シュタルテという名前
「ただいまあ」
クラッセが居間に入ると、台所から「戻ったか」とベイルの声がした。そして、ベイルとディーゼが揃って居間に現れた。
「……なんで二人して泣いてんの?」
「タマネギを切っていた」
「その隣で、ニンジンを切ってました」
ベイルとディーゼが順に答えた。
「……なんか最近、ニンジンがよく出てくるわよね。わたし何か、ジーニャを怒らせるようなことした?」
不安そうに言うクラッセに、ベイルが呆れ顔をする。
「冬が終わったばかりだから、保存の利く根菜を使うことが多いんだ。じき、色々食えるようになる」
「あ、なるほどね。料理なんかしないから、気付かなかった。ディーゼは、普段から料理するの?」
「はい、あの、一応」
「へええ、それで、グレム君にも食べさせてあげるんだ」
「それは、あの……時々」
「うふふふ、この、この」
クラッセが、ディーゼの頬を指でつつきだす。
ベイルはその様子をしばらく眺めてから、切り出した。
「それで、そのグレムについて何か判ったか?」
ゲルーニャの護衛の当番だったベイルは、今日は一日この家にいたのだった。エルトは兵士として出勤しており、ジーニャと出かけたディーゼにも特に収穫はなかったので、後はクラッセの報告を聴くのみである。
「グレム君の実家の住所、多分近いうちに判るわ」
クラッセはまずそう答えた。ベイルは「そうか」とだけ応じる。
クラッセが情報のやりとりを生業とする何らかの存在との繋がりを持っていることに、ベイルは薄々感づいていた。もっとも、それが個人なのか組織なのか、合法的な存在なのか、といったことまでは知らない。さりげなく訊いてみたこともあるが、はぐらかされた。
フレシトと兵士と「傭兵」。思えば自分達三人は、仕事上の秘密が多い。
シュタルテがオーレスのことを〈腕斬りオレオン〉だといって騒いでいた頃、クラッセは、その話の情報源が自分だということを黙っていたという。そしてエルトは、オーレスとオレオンは別人だと知りながら、シュタルテに教えてやらなかったらしい。それらのことを、ベイルはシュタルテがこの町を去った後に二人から聞かされた。
ベイルにしても、仕事のことは下宿の人々にはほとんど話さない。フレシトや兵士も同じだろうが、口外すると色々と都合の悪いことも多いのだ。
「それとね」
とクラッセは言葉を続けた。
「グレム君のことを探してる人達が、他にもいるみたい。魔術師風の四人組らしいんだけど、心当たりある?」
ディーゼが、ハッと顔色を変えた。
「わたし達を追ってきた人達……だと思います」
「あなた達? つまり、グレム君とあなたね?」
「はい」
「何者なの?」
「それは、あの……」
「……また、言いたくない、と。けど、これは答えられるわよね。あなたはその人達に見つかっても良いの、見つかりたくないの?」
「その、できれば見つかりたくないです」
「はいはい、了解」
表情を曇らせているディーゼに、クラッセは軽い調子で言った。
「あーあ、お腹空いちゃった。ところであんたら、ジーニャの手伝いしなくて良いの? わたしが言うのもアレだけど」
「下ごしらえを手伝った」
クラッセとディーゼのやりとりを黙って聞いていたベイルが、口を開いた。「後は、いても却って邪魔だそうだ」
「ふうん」
「ところでディーゼ、おれからもひとつ確認しておきたい」
「はい、何でしょう?」
「あんた達を追ってきた四人というのは、危険な連中か?」
ディーゼはちょっとの間、何と言おうか考えるような顔をしてから、答えた。
「いえ、人に危害を加えるようなことは絶対にありません」
「そうか、なら良い」
クラッセが、ニヤリとして口を挿む。
「なるほど、町の用心棒として一番気になるのはそこってわけね」
ベイルはフンと鼻を鳴らした。
「おれというより、エルトが気にするだろうからな。あいつは、あれで意外と仕事熱心だ」
ベッドに横たわり、ディーゼは一日を振り返った。
今日も、シュタルテという名前を何度も耳にした。そして誰もかれも、総じて好意的にその名を口にしていたように思う。
(特に、あのバスコフ先生という人)
ディーゼは思った。
あまり良く考えもせずに申し出てしまったが、貴重な魔法具の修理をタダで引き受けるとは、どう考えてもおかしな話である。ましてや、自分はこの町に来て間もない人間だ。持ち逃げを疑われても当たり前だ。
ところがシュタルテの名前を出した途端、あの強面の中年男は何やら納得してしまったのだ。
エルト、クラッセ、ベイルの三人も、大事なことは何も明かさずにいるのに、親身になって協力してくれる。
(全部、シュタルテさんがいなくなった所へわたしがやってきたからなんだ)
どんな人なんだろう。きっと素敵な人だったんだろうな、と思う。一緒にいると楽しくなる、もし困っていたら手を貸さずにはいられないような、気にかけないではいられないような……。
「でも、わたしはそんな良い人間じゃない」
暗闇の中、ディーゼは呟いた。
ディーゼがやってきてから五日経った日の夕方。クラッセは再び情報屋のヘイズンを訪ねたが、留守だったため、そのまま下宿に戻った。
「ただいまあ」
クラッセが居間に入っていくと、エルトがテーブルの向かいにディーゼを座らせ、似顔絵を描いているところだった。
「やあ、おかえり」
「おかえりなさい、クラッセさん」
