# 第二十七話 電話
## 一
「六百二十万円!」
オークショニアの、声が、続いた。
「六百二十万円、どなたか、いらっしゃいますか?」
画面の、最高入札額——六百万円、Bidder #4。
俺の、ダミーアカウント、だった。
俺は——両手を、机のうえで、強く、握っていた。
頼む——
俺は、心のなかで、つぶやいた。
頼む、乗ってくれ、天草——。
その時——別の場所で。
港区の、天草のオフィス。
彼は、デスクのうえに、両肘を、ついて、画面を、見ていた。
彼の隣で、執事が、訊いた。
「天草様、どうしますか?」
「んーーー」
彼は、唸った。
「そうだね」
彼は、ゆっくり、続けた。
「一気に、千万円に、引き上げて——勝負を、決めてもいいんだけど……」
彼の指が、自分のあごに、軽く、当たった。
「なんか、この、四番の、入札タイミングが——」
彼は、画面の、Bidder #4の、表示を、見ていた。
「気に食わない、んだよね」
彼の口角が——わずかに、歪んだ。
「五作品、揃えよう、なんて——」
彼は、ゆっくり、言った。
「拘りを、持つ必要は、ない」
「ここは、流そうか」
---
## 二
俺たちの画面で——
カウントダウンが、続いていた。
「残り、十秒!」
オークショニアの、声。
「九、八、七——」
「マジか——」
俺の口から、声が、漏れた。
「もしかして——天草は、ここで、降りたのか?」
俺は——額の汗を、シャツの袖で、拭った。
拭ったが、汗は、すぐに、もう一筋、こめかみを、伝った。
ヤバい——
この金は——
「五、四、三——」
オークショニアの、カウントが、続いていた。
俺の頭のなかで、ある言葉が、ぐるぐる、回っていた。
今月の、前田への、返済金、なんだぞ⁉
もし、このまま、四番が、六百万で、落札したら——
その六百万円は、俺の口座から、出した、ダミーの、入金額。
オークションの、買い手が、自分自身、ということに、なる。
売り手と買い手が、同一人物の、取引は——SGKの規約上、無効、ではない、が——
オークション手数料は、二〇パーセント、容赦なく、引かれる。
六百万から、百二十万、消える。
俺は、自分の金で、自分の絵を、買って——百二十万円、損する、ことに、なる。
いや、それだけ、じゃ、なかった。
ダミーアカウントの、原資は、七百万。
その、ほぼ全額が、塩漬けに、なる。
来月の、前田への、返済が——できなくなる。
「二、一——」
俺は——目を、瞑った。
ヤバい——
ヤバい——
ヤバい——
ぱっ——
画面の、空気が、切り替わった。
「六百二十万円!」
オークショニアの、声が、跳ねた。
俺は——目を、開いた。
画面の、入札ログには、新しい一行が、増えていた。
——Bidder #19: ¥6,200,000
「他に、いらっしゃいませんか!」
オークショニアの、声。
俺は——画面を、凝視した。
Bidder #19——。
俺の、ダミーじゃ、なかった。
天草の、二十四番でも、なかった。
俺の知らない、誰か、だった。
いや——
俺は、心のなかで、つぶやいた。
たぶん、知っている、誰か、だ。
俺の、祖父の、古い顧客台帳に、登録した、人物。
昔、KAGAYA Galleryに、招待状を、送った、誰か。
第二十三話の、シークレット展示会に、来た、誰か。
いま、彼らは、自宅で、ノートパソコンの前に、座って——
人生で、初めての、ネットオークションに、参戦している。
「はい——六百二十万円——」
オークショニアの、カウントダウンが、新しく、始まった。
「ファイナル、コール——」
「3、2、1——」
「落札!」
画面が、切り替わった。
『再生』の、写真が、消えた。
代わりに、落札確定の、表示が、出た。
---
## 三
別の、場所で。
東京郊外の、戸建ての、ダイニングテーブル。
沢城芙美子と、武市の老夫妻が、画面を、覗き込みながら——
ぎゅっ、と、互いの手を、握り合っていた。
「きゃー——」
夫人の口から、若い娘のような、声が、漏れた。
「落札したわ!」
---
## 四
俺たちの画面で——
鈴愛が、明るい声を、上げた。
「六百二十万円——」
「さっきより、上がったわ!」
「やったな、牧人……」
薫が、ぽつり、と、言った。
俺は、椅子の背もたれに、深く、身体を、預けた。
預けながら、薫が、振り向いて、俺の顔を、見て——驚いた。
「って、お前——」
彼の声が、上がった。
「どうしたんだ⁉」
俺の額は、滝のような、汗で、濡れていた。
頬を、伝った汗が、首筋を、シャツの中に、流れ込んでいた。
「いや」
俺は、笑った。
笑ったが、笑い方は、上手く、できなかった。
「ちょっと、興奮しすぎてよ」
「……」
鷹村は、何も、言わなかった。
彼は、ふだんの、軽い口調を、捨てて——緊張した顔のまま、画面を、見ていた。
鷹村と、俺だけが、知っていた。
俺たちが、いま、本当に、何を、踏み越えたか。
マジで——こんなの、心臓が、もたねえ、と、俺は、心のなかで、思った。
ダミーアカウントが——天草に、勘付かれたのか?
