タダ働き
デンズにあるフレシトの事務所は、大きく三つの区画から成っている。正面入口から入ってすぐの、客が依頼を申し込むための区画、その左奥にある、フレシトが依頼を請けるための区画、そしてそれら二つの区画の両方に面している、事務所の職員の区画である。各区画は壁で仕切られており、職員の区画と他の二つの区画の間には窓口が設けられている。
クラッセが事務所に入ると、ちょうど窓口で客がひとり、依頼の手続きをしているところだった。ネスロに何か荷物を届けてほしいという依頼のようだ。クラッセはそのまま左奥に進み、ドアを開けて、フレシトのための部屋に入った。部屋にいた五人の同業者は、いずれも顔見知りである。入って右手の窓口へは向かわず、左側の壁の前に立つ。壁には二つの掲示板があった。一方は請けることができる依頼が貼り出された掲示板、他方はフレシトが仲間に助力を求めるためのものだ。
クラッセはまず、依頼の概要が並べられた掲示板を見やった。
(相変わらず、ネスロに何か届ける仕事が多い。あの戦いから三ヶ月、まだまだ復興は途中ってことね)
それからクラッセは、フレシトが仲間のフレシトに協力を請うメッセージが貼り出されている掲示板に目をやった。人探しや物探しに関する、情報提供を求めるものが多い。デンズの町のフレシトの要請もあるが、大体は他の町の事務所から届けられたものだ。フレシトはこうして協力し合い、効率的に依頼を解決するのである。
(あら)
クラッセはそこで、知っている名前に目を止めた。シュマ――シュタルテの依頼で〈腕斬りオレオン〉を探していた、首都ドルストンのフレシトだ。
(情報求む、ムディーバという名の魔術師……相手の望む幻覚を見せ、最高の快楽を与えてくれる……? また妙なのを追っかけてるわね)
「よう、英雄じゃないか」
新たに部屋へ入ってきた男のフレシトが、声をかけてきた。
「さすが、滅私の精神だね。同業者の協力依頼をそんなに熱心に見てさ」
「ちょっと、やめなさいよ」
椅子に座っていた女のフレシトが、男に言った。「その、『英雄』って言うの」
「敬意を表してるんじゃないか、我らが英雄に」
「からかってるじゃないのよ」
女のその言葉には答えないまま、男は窓口のほうへ行ってしまった。仕事を終えて、報酬を受け取りに来たところらしい。
「失礼しちゃいますよね、先輩」
結局一言も発しなかったクラッセに、女は言った。三十一歳のクラッセより十歳若い彼女、マリダは、クラッセを「先輩」と呼ぶ。しかし、年上なら誰でもそう呼ぶというわけでもない。本人曰く、「そう呼ぶにふさわしい人をそう呼ぶ」ということらしい。
ネスロの戦い以降、クラッセは一部のフレシトから「英雄」と冷やかされることがあった。デンズのフレシトでただ一人、戦いに参加したからである。
フレシトとは、依頼を解決して報酬を受け取る職業である。対価が得られないことはしない。だからネスロの戦いの際、フレシト達が動かなかったのは当然であった。フレシトでありながら参戦したクラッセは、「町の用心棒」という名目で戦ったベイルや神官のタウロン以上に、あの戦いにおいて異質な存在だった。
「ほんと、失礼しちゃう」
マリダが、クラッセに言う。
「勇敢に戦った先輩をからかうだなんて。あたしは、先輩のこと本当に立派だって思ってますからね」
「それじゃ、あんたはなんで一緒に来なかったの?」
クラッセがふいに発した言葉に、マリダは驚いて固まってしまった。
椅子に掛けて話を聞いていた年配の男が、口を開いた。
「クラッセ、それはないだろう」
クラッセはハッとなって、マリダに謝った。
「ごめん、マリダ、あんたを責めたかったんじゃないのよ。そうじゃなくて……実はね、わたし自身、あの時なんで戦ったのか、良く分からないのよね」
「……そうなんですか?」
マリダが戸惑った顔をする。
「それについては、おれも聞いてみたいと思っていた」
と、年配の男が再び口を挿んだ。
「なんでまた君が、ネスロの救援に出たのか。君はあまり、正義感にあふれるというタイプじゃないからな。どちらかというと、むしろ責任感に欠けるようなところがあったのに」
「ふん、だから、自分でも分からないっていうのよ」
クラッセはうるさそうに応じてから、三ヶ月前のあの日のことを思い出した。
ゲルーニャを守るため、という目的はあった。しかしそれは、本来エルトの仕事であり、クラッセには何の義務もない。エルトが頼りないから? ゲルーニャには当然、リガルノ隊長が相応の護衛をつけただろう。
そこでクラッセの脳裏に、ふとシュタルテの顔が浮かんだ。
(やっぱり、嬢ちゃんかしらね)
あの戦いの参加者で最も異質だったのは、実はシュタルテだと、クラッセは思っている。シュタルテは、デンズへやってきてから四ヶ月しか経っていなかった。ネスロに知人もいない。その点はタウロンも同じだが、彼は神官であり、技能の及ぶ範囲で人を助けるのは彼のいわば義務だ。戦いが終わった後ネスロへおもむき負傷者の治療に当たった神官は、他にも大勢いる。
シュタルテは違う。戦いに参加しないのが当然の立場だった。
(だけどわたしには、シュタルテは参戦するっていう確信があった。だからわたしは、シュタルテを守るために参戦した?)
