# 第十六話 ホワイトナイト
## 一
「最近、釣りに行けてねーんだよな」
前田は、にやり、と笑った。
「また、大物を、釣りてえなあ……」
その一言で——俺の頭のなかに、第四話の、屋上の景色が、丸ごと、戻ってきた。
左の乳首に、刺さっていた釣り針。
ぐっ、と、リールを巻く音。
目隠しの暗がりのなかで、後ろ向きに、屋上の縁を、踏もうとした、自分の足の感触。
「あっ、やべ」と、前田が、明るく、言った、その声。
俺の足の裏が、わずかに、震えた。
ああ——と、俺は、頭のなかで、自分に、言い聞かせた。
この男は——人を、平気で、殺せる、種類の男だ。
逆らえば、命は、ない。
冗談を、混ぜて喋れる、しゃべり方の男だが、その冗談の、骨格そのものが、人の命を、軽く扱える、ことの、上に、組み上がっている。
俺は、第四話で、そのことを、皮膚で、覚えた。
俺は、口を、開きかけた。
開きかけて、止まった。
何も、言うな——と俺は、心のなかで、自分に、命じた。
こいつに、余計なこと、言ったら——何もかも、絞り取られて、終わりだぞ。
前田は、俺の沈黙を、面白がっていた。
彼は、ジャケットの内ポケットに、両手を突っ込んだまま、ゆっくり、続けた。
「どうせ——」
彼は、にやり、と笑った。
「『仕手戦』でも、仕掛けるつもりなんだろ?」
「オークションで、よォ?」
「は?」
俺の声は、上ずった。
「仕手戦?」
「俺は、そんな……」
「つっても——」
彼は、構わずに、続けた。
「普通のオークションじゃ、面が、バレやすい」
「で——」
彼は、人差し指を、立てた。
「国内ライブオークションを、狙ってるんだろ?」
彼の指は、ゆっくり、空気のなかに、ある名前を、書いた。
「例えば——Zオークションとか、よ?」
俺の喉の奥で、ガッ、と、何かが、詰まった。
Zオークション。
俺が、いま、ぴったり、組み込んでいる、出品先だった。
ま、まさか——薫が、前田に、伝えたのか⁉
俺の頭のなかで、その仮説が、瞬時に、組み上がった。
組み上がるよりも先に——前田の声が、刃のように、飛んできた。
「おい、牧人ぉ」
彼の目が、鋭くなった。
「まさか——」
「『薫が、チクった』とか、思ってんじゃ、ねえよなあ?」
俺の頭のなかが、真っ白に、なった。
「は、はい〜⁉」
俺の声は、もう、我ながら、情けなかった。
「そ、そんな……俺、なにも、言ってないですって!」
俺は、心のなかで、絶叫した。
なんだ、こいつは⁉
超能力者か⁉
前田の眉が、ぐっ、と、寄った。
「薫を、疑ってんじゃ、ねえええ……!」
その声は、低く、地面の底から、湧いてきた。
「ご、ごめんなさい……」
俺は、青ざめた。
青ざめて、頭を、下げた。
前田の口角が、ふっ、と、上がった。
次の瞬間、彼の手が、ぽん、と、俺の肩を、叩いた。
力は、入れていない、はずだった。
なのに、肩の骨に、まで、響いた。
「ガタガタ言わずに——全部、話せ」
彼の声は、もう、いつもの、上機嫌に、戻っていた。
「……じゃなきゃ、分かってんだろ?」
俺は——心のなかで、ため息を、ついた。
ダメだ。
こいつには、何も、隠せねえ。
---
## 二
俺たちは、KAGAYA Galleryのオフィスに、移動した。
時刻は、もう、十一時を、回っていた。
オフィスには、俺と、前田の、二人しか、いなかった。
俺は、コーヒーを淹れる気にも、ならなかった。
ただ、俺の机の前に、前田を、座らせて——俺は、自分の机のうしろで、立ったまま、計画の全容を、説明した。
小日向文雄の、未完成品の、再加工。
ミクストメディアとしての、新作の構築。
鷹村のメディアでの、煽り。
ダミーアカウントによる、入札の積み上げ。
そして——天草玲司の、見せ金。
全部を、話し終わるまでに、二十分、かかった。
話し終わった俺の、額には、汗が、滲んでいた。
「小日向の遺作と、その娘か……」
前田は、椅子に、深く、座っていた。
彼の口の隅で、煙草の代わりの、何かが、ぴり、と、燃えていた。
「いいネタ、だな」
彼は、ゆっくり、頷いた。
「へっ」
彼は、笑った。
「やっぱり、全部、俺の予想通りじゃ、ねえかよ」
「鷹村だの、天草だの使って——仕手戦やる、つもりなんだな?」
「へへ……」
俺は、力なく、笑った。
「さすが、前田さん……」
「だが——」
彼の声が、突然、真顔に、なった。
「天草玲司」
俺の心臓が、跳ねた。
「そいつが——危ない、ポイントだろ」
彼は、続けた。
「お前も、そう思って、んじゃねえのか?」
俺は——黙った。
前田の指摘は、的確、だった。
「……ええ、まあ」
俺は、ゆっくり、答えた。
「あいつは、結局——価値が、つきそうなら、買うかも、しれないが」
俺は、机の縁を、指で、撫でた。
「逆に——他の客が、買えば」
「その入金の大部分を、天草が、持っていくような」
「契約、させられそう、で……」
「つまり——」
前田の目が、細くなった。
「『見せ金』だけ払う、天草に——」
「お前は、相当不利な条件を、飲まされてんだな」
「……ええ」
俺は、頷いた。
「分かっては、いるんですが」
「今の俺には——天草の力が、必要で」
「それだけじゃ、ねえ」
前田は、椅子の背もたれから、身体を、起こした。
