第7話 ギルドマスター
足元が僅かに隆起したかと思えば、無数の根が周囲へ広がっていった。
銀の大地の更に下、地の底から現れたゴルゴーンの根蛇は襲い来る海賊達へ次々と飛びつき、絡みつき、首元へ噛みついていく。
「あ゛、が?! ――――」
呻きと共に身体が石化したみたいに動かなくなる海賊。
振り上げた武器も、銀の大地へ踏み込もうとした足も、恐怖に引き攣った顔も、ただ硬直した。
姿勢の悪かった者はそのまま転ぶ。
そうでない者はただ立ち尽くし。
残った者は、狂乱からかろうじて回復出来た者は、ただ悲鳴をあげて砂浜から逃げ出していく。
数名が森の中へと逃げ込めば、根蛇は群れ為してそれを追い、物陰から幾つもの悲鳴をあげさせる。
「チぃ……!!」
ただこの物量攻撃も、あの老爺は素早く動いて回避していた。
地面から伸びてくる根蛇を切り払い、私へ向けて火球を放り投げてくる。
スキル【夜闇に佇む灰の宿】。
再び私の周囲を包み込んだ灰の木が、起爆して撒き散らされた炎に小動もせず佇んでくれる。
トネリコの守り。
そう呼ばれていたことを思い出す。
どれだけ凄いのか、全く見当は付かないけど。
視線を流し、ユグナレアを確認した。
「っ、っっ、まだ……くそ!」
彼は限界そうだった。
合流した時点で重症。
そこに負傷を重ねて、契約の直前なんてあの異形の腕で思いっきり斬られていた。未だに立ち上がり続けていることの方がすごいよ……。
挙句に無理をした右足が血塗れになっていた。
これ以上、彼を戦わせるのは。
ぼたりと足元へ落ちる血を無視して、戦う為の力へ手を伸ばそうとした。
その指先は震えている。
だけど、と。
ぼやけそうになっていた意識へ、彼の声が来た。
「ミクリ姐さん……ッッ、ギルドマスター!!」
思わぬ呼び掛けに思考が空白を生む。
埋めるように、ユグナレアは言葉を続けた。
根蛇に追い回されている老爺は、徐々に態勢を立て直しつつあるけど。
「ギルドは一心同体!! そりゃあ!! いろんなギルドがありやすけどっ、俺達はそうやって先代の元へ集ったんっス!! 情けない姿晒して心配かけちまいましたがっ、はぁっ、っ、一時的だろうと無理矢理引っ張り込んだ以上ッ、最期まで一緒に戦ってみせますよ!! どこまでも!! 全力で!!」
身体のある一点が熱を持った。
それはドクンと鼓動し血潮を押し出して、私の身体中を熱くした。
指先が熱い。脚が、お腹が、胸いっぱいに熱がある。
王宮にだって戦友と呼べる人は居た。
けど、それぞれ別々に戦っていて、時折傷を舐め合うような付き合いで。
見送りもしてくれた。私が気付いていないだけで、感じてた以上に気にかけてくれてた人は居るのかもしれないけど。
真っ暗な倉庫の中、夜でもロウソク一つ使わず仕事を続けていた。
同じ夢を見ようと手を取ってくれた先生からは捨てられて、同僚からは笑われ、今はこうして命まで狙われて。
きっと。
ずっと。
欲しかった。
求め過ぎて、上っ面の言葉以上のものを考えようとしなかったから、あんなにもあっけなく騙された、向かい合えなかった私だけど。
だけど。
今、命を懸けたこの場所で、疑いようもないほど明白に同じ方向を見ている人が居る。
これが、ギルド。
これが、冒険者。
まだ自分の脚で一歩を踏み出せたのかどうかも分からない、ぶら下がり同然のギルドマスターだけど。
ユグナレアは支えにしていた剣を引き抜き、よろめきながらも陽光へ掲げてみせた。
「信じてくれ……!!」
その言葉に私は掴んでいた灰色の紙を放棄した。
制御出来るかどうかも分からない、試したこともない力よりも、今一番信頼出来る人へ託したい。
たった二日、交わした言葉はまだまだ足りない。
それでも、背中を預け合ったという確信はあった。
だったら!!
