印は消えていない。別の入口を使っただけで、あちらがどこへつながろうとしているのかは、まだ分からない。
「今朝の紙片を、見せてもらえますか」
白河さんは頷いた。
保管袋は、客の出入りしない事務室に置かれていた。机を借り、私は持ってきた比較写真を横へ並べた。古い紙片には、朝の写真と同じ「帰宅確認未了 三」がある。
印刷した方に出た点呼の文字を、白河さんに見せた。
「真珠の前に、人が立っています。若い女性です。珠子さんが名前を呼びかけたところで、これが出ました」
「こちらには、ありませんね」
白河さんは袋の上から紙片を確かめた。原物にあるのは帰宅確認未了の記載だけで、点呼は比較写真の余白に出ている。
私は、その違いも記録した。紙片そのものが新しい名簿になったのか、あの場所へ持っていった写しが返事を集めようとしたのか。今の段階でまとめてしまうと、区別がつかなくなる。
「その方は、どなたのお迎えを待っているのでしょう」
「それが分かりません。入口ではなく、昔の地下へ降りる方を見ています」
「真珠へ入るためではない」
「店を開けても入りませんでした」
白河さんは古い紙片から目を上げた。
「こちらでも、家に残る記録を確かめます。どこへ帰るのかが、何か分かるかもしれません」
「お願いします。ただ、行き先を決めるのは、その人のことが分かってからにしましょう」
「はい」
私は袋には触れず、紙を鞄へ戻した。
受付台に別の案内が出たわけではない。外兎から、またメニューが増えたという連絡も来ていない。昨日までの対応は残っている。その一方で、保管した紙には帰宅を確かめる文字があり、従業員用通路には帰り道の矢印がある。
私は紙片の写真を見直した。三という字の横に、誰の名前も見えない。
「点呼待ちの紙は、客のいる場所では広げないようにします。通路に変化があったら、写真より先に人の確認をお願いします」
「承知しました。瀬戸口さんも、お一人では通らないでください」
「通りません」
これは即答できた。
ここまで来て知らない寮へ回されるのは困る。私はホテルに泊まる金も惜しむが、知らない寮に住む覚悟は、もっとない。
白河さんは私を来た時と同じ扉へ案内した。廊下の突き当たりまで見届けてくれたので、私はロビーへ出たところで振り返り、片手を上げた。
事務所へ戻る前に、真珠の店先へ寄った。
女は同じところにいた。日の角度が変わり、足元まで明るくなっている。それでも靴の輪郭はぼやけたままだった。榊原さんは少し離れた位置で、小料理屋の人と話していた。通路を空けておいてもらっているらしい。
珠子さんは鞄を肩にかけていた。
「写真を探してくるわ」
「お願いします」
「昔のが、何冊かあるの。日付を書いてないのもあるから、すぐには分からないかもしれないけど」
「そのまま持ってきてください。こちらで一緒に見ます」
珠子さんは頷き、女を見た。
女は袖口を折っていた。珠子さんの目が、またそこに止まる。今度は名前を呼ばなかった。
「ちょっと、家へ行ってくるからね」
女が顔を上げた。
珠子さんの顔を見たかどうか、私には分からなかった。ただ、右手は袖をつまんだまま止まっていた。
珠子さんは鞄の紐を握り直した。路地へ出るまでに一度だけ振り向き、それから歩いていった。
私は榊原さんにホテルの状況を伝えた。榊原さんは聞き終えると、女から見える場所に立ったまま、鍵束の輪を指へ掛け直した。
「この方は、ここを動いていません」
「そうですか」
「でも、ときどき奥へ入る人を避けます。誰も通っていないところを」
私は壁になった場所を見た。女の肩と壁の間には、人が一人通れる隙間が空けてある。
「何か来たら、呼んでください。電話でも、階段からでも」
「瀬戸口さんは上に?」
「います。資料を確認します」
女の前では、紙を出さなかった。
迎えを待っている。その言葉以外、本人からはほとんど何も聞けていない。似ているというだけで名前を決めるわけにも、店が閉まっているから帰れと言うわけにもいかなかった。
階段を上がる途中で、あの左の袖口を思い出した。珠子さんが、鍵を鞄へ戻せなくなった時の手つきも残っていた。
事務所に入ると、黒電話が鳴った。
流しの横の棚に置かれた、線のつながっていない電話だった。受話器は、最初に置いた通りに載っている。私は扉のところで足を止めた。
りりりりん。
間を置き、また鳴る。
あの電話には二度出ている。ログ語りは、出席が三回続くと在籍になると言った。二度目は閉店を見たという連絡だったが、それが何に数えられているのか、私には分からない。
確かめるために受話器を取るつもりはなかった。
棚から離れた方へ鞄を置き、比較写真を取り出した。点呼、応答待ち。余白の文字は変わっていない。私はそれを机に伏せず、他の紙から離して置いた。誰の名前も書き足さない。
パソコンでは、名称確認ログが昨日の状態を保っていた。次回なし。真珠の予約もゼロ。
私は作業用の記録を開き、店先で見た女性一名、氏名未確認、と入力した。袖口を折る仕草、珠子さんの反応、点呼の表示が出た時刻。続いて、ホテルの通路で起きたことと、迂回して帰宅できた人のことを書く。
紙片の三件と女性一名は、別の行に置いた。
スマホにメッセージが届いた。
珠子さんだった。
由香のアルバムがありました。
明日の朝、持っていってもいいかしら。
私はその名前を見た。
以前、四〇四号室で見つかった、珠子さんの妹の名前。渡したメッセージの写しを、珠子さんは両手で受け取って帰った。私はその後の由香さんについて、何も聞いていない。
目を上げると、窓の外に向かいのビルの壁があった。ここから一階の店先は見えない。
私は九時に事務所で待っていると返信した。黒電話は、まだ鳴っている。
受話器には触れず、机の上の紙を端へ寄せた。アルバムを広げられるくらいの場所を空け、手についた埃を払った。




