第6話 トネリコの灰枝
船の縁から降りた時、つい音を立ててしまった。
慌て過ぎるな。
自戒を重ねつつ、たった一人でこちらを振り向いているエルメリアへ歩み寄っていく。
「あ……あら…………?」
顔が引き攣っていた。
そりゃあ、海からいきなり自分が殺そうとしていた相手が現れたら驚くよね。
ん? 殺してもいい、って言ってただけか。
けど今はそんな暇ないし、と私は履いたぞうり草から海水を飛び散らせつつ彼女へ詰め寄る
「や、やだ~、ミクリセンパイってば怖い顔~」
センパイ。
そうだね、アナタはあの執務室で唯一、私のことをそう呼んでいた。
いつもぽわぽわしてて、他の秘書がする目まぐるしい話題にも、ちょっと遅れて反応するような子だった。
「あのぉ、やっぱり怒ってる? だってぇ、お仕事だったから。エル初めて大きな仕事を任されたんですよぉ? だ、だから、そんな怒っちゃやあ~っ?」
「急いでるから」
エルメリアが肩に掛けていた、私のバッグを奪い取る。
「きゃっ!?」
「中身は捨ててない? 手紙があった筈なの」
「えー? そういうの、エル興味ないし……センパイのバッグ可愛いから欲しかっただけだもん」
言葉を聞き流しつつ中身を確認した。
よしっ!! 普段から整理してたおかげですぐ見付かった。手紙は、ある。灰色の紙にはここしばらくで何度も思い浮かべた内容がそのまま記されている。
あとは、と、その前に。
「エルメリアさん」
「……え? はーい、センパイ」
ふんわりした返答に、私は端的な言葉を返す。
思い込みもあるかもだけど、彼女は知っておいていいと思うから。
「アナタ、捨て石にされてるかも知れない。いくら繋がりがあるからって、貴族の娘がたった一人で海賊船へ乗り込むなんてありえないよ。先生達は何て言ってたの?」
今、ユグナレアは苦戦を強いられている。
どっちかと言えばそちらの方が優先だ。
けど、見捨ててもいられなかった。
「えっとぉ、あの人達は~、エルは見届け役だから、乗って行ってくれればいいよって? 海賊さん達も、親切だったよ……? エル、ここしばらくは自分のこと、全部自分でやってたんだからっ」
「だとしても、表沙汰には出来ない関係の、つなぎ役をやらされてる。バレた時には私みたいに切り捨てられるって思ってた方が良い。なにより」
「え……」
その時、船の物陰から短銃でこちらを狙う、小柄な海賊が居ることに気付いた。
「なにより!!」
駆ける。
手紙については不安があるけど、長居し過ぎた私の失敗だ。
銃声がした。
外れる。
あまり狙いを付けられる銃じゃない。
けど階段をあがってきた大柄な海賊が湾刀を手にしていて、行く先が塞がれてしまった。
私は躊躇なく帆船の縁へ足を掛ける。
「エルメリア!! このまま海賊が負けたら、アナタは海賊の一員として捕縛される!! ルーイーン王国でもっ、他の国でもっ、捕まった海賊には極刑しかないんだよ!? っっ!!」
銃声へ突き飛ばされたみたいに私は跳んだ。
大丈夫。
トネリコの灰紙は特殊なものだから、燃やそうとしても燃えない、灰の中からだって探し出さるって言ってた!! なら、水没したって平気な筈だ!! インクは……わかんないけどっ!!
