第ニ章:蹂躙、そして白銀の閃光
復興の槌音が響く街は、熱気に包まれていた。
瓦礫は片付けられ、真新しい木材の匂いが漂う。
人々は互いに声を掛け合い、失われた日常をその手で懸命に取り戻そうとしていた。
少年は、額に流れる汗を拭い、目の前の石壁を見上げた。
昨日、指の皮が剥けるまで岩を運び、ようやく積み終えたばかりの防壁。
それは、この街を守る盾であると同時に、12歳の彼が「独りで生きていく」と決めた意地の結晶でもあった。
だが、その営みは一瞬で無慈悲な破壊へと塗り替えられる。
「——逃げろ! 魔族だ! 魔族が現れたぞ! 」
悲鳴が上がるよりも早く、関門から爆炎が上がった。
平和な空気を切り裂いて飛来した魔力の奔流が、並び始めた家々を紙細工のように粉砕していく。
「……あ……っ」
手にしていた槌を落とし、少年は呆然とその光景を見つめた。
砂塵が舞い、視界が白く濁る。
昨日、指の皮が剥けるまで岩を運び、ようやく積み終えたばかりの石壁が、瓦礫の山と化していた。
一瞬で地獄絵図と化し、逃げ惑う人々を、異形の影が笑いながら蹂躙していく。
土煙を割り、ゆっくりと「それ」が歩み寄ってきた。
三つの眼を愉悦に細め、異様に長い腕を地面にまで引きずった魔族だ。
奴は逃げ惑う職人たちをゴミのように蹴散らしながら、街を破壊し尽くす快楽に浸っていた。
だが、ふと魔族の足が止まる。
三つの眼が、瓦礫の前に立ち尽くす一人の少年——少年を射抜いた。
魔族は、長い鼻をひくつかせて空気を吸い込む。
「……くん、くん。……ははっ、なんだこの懐かしい匂いは」
魔族の口角が、醜く吊り上がった。
「泥臭くて、煤けた火のような……。魔王様が『根絶やしにせよ』と命じた、あの忌々しい一族と同じ匂いだぞ」
「……っ! 」
「生き残りがいたのか。これは傑作だ。あの一族を一人残らず殺すのは魔王様との絶対の約束だ。……運がいいぜ、ここで見つけちまうなんてなぁ! 」
魔族の巨体から放たれる圧倒的な殺圧に、周囲の空気が重く澱む。
少年の脳裏に、あの日見た赤い月と、自分を逃がすために盾となった父の背中がフラッシュバックする。
魔王が恐れ、抹殺を命じた自分の一族。
その誇りと、父の命。
こいつは今、それを笑いながら踏みにじろうとしている。
「……だまれよ」
「魔王様の懸念を俺がここで断ってやる。あいつらと同じような、絶望した顔を見せて死ね! 」
「黙れえええええ!!! 」
少年の咆哮が、修繕現場に響き渡った。
心臓が激しく鐘を打ち、全身の血液が沸騰する。
三ヶ月の重労働で引き締まった少年の身体に、異様な変化が起きた。
血管が黒々と浮き上がり、瞳が獣のような紅に染まる。
「おっと……!? その力、本物か! 面白い、面白いなあ! 」
少年は、足元の鉄の杭を掴み、弾丸のような速さで突っ込んだ。
しかし、速さはあっても、その動きに「技」はない。ただの怒りの突進だ。
魔族は嘲笑を浮かべたまま、最小限の動きでそれをかわすと、長い爪を少年の脇腹に突き立てた。
「ぐっ……あぁぁぁ!! 」
「あはは! 力はあるが、使い方はまるで赤子だ。せっかくの一族の力も、これじゃ宝の持ち腐れだなぁ。死ねよ、生き残り」
魔族の巨大な拳が、少年の頭上から振り下ろされる。
死の影が網膜を覆い、すべてが終わると思ったその瞬間。
——キィィィィィンッ!!
