表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アート&マネー  作者: Zoo
PR
18/29

# 第十八話 投資家の世界


## 一


「一作、五千万円の——最低落札保証、いかがですか?」


 俺と、天草は——向かい合ったまま、しばらく、睨み合った。


 俺の隣で、鈴愛が、心のなかで、悲鳴を上げているのが、見えた。


 ——合計、二億五千万円⁉

 ——無茶でしょ⁉


 彼女の表情は、それを、ほぼ、声に、出していた。


 天草は、しばらく、グラスを、ゆっくり、揺らしていた。

 ワインの赤が、夜景の青を、背景にして、深く、ゆれた。


 ふっ——と、彼が、笑った。


「ありえないよ」


 彼の声は、低く、まっすぐ、だった。


「小日向文雄の遺作のことを——加味しても、せいぜい……」


 彼は、グラスを、テーブルに、置いた。


「一千万」


 彼は、ゆっくり、続けた。


「五作品で——五千万円までなら、出そう」


 俺の隣で、薫と鈴愛が、わずかに、息を、呑んだ。


「リザーブプライスを超えて——落札された分の」

「僕の取り分は——八〇パーセント」


「!」


「どうだい?」


 彼は、ふっ、と、口角を、上げた。


「これでも——最大限の、評価のつもりだが」


 俺は、頭の中で——瞬時に、計算機を、回した。


「……オークション、手数料は?」


「落札額が、一千万円を超えた分は——僕がもとう」


 俺の頭のなかで——電卓の数字が、ぱちぱち、と、叩かれた。


 各、一千万、で、五作品。

 俺への、入金は——五千万円。

 オークション手数料が、平均、二十パーセント。

 残りは——四千万。

 俺の手取りの、半分が、鈴愛のギャラ。

 残り——二千万。

 そこから、制作費、鷹村に支払う、プロモーション費、ギャラリーの、ふだんの運営費——。

 俺のは——殆ど、残らない。


 だから、一千万、以上で売れた場合の、分配金に——期待、だが。

 仮に、各作品が、五千万で、売れたとしても——俺に入るのは、二〇パーセント、の、一千万、だけ。

 それも——鈴愛に、半分、分配する、から——。


 俺は、心のなかで、深く、ため息を、ついた。


 ——天草め。

 ——生かさず、殺さずの、ライン、ついてきてるな。


---


## 二


 俺は——立ち上がった。


「!」


 俺の隣で、薫と鈴愛が、跳ねた。


 俺は、ソファの、ひじ掛けの脇に、立った。

 顔は——できるだけ、むすっ、と、した、ままで。

 立ち上がって、二歩、ソファの裏側に、回った。


 薫と鈴愛が、ハラハラ、と、俺の背中を、見ていた。


 こうなりゃ——と、俺は、心のなかで、呟いた。


 こうなりゃ、下手に、出る、しかない。


 俺は、ぐるり、と、ソファのうしろから、天草の前まで、戻ってきた。

 戻ってきた、瞬間に、俺の顔は——にこーっ、と、笑顔に、なっていた。

 手を、揉みながら、軽く、頭を、下げる、姿勢で。


「天草さーーん」


 俺の声は、もう、商売人の、媚びの声、だった。


「それだと、殆ど、俺に儲け、出ないじゃないですか〜?」


 俺は、心のなかで、自分に、言い聞かせた。


 ——下手に、出てなんとか、条件、上げてもらうぜ。


「そんな事、ないだろう?」


 天草は、微塵も、動じなかった。


「君の目論見通り——五千万円で、売れれば」

「二千万円弱は、君の手元に、残るはずだ」


「でも——」


 俺は、ぐぐ、と、続けた。


「制作費や、プロモーション費も、かかるし」

「彼らへの、分配も、あるし——カツカツなんですよ〜」


「……」


「せめて、リザーブプライス、三千万に、上げるか——」


 俺は、両手を、合わせた。


「分配率、五〇パーセントに、して下さいよ」


「頼みますよ——」


 俺は、声に、わずかに、甘えた響きを、混ぜた。


「天草、センパイ」


 その瞬間——

 天草が、すっ、と、片手を、俺に向けて、出した。


「!」


 俺は、止まった。


「その手には、乗らないよ、牧人くん」


 彼の声が、低くなった。


「住む世界が、違うと、言ったのは——君だ」


「!」


 俺の口から——空気が、漏れた。


「我々、投資家は——」


 彼は、ゆっくり、続けた。


「金という、リスクを、払う」


 彼は、自分の手を、ひろげた。


「君たちは、そのおかげで——リスク無く、収入を得ることが、できる」


 彼の目が——俺を、貫いた。


「リスクある、我々の、収益が、多いのは——当然だろう?」


 俺は——黙った。


「僕は——」


 彼は、続けた。


