第8話 冒険者の町
月の無い夜にその灰色の樹は佇んでいた。
私がスキルで呼び出した守りと比べても幾分大きい。
けど、大樹かと言われたらそこまででもなくて。
少しだけ盛り上がった銀色の大地に生えたその樹が、トネリコと呼ばれていたものなんだろうことはすぐに分かった。
水音がする。
この小島は水場に囲まれているから。
どこかへ流れ出していく、せせらぎを聞きながら私は空を眺めた。
雲一つないのに、星はあんなにも瞬いているのに、この夜空には月が見当たらない。
なんでだろう?
なんでか、こういう空を見上げたことがある気がする。
私は当たり前にその樹へと歩み寄って、指先で触れてみた。
そういえばお腹の傷がない。痛みだって。あのどうしようもない体調の悪さも感じない。
ただ、触れた指先が冷たかった。
トネリコの樹が冷たいんだ……。
冷え切っていて、葉の一枚もない。
次に命を繋ぐ為の実もなければ、落ち葉で大地を生み出すことさえしない。
こんな現実離れした夜へ逃げ込んで、自分の命を繋いでいるだけの状態でさ。
不意に視界がブレた。
違う景色が映り込む。
いや。
視点が違うだけなんだ。
そう思って膝を付くと、湧き上がってきた記憶と景色が重なった。
「やっぱり…………私はここを知ってる?」
今よりもっと小さい時に、この場所を訪れている。
手を伸ばした先には艶やかな樹肌と熱を失った幹。
「さむいよね」と、いつかの私が腕を回して、この樹を抱きしめていた。
記憶の中にある幼い私は、長い時間をそのままに過ごしていて、すっかり自分の体温も失って冷たくなった挙句、倒れてしまった。
それを支えてくれたのがお爺ちゃんだ。
『ありがとう、ミクリ。この子もきっと喜んでる。あぁ、そうだな。ありがとう』
そっか。
私はお爺ちゃんに会ったことがあるんだ。
両親がまだ生きていた頃。
私達があっちに行ったのか、お爺ちゃんがこっちに来たのかは分からないけど。
くしゃりと笑った顔のしわに、面影があった。
父が眼鏡を外して並んだなら、きっとそっくりで笑ってしまっただろう。
※ ※ ※
波音が聞こえた。
川のせせらぎとは違う。
寄せては返す、潮騒は。
眠り続けていた私をそっと揺さぶるように、ゆったりと、穏やかに、寄り添ってくれている。
目を開けて。
寝台に横たわっていた私は、覚えのない天井を眺めながら頬に風を受けた。
波音が聞こえる。
なら、コレは潮風か。
軽やかになびくカーテンも、その窓枠も、身体の沈み込む柔らかな寝台も、何一つ知らないものだったけど。
寝転がりながら見た青空と、波音と、潮の香りは故郷と同じだった。
もう戻ることは出来ないけれど。
「………………」
身を起こして寝台から脚を降ろす。
すぐ近くに水桶があった。
棚の上には不格好に巻かれた包帯と、塗り薬と思しき小瓶。
扉の向こうを誰かが駆け抜けていく。
名前を呼んだ。追いかける人が居て、また静かになる。
自然と手が脇腹へ触れていた。
撃たれた場所。
その時に感じた衝撃。
じわりじわりと命が落ちていく感覚。
すべてが溶け落ちて、意識を失った時の記憶。
すべてある。
だけど、それらを思い出すには時間が掛かって、鈍い頭は起きているのか寝ているのかはっきりしない。
起きろよ、と。
息を吸い込んで萎んだ脳を膨らませていく。
それで幾分はっきりしたら、ようやく触れていた脇腹へ包帯が巻かれていることに気付けた。
指先が、ピンと張られた包帯の感触を撫でて。
立ち上がった私は、壁に掛けられていた自分の上着を羽織ってドアノブへ手を掛けた。
同時に、反対側からノブが回って、押し込まれる。
空いた隙間から知った顔が出てきて一緒に固まった。
「あ…………」
「…………うス」
出会った時と変わらない恰好のユグナレアが、戸惑いながらも首を下げた。
会釈だ。
西大陸では見ることのない、友人や仕事場でも奇妙だと言われてきた、私が両親から受け取った仕草の一つ。
「目覚めて良かったっスよ。もう、半月以上も眠ったままだったんで」
※ ※ ※
棚上に乗った空の器から、まだ少し香辛料の匂いがした。
久しぶりに得た食事の満足感。
