表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アート&マネー  作者: Zoo
10/11

# 第十話 練習


## 一


 二人がアトリエを出てから、その日の夕方までに何があったかを、俺はまた、あとで聞いた。

 今度は、薫の方が、ぽつりぽつりと、よく話した。

 彼の話は、ふだんに比べて——倍くらい、長かった。


 二人は、清澄白河から、地下鉄に乗った。

 鈴愛は、改札の前で、スマホを、ピっと、かざした。


「東京ってさ」と彼女は言った。

「デートするような駅には、大抵、沢山のギャラリーがあるんだよね」


 地下鉄の車内。

 昼下がりの半蔵門線は、空いていた。

 二人並んで座った吊革広告の下で、彼女は、続けた。


「だからさ——」

「本来、ギャラリー巡りって、映画館行くぐらい、メジャーなデートに、なってもおかしくないと、思うの」


「メジャーなデートなあ……」


 薫は、薄く、相槌を打った。

 彼は、デート、という単語を、まだ、自分のなかで処理しきれていなかった。


「それに、同じギャラリーでも——」

「季節によって、企画展は、大きく変わったりするから」

「一年中、楽しめるわ」


 地下鉄は、渋谷で、止まった。

 二人は、降りた。

 昼の渋谷は、ハチ公口の方から、人波が、波のうねりのように押し寄せていた。

 二人は、その流れに、逆らいながら、道玄坂の方へ、上がっていった。


「渋谷は、若者の街だから——」と鈴愛は言った。

「新進気鋭のアーティストが、多いの」

「牧人っちが求めているのとは、違うかもしれないけど」


 彼女は、薫を、振り返った。


「まずは、アートってのを、楽しむ練習から——始めましょう」


「……練習?」


 薫は、首を、傾げた。


「そう」


 鈴愛は、頷いた。


「練習」


 彼女は、坂を、登る速度を、緩めなかった。

 歩くのが、速かった。

 薫の足が、わずかに、遅れそうになった。


「歩くの、速っ!」


「いいのよ、こんな感じで」


 彼女は、振り返らずに、答えた。


「とにかく、数を見る」


 彼女は、坂の途中の、小さなビルの、地階に、薫を、引きずり込んだ。

 扉のうえに、控えめなプレートで、ギャラリーの名が、刻まれていた。

 階段を、降りた先には、白い、四角い空間が、広がっていた。

 壁には、いくつかの作品が、間隔を空けて、掛けてあった。


 薫は、入った瞬間、口を、開いた。


「ヘンテコな作品ばかりだな」


 鈴愛は、笑った。


「ここのギャラリーは、特に挑戦的なものが、多いわね」

「気になるものは、ある?」


 薫は、ぐるりと、首を、回した。

 絵が、何枚か、立体作品が、いくつか、並んでいた。

 彼の視線が、ある一点で、止まった。


「絵じゃないけど——これ……」


 部屋の中央に——大きな、人形が、置いてあった。


 高さ、二メートル近くの、ヒビだらけの、人形だった。

 遠目には、人間の形をしているように見えた。

 近づくと、それは——無数の、卵の殻で、できていた。

 卵の殻が、何百、何千と、貼り合わされて、人間の形を、構成していた。

 卵の殻の表面には、もとから入っているヒビが、そのまま、残されていた。

 その全体が、ひとつの、巨大な、ヒビ割れた、人間だった。


 薫は、それを、見上げた。


「キモッ⁉」


 彼の口から、声が、漏れた。


「って——思っただけ、だけど」


「それで、いいのよ!」


 鈴愛は、両手を、ぱん、と叩いた。


 薫は、振り返った。


「君は、いま——」


 鈴愛は、にっこり、笑った。


「キモって、感情が、動いた」

「すなわち、感動した」


「……感動?」


「感情を動かすことが——」


 彼女は、ゆっくり、言った。


「アートの、目的なのよ」


---


## 二


 彼女は、人形の脇の、小さな、立て看板を、指した。


「感情、心を動かされる作品を、見つけたら——」

「次は、ステイトメントを、見るの」


「ステイトメント?」


「そう」


 立て看板には、長い文章が、印刷されていた。

 彼女は、その看板の前に、立った。


「作者の意図や、何を表現したかったかの、解説文みたいなものね」


 看板には、こう、書かれていた。


 ——『存在のひび割れ』

 ——作者:羽柴キヨノブ

 ——本作は、千個の卵の殻を使い、人間の形を模した彫像です。卵の殻は生命の象徴でありながら、限りなく脆い素材です。その無数のひび割れが、私たちの内面に潜む傷や不完全さを象徴しています。

 ——人は完璧を求めるほどに壊れやすく、ひびが生まれることで真の強さや美しさが現れます。本作は「傷つきながらも立ち上がる人間の存在」を視覚化したものです。

 ——観る者に問いかけます。あなたの存在は、何で構築されているのか?


