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アート&マネー  作者: Zoo
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28/29

# 第二十八話 超克


## 一


「僕が——」


 受話口の向こうから、天草の声が、聞こえた。


「最後の作品を、一千五百万円で——即落札、して、あげようじゃないか」


 俺は——スマホを、スピーカーモードに、切り替えた。

 部屋の真ん中の、ノートパソコンの脇に、それを、置いた。

 鈴愛、薫、鷹村——三人の顔に、緊張が、走った。


「……それは、有り難い、話ですが」


 俺は、ゆっくり、答えた。


「条件は?」


「簡単だよ」


 彼の声は、上機嫌だった。


「二次流通権だ」

「君たちの作品が、再販されるときは——全て、私のギャラリーを、通す」


 第二十一話、と——同じ条件、だった。

 あの日、俺たちは、それを、断れなかった。

 いや——飲んだ、と、言うべきだった。

 その後の、薫の暴発で、契約は、消えた。

 いま、もう一度、彼は、その契約の、扉を、開けようとしていた。


「今すぐ、返事は、できません」


 俺は、答えた。


「一分、考えさせてください」


「分かった」


 俺は——スマホを、保留に、した。


 部屋の空気が、ぴたり、と、止まった。


 俺は、薫と、鈴愛を、振り返った。


「鈴愛——」


 俺は、ゆっくり、訊いた。


「お前は、どう、思う?」


「私としては——」


 彼女は、答えた。


「……お任せするよ」


 彼女の声に、迷いは、なかった。


「今は、"描くこと"が、できるだけで、いい」

「今回、だめでも——また、描けばいい、から」


 彼女は、静かに、続けた。


「私は、もう、筆を、置いた人間じゃ、ないから」


 俺は、頷いた。

 頷いて——薫の方を、見た。


 薫は、しばらく、答えなかった。

 画面を、じっと、見ていた。

 第二十一話の、暴発以来、彼は、ふだん通りの、寡黙さを、ほぼ、回復していた。


 しばらくして、彼は、ぽつり、と、言った。


「……欲しい人が、他にも、いるんなら」


 彼の声は、低かった。


「その人たちにも——チャンスを、あげたい、かも」


 俺は——息を、吐いた。


 二人とも——

 俺の知っている、商売人の言葉では、答えなかった。

 彼らは、画家の、言葉で、答えた。


「……そうか」


 俺は、頷いた。


「分かった」


 俺は、保留を、解除した。


「天草さん——」


 俺は、ゆっくり、言った。


「申し訳ないが——お断りします」


 受話口の向こうで——天草の、息が、わずかに、止まった。


「ほう」


 彼の声は、上品だった。

 しかし、わずかに、棘が、あった。


「君のような、状況で——私の提案を、蹴るとは」

「まさか、他に、大口の客でも、いるのかい?」


「それは——」


 俺は、答えた。


「分かりかねます」


「ただ——」


 俺は、続けた。


「もし、天草様が、作品を、気に入って、くれるのならば」

「どうか——天草様、なりの、価値を、つけて、いただけると、幸いです」


 受話口の、向こうで——

 彼の、笑い声が、漏れた。

 いつもの、上品な笑いとは、違う、種類の笑いだった。

 わずかに、子供の頃の、彼を、思い出させる、種類の、笑いだった。


「分かったよ」


 彼は、ゆっくり、言った。


「正々堂々と——オークションに、参加しよう」


 通話が、切れた。


 俺は、額の汗を、シャツの袖で、拭った。

 拭ってから——鷹村と、目を、合わせた。


 これで、勝負だ——と、俺は、心のなかで、つぶやいた。

 どのみち、一千五百万では——目標に、届かない。

 最後の作品は——ガチンコ、勝負、だった。


---


## 二


「お待たせしました!」


 画面のなかで、オークショニアが、叫んだ。


「いよいよ、最終出品!」

「No.5——小日向鈴愛『超克』の、スタートです!」


 画面が、切り替わった。


 『超克』。

 縦、二メートル八十センチ。

 幅、二メートル。

 俺たちが、これまでに、扱った、最大の、サイズ。

 画面の中央には、燃やされた父の絵の、灰の、いちばん大きな塊が、貼り付けてあった。

 その灰の上に、若い女の、横顔が、乗っていた。

 横顔は、画面の外を、見ていた。

 彼女が、見ていたのは——たぶん、次の世界、だった。


「初値、三百万円から!」


「これが——」


 鈴愛が、つぶやいた。


「一番、大きい絵……」

「果たして、売れるかな……」


 俺は——画面を、見ていた。


 数秒。


 ——Bidder #6: ¥3,000,000


「三百万円!」


 オークショニアの声。


「次は、三百二十万円!」


 ——Bidder #3: ¥3,200,000


「三百四十万円!」


 ——Bidder #6: ¥3,400,000


 数秒、止まった。


「あれ?」


 鷹村が、ぽつり、と、言った。


「思ったより、伸びない……」

「もう、止まるのか?」


 画面のなかで、カウントダウンが、始まった。


「四百万円——」

「ファイナル、コール、まで、二十秒……」


 俺は——息を、吸った。


 一番、力を、入れた、作品なのに——

 俺は、心のなかで、つぶやいた。


 いや——

 そんなの、関係ねえ、か。

 だって、そもそも——アートってのは——


---


## 三


 その時——

