↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
34/56

『フロスト・ヴェイン・ジャンクション』

《アル・ミラージュ》は、エメラルド色の星雲が纏う最外層のヴェールを静かに抜け出した。


その巨大な黒曜石の船体は、内縁領域を走る開けた宇宙航路を切り裂きながら進んでいく。


まるで、忘れ去られた暗黒の海を渡る幽霊船のように。


背後では、液状の翡翠を思わせる濃密な星雲の雲が徐々に薄れていき、冷たく澄み切った宇宙の真空へと変わっていった。


その先に姿を現したのは、広大な宇宙の一角。


そこでは無数の星々が、鋭く突き刺さるような強烈な輝きを放っていた。


船体側面に刻まれた灰色のクローク・ルーンは、依然として完全に抑制されたまま、光を一切反射しない炭灰色の表面へと沈んでいる。


その徹底した隠密状態によって、《アル・ミラージュ》は――


存在反応ゼロ。


熱反応ゼロ。


そして、マナ反応ゼロ。


前章において、空間リップルを一つも発生させることなく独立系賞金稼ぎの追跡ドローンを完全に無力化した彼らは、今や未登録のスリップストリームの奥深くへと進入していた。


宇宙中を駆け巡る捜索の目から、安全に姿を隠したまま。


船長室。


静かな石柱の並ぶ聖域は、守護結界によって薄暗い黄昏のような空気に包まれていた。


サルゴンは、巨大な黒曜石の玉座へとゆったり腰掛けていた。


その姿勢には一切の緊張がない。


白い手に顎を軽く預け、長く乱れた白髪が金色のヘッドバンドに施された精巧な彫刻へ、さらりと触れている。


その中央に埋め込まれた紫色の宝玉は、内部の力を温存するため、完全に光を落としていた。


左手に嵌められた[君主の印章:ニヒル]の液体星金属リングも、完全な静止状態にある。


その中心に浮かぶ小さな銀河だけが、一定の回転を保っていた。


そしてサルゴンの思考領域では、内部システム・インターフェースが現在のステータスを更新していく。


[通知:現在のコア・エネルギー残量:16.5%(安定均衡は継続中)]


[警告:50,00,000高位エーテル・コアの全宇宙懸賞警報により、周辺セクター全域へ局所的な神格追跡網が拡大しています。幻影パラメータを維持するため、外部への権能出力を完全に休眠状態にしてください]

サルゴンは、ゆっくりと、音もなく息を吐いた。


青白い無表情の顔には、いつもの――完全なる無関心を思わせる飄々とした表情が浮かんでいる。


己の身元へと迫りつつある全宇宙規模の追跡劇さえも、彼の冷徹な知性を乱すことはなかった。


自分自身の現在の限界を、彼は正確に理解している。


厳格に設定されたコア・エネルギー16.5%という閾値では、肉体そのものがあまりにも脆弱だった。


開けた宇宙航路へ飛び出し、神格級の先鋒艦隊を真正面から吹き飛ばしながら突破するなど――到底できない。


力任せの突破は不可能。


だが、この強制された戦術的な遅延は、完全な余裕を確保できる貴重な時間でもあった。


無闇に逃げ続けるのではない。


サルゴンは、敵自身が使用していた技術を逆利用し、その動きを体系的に分析しながら、冷徹な知性によって敵の追跡網を一つずつ地図へと変えていた。


彼は青白い指を伸ばし、コンソール画面を軽く叩く。


そこには、破壊した賞金稼ぎドローンから回収された暗号化データ・コアが、すでに主メインフレームへ完全に読み込まれていた。


――システム。


サルゴンは思考する。


その内なる声は、平坦で、揺るぎない。


――回収した追跡マトリクスを解析。


――地域検索グリッドをフィルタリングしろ。


[通知:回収された追跡コアの復号に成功しました]


[独立系賞金稼ぎネットワークをマッピング中……]


[自動検索グリッド・アルゴリズムを追跡中……]


[フィルター:完了]


[警告:70以上の独立系スクラッパー・シンジケートが、半径3,000マイル以内に展開しました。局所賞金追跡アレイが、未登録の黒曜石船体シグネチャ、または白髪の旅人を対象として能動的なスキャンを実行しています]


