『無陽の星海』
惑星の地殻プレートが軋み合い、生み出していた息苦しい圧迫感が、アル・ミラージュが下部地殻の縁を越えた瞬間――完全なる無重力の虚空へと溶け消えた。
巨大な黒曜石巡洋艦は、《無陽の水門》の狭い岩盤導管から滑らかに抜け出し、忘れ去られた海洋惑星の海底深くに隠された、広大な未登録の地下海洋へと進入した。
分厚い耐熱ガラス製の観測窓の外では、暗黒の岩壁が消え去り、代わりに真っ黒な水中の深淵が広がっていた。
その深淵は、内縁領域のサブセクター中心部を横断するように、数千マイルもの彼方まで続いている。
船体両側に刻まれた灰色の遮蔽ルーンは、完全に抑制され、光を一切反射しない炭灰色へと沈んでいた。
それによって、この船は――
存在感ゼロ。
熱量ゼロ。
マナ反応ゼロ。
第39章で圧壊する地殻ゲートを、一切の空間歪曲波紋を発生させることなく突破した巡洋艦は、今や高位の天界が誇る宇宙追跡ネットワークから、完全に視認不能となる領域へと深く潜り込んでいた。
船長室。
石柱が並ぶ静寂の聖域は、保護用の薄暗い黄昏に包まれていた。
サルゴンは、巨大な黒曜石の玉座にゆったりと腰掛けていた。
その姿勢には一切の力みがなく、白い手に軽く顎を預けている。
長く乱れた白髪が、黄金のヘッドバンドに施された精緻な彫刻へと静かに触れる。
その中央に埋め込まれた紫色の宝石は、内部の力を温存するため、完全に暗く抑えられていた。
左手には、液状星金属で形成された――
[君主の印章:ニヒル]。
その中央に浮かぶ小さな銀河も、今は完全に静止していた。
そしてサルゴンの思考内部で、システム・インターフェースが現在の状態を更新する。
【通知:現在のコア・エネルギー残量――16.5%(安定均衡を維持中)。】
【分析:地下海洋環境を検知。局所空間流体密度に高濃度の銅触媒係数を確認。外部企業追跡網からの視認性――ゼロ。】
サルゴンは、ゆっくりと、音もなく息を吐いた。
その青白く無表情な顔には、いつもの――
完全なる無関心を思わせる、飄々とした表情。
周囲を取り巻く巨大な深淵の星海にも、彼の冷徹な知性は一切揺らがなかった。
彼自身が、現在の正確な限界を理解しているからだ。
厳密に16.5%へ制限されたコア・エネルギー残量。
この状態では、彼の肉体はあまりにも脆弱だった。
開けた宇宙航路へ飛び出し、神々の先鋒艦隊を相手に正面から力押しの戦争を仕掛けるなど、到底できない。
力で押し切ることはできない。
――だが。
この未登録の地下海洋は、彼にとって驚異的な戦術的避難所だった。
誰にも知られていない、完璧な盲点。
ここならば、幻影パラメータを完全な状態に保ったまま、より深い領域を体系的に探索し、地図へと刻んでいくことができる。
サルゴンは白い指を伸ばし、ガラス製コンソールを軽く叩いた。
すると、外部視覚アレイが作動する。
メイン・ビューポートの画面へ、息を呑むほど美しい、ゆっくりと燃え上がるような光景が投影された。
真っ黒な水中の深淵。
そこに、巨大な静寂の宇宙巨獣たちが、音もなく浮遊していた。
それは数百メートルにも及ぶ巨大な水棲異常存在。
まるで深海の中に浮かぶ、生きた島のようだった。
半透明の巨大な身体は、柔らかな幾何学模様の紫色――
元素周波数の光を淡く放っている。
彼らは穏やかに漂いながら、深い水中の流れに乗って浮遊する、熱片のような結晶片を静かに食んでいた。
宇宙巨獣たちの生物発光が、長く不規則な光の波紋を《アル・ミラージュ》の黒曜石船体へと投げかける。
その淡い紫色の光が、静かな幽霊船を照らし出す。
そして《アル・ミラージュ》は――
まるで暗い絹を切り裂いて進む幻影のように、
巨大な宇宙巨獣たちの脇を、音もなく漂い抜けていった。
「下部船体ブロック周辺の外部圧力センサーは安定しました、我が君」
カエレンの低く、しゃがれた声が、重く沈黙した船室を切り裂いた。
巨大な戦士は低い石造りの壇へと足を踏み入れ、そこで立ち止まる。
玉座から――
正確に二歩離れた場所。
彼は静かに、サルゴンへ報告した。
第一の副官たるカエレンの肉体は、威圧感すら覚えるほど堂々としており、隙がなかった。
脱ぎ捨てられたダーク・トラベリングクロークの下からは、鍛え上げられた肩に沿って装着された、特注の強化装甲プレートが露わになっている。
鋭く、幾多の戦場を潜り抜けてきた眼差しは、完全なる集中状態でサルゴンへと向けられていた。
その手は、湾曲したダークスチール製のシミターの柄を固く握っている。
「[第一紀の結晶化流木]から鍛造した新型のスキャン遮断装甲は、この流体密度環境でも完全に機能しています」
カエレンは、低く規律正しい声で報告した。
「待機状態にあるダークマター・エンジンの熱排気も、鉱物繊維によって完全に吸収されています。ですが――長距離補助アレイが、西側の海溝深部に埋没している巨大な未登録構造物の密度シグネチャを検出しました」
サルゴンの漆黒のヴォイド・アイが、僅かに動いた。
その瞳の奥では、極小の恒星銀河がゆっくりと回転しながら、無数の計算ループを描いている。
