挿話四「ヒスイ=アイレス」
カイたちが住むイースタリアンから少し離れた辺境の村にどこにでもいる家族のどこにでもいる普通の少女がいた。名前はハンナ=ロジャース。後にカイに買われる少女だった。
ハンナは父と母、妹の四人家族で生活していて、日々畑仕事や家事などを手伝っていた。村では少しばかり、有名だった。
ハンナは心の中である願いを抱えていた。
こんなありふれた日常がいつまでも続けばいいのに
しかし、ある日。その願いは見事なまでに打ち砕かれる。
ある商人が家に駆けつけてきた。父が莫大な借金をしていて返済が滞っていると。もちろんハンナはそのことを知らなかった。
商人が言うには、借金の肩代わりに娘を寄越せと脅した。父は迷った。ここにいれば商人に見つかることもないだろう、と逃げ込んだ場所だ。しかし、商人は来た。
脅しを受け入れれば、借金を返さなくて済む。借金から開放される。その欲望だけが、彼を突き動かしていた。
そして、ハンナが寝ている間に、商人に引き渡してしまった。誰にも何も相談しないままに。
もちろん、それを知った母は父と離婚し、妹を連れ、ハンナを取り戻そうと努力したが、時すでに遅かった。
ハンナが目を覚ましたのは商人に運ばれている馬車の荷台の中だった。
(え、待って、どういう状況!)
この状況を理解することは出来なかった。手足は縛られ、口も塞がれている。
(お父さん、お母さん……助けて)
目に涙を浮かべながら、叶わぬ望みを抱えた。
馬車がどこかに辿り着いたらしく、荷台の扉が開いた。そこにはガタイのいい大男が立っていた。
「抵抗するな。痛い目に遭うぞ」
怖くて抵抗する気も起きなかった。どこに連れていかれるのだろう。その事で頭がいっぱいだった。
連れていかれたのは、地下の牢屋。そこには既に三人程の女性がいた。新しく来たハンナには興味すらくれなかった。
「おら、入れ」
ハンナは乱暴に投げ入れられた。その後すぐに牢屋の鍵がカチャリと閉まる。
(ちょっと!出して!どうして私がここにいるの!お父さんとお母さんのところに帰して!)
頭の中ではすごく反抗していた……していたのだけれど、身体は動かなかった。怖すぎて。
それから数日、同居人の女性との会話から自分が置かれた状況が見えてきた。
自分は借金の肩代わりにされたのだろうということ、今自分の身分が奴隷だということ。
信じられなかった。いや、信じたくなかった。あの父が借金をしていたことや自分を引き渡したことが何よりも信じられなかった。
もう、あんな人は父ではない。憎悪の念を抱いた。
その後はただただ苦しい日々だった。食事も満足に与えられず、まるで囚人のような生活だった。いや、まだ囚人の方がマシかもしれない。
噂を聞くに、女性奴隷は性的搾取されるのが普通だった。当然だ、それ以外で女の奴隷を買う理由がない。そうハンナは結論付けた。
ある日、燕尾服を着た老人が、ハンナの牢屋の前に訪れた。この人は奴隷の買い手が見つかった時によく来る人だ。その時にハンナは考えた。
遂に私の番が来たのか、と。
それと同時に長い牢生活が終わる、そんな解放感があったが、この先のことを考えると一瞬のうちに無くなってしまった。
老人に連れていかれ、買い手が姿が見えた。この人が私の買い手……。そんなことを考えながら、顔を見る。
すごく、真っ直ぐな瞳……。私の第一印象はそうだった。もっと、汚いとか臭そうとかそんなことを抱くと思ってたけど、私の想像とは全くの逆だった。
本当にこの人が私の買い手なの?見た感じ、年齢も近そうだけど……あれ、白い、ドラゴン?がいる。なんで……?
そんなふうに考えていると、この人は私を買うことを即決し、信じられないことを口にした。
「奴隷契約を結ばないことは可能ですか」
え……、奴隷と奴隷契約を結ばない?何を言い出しているんだろう。私、この人のことが分からない。
しかも、お金なら出せるとか言って、本当に出しちゃってるし……。
私、何されるんだろう……。
手続きが終わって、商人が、私を改名して欲しいと買い手に頼んでいた。そんなのあるんだ。知らなかった。でも、新しい名前になるのは嫌だな。お願い、変な名前にはしないで……。
「ヒスイ……」
え……。何その響。ちょっとかっこいい。でも、良かった。変な名前にならなくて。
こうして、私ハンナ=ロジャース改め、ヒスイ=アイレスとして、この人の奴隷になることになった。奴隷契約は結んでないけど。
私はこの人が……そういえば、まだ名前聞いてないや。聞く?でも、なんか言い出せる雰囲気じゃないし……。
結局、私は一言も発しないまま、黙ってこの人に着いて言った。
この人の目的地はギルドだった。ああ、この人の職業、冒険者だったんだ。きっと、無理やり戦わされるのかな。
中に入ると、この人のことを待っていたであろう、人達がいた。少しだけ会話を交わしていた中で気になるフレーズがあった。
「この子が僕の新しい友達のヒスイ=アイレスさんです」
「えっ……」
思わず、声を漏らしてしまった。私が友達?どういうこと?奴隷じゃなくて?
聞きたいことが山ほどあったけど、まずはこの人の話を聞こう。きっと説明してくれるはず。
それから、話を聞いて、この人の名前がカイ=ランフォードだということ、私とは主従の関係ではなく、友達としての関係を望んでいること、そして、この白いドラゴンの名前がパールだということ、私と一緒に冒険者活動をして欲しいということを話してくれた。
パールちゃんは可愛かった。こんな私にすぐに懐いてくれた。
でも、正直今はあまり、この人のことを信じたくない。信じるのが怖い。きっとまた、思いも寄らないところで裏切られる。
でも、カイさんは純粋で真っ直ぐな目が私を見つめていた。
私の直感だけど、カイさんもきっと、私と似たような境遇に遭ったのかもしれない。
なんで、そんなこと考えたんだろう。いつもはそんな直感なんて降りて来ないのに。でも、少しだけ、カイさんのことを信じてみてもいいかもしれない。
奴隷契約をせずに、お金を倍額支払ったこの人に。私を牢屋から出してくれたカイさんに。
「わかりました。これからはカイさんと共に人生を歩むことにします」
ヒスイはそう静かに宣言した。この決断がふたりの未来を大きく変えたことに今のふたりには知る由もない。
「あ、言い忘れてたけど、敬語も禁止ね」
「え、わかり……わかった」
私は自然に笑みが零れていた。