「分かったよユグナレアッ、援護するから!!」
新たに掴み取った灰色の紙を掲げる。
杖を回して、そこに書かれている文字を読み上げた。
「スキル【|冒険者の血と肉は酒で出来ている《ラーグロークの咆哮》】!! 効果はギルドメンバーの自然治癒力向上と能力の底上げ!! 遠慮なしにっ、最大出力で行くからね!!!!」
「あぁ……っ、ありったけを頼みまさァ!!」
紙面へ杖を叩きつけたと同時、光がユグナレアを包み込む。
それは月の無い夜へ浮かび上がる、青白い蛍火のようなもの。
孤独に地の底で佇み続けた、トネリコの灰木に蓄えられた力。
ギルドマスターを通してギルドメンバーへ捧げられる願いの結晶。
そのユグナレアが頭上へ掲げた幅広の剣に、熱せられた鉄のように紋様が浮かび上がる。
初めて見た時にもそれはあった。
けど、あんなにもはっきりと、強い熱を帯びてはいなかった。
そうして襲い来る根蛇を全て切り払った老爺が、ゆらりと振り返る。
戦いによって出来たものだろう、裂かれていた胸元に、銀色の光が煌めいた。
あれは、シルバーランク? それとも、真銀とも言われる――――
「………………………………あぁ、そうかい。そうなるかい。それじゃあよ」
オルドーのスキル宝珠が埋め込まれた左目を、老爺は見開いた。
光彩が何かに呑み込まれていく。
淀んだ黒が浮き出てきて、その内側から目が開いた。
およそ人のモノとは思えない、トカゲのような目だ。
「ありったけを見せてやる……!!」
愉しそうに哂って、老爺は全身を変容させた。
※ ※ ※
それは彼が最初に見せた、片腕の変化とは違っていた。
無骨な岩の肌、ただ太い骨が突き出たような爪、間接は柔軟さを失い、けれど肉体は重厚さを帯びた。
「…………岩竜。亜竜と呼ばれる一種っスけど、そんなモンにまで化けるとは驚いたよ、爺さん」
大きさは帆船の半分程度。
退化した小さな翼と、岩を噛み砕くのに適した平たい歯。
それでも巨体と威圧感だけでも相当なものだった。
大地に這う岩竜が地の底から響くような声を轟かせる。
『オレもここまでやるつもりは無かったさ。なにせ、やり過ぎるとテメエの心臓まで岩になっちまうからなァ……所詮人の身には余る力さ』
「どこでそんなの見付けたよ。アンタ、相当な冒険者だったんじゃねえのか」
『冒険噺が聞きたきゃ酒でも持ってきやがれ。オレぁオレのやりたいように生きてきた。このまま心まで岩竜になりきって、どこぞで化け物と言われて討伐される時が来るとしても、這い蹲ってでも冒険を辞めないねぇ』
「っは!! 先達のご教授に震えちまいそっスね!!」
『竜殺し……一族の汚名を雪ぐことに縛られたお前はまだ、冒険者には足りねえってことさ。ここでオレが悲願ごと踏み潰してやるよ。そんなテメエ《ら》、見続けるのは忍びねえからな』
「……だとしても俺は、この剣に懸けて果たしてえんスよ。そこに俺の自由意志がねえと、勝手に決めつけてんじゃねえ」
『航路の問題さ。毎度毎度、船は安全だ安定だっつって、決まりきった路を延々行き来し続ける。海はこんなに広いのによお……………………、まあ、果たしたその先にしかテメエだけの冒険が無いってんなら仕方ねえか』
「俺だけの冒険、っスか。あぁ、たしかにソイツは、この剣にも血にも影響されない日々ってのは、考えたこと無かったっスね……」