 薫は、看板の文を、最初から最後まで、ゆっくりと、読んだ。

 読み終えてから、彼は、もう一度、人形を、見た。

 人形の卵の殻のヒビは、看板を読む前と、読んだ後で——わずかに、別の表情に、見えていた。


「あなたの、存在は、何で、構築されているか——」と鈴愛は、ゆっくり言った。

「だってさ」

「なにか、さらに、感じる事は、ある?」


 薫は、しばらく、答えなかった。

 考えていた。


「……絵を、描いている時——」


 ぽつり、と、彼は、言った。


「自分自身が、自分以外の何かに、なっている、気がする」


 鈴愛が、すこし、驚いた顔を、した。


「そんなふうに——」


 彼女は、にこ、と笑った。


「自分の何かを、重ねるのも、ありね」


 彼女は、立て看板から、離れた。


「以上、アートの楽しみ方の、練習でした」


 彼女は、薫を、振り返った。


「さ、次行こう、次」


「なんか、あっさりしてるな」


 薫の声には、少し、不満が、混じっていた。


「アートなんて、その程度のものなのよ」と鈴愛は言った。

「まず、アートで、自分の心が、どう動くのかを、楽しむ」

「さらに、その作品が、どうして作られたか、作者の意図を知る事で——二度、楽しむ」


 彼女は、二本、指を、立てた。


「せいぜい、そんなもの」

「その中で、自分が好きと、思える作品を、見つけて——場合によっては、手元に置いておく」


 彼女は、もう、次のギャラリーに、向かう足音だった。


 二人は、その日、四つほどのギャラリーを、回った。

 歩きながら、鈴愛は、薫に、こう、言った。


「あと、薫が——もし、センスを、身につけたいなら」

「とにかく、良い絵をたくさん、見る事」


 彼女は、ゆっくり、続けた。


「センスってのは、基本——若い時のインプットから、しか養われないから」


 薫は、しばらく、無言で、歩いていた。

 歩きながら、彼は、訊いた。


「鈴愛は——絵を描くのが、嫌いなんだよな」


 鈴愛の足が、わずかに、止まった。


「でも、ギャラリーは、楽しめるのか?」


 彼女は、しばらく、答えなかった。


「楽しめないよ」


 ぽつり、と、彼女は、答えた。


「だって——」


 彼女は、坂の上の、空を、見上げた。


「心が、まったく、うごかないもの」


 薫は、何も、言わなかった。

 言わない時間が、長かった。


「……ご飯、行こうっか」


 鈴愛は、ぱっと、笑った。


---


## 三


 二人は、渋谷の、ハンバーガースタンドに、入った。

 俺の知らない店だった。鈴愛が、推しの現場帰りに、よく、寄る店らしかった。

 二人は、窓際の、二人がけの、テーブルに、並んで座った。

 鈴愛は、パンケーキを、頼んだ。アボカドベーコンの、塩味の方。彼女は、食事のときに、甘いものより、塩味のものを、好んだ。

 薫は、テリヤキバーガーを、頼んだ。


「昔は——」


 鈴愛は、パンケーキを、ナイフで、切り始めた。


「私も、アートを見るのは、好きだったわ」


 薫は、聞いていた。


「ドキドキする絵、とにかく良いって思える絵が——」

「たくさん、あった」


 彼女は、ナイフを、止めずに、続けた。


「でも、ある時から——私は、パパの描くマシーンに、なった」


「描く——マシーン?」


「そう」


 彼女は、頷いた。


「その日から、パパが見ろ、という絵だけを見て——」

「パパと同じものを、描いた」


「そうしたら——」と彼女は言った。

「いつのまにか、絵を見ても、心がうごかなく、なっちゃった」


 彼女は、パンケーキの、最初の一切れを、口に、運んだ。

 咀嚼した。

 咀嚼してから、彼女は、笑った。


「って——」


 彼女は、薫を、見た。


「薫も、牧人の描く、マシーンだもんね」

「同じか」

「アートなんか、嫌いになるかも」


「そんな事は、ないと思うけど」


 薫は、即答した。


「そう?」


 鈴愛の眉が、わずかに、上がった。


「だって、今日、楽しかったし」


 鈴愛は——フォークを、止めた。


「……」


 彼女は、しばらく、彼の横顔を、見ていた。

 それから、ふっ、と、笑った。


「まあ、こんなに可愛いお姉さんと、デートなんて、初めてだもんね」

「そりゃ、楽しいかあ」


「ちがっ!」


 薫の声が、上ずった。


「いや、もちろん、鈴愛と過ごすのは——楽しいけど」


「君、そういうのは、言えるんだ」


 鈴愛は、にやにやしていた。


「意外に、モテるでしょ?」


「ちがっ、てるって⁉」


 薫の頬が、わずかに、赤くなった。


「ごめんごめん」


 鈴愛は、両手を、ひらひら、振った。


 薫は、ハンバーガーを、二、三回、噛み下してから——もう一度、口を、開いた。


「アートは、見るのも、楽しいよ」


 彼は、彼女を、見た。


「俺、もっと、もっと、見たい」


 鈴愛が、頷いた。


「特に——」


 薫は、続けた。


「小日向文雄の作品が、見たい」


 鈴愛の手が、ぴたり、と、止まった。


「鈴愛に、絵を教えてくれた人なんだろ?」と薫は言った。

「それを見たら——」


 彼は、ゆっくり、言葉を、選んだ。


「お前の絵も——描けるかもしれない」


 鈴愛は、しばらく、彼を、見ていた。

 見ていた目は——複雑だった。

 半分は、画家としての、好奇心。

 半分は、娘としての、ためらい。

 もう半分は——画家でも娘でもない、二十二歳の、人間としての、何か。

 その三分の三を、彼女は、しばらく、もてあましていた。


 それから——彼女は、決断した、顔を、した。


「いいよ」


 彼女は、フォークを、置いた。


「明日——」


 彼女は、続けた。


「あなたを、パパのアトリエに、連れていくわ」


【第十話 了】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