「今は、投資家の、世界で、生きているんだよ」


---


## 三


 俺は——下を、向いた。

 諦めたように、向いた。


「天草さん……」


 俺は、ぽつり、と、言った。


「あなた——変わりましたね」


 ぱちん——

 彼の目に、何かが、灯った。

 すこし、寂しい、種類の、灯り、だった。


「いつまでも——」


 彼は、笑った。


「ただの、ボンボンの、僕だと」

「思っていたのかい?」


「いえ」


 俺は、首を、振った。


 俺と、天草が——まだ、二十代のはじめだった頃。

 彼は、ペーパーカンパニーの、スポンサー側の、御曹司、だった。

 俺は、その、ペーパーカンパニーの、雑用、だった。

 彼は、当時、絵を、何枚か、買っていた。

 買い方は——情緒的で、無計画で、楽しそうだった。

 あの頃の、彼の、目は——美しいもの、面白いものを、見つけたときに、輝く、種類の目、だった。

 いま、目の前に、いる、彼の目は——そういう目では、もう、なかった。


 彼は——ソファのうえで、姿勢を、変えた。

 俺の、向かい側ではなく——薫と、鈴愛の、向かい側に、向き直った。


「君たちにも——」


 彼は、二人に、向かって、笑った。


「これは、チャンスのはずだ」


 薫の眉が、わずかに、上がった。


「今回——」


 天草は、続けた。


「君たちの絵が、高額で、落札されれば」

「君たち自体の、アーティストとしての、価値は——飛躍的に、高まる」


「そうすれば——」


 彼は、目を、細めた。


「君たちの、今後の、創作物には」

「ずっと、価値が、生まれ続けるだろう」


 俺は——天草の横顔を、見ていた。

 彼は、もう、俺の顔を、見ていなかった。

 彼は、薫と、鈴愛、二人の顔だけを、見ていた。

 その目は、商売人の目、ではなかった。

 もっと、別の——画家を、見つけた、コレクターの目、だった。

 まだ、本物の、コレクターの目が、彼のなかに、残っていた。


「牧人っち——」


 鈴愛が、俺を、振り返った。


「この話、受けようよ」


「!」


 俺は、彼女を、見た。


「天草さんの言うとおり——」


 彼女は、続けた。


「これは、チャンスだよ」

「これが、売れたら——六作品目、七作品目、と、作れば、いんだからさ」


 彼女は、にこ、と、笑った。


「ね?」


「あ——ああ」


 俺は、頷きかけた。

 頷きかけて、薫の方を、向いた。


「薫も——それで、いいか?」


 薫は——肩を、すくめた。


「いいんじゃね」


 彼は、淡々と、答えた。


「絵なんか——いくらでも、描けばいいんだし」


 天草が——わずかに、笑った。


「はは」


 彼は、俺を、見た。


「牧人くん——」


 彼の目に、もう一度、寂しい灯りが、灯った。


「君は——素敵な作家に、囲まれているじゃないか」


「そうですね」


 俺は、頷いた。


「助かっています」


 俺は、深く、息を、吐いた。

 吐いてから——天草に、向かって、頭を、下げた。


「天草さん——」


 俺は、ゆっくり、言った。


「ごねて、すみませんでした」

「その条件で、どうぞ、よろしく、お願いします」


「ああ」


 彼は、頷いた。


「ただし——」


 彼の声が、低くなった。


「正式な契約は——一作品目の、作品が、出来てからだ」

「問題ないだろ?」


「ええ」


 俺は、頷いた。


「問題、ありません」


 俺たちは、互いに——作り笑顔で、笑った。


 俺は、立ち上がって、彼に、握手を、求めた。

 彼も、立ち上がって、俺の手を、取った。


 俺の手と、彼の手は——にぎる瞬間に、両方とも、ぐっ、と、力が、入った。

 力は——ぎりぎりと、互いに、押し合った。

 握手、というよりは——拮抗、だった。

 俺の指の関節が、軋んだ。

 彼の指の関節も、たぶん、軋んだ。

 二人とも——笑顔のまま、それを、続けた。


 俺は、心のなかで、思った。


 ——天草、玲司。

 ——あんたは、いつから、こっち側に、来た。


 彼の目は、もう、答えなかった。

 ただ、にこ、と、笑って——俺の手を、ゆっくり、放した。


「楽しみだよ」


 彼は、ゆっくり、言った。


「君たちの、新作」


 窓の外で——

 夜景は、相変わらず、絨毯のように、広がっていた。

 その絨毯の、いちばん高い、塔の上で——俺たちの、商談は、たしかに、成立した。

 成立、と言うべきか、不成立、と言うべきか——分からない、種類の、商談だった。


【第十八話 了】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