「もう一人ぐらい——」
彼は、人差し指を、立てた。
「金を持ったヤツに、参加してもらったら、どうだ?」
俺は、首を、傾げた。
「案外、そいつが——」
彼は、にこ、と、笑った。
「『ホワイトナイト』に、なって——お前を救ってくれるかも、よ?」
「そ、そういう、人材——」
俺は、目を、泳がせた。
「誰がいますかね……」
前田は、相変わらず、にこにこ、していた。
その笑顔のまま——俺の方を、指した。
「目の前に、いるじゃ、ねえか?」
俺は——口の中で、言葉を、呑んだ。
俺は、心のなかで、思った。
どう考えても、あんたは——暗黒騎士だろ‼
「ま、考えておけ」
前田は、立ち上がった。
「無理強いは、しねえ」
彼は、扉に、向かった。
扉のところで、彼は、振り返らずに、言った。
「ただし——」
彼の声は、低かった。
「薫のことは、頼むぜ?」
俺は、頷きかけた。
頷くより先に——彼は、続けた。
「もし、あいつに——何か、あったら」
扉が、開いた。
「許さねえ、からな」
扉が、閉まった。
俺は——しばらく、立ち尽くしていた。
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## 三
オフィスには、俺だけが、残された。
俺は、椅子に、崩れ落ちた。
「……はあ」
深い、ため息が、漏れた。
「全部、話しちまった」
俺は、机の上の、PCの画面を、ぼんやり、見た。
「こいつには、絶対に、逆らえねえ……」
「どうすりゃ、いいんだ……!」
俺の頭のなかで、ある疑問が、浮かんでいた。
なんだ?
前田と、薫の関係って——。
薫は、ただの雇い主だって、言ってたけどよお。
第五話の屋上で、前田が、薫に向けた、あの声色。
「お前みたいに、安く使えるバイトを、手放すのは——もったいねえだろ?」と、にやにやしていた、あの声色。
それを、薫が、嘘だ、と、見抜いた瞬間。
「お前が、金のことを、気にする必要は、ねえ」「とにかく俺の、そばにいれば、いいんだ」と、彼が、声を、震わせた、あの瞬間。
あれは——雇用関係の、声色じゃ、なかった。
俺は、その疑問を、頭の隅に、押し込んだ。
いまは、考えるべき、ことじゃない、と思った。
その時——
ピロン♪——スマホが、鳴った。
画面を、見た。
差出人は——天草玲司。
件名は、こうだった。
——【Zオークション出品作品について】
「……しかも、このタイミングで、天草から、メールかよ……」
俺は、ため息を、つきながら——画面を、開いた。
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## 四
その同じ夜——
港区の、タワーマンションの、最上階近くの、一室で。
天草玲司は、上機嫌だった。
彼の部屋は、五十坪を超えていた。
壁の三面が、ガラス張りで、東京の夜景が、絨毯のように、広がっていた。
壁のなかでも、ガラスでない一面には、現代アートが、何枚も、飾られていた。
金属を素材にした、抽象彫刻。
大判の、抽象画。
LED発光する、立体作品。
どれも、美術館に貸し出してもよさそうな、レベルの作品だった。
その絵の下に、立食のホームパーティが、開かれていた。
彼は、グラスを片手に、何人もの人間に、囲まれていた。
「ははは——」
彼は、上品に、笑った。
「ヨーセフ・ホイスの、『メタリック・ファントム・シリーズ』は、今年大注目ですよ」
彼の指は、部屋の隅にある、金属の彫像を、指した。
「この斬新なフォルムは——」
「『未来と、伝統の融合』を、テーマにしているんです」
「天草さん——」
客のひとりが、訊いた。
「次は、どんなアートを、落札されるんですか?」
「さあ」
彼は、ワインを、ひとくち、含んだ。
「今は、秘密ですよ」
「でもね——近々、ビッグニュースが、出るかも、しれない」
「ビッグニュース——って?」
別の客が、身を乗り出した。
「また、海外アーティストですか?」
「うーん」
天草は、目を、細めた。
「今回は——」
彼の口角が、上がった。
「国内の、新進気鋭に、注目してるんだ!」
「おおお」
客たちが、ざわめいた。
「今は——」
天草は、続けた。
「僕は、今のところ、いち、コレクターでは、あるが」
「今後は——新たなアーティストの、育成にも」
「力を入れたく、てね」
彼の胸ポケットの、スマホが、振動した。
「おっと、失礼」
彼は、客たちから、半歩、離れた。
画面を、見て——彼の口角が、もう一段、上がった。
「ああ——」
彼は、声を、低く、調整した。
「牧人君か」
彼は、ガラス張りの夜景に、向き直った。
夜景を、背景にした、彼の横顔は、いつもの上品な投資家の顔とは、別の——もう一段、深い場所に、ある顔だった。
「そろそろ——」
彼は、ゆっくり、言った。
「合わせてもらおうかな」
ガラスの向こうで、東京タワーが、赤い針のように、立っていた。
「小日向鈴愛くんと——」
彼の目が、鋭くなった。
「そのアシスタントに」
彼の指が、グラスの脚を、ゆっくり、撫でた。
「大金を、張るんだ」
彼は、にこ、と、笑った。
「当然——この目で、見極めさせて、もらう」
【第十六話 了】