サルゴンは、玉座の前に投影された青く輝くマップ・マトリクスを静かに見つめた。


銀河を宿した瞳孔が、ゆっくりと回転する。


計算。


分析。


そして、予測。


回収したデータ・コアに記録されていたのは、単なる追跡アルゴリズムだけではなかった。


そこには――


賞金稼ぎたちが決して見ていない、正確な盲点までもが記録されていた。


企業の管轄領域から完全に切り離された、無法地帯。


独立勢力だけが活動する、灰色の中立区域。


「抽出は完全に完了しました、我が君」


重い船長室の静寂を、カエレンの低く掠れた声が切り裂いた。


入口のアーチ付近に落ちていた影から、彼がゆっくりと姿を現す。


第一航海士の存在感は威圧的でありながら、同時に一分の隙もなく整っていた。


脱ぎ捨てられた暗色の旅装束の下から姿を現したのは、研磨されたばかりの特注強化装甲。


その装甲板が、鍛え上げられた両肩に沿って精密に配置されている。


鋭く、幾多の戦いを潜り抜けてきた眼差しは、完全にサルゴンへ向けられていた。


その視線には、極限まで研ぎ澄まされた集中が宿っている。


片手は、腰に携えた湾曲した黒鋼のシミターの柄へと固く添えられていた。


「ドローン内部のデータは、タリクから確保した独立航法チャートと完全に一致しています」


カエレンは低く、規律正しい声で報告する。


「賞金稼ぎのシンジケートは、凍結した彗星帯を完全に避けています」


一瞬、彼は投影されたマップへ視線を向けた。


「密集した元素結晶化領域が、彼らの自動式長距離センサーを妨害しているためです」

《フロスト・ヴェイン・ジャンクション》は、これから進入する彗星リングの中心部、その最深部に直接存在しています。


船を停泊させるには、まさに完璧な盲点です」


サルゴンは、ほんのわずかに心の中で頷いた。


平坦な瞳が、正面に浮かぶ主ビューポート・スクリーンへと向けられる。


その真正面――


暗黒の星海に、壮大で、ゆっくりと展開していく光景が姿を現した。


数千マイルにもわたって暗い虚空を横断する、巨大な輪。


それは、古代から存在し続ける無数の凍結彗星によって形成された巨大なリングだった。


凍りついた彗星群はゆっくりと回転しながら、淡く幾何学的な紫色の元素周波数を放っている。


そして、その巨大な氷山のような凍結天体――


内部をくり抜かれた彗星の核の奥深くに、広大な無法交易圏が築かれていた。


――《フロスト・ヴェイン・ジャンクション》。


そこは混沌とした暗黒の避難所。


ならず者の学者。


独立系スクラップ商人。


そして、闇市場を渡り歩く密輸業者たち。


彼らは企業エルフ審問官の公式台帳から完全に外れた場所で、ありとあらゆる生資源を物々交換していた。


「カエレン。この彗星リング内部における、現地通貨の基準は?」


サルゴンが淡々と尋ねる。


静かな声には、石柱の聖域全体へ響き渡る帝王のような静謐さが宿っていた。


「ほぼ完全に、現物の[エーテル・シャード]と高密度銅カタリスト・チップによる物々交換です、我が至高の君主よ」


カエレンは答えながら、手に馴染んだ指でターミナル上の流動するデータログを指し示した。


「審問官の国境検問所が公式の金貨を遮断しているため、独立系ネットワークは完全に生の空間資源へ依存しています」


「我々は、太陽核を脱出した際に確保した未精製の時空鉱石を、下層貨物庫にまだ四トン以上保有しています」


カエレンの口元がわずかに上がる。


「この無法市場においては――途方もない財産となるでしょう」


「いい」


サルゴンは淡々と言った。


ゆっくりと玉座から立ち上がる。


長い白髪が金色のヘッドバンドへ柔らかく触れ、紫色の商人ローブが甲板の上を優雅に滑っていく。


「《アル・ミラージュ》は外縁氷嶺のレーダー影に安全に停泊させろ、カエレン」


「我々の身元シグネチャを偽装し、補助スキフを準備しろ」


サルゴンは正面の紫色に輝く彗星リングを見つめた。


「我々は単なる独立系の漂流者としてジャンクションへ入る」


「低級銅カタリストを換金しに来た――それだけの存在としてな」


一拍。


「高位の天々には、空っぽの空を探させておけ」


「その間に、我々は奴らの市場の価値を見極める」


「御意――我が君!」


カエレンが鋭く叫んだ。


その声には、燃え上がるような絶対的忠誠が込められている。


彼は甲板へ深く頭を下げると、そのまま下層の手動操舵甲板へ向かって歩き出した。


停泊パラメータを実行するためだ。


サルゴンはゆっくりと船首の手すりへ歩み寄った。


漆黒の虚無眼が、眼前に広がる無限の空間――淡い紫光を放つ巨大な彗星リングを見つめる。


彼は、この危険な移行局面を制した。


派手で制御不能な圧倒的パワーを見せつけたわけではない。


冷徹な知性。


慎重な戦術判断。


そして、第一航海士との深い連携。


それだけだった。


彼らは幻影パラメータを安全に維持しながら、これから待ち受ける危険な未踏宇宙航路を進むために必要な、正確な情報と経済的な地図を確保した。


遠く離れた神々には、誰も存在しない宇宙を探させておけばいい。


その間、至高の君主は――


開けた星海の無法地帯、その深い影の中で、静かに己の力を蓄えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。