表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アート&マネー  作者: Zoo
13/16

# 第十三話 ミラーニューロン


## 一


「それって、すっごく、アートだよ!」


「だろ!」


 二人は、もう、こっちを見ていなかった。


 俺は、二人の背中を、半歩離れた位置から、眺めていた。

 手のなかには、まだ、四百万円の値札が、貼り付いていた、はずの絵——いまや、二枚に引き裂かれた、ぼろ布——を、薫が、軽く、振り回していた。

 俺は、頭の中の計算機を、何度、再起動しても、その絵を、もとの値段に、戻せなかった。


「お前、急に、どうしたんだよ?」


 俺は、鈴愛に、声を、かけた。


「お前、ずっと——」


 俺は、思いきって、彼女の物まねを、した。


「『私、絵描くの、大嫌いに、なっちゃったんだよね』」


 とか、言ってたじゃねーか!


 鈴愛は、振り向いた。

 振り向いた目は、爛々と、していた。

 その目に、俺は、見覚えがあった。

 彼女が、地下アイドルのライブハウスで、推しの目線を、一秒、自分の方に向けてもらえたときの、目だった。


「ごめん」


 彼女は、悪びれなく、笑った。


「筆折ったなんて、言っておいてなんだけど——」

「私、今、絵が、描きたい」


「はあ?」


「パパの絵を、破って、切り刻んで——」


 彼女の目が、いよいよ、輝いた。


「その上から、私の絵が、描きたいの」


「小日向文雄の作品を⁉」


 俺は、声を、上げた。


「ばか、どれだけ価値があると、思ってるんだ」

「海外オークションで——最高額、数十億で、落札されたことが、あるんだぞ⁉」


 その数十億は、いまや、俺の毎月の借金返済の、原資にも、なり得る数字だった。

 ここにあるのは、未完成品とはいえ、完成させれば、その何分の一かには、化ける。

 化けて、市場に出せば、俺の一億の借金は、半年で、消える。

 半年だ。

 半年で、俺は、前田から、自由になれる。


 その絵を、二人は、引き裂いて、貼って、その上に、別の絵を、描こうとしていた。


「じゃあ——」


 鈴愛は、両手を、ぱん、と叩いた。


「牧人っちに、この絵を、全部——安く、売ってあげるよ」


「!」


 俺の心臓が、跳ねた。


「う、売ってくれるのか?」


「うん」


 彼女は、頷いた。


「ただし——」


 彼女は、薫の手のなかの、破れた絵を、指した。


「全部、私たちの作品の、素材にしていいんだったら」


 俺は——黙った。


 頭のなかで、二つの自分が、争っていた。

 一人は、商売人の俺だった。

 ——買え。買って、すぐに、市場に出せ。完成は、別の弟子に、安く、やらせろ。税務署対策は、後で考える。鈴愛が嫌がれば、別の名義で、流せばいい。

 もう一人は——よくわからない、別の俺だった。

 その別の俺は、何も、言わなかった。

 ただ、二人の背中を、見ていた。


 俺は、立ち尽くしていた。

 立ち尽くしている俺の横顔を、薫は、じっ、と、見ていた。

 そのうち——彼が、口を、開いた。


「……なあ」


 彼の声は、ふだんより、低かった。


「迷うようなことなのか?」


 俺は、薫の方を、見た。


 彼は、続けた。


「牧人は——」


 彼は、俺を、見ていた。


「俺の才能に、かけてくれたんじゃないのか?」


 ぐっ——と、俺の喉のあたりに、何かが、つかえた。


 俺は、心のなかで、もう一度、計算機を、回した。

 数十億の、可能性。

 半年で、前田から、自由になれる、可能性。

 俺の店を、本当の、現代アートのギャラリーに、変えられる、可能性。

 その全部の、可能性が、いま、薫の言葉の前で、軋んでいた。


 軋んだ瞬間に——俺は、視界の隅で、鈴愛の顔を、見た。


 鈴愛は、困った顔を、していた。


 彼女の困った顔は、彼女が、ふだん見せる、子供っぽい、頬を膨らませる困り方じゃ、なかった。

 もっと、別の、静かな困り方だった。

 俺がいま、何を選ぶかを——彼女も、見ていた。


 俺の頭のなかで、二つの自分が、ぱちん、と、入れ替わった。


 頭を、軽く、振った。

 頭を振りながら、俺は、笑った。


「なーーーんてな」


 薫と、鈴愛の表情が、跳ねた。


「!!」


「鈴愛——」


 俺は、彼女を、指した。


「またお前の絵を、描くところが見れて、嬉しいぜ」


「!」


 彼女の口が、わずかに、開いた。


 俺は、続けた。


「ただ、それも——全て、俺の計算通りだ」


「え?」


「なんせ——」


 俺は、にやり、と笑った。


「そのために、薫の指導を、お前にさせたんだからな」


---


## 二


 ここからは、即興だった。


「え、そうだったの?」


「そうだったのか」


 二人とも、信じる準備、満々の顔を、していた。


 俺は、絞り出した。

 頭のなかにある、教養のすべてを、引っ張り出した。

 二〇二〇年代に入って、俺は、自己啓発本と、ポップ・サイエンスの本を、毎月二、三冊ずつ、読むようにしていた。アートだけ知っていても、客と話せない、というのが俺の信念だった。

