『彗星バザール』
錆の跡が残る小型の補助着陸艇が、巨大なステルス巡洋艦アル・ミラージュの船体下部から、まるで重量という概念そのものを失ったかのような滑らかさで静かに分離した。
巨大な黒曜石の巡洋艦を、死んだ星の尾根が作り出す深いレーダー・シャドウの中へ安全に係留したまま、小型艇は回転する彗星環の中央コアへ向かって滑るように進んでいく。
その真正面――暗黒の虚空の彼方から、巨大な氷の彫刻によって形作られた《フロスト・ヴェイン・ジャンクション》の入港ドックが姿を現した。
そこは、明滅する多色のネオン誘導パネルと、凍りついた石壁の奥深くに埋め込まれた紫色の結晶が放つ、剥き出しの元素光によって淡く照らされていた。
小型艇の狭い操縦室では、サルゴンとカエレンが静かに座っていた。
二人の存在は、ジャンクションに設置された低級追跡アレイから完全に隠蔽されている。
高位魔力のシグネチャーは一切ない。
軍事登録パラメータも存在しない。
宇宙マナの痕跡すら残していない。
外周ゲートを警備する自動スキャナー・フィールドから見れば、彼らはただの独立系スクラッパー集団――低級な漂流サルベージ金属を少量売却しに来ただけの、ありふれた漂流者に過ぎなかった。
小型艇は、結晶質の滑りやすい着陸プラットフォームへ静かに接地した。
――ゴンッ。
くぐもった機械音とともに、圧力固定クランプが氷脈の走るアンカー・ラインへ固く噛み合う。
続いて、メインハッチが低い蒸気音を響かせながら開いた。
その瞬間、鋭く冷たい風が艇内へ吹き込み、燃焼する硫黄燃料の強烈な臭気、冷え切った炭素ガス、そして生の宇宙合金が放つ金属臭を運んできた。
サルゴンは、ゆっくりと、何の焦りもない足取りでドックへ降り立った。
青白い手は、紫色の商人ローブの流れる袖の中へ無造作に収められている。
そして、深い灰色の旅用フードを前へ引き、乱れた白髪を覆い隠した。
それによって、精巧な金色のヘッドバンドと、その中央に嵌め込まれた淡い紫色の宝石も、周囲の人々の何気ない視線から完全に隠される。
青白く、感情の起伏をほとんど見せない顔には、いつもの――絶対的な無関心を思わせる、あの飄々とした無表情が浮かんでいた。
まるで『銀魂』のような、どこか力の抜けた完全なる無関心。
周囲を埋め尽くす混沌とした喧騒も、彼の冷徹な知性をわずかに乱すことすらできなかった。
左手に嵌められた液体星金属製の指輪――[君主の印章:ニヒル]は、完全な静止状態を保っている。
その中央に浮かぶ小さな銀河は回転を止め、ほんの一粒の宇宙フィードバックさえ外部へ漏らさないよう制御されていた。
その瞬間、彼の脳内で内部システム・インターフェースが静かに更新され、現在のパラメータが思考領域へ表示される。
[通知:現在のコア・エネルギー残量:16.5%(安定均衡)]
[警告:50,00,000の全域懸賞金警報により、独立系賞金稼ぎの局地追跡網が主要取引層付近に自動監視リレーを展開しました。幻影パラメータを維持するため、絶対的な受動エネルギー休眠状態を維持してください。]
サルゴンは、ゆっくりと、音もなく息を吐いた。
彼は、自分が現在どこまで力を扱えるのかを正確に理解している。
コア・エネルギーが16.5%という厳格な閾値に制限されている現在、封印を解除したゲートでは、高位の追跡部隊と正面から破壊的な戦闘を繰り広げることなど到底できない。
コアから逆流するフィードバックによって、脆弱な人間の器が激しく崩壊してしまうからだ。
力押しはできない。
だが――この無法で独立したグレーゾーンは、そもそも brute force を必要とする場所ではなかった。
ここで求められるのは、純粋な戦略。
冷徹な知性。
そして、裏社会を生き抜くための嗅覚だった。
カエレンは、サルゴンの右肩からちょうど一歩後ろを歩いていた。
その長身で屈強な肉体は、重厚な旅装ベストの下に隠されている。
肩口に装着された鋭利な特注強化装甲板も、その下へ完全に覆い隠されていた。
腰に下げた鞘付きのシミター――その真鍮製の柄には、片手がしっかりと添えられている。
そして、戦場で鍛え上げられた鋭い眼差しは、通り過ぎていく異星人のスクラッパーや傭兵一人ひとりを、絶対的な警戒心で監視していた。
二人はドックを離れ、彗星の凍りついた中心部へ直接掘り込まれた、巨大な螺旋状の石階段を下っていく。
そして――
内部境界を抜けた瞬間。
二人の眼前に、中央彗星バザールの壮観かつ圧倒的な光景が一気に広がった。
地下都市全体が、巨大な多層式の氷洞窟となっている。
そこを照らしているのは、無数に明滅するネオン製の取引ボード、燃え盛る銅製トーチ、そして石造りの大通り沿いに置かれた鉄箱から放たれる、未精製の星鉱石の生々しく脈動する周波数だった。