あの、四番の、刻み方は、俺たちの、想定通り、だった。
なのに、天草は——降りた。
降りたから、十九番の、沢城夫妻が、結果的に、競り勝った。
ラッキー、だった。
ラッキーが、続く、保証は——どこにも、なかった。
しかし——
俺は、頭のなかで、計算機を、回した。
さっきの五百万と、今の六百二十万——合わせて、千百二十万。
目標の、五千万円には——まだ、全然、届かない。
残り三作品で——届くのか?
「これまでの流れ——」
俺は、振り返った。
「どう思う?」
「そうっすね」
鷹村は、やや、声を、戻した。
「悪くは、ない流れだと、思います」
「一作目と、二作目は、様子見の、ビッダーが多かった、はず」
「でも——」
彼は、続けた。
「一作目、二作目と、値段が、上がったことで——」
「安心して、入札が、進むんじゃ、ないでしょうか?」
「だよな」
俺は、頷いた。
「俺も、そう思う」
俺は、心のなかで、付け加えた。
——てか、そうあって、くれ。
---
## 五
その後——
オークションは、進んだ。
値段は、しかし——望んでいた、ような、高騰は、なかった。
三作目『決別』。
六百四十万円、で、落札。
ビッダー、十九番——たぶん、沢城夫妻、だった。
四作目『再生』。
五百八十万円、で、落札。
ビッダー、二十四番——天草、だった。
彼は、二作目で、流したあと、四作目で、また、買い戻していた。
しかも、安く。
合計——
五百万+六百二十万+六百四十万+五百八十万——
二千四百四十万円。
最低目標額の——五千万円まで。
あと——二千五百六十万円、足りない。
残り——一作品。
俺は——絶体絶命のピンチ、だった。
---
## 六
「いよいよ——」
鷹村が、ぽつり、と、言った。
「五作品目、ですね」
「あれっきり——」
俺は、額の汗を、もう一度、拭った。
「天草も、入札に、参加してこないし……」
「参った」
「でも——」
鈴愛が、口を、開いた。
「次は、百号サイズで、一番、力を入れた、作品よ」
「薫くんが、いなきゃ、絶対に、完成しなかった、力作」
「ああ」
俺は、頷いた。
「まだ、可能性は、ある」
「最後まで、諦めずに、行こう」
その時——
俺の、ジャケットの、内ポケットの、スマホが、震えた。
「!」
俺は、スマホを、取り出した。
画面の、発信者欄には——
——天草、玲司
「天草!」
俺の声が、跳ねた。
「え?」
鷹村が、振り返った。
「天草さん⁉」
「もしもし」
俺は、通話を、繋いだ。
薫が——心配そうに、こちらを、見ていた。
彼の、目つきは、第二十一話の、暴発以来、ふだんよりも、何倍も、優しい目つき、だった。
受話口の、向こう、で——
天草の、声が、聞こえた。
「やあ、牧人君」
彼の声は、いつもの、上品さに、戻っていた。
「調子は——どうだい?」
「知っての通り——」
俺は、ゆっくり、答えた。
「苦戦してますよ」
「僕が——」
彼は、笑った。
「参加してると、思うのかい?」
「二十四番が——」
俺は、即答した。
「天草さんだと、思っていますが」
「御名答」
彼は、続けた。
「では——」
彼の声が、低くなった。
「おそらく、四番が——君の、ダミーアカウント、じゃないかな?」
「!」
俺の心臓が、跳ねた。
「……お答えできかねますが」
俺は、できる限りの、平静を、装って、答えた。
「一体、何の、お電話でしょうか?」
「五百万円で——」
彼は、ゆっくり、続けた。
「一作品、落札して——」
「僕は、もう、満足してるんだが」
「出来れば——」
彼の声に、わずかに、楽しげな響きが、混じった。
「もう一作品——欲しくなった」
「条件次第では——」
彼の声が、低くなった。
「五作品目は、僕が、落札しようと、思ってるんだ」
「!!」
俺は——絶句した。
【第二十七話 了】