ごめん、ユグナレア。
もっと早くに契約するつもりだったけど、どうしても見捨てられなくて。
帆船の停泊する近くの浜辺では、大勢の海賊に取り囲まれたユグナレアが、羽織物をした老爺相手に防戦一方となっていた。
※ ※ ※
高い剣戟の音が砂浜に響いてる。
ユグナレアと老爺、二人の剣捌きがあまりにも綺麗で、音が澄み渡って聞こえた。
「どうしたボウズ!! 剣が泣いてるぜェ!! 竜殺しの末裔がよおッ、こんな程度で先祖の雪辱を果たせるってかあ!?」
攻撃の瞬間、老爺の手元が加速する。
ゆったりと動いていた腕が鋭さを帯びて、防御しようとしていたユグナレアを、防ぐ剣ごと吹っ飛ばす。
「っっ、余計なお世話っスよ……!!」
血が舞った。
それだけじゃなく、攻撃を終えた直後の老爺が砂柱をあげて突進し、またふわりと動きが緩んだかと思えば、腕が加速して斬りつけてくる。
「っ!!」
回避した先で、再び切っ先が違う軌跡を描く。
「っしゃあらああ!!」
海賊達が歓声をあげていた。
誰も老爺の援護をしようって人が居ないのは幸いだけど。
姿勢を崩して砂浜を転がったユグナレアを、相手は無数の光彩を放つ瞳で見据えていた。
「型どおりのスキルも使い様よ。コイツらぁ馬鹿だから大味なのを使わせちゃいるが、スキルの本質は無数の手札と短い技、それらの準備を悉く無視出来ることサ」
「……爺さんが張り切りやがって」
「っはあ!! おかげで俺みたいな老いぼれでも竜殺しの末裔相手にこの通りよ。こういうを嫌う連中も居るがよ、使えるもんは使えが冒険者の鉄則だろうが」
砂浜を歩く。
ぽたり、ぽたりと滴る音がするけれど、今はもうどうでも良かった。
加熱した頭のまま進んで行けば、気付いた海賊達がぎょっとした顔をして道を開ける。
「はぁ……はぁ……はぁ…………っ」
呼吸が荒い。
思考が鈍い。
けどいい。
やることは分かってる。
そう、契約、契約、して……ユグナレアを援護するんだ。
頭の中が焼けそうなほど熱かった。
熱せられて、パンパンに膨らんで、今にも何かが飛び出してきそう。
道を開けた海賊が顔を引き攣らせて言葉を漏らす。
「クレセリアの魔女……………………」
魔女? なにそれ知らない。ただ海へ飛び込んで、そのまま髪も拭わず歩いてきた私の姿は、海に生きる人達にとっては悪い魔女に見えるのかもしれない。
祟ってやるぞと、そんな気持ちも込めて前へ進んでいく。
人の壁が割れて、ユグナレアの背中が視えた。
「手紙ッ、持ってきたよ!!」
「っっ、姐さん!? その傷!?」
「今は良いから!! 継承とひっくるめて一気にやるよ!!」
彼は深手を負っていた。
服は焼け焦げ、肩から血を流し、脚にも無数の傷がある。
それでも致命傷じゃない。
防戦一方になりながら、戦える状態を維持してくれていた。
何故?
そんなの、決まってる。
私が来るって信じてくれたの。
一緒にやり通そうって言った、昨日今日であったばかりの、三年も一緒に過ごした人達からあっさり切り捨てられるような……こんな私を!!
さあ。
始めるよ!!
「トネリコの灰枝を手に、契約書を眼前に!! っ、署名は血判ありゃあ十分さァ!!」
あぁ、幸い私のお腹には穴が開いてる。
こっちは致命傷なのかどうかも分からない。
船を脱出する時、撃たれちゃったみたいだから。
そのまま海を泳いでここまで来た。
私は痛みの感覚もふっとんだままバッグから灰色の契約書を取り出すと、自分の脇腹へ親指を押し当てた。
それと同時に、契約書が自ら浮かび上がって私の前に固定される。
「っ――――!!」
構わず血判を押した。
「……好き放題させるかよい!!」
それはたった一枚の紙だった。
けれど、砂柱をあげて戦う二人を向こうに、血判を押した契約書が無数に分裂して私の周囲を舞い飛び始めた。
「チぃ……!! コイツぁ使いたくなかったが!!」
「行かせるかよッ、!?」
老爺の腕が変容した。
筋肉質ではあれど老人の腕、そう思わせるものが瞬間的に魔物のような腕に変わったかと思えば、通常の関節すら無視して蛇のようにユグナレアを襲う。
斬られた彼は砂浜を転がりながらも剣を突き立て踏み留まるが、駆け出そうとした足は砂浜に吸い込まれてしまう。
血を吐いた。
どこか、致命的な場所を斬られたんだ。
それでも立ち上がろうとする彼の脚を、盛り上がった砂が絡め取り、引き摺り込もうとする。
手の平を向けてユグナレアを睨みつけていた老爺はするりと私へ向き直る。
もう、私を守るものはない。
けれど睨み付けた。
これ以上自分に出来ることはないのだとしても、抗う意志だけは失いたくなかった。
「っはあ!! その胆力は見事だぜぇ、嬢ちゃん……だが、そこまでだ」
ゆらりと老爺の身体が傾ぐ。
変容した腕をそのままに。
踏み出した足の、ぞうりが砂地を噛んで沈み込む。
「っっ、姐さん!! くそ……!!」
「終いだ」
構える老爺を前に、私は手立てを求めて周囲を探った。
どうしようもない。
なにも。
私の周りには灰色の紙が舞い飛んでいるけど、ただの紙があんな攻撃を防ぎ切れるとは思えない。
何か。
何か。
でないとユグナレアを死なせてしまう!!
