第三章:再起の契約
白い天井。鼻を突く消毒液の匂い。
窓から差し込む夕陽が、赤く病室を染めていた。
「……う、ん……」
体を動かそうとして、少年は「あうっ」と短い悲鳴を上げて顔をしかめた。
脇腹の傷が、焼けるように熱い。
全身が鉛のように重くて、指先一つ動かすのにも必死だった。
(……俺、生きてる……? あの化け物は……?)
「目が覚めたか」
部屋の隅、逆光の中にその影はあった。
鎧を脱ぎ、簡素な旅装束に身を包んだ彼女だ。
その肩や腕には、あの激闘を物語る包帯が痛々しく巻かれているのが見えた。
「……あ、あんたは……」
「エレンだ。昨日は無茶をしたな、少年。……いや、その回復力を見るに、無茶と言い切るのも間違いか」
彼女はゆっくりと歩み寄り、ベッドの傍らで少年を覗き込んだ。
その眼差しは鋭く、でも昨日の戦場で見せた鬼のような怖さは、どこにもなかった。
「病院の先生が驚いていたぞ。数日は目が覚めないはずの傷が、一日で塞がっている」
「……かつて私の師が語っていた『鬼の一族』。その力、噂以上だな」
少年は、ハッとして息を呑んだ。
「……知ってるの? 俺たちのこと……。……あんた、何者なんだよ。あの化け物をあんな風に……。あんたが、街のみんなが言ってる……勇者なの? 」
エレンはわずかに眉を動かし、自嘲気味な笑みを浮かべた。
「どうだろうな。私には、あれを仕留める力が足りなかった」
「……だが少年、私は確信している。貴様は、今のままじゃ次にあの魔族に出会った時、確実に死ぬ」
彼女は、ベッドの横に置かれた、土埃と泥にまみれた少年の服を一瞥した。
「その体……見たところ、どこかで相当過酷な生活をしていたようだが、力の引き出し方を知らないんだ。怒りに任せて振り回すだけの刃は、ただの鉄屑だ」
「……復讐したいんだろ? その程度じゃ、魔王の心臓に届く前に、あんた自身が折れるぞ」
「……っ、そんなの分かってるよ! でも、俺にはこれしか……他にどうすればいいか、分からなかったんだ……!」
悔しさと情けなさで、少年の瞳に熱いものが込み上げる。
「だから、提案に来た」
エレンは少年の言葉を遮り、真っ直ぐにその小さな手を見つめた。
「私も一人旅は限界だと思っていた。先日も、仕留め損ねたからな。……貴様のポテンシャルは高い。磨けば、魔王を討つための強力な一助となるだろう」
彼女は一人の武人として、真剣な眼差しを向けた。
「私が貴様の師となり、戦う術のすべてを叩き込む。……ついて来ないか?」
「無理にとは言わない。地獄を見るような過酷な道になるからな」
病室に沈黙が流れる。
窓の外からは、帰路につく人々の喧騒や、子供たちの笑い声が聞こえてくる。
少年は、布団の上で自分の拳をぎゅっと握りしめた。
傷跡はまだ痛む。
でも、その痛み以上に、目の前の女性が差し出してくれた「光」が、胸の奥を激しく揺さぶっていた。
「……お願いします」
少年は、ベッドの上で精一杯、深々と頭を下げた。
声が震えるのを、必死に抑えながら。
「俺を、強くして……。あの魔族も、魔王も……俺がこの手で、ぶっ殺すために」
「いい返事だ」
エレンは満足げに頷き、少年の頭にポン、と大きな手を置いた。
「そういえば、まだ聞いていなかったな。……少年の名は何という?」
少年は一度、窓の外の赤く染まった空を見つめ、それから真っ直ぐに彼女の瞳を射抜いた。
「……アルト」
「アルト、か」
エレンは慈しむようにその響きを繰り返す。
彼女は少しだけ口角を上げ、不器用な笑みを見せた。
「分かった。これから宜しく頼むな、アルト」
「……準備ができたら来い。私の訓練は、そこらの大人の仕事よりずっときついぞ」
彼女が部屋を去った後、アルトは夕陽に照らされた自分の手を見つめた。
自分自身の名前を、自分を救ってくれた人に告げた。
それは、過去を捨てて逃げるだけの子供から、一人の「復讐者」として歩み出すための、小さな、けれど確かな宣誓だった。