おかげで早くも手足に力が入るような気もしたけど、まずは様子を見させて下さいと言われたので、私は大人しく元の寝台へ戻っていた。
最初は何人かが戸口から様子を伺っていたんだけど、姐さんの体調を看てるからとユグナレアが閉めてしまった。
「……あの後っスか」
「うん。倒れるまでのことは大体覚えてるんだけど、いつの間にか船上でもなければ小島でもない、知らない土地に来てたから驚いちゃって」
「あ……すんません、気が回らないで。最初にそこ話すべきでしたね」
お腹も膨れた。
体調を看てくれる人は後から来るとして、この足元の浮付いた状態をなんとかしたい。
「まず、ミクリ姐さんが倒れた後で、海賊連中は撤退しました。主力の爺さんがやられて、船まで落とされて、まあ……姐さんのおかげで相手も相当怖気てたみたいっすからね」
「なにそれっ、私が怖いっていうの?」
「ははは。海賊連中曰く、クレセリアの魔女だそうっスからね」
彼らの神話に登場する、魂を刈り取って永遠の戦争へ送り込む怖い魔女なんだって。
失礼なっ。
「あぁただ、荷物についてもほぼ全て取り戻せています」
「えっ、そうなんだ?」
「それについては、俺達の後でやってきた、客船の船長の手柄っスね」
あの渋い船長、岩竜との決着には間に合わなかったけど、戻ってきてから大暴れしたらしい。
※ ※ ※
『ガルルルルルルゥアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!! オレの乗客に手を出すんじゃねえええええええ……!!!!』
※ ※ ※
なんでも船長、猫耳と猫尻尾を持つ獣族だったそうな。
正確にはウミネコらしいんだけど、怖気て逃げ出そうとする海賊を次々と叩きのめして、奪った物を取り返してくれたんだって。
「外から睨み効かせていた、海賊船が真っ先に逃げたおかげっスよ。流石に砲撃されてたら手も足も出ませんしね」
「あっ、そこはユグナレアの功績だね」
あの眩しい光でどばーッと、岩竜や島ごと沖の船をぶった切っていた。
あんなのを見せられたら、ゆったり包囲しているなんて不可能だ。
「いや。あれは姐さんのおかげっス」
「どうして?」
ユグナレアは、今も腰に下げているカーバンクルの剣へ視線を落とし、はにかみならが続けた。
「俺は単独じゃあの力を開放出来ないんス。先代の頃からそうで、ギルドマスターの力を借りてようやくってところで。まだまだ未熟者っスから」
それが卑屈さや諦めから語られているようだったなら、私はとにかく否定しようとしたかもしれない。
けど、彼の視線は前を向いているように感じられたから。
あの船内で見た時の、くだを巻いていた時とは違う気がする。
「ふふん。精進なさいっ」
「うス」
だから、これでいい。
そういう激励を彼も望んでいる気がした。
「あぁ、ただ……幾らか逃げ遅れた人も居まして…………大体は近くの港で引き渡したんスけど、一人……」
「うん?」
ユグナレアが棚へ目をやった。
目覚めた時に見た、棚上にあった包帯や薬は中に収納されている。
「ミクリ姐さんの元同僚、エルメリアって人は一応、こちらで身柄を抑えています。まあ、元々置き去りにされちまって、当人も途方に暮れてたもんで。送り返すにも金が掛かり過ぎるし」
あぁ、そっか。
ちゃんと生き残ってくれてたんだ。
「まだ契約前だったとはいえ、実質的にギルドを背負う立場にある姐さんを狙ったとするのなら、俺達はその報復に協力しやす。相手が貴族だろうと、国だろうと、ギルドは家族を守る為に戦いますから……」
「いいよ、別に。まだ契約前だったしね」
なんだかユグナレアが瞳の奥をギラ付かせてきたからちょっと身を退いたけど、私の中にはもう恨みとか怒りとかはない。
終わった話だよ。
故郷には……戻れないままだし、結局エルメリアも利用されて切り捨てられただけの、あの頃の私の代わりにされたんだしね。
「なら、自分で仕事を探させて、ある程度までは面倒を見る、ってことで?」
「うん…………それは、大丈夫かな?」
彼女、貴族の娘だし、いきなり働けって言われてどうなるか。
「その辺りは問題なさそうっスよ」
「そうなんだ?」
「えぇ」
詳しく聞いてみたい気もしたけど、それはまた後でいいか。