 そのうちの一冊に——たしか、こんな話が、あった。


「もちろんよ」


 俺は、ゆっくり、言った。


「薫っていう、新しい才能が、入ってくれたのは、いい」

「でも、それだけじゃ、ダメだ」

「もう一人——」


 俺は、間を、置いた。


「実績を持った作家が、欲しかった」

「それが、鈴愛だ」


「でも——」


 鈴愛は、首を、傾げた。


「別に、油絵を教えたからと言って——描きたくなるわけじゃ」


「それが——」


 俺は、人差し指を、立てた。


「描きたくなるんだよ」


 二人が、息を、呑んだ。


「なんせ、俺は——」


 俺は、声を、低くした。


「創作の本質——ミラーニューロンに、働きかけたんだ!」


「ミラーニューロン⁉」


 二人の声が、揃った。


「ミラーニューロンってのはな——」


 俺は、頭のなかから、一冊のポップ・サイエンスのページを、引っ張り出した。


「一九九〇年代に、イタリアの研究者、ジャコモ・リッツォラッティらが、発見した神経細胞さ」

「他人の行動を見てるだけで、自分が同じことをしてるみたいに——脳が反応しちまう、特殊な細胞だ」


「そ、それが、俺たちと、どう関係あんだよ?」


 薫が、訊いた。


「いいか?」


 俺は、自信たっぷりに、続けた。


「そいつの働きがあるから、お前らは——」

「『見てるだけで、手が動きたくなる』とか」

「『相手と同じ気持ちに、なっちまう』ってことが、起こるわけ」


 二人とも、子供みたいな顔で、聞いていた。


「つまり——」


 俺は、両手を、ひろげた。


「お前らが、一緒に絵を描いたり——ギャラリー巡りしてるうちに」

「ミラーニューロンを、ガンガン刺激したんだよ」


「へぇ……」


 鈴愛の目が、開いた。


「それで、私が、また絵を描きたく、なったのは——そいつのおかげって、こと?」


「その通り」


 俺は、頷いた。


「だからこそ——」


 俺は、もう、止まれなかった。


「あえて、薫に油絵を教えさせたり、お前をギャラリーに、連れ出したりして」

「お互いに、"刺激し合う"ように、仕組んでおいたのさ」

「全部、俺の計算だ」


 二人は、感心したように、頷いていた。

 俺は、調子に、乗った。


「さらに——」


 俺は、続けた。


「父の呪縛から逃れるために、描かなくなった鈴愛に対し——」

「父の呪縛を解くための、創作アイデアを、出した薫」


 俺は、にっこり、笑った。


「完璧だ——完璧な、コンビだ」


「そ、そこまで、考えていたのか……」


 薫の目に、わずかに、感動が、混じった。


 その瞬間——


「ギャラリーに、連れて行ったのは——」


 鈴愛が、ぽつり、と、言った。


「私の判断、だけど?」


「う!」


 俺の声が、止まった。


 鈴愛は、しれっとした顔で、俺を、見ていた。


「ま、まあ——」


 俺は、額に、わずかに、汗を、感じた。


「そこまで、予測してからこそのギャラリストだろ?」


「ま、いいけど」


 彼女は、くすっ、と、笑った。

 ツンデレ風だった。

 たぶん、彼女の方が、半歩、大人だった。


 俺は、内心で、もう一度、頭を、撫で下ろした。


 危ねえ、危ねえ。

 目の前のお宝で、目が眩んじまった。

 こいつらの信頼を、失ったら、俺は、何も、できねえ。


「その絵は——」


 俺は、立ち直って、言った。


「全て、俺が、買い取る」

「そして、それを、お前らが——煮るなり、焼くなり、して構わねえ」


 二人の顔が、わずかに、止まった。


「だから——」


 俺は、両手を、ひろげた。


「いい作品、作ってくれよな」


 二人とも、しばらく、無言だった。

 無言で、何かを、噛みしめていた。


「分かった」と薫。


「任せて!」と鈴愛。


---


## 三


 その日から、二週間。


 俺は、自分のオフィスで、ほとんど、PCの画面と、スマホの画面と、紙の書類のあいだを、行き来していた。

 画面のなかには、鷹村と、天草と、それから、いくつかの海外のディーラーとの、チャットウィンドウが、並んでいた。


 ——売り込み準備を急げ。

 ——次のオークションは、いつ?

 ——前田社長の動きは?