 俺の頭のなかで、ある一枚の、写真が、浮かんだ。


 白い、陶磁器の、便器。

 それが、台座のうえに、横倒しに、据えられて——

 ロープで、四角く、囲まれていた。

 台座の脇に、キャプション。

 ——マルセル・デュシャン作『泉』。


 俺は、十歳、だった。


「その、便器の、どこが、すごいのか」


 祖父の声が、聞こえた。


「じいちゃんに、教えてくれるか?」


「だってだって!」


 子供の俺の、声が、聞こえた。


「なんか、良いんだもん!!」


「僕の自転車も、パパの車も——ママの鞄も、じいちゃんの靴も——」

「そう思ったら、ぜんぶ——芸術なんじゃ、ない⁉」


 あの一言を、俺は、長く——忘れていた。


 俺は、長く、祖父の「金になるからだ」の方を——覚えて、いた。

 祖父の、その一言を、人生の、地図にして、ここまで、来た。

 だが——

 あの日、便器の前で、俺が、最初に、つかんだのは——

 祖父の言葉ではなく、俺自身の、たった一言、だった。


 ——なんか、良いんだもん。


 芸術ってのは——

 俺は、心のなかで、つぶやいた。


 それを「良い」と、思う人が、いる、時点で——成立する。

 自分で、決めるものじゃ、ない。

 それを、見た人に、決めてもらおう。


 俺は、何を——必死に、なってんだ?


---


## 四


「五百万円!」


 オークショニアの声。


「他に、いませんか……」

「残り、十秒……」


 俺は——薫と、鈴愛の顔を、見つめた。


 二人は、ぴたりと、画面を、見ていた。

 彼らの目には——オークションの、数字を、追う、種類の緊張は、もう、なかった。

 彼らは、自分たちが、作った絵が、いま、誰かの、世界に、届く瞬間を、見ていた。

 ただ、それだけを、見ていた。


「二人は——」


 俺は、ぽつり、と、つぶやいた。


「これだけ、素晴らしい作品を、作った——」

「それで、いいじゃないか」


 俺は——背もたれに、深く、身体を、預けた。


 借金も、なにもかも——全部、受け入れよう。

 受け入れて、また、ゼロから、始めよう。

 俺の祖父も、画廊を、戦後から、ゼロで、立て直した。

 俺だって——できる、はずだ。


 オークショニアの、カウントダウンが、続いていた。


「五——」

「四——」

「三——」


 その時——


 ぱっ、と、画面が、切り替わった。


「!」


 俺の目が、画面を、捉えた。


 ——Bidder #49: ¥10,000,000


「!」


「!」


「!」


 全員が、息を、呑んだ。


「キ、来た!」


 鷹村の声が、跳ねた。


「一千万円⁉」

「一気に、五百万円、アップ!」

「Bidder #49って——誰だ⁉」


 俺は、画面を、凝視した。


 四十九番。

 俺の、ダミー、じゃ、なかった。

 俺の知っている、コレクターの番号、でも、なかった。


「天草じゃ、ねえ」


 俺は、ぽつり、と、言った。


「一体——⁉」


 その時——別の場所で。


 港区の、天草のオフィス。

 彼は、画面を、見ていた。

 彼の表情から、上品な笑みが、消えていた。


「何者だ?」


 彼は、ぽつり、と、言った。


「舐めるな!」


 彼の指が、エンターキーを、叩いた。


 ぱっ、と、画面が、切り替わった。


「!!」


 オークショニアの声が、跳ねた。


「一千二百万円!」

「次は、一千三百万円!」


 画面の、入札ログに——

 Bidder #49と、Bidder #24の、二人だけが、交互に、表示されていた。


 ——Bidder #49: ¥13,000,000

 ——Bidder #24: ¥14,000,000

 ——Bidder #49: ¥15,000,000

 ——Bidder #24: ¥17,000,000

 ——Bidder #49: ¥20,000,000


「まさかの、二千万円を、超えました!」


 オークショニアの声は、興奮していた。


「次は、二千二百万円!」


「……!!」


 部屋に、声に、ならない、声が、満ちた。


 その時——天草のオフィス、で。

 画面を、見ていた、彼は——ゆっくり、首を、振った。


「……なんだ、これ」


 彼は、ぽつり、と、言った。


「馬鹿馬鹿しい」


「これ以上は——」


 彼は、続けかけた。


 ぱっ、と、画面が、切り替わった。


「二十四番が——二千三百万円!」


 オークショニアの声。


 天草の表情が、止まった。

 止まったが、彼は、エンターキーから、指を、離した。


 彼は——もう、出さなかった。


 次の瞬間——


 ぱっ、と、画面が、切り替わった。


「!」


「ビッダー番号、四十九番が——二千五百万!」


 オークショニアの声が、跳ね上がった。


「二千五百万!」

「他に、いらっしゃいますか?」


 天草は——画面を、見て、息を、吐いた。


「ふん」


 彼は、ぽつり、と、言った。


「一作目も——もう、いらない」

「すぐに、売りに出そう」


 しかし——彼の指は、もう、エンターキーには、戻らなかった。


「3——」


 オークショニアの、カウントダウン。


「2——」

「1——」


「落札!!!」


 画面が、切り替わった。

 『超克』の、写真が、消えた。

 代わりに、落札確定の、表示が、出た。


 ——ロットNo.202:小日向鈴愛『超克』

 ——落札額:¥25,000,000

 ——落札者:Bidder #49


【第二十八話 了】

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