今は、全体を把握することが先かな。
「因みに海賊側が保有していた、姐さんをハメたと思しき異大陸の貴族との手紙とか、イロイロな証拠品なんかも抑えてあります。どうにも、海賊と組んで随分と儲けを出していたみたいでして……どうします?」
「手を出してくるなら札として使えばいい。けど……海賊行為を放置するのはなぁ」
「まあ、一部はあの猫耳船長が持ってったので、あっちが上手く転がしそうっスけどね。トドメを刺すなら好きにしろって、そういうのをウチに回してくれたんで」
「保留」
「うス」
なんならエルメリアへ手土産として渡してもいいけど、そうなるとまた船上で襲われかねないから、安易に扱うべきじゃないか。
海賊行為を止められるのなら、とりあえずそれ以上を私は望まない。
「海賊絡みは以上っス」
「うん。ならっ」
強い風が吹き込んできた。
カーテンがなびいて陽光が降りかかる。
扉前から聞こえる噂話にも多少の興味はあるけど、私は一番の好奇心に従い、問いを投げた。
伸ばしていた足を引き込み、胡坐をかいて。
ちょいと身体が前へ傾く。
「ユグナレア。ここは何処? 私は辿り着いたの?」
「っははははは!!」
私の顔があんまりにも子どもっぽかったからか、ユグナレアが肩を揺らして大笑いした。
そうして、詩の大一番を告げる吟遊詩人みたいに、敢えて溜めてみせた彼は港で響いた鐘と同時に破顔する。
「ようこそ姐さん!! ここは東の果てッ、冒険者の町アーゲタリア!! 未知へと挑む馬鹿共の最前線サぁ!!」
※ ※ ※
建物の裏口を抜ければ、町を一望する崖上へ出られた。
風は穏やかだ。
手すりの一つもない、危なっかしい場所だけど。
そういう場所を当たり前に踏破している冒険者の来る場所だから、誰も気にしないのかもしれない。
広い砂浜と、切り立った崖へ建物を押し込んだみたいな街並み。
殆どが階段か、キツい坂道のような場所だ。
浜辺には桟橋と、石造りの大きな停泊所の二つがある。
漁師の船と大型船とで停泊する場所を分けているんだろう。
ちょうど町から歩いてきた老人が、見習いらしい少年へ声を掛けて、何かを話し込み始めた。流石に崖上から内容までは聞き取れない。
ふっと意識を崖上へ戻すと、ユグナレアが少し先で振り返って脚を止めていた。
「ごめん、待たせちゃった」
「いえ。急ぐことでもないので」
けど後回しになっちゃったからなぁ、と私は彼に従って岬へ歩いていく。
進むほどに周囲の音は潮騒ばかりとなって、なんだか懐かしい気持ちで満たされた。
私が育った下町も、海が近かったから。
もしかしたら、このアーゲタリアで育った両親が、似た環境を求めてあの場所に根を張ったのかな、なんて思ったりもする。
まだまだ、分からないことだらけだ。
けどまずは。
「ここから先は、どうぞ」
ユグナレアに促され、私は手にしていた花束と水桶を少しだけ持ち上げ、そこへ歩いていった。
膝を付いて……これも奇妙と言われたけど、両親と当たり前にしていた、正座をする。
石に彫り込まれた名前には相変わらずピンと来ていないんだけどさ。
顔は、思い出したよ。
「お待たせしました。お爺ちゃん、お墓参りに来たよ」
手を合わせて、祈りを捧げる。
瞑目していたのは十秒か、二十秒か。
潮騒に包まれて顔を上げた私は、水桶から手拭いを引っ張り出して笑みを作る。
「さあっ、お掃除するよ!! ピッカピカにしてあげるからねえっ、お爺ちゃん!!」
これから先、自分がどういう決断をしていくのかはまるで分からない。
それでももう、あの狭い倉庫からは抜け出したから。
用意された未来へ飛びつくのも、ここから未知へ飛び出していくのも、あるいは友人と一緒に祖国へ帰って、改めて立ち向かうのだって……きっと挑戦ということに変わりはない。
でも、そうだね。
まずは掃除だ。
石を磨いて、埃や砂を取り除き、お花を活けて整える。
綺麗に整えてみると、今までより少しだけ余裕が出来て、視野は広がる。
そうしてまた、始めるんだ。
人生は旅をするように。
けど、立ち寄った道々を少しだけ綺麗にしていけたなら、きっと外から眺めている以上のものが、見えるのかもしれない。
― 完 ―
面白かったらブクマ、評価してってね☆