何千もの独立系スクラップ商人。
ならず者錬金術師。
独立系密輸業者。
そして低位のカルト追放者たち。
彼らは狭い通りを、絶え間なく流れ続ける巨大な人波となって行き交っていた。
空気には、機械工具が発する低周波の唸り。
テーブル越しに値段を叫び合う商人たちの怒鳴り声。
そして、凍結したレールの上を押し進められる鉄製貨物カートのガチャガチャという音が濃密に満ちていた。
そんな混沌とした市場の中を、サルゴンは何事にも動じない平静さで歩いていた。
その虚無の瞳は、周囲の光景を眺めながら、このサブセクターに存在する経済構造を静かに解析している。
彼が最初に目を向けたのは、取引列の先頭に並ぶ交換台だった。
企業エルフ審問官が、自らの直接管轄区域の外では公式金貨の流通を厳しく制限しているため、この彗星環に集まる独立系の無法者たちは、完全に物質経済へ依存していた。
彼らが通貨として使っているのは、小さく淡く発光する結晶片。
その内部には、微量の生の空間マナが封じ込められている。
裏社会の航路では、それらは――
[エーテル・シャード]
と呼ばれていた。
「主要通貨交換所は、正面です。我が君」
フードの下から、カエレンがほとんど聞き取れないほど低い声で呟いた。
その視線は、二次市場層の近くに設置された、大型の鉄製補強カウンターへ向けられている。
サルゴンは、その屋台へ向かって歩を進めた。
鉄で補強されたカウンターの向こう側。
そこに座っていたのは、ガーという名の独立系で胡散臭い通貨仲介商だった。
ガーは、地域の小規模商人派閥に属する、ずんぐりとした体格のサイバネティック・スクラッパーだった。
左目はすでに生身のものではない。
そこには回転式の機械製拡大レンズが埋め込まれており、視線を動かすたびに、小さな機械音をカチカチと響かせていた。
油とグリースで汚れた太い指が、青く発光するエーテル・シャードを何個も数えている。
その計算高い表情には、困窮した旅人を何十年にもわたって騙し続けてきた、典型的な闇市場商人の冷たい強欲さが滲み出ていた。
「用件は何だ、漂流者」
ガーは顔を上げることすらせず、低く唸った。
機械の眼がカチッと鳴り、同時に小さな集計板へ鋭い線が一本刻み込まれる。
「壊れた銅管か、錆びた船体スクラップを売りに来たってんなら、基準台帳は一箱につきシャード半分だ。貨物に元素質量がないなら、俺のインクを無駄にするな」
サルゴンは、すぐには答えなかった。
ただ静かに流れるローブの袖から青白い手を伸ばし――
一個の、掌ほどの大きさをした未精製の空間・時間鉱物鉱石を、石造りのカウンターへ置いた。
原始的でギザギザしたその石片は、普通のスクラッパーから見れば、何の変哲もない石ころにしか見えない。
だが――
それが机に触れた瞬間。
暗い鉱物の脈の奥から、淡い幾何学模様の紫色の周波数が、規則正しく脈動した。
それは、太陽核を通って脱出した際、深層の裂け目から回収した生の質量――そのサンプルだった。
古代から存在する高密度物質。
現代の惑星合金とは完全に異なる、極限まで圧縮された物理的重量を内包している。
ガーの機械の眼が、瞬時に激しく回転した。
回転式の拡大レンズが限界まで展開され、小さな石片を凝視する。
油まみれの指が、宙で完全に止まった。
さっきまでの傲慢な姿勢が、見る見るうちに崩れていく。
商人としての強欲と、突然押し寄せた圧倒的な戦略的警戒心が、激しく衝突していた。
「こ……この質量密度……」
ガーはどもった。
声は、低く、焦燥に満ちた囁きへと落ちていく。
機械の眼が狂ったようにカチカチと鳴り、鉱物のパラメータを計算し続けていた。
やがて彼はサルゴンを見上げる。
暗い灰色の旅用フードに隠された顔から、何かを読み取ろうとする。
だが――
そこにあったのは、微動だにしない無表情。
冷え切った絶対的な無関心だけだった。
「こ……これは通常の漂流スクラップじゃない……」
「これは未精製の空間・時間鉱石……第一紀に由来する純粋な鉱物系統だ。何世紀もの間、審問官の登録台帳にすら記録されていない代物だぞ。そんな資産を、たった二人の低級漂流者がどうやってサルベージした?」
「その質量の出所がお前の台帳に関係することはない、仲介商」
サルゴンは平坦に答えた。
静かで感情のない声。
だが、その一言には帝王のような重みが宿っており、ずんぐりとした商人は本能的に身を震わせた。
「貨物重量に対する交換基準を提示しろ。私は鉱石を換金しに来ただけだ。歴史の話を取引するつもりはない」
ガーは、ごくりと唾を飲み込んだ。
計算高い頭脳が、目の前の旅人たちから莫大な財産を騙し取るための、高度な詐欺を瞬時に組み立て始める。
彼は身を乗り出した。