 メッセージは、次から次へと、流れた。

 俺は、ひとつずつ、返信した。

 返信しながら、心のなかで、ゆっくりと、独り言を、言っていた。


 よし。

 鈴愛と薫が、本気になった以上——俺も、全力で、サポートするか。

 あとは、前田と、税務署対策。

 まあ、なんとか、なるさ。


 ピロン♪——スマホが、鳴った。

 天草からの、メッセージだった。


 ——状況が見えてきたら随時連絡頼む。油絵ベースのミクストメディアなら、海外市場でも注目される可能性大。


 俺の口角が、ほんのわずかに、上がった。


 海外市場、か——

 面白い。

 こりゃ、想像以上のビジネスに、化けるかもな。


 その瞬間、別の電話が、鳴った。

 俺は、画面を、見た。

 画面には、ある番号が、表示されていた。


 俺は、ため息を、ついた。


 ……やっぱ、来たか。

 前田社長。

 プレッシャー、半端ないな。


 通話を、繋いだ。


「牧人」


 受話口の向こうの声は、上機嫌だった。


「進捗は?」

「薫の奴、サボってねえだろうな?」


「大丈夫っすよ」


 俺は、声を、いつもの調子に、調整した。


「逆に、働きすぎなくらいです」


「そうか」


 前田の声が、わずかに、止まった。


「……なあ」


「はい」


「俺の会社のイベントに合わせて——作品を、仕上げてくれ」


「は?」


「スケジュールは——近々、送る」


「ま、待ってください、社長!」


 俺は、慌てて、口を、開いた。


「こっちにも、オークションの予定が——」


「言い訳無用」


 前田の声が、低くなった。


「金、貸してんのは、俺だ」

「忘れんなよ?」


 ガチャン——


 通話は、切れた。


 俺は、しばらく、椅子の背もたれに、深く、身体を、預けた。


「あーあ」


 俺は、ぽつり、と、言った。


「相変わらず、一方的だな」


 窓の外を、見た。

 日本橋の路地裏に、夜の青い影が、降り始めていた。


 ただし——と俺は、心のなかで、付け加えた。


 鈴愛の方には、相続税や、母親の問題、それから、叔父の名義の物件という、トラブル要素も、ある。

 慎重に、やらねえと——爆弾が、いつ爆発するか、分からねえぞ。


 俺は、椅子を、立った。


 さーて——

 あいつらの、ギラギラした目が、どこまで、通用するか。

 楽しみだ。


---


## 四


 その夜、俺は、松濤のアトリエに、足を、向けた。

 扉の前で、わずかに、立ち止まった。

 扉のすぐ向こうから——筆と、絵の具を混ぜる音が、聞こえていた。


 扉を、開けた。


 二人は、こっちを、見なかった。

 大きなキャンバスを、二人で、囲んでいた。

 破れた小日向文雄の絵が、新しいキャンバスの、ある一点に、貼りつけられていた。

 その周りに、鈴愛が、色を、重ねていた。

 薫は、自分の筆を、持って——迷っていた。


「ここ——」


 彼は、ぽつり、と、言った。


「もっと、大胆に、いっちゃっていいか?」

「なんか、遠慮しちゃうんだよな……」


 鈴愛は、彼の筆を、ぐっ、と、握った。


「いいのよ」


 彼女は、笑った。


「下手に、構えないで」

「衝動のまま、動かすの」


「衝動……」


「それが——」


 彼女は、薫を、見た。


「今のアートでしょ?」


「わかった」


 薫は、息を、吸った。


「……よし」


 彼の筆が——思いきり、画面に、ぶつかった。

 絵の具が、画面に、跳ねた。

 跳ねた絵の具が、新しい色面を、生んだ。

 偶然の色面だった。

 偶然だが、生きた色面だった。


「そうそう——」


 鈴愛の声が、上がった。


「その勢い!」


 彼女は、口の中で、ぽつり、と、付け加えた。


「ほんと……楽しい……」

「こんなにワクワクするのは——久しぶりかも……」


 俺は、扉のところで、立ち尽くしていた。

 立ち尽くしたまま、二人を、見ていた。


 二人とも、もう、俺のことを、忘れていた。

 二人の身体は、画面と、絵の具と、筆と、お互いの手元を、追いかけていて、扉のところに立っている、俺のことを、視界の隅にも、入れていなかった。


 俺は、扉の前で、ゆっくり、息を、吐いた。


 ミラーニューロン。

 俺がでっち上げた、その単語が——いま、目の前で、本当に、起きていた。

 二人は、お互いの手元を、見るたびに——自分の手も、動かしたくなる、らしかった。

 それは、ハッタリの説明だったが——いま、その説明は、現実に、追いついていた。


 俺の頭のなかに、ふっ、と、ある一行が、浮かんだ。


 ——こうして二人は、まるでミラーニューロンで繋がったかのように、互いの衝動を、増幅させながら、作品を、生み出していく。


 俺は、心のなかで、それを、呟いた。

 呟いてから——扉を、静かに、閉めた。

 二人は、振り向かなかった。


【第十三話 了】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