遠く、遠洋で鐘が鳴った。
入り江を封鎖しようと島の外で包囲していた海賊船が、ようやくこちらでの戦いに気付いたのかもしれない。
すでに浜辺の海賊はゴルゴーンの根蛇で無力化されている。
海賊船からこちらを見ている人も居るけど、むしろ味方である岩竜を怖れて近寄ってこない。
文字通り、ここでの戦いが島での勝敗を決定付ける。
そう、思って。
見守っていたけど。
大上段に剣を構えていたユグナレアが、ちらりとこちらを振り向いた。
目の前には岩竜。
けれど、どうして、と。
「っっ……!!」
思ったことを恥じた。
息を吸い、脇腹が今更になって痛み始めたのを堪えながら言い放つ。
「これはギルドマスター命令です!!」
杖を支えに、一緒に最期まで立ち続けると決めた。
「勝って!! ユグナレア!!」
「応さ!!」
掲げた剣が煌めく。
受けた陽光をそのまま取り込んでいくような、地上に第二の太陽が生まれたような、光と熱を帯びて。
咆哮をあげた岩竜が大地を揺らして突進してくる。
その瞬間……あぁ、この戦いは一瞬で終わるんだと確信した。
ユグナレアが更に剣を振りかぶる。
まるで光に重さがあるかのようによろめいて、下げた脚でどうにか耐える。
私は杖を構えてスキルを強めた。ありったけを。この過熱して焼き切れそうなくらいの想いを込めて、私を背負って立つ青年へ向けてトネリコの力を伝える。
ぐ。
と、震えていたユグナレアの足が、確かな支えを得たみたいに安定する。
「「っっ――――!!」」
息を吸う音が重なった。
いって。
おうさ。
声が無くとも聞こえて来た、彼の意志を最後の最後で押し放つみたいに。
一歩、踏み出したユグナレアが力の開放を叫ぶ。
「こいつは晴天の竜ッ、カーバンクルの剣!! 照らせ陽光!! 岩なんぞ呑み込んで切り裂いてみせろよ!!!!」
大上段より振り下ろされた剣が光を放つ。
その奔流はまっすぐ岩竜へと飛び、拮抗の間すら無く巨体をぶち割った。
挙句入り江に停泊していた豪華客船を掠め、島の一部を切り裂いて、海に二つに割りながら進んだその向こうで、沖に停泊していた海賊船の一隻を呑み込んで蒸発させた。
残されたのは、ガラス化した砂浜と、焼き斬られて赤熱する岩竜。
そして、
『……………………はぁ、若ぇのに乗せられて、ハシャぎ過ぎたかぁ……』
歴戦の冒険者の遺した、笑みを孕んだ最期の言葉だった。
※ ※ ※
見届けた。
勝った。
ユグナレアが。
私の仲間が。
敵を倒してくれた。
すごいね。
やったね。
そう、言いたかったけど、銀の大地に塗り替えられていた筈の足元は、もう随分と血で染まっちゃっていた。
スキルの効果でユグナレアの傷は癒えていくけど……残念ながらコレ、使い手であるギルドマスターは対象外みたいなんだよねぇ……。
説明読んでもそこはどうにもならないみたい。
あぁ、拙いな。
視界が傾ぐ。
急激に頭から血の気が引いていく。
興奮ですっかり忘れていた痛みが脇腹から広がって、泣きたくなるくらいだった。
そうして灰色の木も、周囲に広がっていた灰色の紙も、私の手にしていた杖へ張り付いて消えていくのを、ぼんやりと認識しながら。
倒れた意識は、そのまま砂浜を通り越して。
※ ※ ※
気付けば私は、真っ暗な、月の無い夜へ佇む灰色の樹の前へ立たされていた。