鼓膜を突き刺すような、清冽な金属音。
「……そこまでだ、外道」
澄んだ、しかし鋼のように冷たく鋭い声。
少年の目の前に、閃光のような銀色の刃が割り込み、魔族の剛腕を真っ向から受け止めていた。
「……なっ、誰だてめえ! 」
魔族が飛び退き、眼を剥く。
そこに立っていたのは、銀色の鎧を纏い、凛とした空気を纏った一人の女性だった。
その手にある長剣からは、淡い光を放つ風が、彼女を守るように舞い踊っている。
(…… この人……もしかして、噂の……)
少年は、薄れゆく意識の中で、彼女の背中を見つめた。
彼女は振り返りもせず、厳格な口調で言い放つ。
「我が精霊が、不浄な魔力を嗅ぎつけた。……無辜の民を弄ぶのが貴様たちの流儀か。反吐が出るな」
そんな彼女を見ても尚、魔族は余裕そうな表情を浮かべていた。
「ヒヒッ……手応えのある女だ! その細い首、ねじ切るのが楽しみだよ! 」
魔族が地を蹴った。
巨体に見合わぬ瞬発力で、一瞬にして彼女の間合いを蹂躙する。
振るわれた長い腕は、単なる打撃ではない。
周囲の空気を圧縮し、衝撃波となって襲いかかった。
彼女は鋭い踏み込みでそれを紙一重で回避するが、背後の石壁が触れてもいないのに爆ぜ、礫が彼女の頬をかすめて朱を引いた。
「風よ、我が盾となれ! 」
彼女が叫ぶと同時に、精霊の旋風が渦を巻き、追撃の爪を強引に逸らす。
だが、魔族は止まらない。
斬られた傷口からどす黒い魔力を噴き出し、無理やり肉を繋ぎ合わせながら、狂ったような猛攻を仕掛けてくる。
「死ねよ、人間ぁぁぁ!! 」
魔族の三つの瞳が怪しく発光し、周囲の重圧が急激に増した。
少年は地面に這いつくばったまま、呼吸さえ困難なほどの圧迫感に襲われる。
(……あんな怪物に……勝てるのか……?)
彼女の額に汗が滲む。
彼女は剣を握り直し、精霊の声を聴くように目を細めた。
「……傲慢だな。貴様たちの暴力で、すべてを屈服させられると思うな」
彼女は自ら、魔族の懐へと飛び込んだ。
それは一見、自殺行為に見えるほどの肉薄だった。
「もらったぁ!」
魔族の爪が彼女の心臓を貫こうと突き出される。
だが、彼女は空中で身体を不自然に捻り、その腕を**「足場」**にして跳躍した。
「精霊よ……我が命を糧に、一瞬の静寂を。——『双嵐・断頭台』! 」
彼女の剣が、上下から挟み込むような二条の光の帯を描いた。
一撃目は魔族の視界を奪う目眩まし。
そして本命の二撃目が、精霊の暴風を一点に凝縮し、魔族の鋼のような首筋へ叩きつけられる。
ガギィィィィィィンッ!!!
周囲の窓ガラスが一斉に割れるほどの衝撃音。
魔族の皮膚が裂け、どす黒い鮮血が噴き出した。
「ギャァァァァァッ!? おのれ……おのれぇぇ!! 」
致命傷に近い一撃。
だが、魔族は死なない。
首を半分断たれ、理性を失った魔族は残った力を暴走させ、周囲の建物を手当たり次第に薙ぎ払った。
その破壊の余波で、折れた監視塔の石材が、動けない少年の頭上へ降り注ぐ。
「……っ、少年! 」
魔族の首筋に届きかけていた彼女の剣先が、一瞬で翻った。
いま剣を振り抜けば、この怪物を確実に仕留められる。
だが、その数秒の間に、背後の少年は石の山に押し潰され、肉塊と化すだろう。
彼女に迷いはなかった。
彼女は魔族に背を向け、一気に後方へと跳躍する。
「精霊よ、吹き荒べ! ——『烈風の盾』! 」
空中。
彼女は少年の身体を覆うようにして降り立ち、頭上から迫る瓦礫の 雨を、剣と風の防壁で強引に受け止めた。
凄まじい衝撃音が響き、彼女の銀鎧が悲鳴を上げる。
「ガハッ……! ぐ、うぅ……! 」
衝撃を逃がしきれず、彼女の口端から一筋の鮮血が流れる。
その背後、土煙の向こう側で、魔族は自らの放った破壊の煙に紛れ、這うようにして街の闇へと姿を消した。
「……待て、おのれ……っ! 」
追いかけようとした彼女だったが、足元には震える少年がいる。
さらなる崩落から彼を守らねばならなかった。
静寂が戻る。
彼女は、今にも崩れ落ちそうな石材を精霊の力で弾き飛ばすと、肩を激しく上下させながら、少年の傍らに膝をついた。
「おい、しっかりしろ……! 少年! 」
彼女は静かに、だが力強くそう告げると、少年の身体を優しく、かつしっかりと抱き上げた。
視界が落ちる間際、鼻を突いたのは泥の匂いではなく、彼女の鎧が纏う鉄の匂いと、確かな救いの温度だった。
それが、少年が意識を失う直前に見た、白銀の背中だった。