無我夢中で浮かんでいた紙を掴み取る。
確信があった訳じゃない。
けど契約書と言われた。
最初の紙そのものには僅かな文面しかなかったけど、そう、舞い飛んでいる紙には何かの文章が書かれている。
契約書はちゃんと読み込むもの。
もう血判押しちゃった後だけどッ、契約した後から次々と出すのは反則でしょう!?
「なにし負う『トネリコの灰枝』も落ちぶれたもんだ。あァ……他人のこたぁ言えねえがな」
砂柱があがる。
くる。
きた。
私達の距離をあっという間に埋めた老爺が、異形の腕で、容赦なく刀剣を振り下ろしてくる。
至近距離で無数の光彩を放つ、彼の左目……オルドーのスキル宝珠と目が合った。
私の手の中で、灰色の枝が鼓動する。
そして、
※ ※ ※
『――――さあ、共に月を落としましょう?』
※ ※ ※
私は木の幹の中に立っていた。
そう思えるのは、うっすらと周囲が透けて見えるから。
透けた灰色の輪郭が、足元に根を広げ、頭上では枝を広げていたから。
目の前にあるソレが木肌なのだと想像出来た。
葉っぱの一つも、実の一つも付いてはいなかったけど。
その木に向けて振り下ろされた老爺の刀剣が、傷一つ付けられずに弾き飛ばされる。
武器を保持しながらも何かを感じて距離を取った彼は、横合いからユグナレアに強襲されて唸りをあげる。
「その木を撃て!!」
即座に三名が動いた。
短銃を構え、撃ち放った弾丸はけれど、彼の刀剣と同じく木肌には傷一つ付けられず弾き飛ばされる。
「無駄っスよ!! そいつはトネリコの守り!! アダマンタイト級冒険者の一撃にだって耐えてみせる絶対防御っスからね……!!」
遅れて放たれた無数の弾丸も意味を為さない。
ただ、一度始まった狂乱を引き摺るようにして、その場に居た海賊全員がありったけの弾を私に向けて撃ち放ってきた。
叫びがあがる。
それはやがて悲鳴となった。
何一つ効果を為さない攻撃に晒されながら、灰色の根が砂地へ食い込み何かを吸い上げる。
地表に銀の大地が広がった。
「………………………………えっと」
そんな狂乱の只中にあって、木の中に立つ私はぼんやりと手にした灰色の紙を眺める。
血判を押させた後から飛び出てきた、不正な追加条項なのかと思っていたけど。
「ユグナレアさん?」
呼び掛けにギルドメンバーは応じてくれる。
「うっス!!」
手にした一枚を眺めながら、まだ浮付いた気持ちのまま目についた言葉を読み上げる。
「あの……ギルドマスタースキルってなんですか?」
追加条項ではなかった。
むしろ、契約した家の中に謎の宝箱が置かれていたような、そんな印象。
スキル。
ここまで何度か耳にした言葉。
魔術とか、戦技とか、そういう型を再現するものなのは聞いていて分かったけど。
だって、その宝箱の中に本当に金塊が詰め込まれていたら誰だって戸惑うよ。使っていいのかって、これは本物なのかなって、迷うよ。
ただ、
「好きにぶっ放しちまって下さい!! ソイツはもうミクリ姐さんの力です!!」
背を押して貰った。
同時に、弾切れした海賊達が未だに悲鳴をあげて引き金を引き続けているのに気付く。
そっか。
なら。
適当に掴み取った二枚の灰色の紙を掲げる。
彼らは宝珠を使っていた。
これは紙だ。
けど、ただの紙じゃないのはもう分かってる。
形態はそこまで重要じゃないのかもしれない。
しかも、何が入っているかも分からない珠よりも、紙面の方が理解しやすい。
お爺ちゃん!! あるいは、そこまでコレを繋いできてくれた大勢の皆!!
まだまだギルドを背負うなんて覚悟は持ててないけど、言われるまま死んで堪るかって、足掻けるだけ足掻いてやろうって、挑む心は持っているから。
力を貸してよ……!!
「いくよ。力加減なんか出来ないからっ、死にたくなかったら必死に耐えてみせてよねッ!!!!」
次なるスキルが選択されたことで、私を守っていた灰色の木が無数の紙となって舞い散った。
渦を巻くそれらの中心に立ちながら、選び取った灰色の紙を宙へ浮かべる。
そうして気付けば、手にしていたトネリコの灰枝が、大きな杖へと変化していた。
直感で理解する。
浮かんだ灰色の紙へ向けて、私は血判を押すようにして杖の先を叩きつけた。
狂乱のまま武器を抜いて、こちら向けて駆け込んでくる海賊達。
彼らへ向けて。
スキル【地を這い出でて首を刈るモノ】を発動した。