サイバネティック・アイが、狡猾で manipulative な回転ループを描く。
「このクラスの鉱物は非常に不安定でね、旅人。外縁境界に配置された審問官の巡回拠点では、登録されていない第一紀のアレイを所持しているスクラッパーは処分されることになっている」
「追跡リスクまで考慮すれば――俺が提示できる最高額は、未精製空間・時間鉱石一トンにつき青色エーテル・シャード40個だ」
「未登録資産としては、十分に寛大な台帳価格だろう」
――完全な嘘だった。
それは、空間・時間鉱石を本来の闇市場価値のごく一部で買い叩こうとする、強欲な詐欺だった。
しかし――
サルゴンの冷徹な知性は、完全に澄み切っていた。
彼は手を上げない。
姿勢すら変えない。
ただ静かに、そして誰にも気づかれないまま――
進化した[概念上書き:マス・コントロール]の法則が、ガーの右肘のすぐ横に置かれた電子取引台帳端末へ向けられた。
(システム)
サルゴンは思考した。
その内なる声には、揺るぎない帝王の冷たさが宿っていた。
(端末のネットワークをマッピング。ジャンクション内における第一紀空間・時間合金の真の市場交換パラメータを検証しろ)
[通知:『概念上書き』を受動的データベース解析に利用しました]
[ローカル取引メインフレームをスキャン中……]
[検証:成功]
[現在の真の市場価格:未精製空間・時間鉱石 1トンにつき、高級エーテル・シャード450個]
[現在の仲介商による提示価格は、戦略的に91%引き下げられています]
サルゴンはサイバネティック仲介商を見下ろした。
前髪の下では、銀河を宿した瞳孔がゆっくりと回転し、冷静な計算ループを描いている。
「お前のカウンター下にあるローカル取引メインフレームには、空間・時間鉱石の基準交換レートが一トンにつき高級エーテル・シャード450個と記録されている、ガー」
「お前の台帳は410シャード不足している」
「真の市場パラメータに合わせろ、商人」
サルゴンの声は、相変わらず静かだった。
「さもなければ――私たちの貨物ではなく、我が一番隊長がお前の端末を換金することになる」
その瞬間。
サルゴンが機械に一度も触れていないにもかかわらず、暗号化されたデータベースの正確なパラメータを口にした瞬間――
ガーの顔から完全に血の気が引いた。
こめかみを冷たい汗が伝い落ちる。
機械の眼が、静電ノイズを伴った鋭いクリック音を発した。
これまで築き上げてきた論理的な防衛線が、サルゴンの動じることのない帝王の気配の前で、一瞬にして崩壊した。
理解したのだ。
目の前に立つ白髪の少年は、ただの旅人ではない。
彼は――
システムの隠された台帳すら、開かれた本のように読み取ることのできる、計算高い策略家だった。
「よ……450シャード!」
ガーは慌てて声を上げた。
「そうだ! それが絶対的に正しい台帳価格だ、我が君!」
傲慢だった商人としての誇りは、完全に砕け散っていた。
彼は降参するように両手を慌ただしく上げる。
「あなた様の高貴なる御家に無礼を働くつもりなど、決してございませんでした!」
「すぐに全貨物を最大市場価格で処理いたします!」
「4トンの空間・時間鉱石――高級エーテル・シャード1,800個!」
サルゴンは、ほんの僅かに精神的な頷きを返した。
カエレンが滑らかに前へ進み出る。
その長身が怯え切った仲介商を補助着陸ベイへと誘導し、サルゴンが定めた正確な取引条件に従って、安全な物質取引を実行させる。
そこに壮大な爆発はなかった。
追跡艦隊との実戦もなかった。
派手な消去能力が披露されることもなかった。
この緊張感に満ちた一連の取引は――
ただ、冷徹な知性。
絶対的な戦術的警戒。
そして、自分たちの資産を見事に活用する能力だけによって完全に勝利した。
サルゴンは、幻影パラメータを安全に維持したまま、裏社会で使用される莫大な資金を確保することに成功した。
深い闇の中から、自らの勢力の経済基盤をさらに拡大したのだ。
カエレンの帰還を待ちながら、サルゴンは氷の交易層の端に静かに立っていた。
虚無の瞳が、淡く輝く紫色のネオンを越え、その下で蠢く無数の人々を見つめている。
周囲のスクラッパー屋台から、低周波の囁き声が聞こえてきた。
賞金稼ぎのシンジケートが、このセクターの外縁境界に向けて積極的に包囲網を狭めている。
宇宙規模の追跡は、さらに拡大していた。
神々は、あらゆる星間航路を捜索し、彼の影を追っている。
だが――
今この瞬間。
忘れ去られた彗星の無法なる氷の尖塔、その深奥において。
至高の君主は静かに資源を蓄えていた。
そして、自らの鋼を研ぎ澄ましている。
やがて敵たちが築いた壁が虚空と対峙する、その瞬間に――
宇宙全体の台帳を書き換えるために。