それは少し違う、とクラッセは思った。ベイルはそういうつもりだったかもしれない。しかしクラッセにとっては、少し違う。
クラッセには戦いの技能があり、シュタルテやエルトやベイルやゲルーニャがネスロへ向かうことを知っていた。ネスロには友人もいた。そして、クラッセはシュタルテの仲間だった。それにもかかわらず皆と共に行かなかったら、シュタルテと仲間ではいられなくなるような気がした、のだと思う。
(そっか、わたしはシュタルテみたいに振る舞いたかったんだ)
では、シュタルテに「なぜ戦ったのか」と尋ねたなら、なんと答えるだろう。やはりはっきりした答えは、返ってこないような気がする。
「無理に言葉にすることないのかもね」
クラッセは、二人の同業者に言った。
「直感がそう命じたから。そうしたかったから。タダ働きの理由なんて、それで充分じゃない?」
マリダは目を輝かせて頷いた。
「先輩、かっこいいです!」
クラッセは「あったりまえでしょ」と言って、部屋を後にした。仕事を見つける前に、やっておきたいことができた。
大きな通りから大分外れた場所にある集合住宅の一室で、ヘイズンはクラッセを迎えた。
「最近、変わったことは?」
前置きもなく、クラッセが訊いた。
「そうだな、レギスの家で仔犬が五匹生まれましたよ」
ヘイズンが答えた。
情報屋の言葉に、クラッセがちょっと口元を緩める。ヘイズンは何もふざけているわけではない。特段変わったことはない、という意味の応答だった。
「外から来た人は?」
「どこかしら変わった様子の人、という意味で?」
「ええ」
「それならまずは、二十歳前くらいの魔術師風の女性がひとり。昨日、方々で人に声をかけて、ちょっと目立っていたらしい。誰かを探しているとか」
「その人なら、今うちの下宿にいるわ」
「おや――名前は?」
「ディーゼ。十八歳」
名前と歳くらいは良いだろうと考えて、クラッセは言った。情報は情報の対価になる。
「ディーゼのことは良いとして、他には誰かいる?」
「魔術師風の四人組。やはり誰かを探しているようです」
「その探してる人の名前、判る?」
「五十コーム」
短く、ヘイズンが言った。情報の値段だ。
「オーケー」
「グレム・エンドロ、とか」
「……その連中について、他に何か知ってる?」
「年齢構成くらいかな。四十代くらいの男がひとり、それよりやや若い女がひとり、それに二十五歳前後の男女」
「他に、妙なところのある人は?」
「特には。三日前に東部から立派な馬車が来たという話があったけど、特に変わったことは起きてないようです」
「そう……それじゃ、ちょっと頼みたいんだけど」
「何でしょう」
「グレム・エンドロって人の実家を探してくれない? この町にあるらしいんだけど」
「デンズに実家がある、というのは確かですか?」
「多分ね」
「では、四百コームですね」
「オーケーよ。それと、さっき言ってた四人組の動きに注意しといてもらえたら、助かるわ」
「……どういう仕事なんです、今回は」
ヘイズンが不思議そうに訊いた。魔術師風の四人とフレシトが、別個にひとりの男を追っているとは、どういうことであろうか。
「仕事じゃないのよ。さっき話したディーゼが、そのグレムって男を探してるの。その手伝い」
「へえ、フレシトがタダで人助けですか」
「悪い?」
「とんでもない。……今日のところは、しめて七十コームになります」
クラッセは七十コーム分の銀貨を、テーブルに置いた。
「どうも。今後ともよろしく」
「ええ。グレム氏の件、なるべく早くお願いね」
ヘイズンの部屋を後にし、集合住宅を出て、クラッセはごちゃごちゃした路地に入った。
同業者はあまりやらないことだが、クラッセは仕事の際に時おり情報屋を利用した。当然対価がかかるから、依頼一件当たりの稼ぎは少なくなるが、時間が短縮できて数をこなせる。
今回は仕事ではないが、経費はエルトに出させれば良いだろう。
(「代金はぼくが出そう」なんて、エルトの奴、随分あの子がお気に入りね)
もっともクラッセも、かかった費用以上の金額をエルトから取る気はなくなっていた。ディーゼのためにタダ働きをするつもりだった。そうしたい、という気分になっている。
(わたしもいつの間にやら、あの子のことが気に入っちゃってるみたいね。……それにしても)
広い通りに出たところで、クラッセは先ほど情報屋から仕入れた話を思い返した。
ディーゼと同じ人物を探しているという四人組は、果たして何者だろうか。
メローべの日記
道でばったりベイルさんに会った。ベイルさんが「シュタルテやオーレス先生やフィーズさんは、どうしているだろうな」って言うから、「なんで〈腕斬りオレオン〉のことをフィーズさんって呼ぶの?」って訊いたら、「おれにとってあの人は、行きつけの食堂の気の良い店員だ。〈腕斬りオレオン〉である前に、な」だって。有名人だってことが判ったのに、どうして一般ピープルとして扱うんだろう。よく分かんないから、日記に書いておく。いつか分かる時が来るかもしれないからね。
アーロ君がファリアさんに迫られて迷惑そうにしてた。あの行き遅れ、肉食系女子っつうか肉食獣みたいな目をしてるもん、そりゃあ怯えるさ。
※このメローべはフィクションですが、ベイルとは実際に割と気が合うようです。