彼はコンソール上で明滅する琥珀色の文字へ視線を向けた。
「構造形状をフィルタリングしろ。現代の惑星堆積物をデータラインから除去しろ」
「御意――我が君!」
カエレンは滑らかに応じると、補助航法盤に備えられた手動式の機械レバーを操作した。
その動きには、超人的なほどの熟練と、幾多の戦場を生き抜いた古参兵の精密さがあった。
――ウゥゥゥゥン……。
低く、深海の底から響くような振動が、石造りの床板を伝わっていく。
船のロジック・ターミナルが、生の感知データを処理していた。
玉座の真正面。
ホログラフィック・マップ・マトリクスが更新され、暗黒の海底深くに埋没した、巨大な水中都市の骨格めいた廃墟を映し出した。
それは、企業エルフギルドや地域交易カルテルによって建造された現代の居住区ではなかった。
その建築物はあまりにも巨大だった。
重厚な黒曜石ブロックから削り出され、さらに未登録の星金属製梁によって補強されている。
そして、その構造には――第一紀特有の、明確な幾何学的特徴が刻まれていた。
これは、第一紀の水没造船施設だった。
現代の神々が宇宙の台帳を書き換える遥か数千年前。
すでに滅び去った記録者派閥によって残された、巨大で、そして古代の海軍造船所。
暗黒の海底に沈み、永遠に忘れ去られたはずのその場所には――かつて宇宙艦隊を建造していた、第一紀の遺産が眠っていた。
【通知:古代歴史異常事象のインデックス化に成功しました。】
【対象:水没した第一紀・海軍造船施設――セクター・ノード・ゼロフォー。】
【状態:施設の主要構造コア内部に、[ブロンズ・キューブ]のパラメータと一致する残留ロジック・シグネチャを確認。海溝内部に外部追跡グリッドは検出されていません。】
カエレンは、そびえ立つホログラフィックな廃墟を見上げた。
その表情には、完全なる静寂と、隠しきれない驚愕が浮かんでいた。
息を呑む。
幾多の戦場を生き抜いてきた彼の戦術的思考は、この発見がもたらす、長期的な戦力発展の途方もない価値を即座に理解していた。
「我が君……この施設は、信じられないほどの資産です」
カエレンは、低く抑えた声で続けた。
「もし中央建造ドックが堆積物の下でまだ構造的に無傷なら、我々はその古代の星金属製造ラインを利用できます。深い影の中から、アル・ミラージュの主船体機構を恒久的に強化できる」
彼は巨大な水中都市の映像を見つめた。
「我々は――第一紀艦隊、その始祖たちの故郷を見つけたのです」
「現代のパンテオンは、自分たちが宇宙の隅々まで記録し尽くしたと思っている、カエレン」
サルゴンは平坦な声で言った。
ゆっくりと玉座から立ち上がる。
長い白髪が黄金のヘッドバンドへ柔らかく触れ、紫色の商人ローブが甲板の上を優雅に引きずられていく。
「奴らは光り輝く天上界に座り、硬直した官僚的な台帳を書き連ねている。そして――宇宙とは、自分たちが線を引いた場所の中に存在するものだけだと思い込んでいる」
サルゴンは静かに歩を進めた。
「だが、奴らは知らない」
その声には、嘲笑すらなかった。
ただ、絶対的な確信だけがあった。
「宇宙の最も深い基盤は――奴らの名が台帳に刻まれる遥か以前、絶対的な暗闇の中で鍛え上げられていたということを」
サルゴンはゆっくりと船首側の手すりへ向かった。
漆黒のヴォイド・アイが、厚い観測窓の向こうを見つめる。
そこには、静かに紫色の光を放つ巨大な宇宙巨獣たち。
そして、そのさらに先には、暗黒の海底へとそびえ立つ巨大な海溝が広がっていた。
彼は、この危険度の高い探索における大きな節目を――
制御不能な力を派手に振るうことでも、破壊的な魔法を放つことでもなく、
冷徹な知性。
戦術的な慎重さ。
そして、第一の副官との深い連携によって制したのだ。
彼らは自分たちの幻影としての存在状態を完全に維持したまま、神々の追跡グリッドの目と鼻の先、その真下に隠された――汚染されていない古代の拠点を確保した。
そして今。
開けた星海の深い影の中から、彼らの勢力の長期的な基盤は、さらに大きく拡張されようとしていた。
「西側海溝の座標に沿って、進路を設定しろ、カエレン」
サルゴンは冷たく命じた。
その静かな声には、暗闇の中で決して揺らぐことのない、帝王のような静謐さが宿っていた。
「ダークマター推進グリッドは、パッシブ・ベースラインを維持しろ。我々は――墓へ帰還する幻影のように、あの古代造船所へ滑り込む」
サルゴンの漆黒のヴォイド・アイが、深い海底の闇を見据える。
「高位の天上界には、空っぽの星空を探させておけ。我々はその間に――奴らの祖先が残した建築構造を調べる」
「御意――我が至高の君主よ!」
カエレンは、獰猛なまでの守護者としての意志を込めて応じた。
そして深々と甲板へ頭を下げる。
次の瞬間、彼は踵を返し、下部の手動操舵デッキへ向かって歩き出した。
アンカー固定パラメータを実行し、巨大巡洋艦アル・ミラージュを、未登録の深淵なる星海のさらに奥へと導くために。




