第十話 切符を拝見します
上司と二人で出張に行った糸岡は……
「おい、ここはどこだ?」
隣に座っていた上司の井本に肩をゆすられ、糸岡はハッと目を覚ました。特急列車の揺れが心地よく、いつの間にか二人とも眠っていたらしい。
「えっ、あっ、ちょっ、ちょっと、待ってください」
客車の前方にある電光表示で次の停車駅を確認すると、『八山口』となっている。糸岡の記憶にはない駅名である。目的地の『尾鹿島』の手前でないことは確かだ。
「すみません。乗り越しちゃったみたいですね」
「まったく、何をやっとるんだ、おまえは」
自分だって寝ていたくせに、と思ったが、もちろん口には出せない。
「とりあえず、次の駅で降りて、上りの列車に乗り換えましょう」
「まあ、それしかないだろうな。うまく折り返せるといいが。いずれにしろ、約束の時間には間に合わないだろうから、先方に電話してくる」
井本はブツブツ言いながら、後方のデッキへ歩いて行った。
(先方にどう説明するんだろう。まさか、居眠りして乗り越しました、なんて言えないだろうし。部下のミスで遅れました、とか言うんだろうな、きっと。まあ、それも間違いじゃないけどさ)
しかし、上司への愚痴など思っている場合ではなかった。前方のドアが開き、車掌が入って来たのだ。
(わあ、どうしようどうしよう。切符を見られたら、乗り越しがバレるぞ)
実は、乗車してすぐの車内改札が終われば、よほどのことがない限り、再度乗車券を見られることはない。だが、それを知らない糸岡は、車掌が通り過ぎるまで生きた心地がしなかった。
「どうした、糸岡。顔色が悪いぞ」
戻って来た井本に聞かれたが、糸岡は「何でもありません」と囁くように応えた。
やがて八山口という駅に着き、二人が降りると、ホームの反対側に列車が停まっていた。
「おお、グッドタイミングだ。糸岡、これに乗るぞ」
「えっ、大丈夫ですか?」
「悩むヒマはない。発車のベルが鳴ってる。急げ!」
「あ、はい」
違う方向に行く列車だったら、さらに遅れるところだったが、幸い、上りの臨時特急だった。先ほどまで乗っていた下りの特急より停車駅が少ないが、『尾鹿島』には停車すると表示が出ていた。
「な、持ってる上司が一緒で、助かっただろ?」
鼻の穴をふくらませて自慢する井本だったが、糸岡の返事は称賛ではなかった。
「はあ。でも、大丈夫ですかねえ」
「何がだ?」
「これって、罪になりませんか?」
井本は気分を害したようで、ムッとした顔になった。
「バカなことを言うな。これが犯罪なら、列車を乗り換える人間は全員罪人だ。万が一、規則違反としても、多少追加料金を払えば済むことだ。いいから、座れ。自由席はガラガラだぞ」
時間帯によるのだろうが、確かに上りの方が空いていた。二人は同じ列の左右にある二名席を占有し、それぞれの窓側に座った。
「どうだ、いいだろう。これぞ、怪我の功名ってヤツだな」
一人悦に入っている井本と違い、糸岡は落ち着きなく前後を交互に見ていた。
(どうか、尾鹿島に着くまで、車掌が来ませんように)
だが、糸岡の祈りも虚しく、前方のドアから車掌が現れた。乗客に「切符を拝見します」と声を掛けながら、こちらに近づいて来る。
(ああ、どうしよう。寝たフリをするか。ダメだ。目が合ってしまった)
「切符を拝見します」
「えっと、いや、別に悪気は、その」
「はい?」
助けを求めようと井本を見ると、目をつぶっていた。明らかにタヌキ寝入りである。仕方なく、糸岡は覚悟を決めた。
「すみません。実は下りの特急で乗り越してしまって、八山口でこの列車に乗り換えました。本当に、すみませんでした」
「わかりました。どちらまで行かれますか?」
「尾鹿島です」
「切符を見せていただけますか?」
「あ、はい。追加料金、ですよね」
「いえ、大丈夫ですよ。この切符で、普通に降りていただいて結構です」
すると、寝ていたはずの井本が切符を差し出した。
「車掌さん、わしも一緒だ」
「ありがとうございます」
車掌が行ってしまうと、井本は笑顔で「な、そうだろ」と言った。
糸岡は何か言い返すより、ホッとした気持ちの方が強く、胸をなでおろした。
(良かったあ。約束には多少遅れるけど、大事には、ならずに済んだな)
だが、安心した二人は、再びグッスリ眠ってしまったのである。