エルトは細い筆を動かしながら、ディーゼはエルトのほうへ顔を向けたまま、声をかけてくる。
「やってるわね、趣味の似顔絵」
クラッセが言うと、エルトはちょっと筆を休めた。
「モデルが良いからね。描いてて楽しいよ」
「やだ、やめてよ、エルトったら」
ディーゼが、くすぐったそうに笑う。
クラッセは「どれどれ」と言って、エルトの手元、板切れの上にとめられている紙を覗き込んだ。
「ほんとだ、美人に描けてる。だけど、なんか……」
クラッセが何か考え込む。
「あんた、前にわたしのこと描いてくれた時は、実物よりもちょっと可愛い感じに描いてなかったっけ? まあ、実物も可愛いわけだけども」
「そういうふうに描くこともあるけどね」
エルトはまた手を動かしだした。「今日は、写実的に描きたい気分なのさ……そら、できた」
完成した絵を、エルトがディーゼに見せてやる。
「すごい、そっくり!」
ディーゼは思わず歓声を上げた。
「ねえねえ、エルト、これもらって良いんでしょ?」
「うーん……」
エルトは絵を自分のほうへ戻し、どこか渋い顔になってしげしげと眺めた。
「やっぱり、ちょっと気に入らないな。君にあげるのは、今度もう一度描くことにしよう」
「ええ? 良いよ、それで。それちょうだいよ」
「だめだめ、もっと良いのを描いてあげるから」
「んー……じゃあ、約束だよ? ほんとにまた描いてね?」
「ああ、約束だ」
そこへ、クラッセのわざとらしい咳払いが割って入った。
「ンンッ、ンッ……ところで、ベイルは戻ってんの?」
「あ、ベイルさんなら、台所でジーニャのお手伝いをしてます。絵も完成したし、わたし、交代してきますね」
ディーゼは椅子を立って、台所へと向かった。入れ違いにベイルがやってくる。
「今夜は羊だぞ。……どうした、クラッセ?」
「なんかさー、なーんかさー」
クラッセがふてくされた顔で言う。
「エルトとジーニャばっかり、ディーゼと仲良くなってない?」
「ああ、それはおれも感じていた」
ベイルが同意すると、エルトはいつもの人の良さそうな笑みを浮かべた。
「そこはね、何といってもね、ジーニャはほら、話してると思いやりと善良さがにじみ出てくるのが分かるから。あと、ぼくも」
「ジーニャに関しちゃ異議ないけどもさ」
クラッセがエルトに、疑るような眼差しを向ける。
「あんたはむしろ、頼りなさげで、何考えてるか分かんなくて、軽薄っぽくて、優柔不断そうじゃん。このヘラヘラ男!」
「なんでぼく、罵倒されてるの?」
「まあ、エルトのことは良いとしてだ」
と、ベイルが口を挿んできた。
「おれはどうしたら良い?」
「どうしたらって……」
エルトが戸惑う。
「けっこう必死だな。えっと、ベイルには良い所がたくさんあるわけだけど……」
「何の話よ」
「それを人に分かってもらうには、ちょっと時間がかかるんだよ。だからディーゼにもいずれ、ベイルの魅力が伝わる……かもしれないし、伝わらないような気もするし」
「どっちなんだ」
「あ、念のために言っとくけど」とクラッセ。「あんた、シュタルテにもそこまで好かれてなかったからね?」
「なに……!?」
「それは言っちゃ駄目だよ……!」
エルトが慌てて止めるが、ベイルはすでにがっくりとうなだれていた。
「あ、ごめーん」
「クラッセ、ベイルに何の恨みがあるんだ」
「ふん、いいじゃん、あんたはジーニャと結婚できるんだからさ。チッ」
「え、ジーニャを取られた恨みなの?」
「あーあ……それはそうと、わたしはどうすれば良いの?」
「え……ああ、ディーゼと仲良くなるっていう話か」
エルトはしばし黙考してから、おもむろに口を開いた。
「良いんじゃないの、クラッセとはこんなもんで」
「なんでよ?」
「歳が離れてるし」
「よいしょっと!」
クラッセの右拳が、テーブルを越えてエルトに飛んだ。エルトはそれを右手の平で受け止める。
「ほんとのことだろ、三十代……!」
「わたしだけ仲間外れかよ……!」
二人が身を乗り出しつつ押し合いをしているところへ、蒸した羊肉とジャガイモを皿に載せて、ジーニャがやってきた。
「もうちょっとかかるから、これでもつまんでいてね」
「わーい、ジーニャ大好き!」
いつの間にやら、クラッセは椅子に行儀良く座り直していた。
ジーニャは皿をテーブルに置くと、虚空を見つめたまま一言も発しないベイルを見やった。それから、クラッセへと顔を向けた。
「クラッセ、あんまりベイルをいじめちゃ駄目よ?」
そしてジーニャは居間を後にした。
途端、クラッセは絶望の形相で震えだした。
「あわ、あわわわわ……」
「クラッセ、しっかりするんだ!」
ジーニャについて
わたしはアーサー王伝説のひとつ、ガウェイン卿の結婚の話が好きなのですが、結末の部分だけはどうも納得がいかないんです。知性と品性があればブスでも良いじゃん、という話をしていたはずなのに、なんで結局美人になっちゃうの? もっといえば、結局美人になっちゃったという結末に、良かった良かったと思ってしまう自分が許せない。
そこで、このお話が貫き通せなかったキャラクター、「ブスだけど素敵な女性」をわたしなりに頑張って描いてみたのが、ジーニャという人です。
考えてみると、優しくて善良で思慮深くておおらかで料理の上手なジーニャが、さらに美人だったら、できすぎててなんか嫌です。シュタルテやレギスも怖がって言い寄ってこなかったかも。




