ダンスのように
次の日の夕方、シュタルテ達は魔力弾を斬る訓練を再開した。一日だけ休んだことになる。
攻撃魔法の威力を抑える結界を張ったタウロンは、いつものように、オーレスがシュタルテに魔力弾を撃つのを黙って眺めていた。結界を張っている間は体力を消耗し続けるものの、基本的に暇な立場である。時々呪文を唱えて結界を補強してやる以外は、二人の様子を見ているだけだった。
だからこそ風の神の神官は、いざとなったら自分が二人の間に割って入らなければならない、とも考えていた。
もっとも、オーレスと戦うことになるとは思っていない。
(ベイルさんは「得体の知れない感じを受ける」と言ったが、決して道理の通じない人ではないはずだ)
シュタルテの振った短剣をすり抜け、魔力の弾丸が彼女の頬に当たるのを見ながら、タウロンは思った。
(しかし今日は、いつにも増して厳しく撃ち込む。それにいつもだったら、そろそろ休憩を入れる頃合いのはずだが……?)
オーレスは一定の間隔で、シュタルテに魔力弾を撃ち込み続けた。シュタルテがよろけようと、膝をつこうと、そのペースは変わらない。したがってシュタルテは、すぐに体勢を立て直して次の弾に備えなければならなかった。
受ける方は辛いが、撃つ側にとっては単調な作業である。
そんな作業を淡々と続けながら、オーレスは昨晩のソーラとのやりとりを思い出していた。
ガゼフを見送り、夕食を済ませた後、オーレスはソーラと道場で木剣を打ち合っていた。
ソーラは一本の長剣を両手で使っている。オーレスは左に長剣、右に小剣の二刀流。左利きのふりをするために、門弟達の前で使っている形である。
二人が使っている剣は、何の魔法もかけられていない、ただの木剣だった。
「やっぱり稽古をするなら、この剣の方が良いですわ」
上から横から木剣を打ち込みながら、ソーラが言った。オーレスはそれをかわし、時に剣で受けた。余裕がないわけではなかったが、ソーラの言葉には答えなかった。
「緊張感が違います。もっとも、気心の知れた相手とでなければ、とてもやる気にはなれませんけど」
「当たれば痛いですからね」
ソーラに肉薄し、また退きながら、オーレスが言った。
それからしばらくの間、二人は無言で木剣を打ち合った。その動きは、普段の二人の身のこなしからすればかなり緩やかで、そのくせとどまることがなく、あたかも舞を舞っているかのようだった。
「ありがとうございます、いつも、この稽古に付き合ってくださって」
ふと、オーレスが口を開いた。同時に左へ動きつつ、二本の剣を横薙ぎに振る。
「バスコフ先生は、ぼくが左で剣を使うことを良く思っておられないようで」
秘密は守ってくれるが、協力はしてくれないのだった。そこでオーレスはいつも、ソーラに相手をしてもらい、左利きのように剣を使う訓練をしているのだった。
「わたしも、オーレス先生のやっていらっしゃることが良いことだとは思っていません」
淡々とした声で、ソーラは言った。
「でも、それが先生にとって必要なことだというなら、お手伝いしますわ」
「……すみません」
二人はまたしばらく、黙って剣を振るった。
「ところで――」
今度は、ソーラが口を切った。
「シュタルテに、随分厳しい指導をされているみたいですね」
ソーラが下段から振り上げた剣を、オーレスは小剣で流す。
「お耳に入っていましたか」
「今さらそんなことを……この道場で知らない者はいませんわ」
「……間違っているとお考えでしょうか、弟子を痛めつけるようなやり方は?」
「いいえ」
ソーラがいつも通りの穏やかな表情で答えたので、オーレスは意外そうな顔をした。
ソーラが言葉を続ける。
「わたしも父や兄やバスコフ先生から、随分手厳しくやられましたもの。それも、小さい時から」
「そうでしたか」
「これと同じ、何の仕掛けもない木剣で。腕かお腹か、いつも必ずどこかに、シュタルテよりずっとひどいあざが付いていました。数はともかく……」
「……」
「『脇が甘い!』っていって、ぶたれるんですよ。そうそう、指を折られたこともありました」
「良く耐えられましたね」
「それは……ふふふ」
ソーラはちょっと笑った。しかし、構えに隙が生じることはなかった。
「ガゼフさんがいつも、かばってくれたんです。『こんな小さなソーラにここまでするとは何事だ』『他の子ども達と普通に遊ばせることもしなければ駄目だ』って。父やバスコフ先生のことが怖かったはずなのに」
「そうですか、ガゼフさんが」
オーレスは、先ほどこの場所で立ち合った男の、人の良さそうな顔を思い出した。
「そうやってガゼフさんが口を出すと、母も味方をしてくれて、稽古はちょっとお休みということになったんです。味方になってくれる人がいたので、なんとかバランスが取れていたんでしょうね、精神的にも」
「なるほど」
「その点は、シュタルテも心配ありませんね。ガゼフさんやレギスやヘイズン、あの子の味方になってくれる人はたくさんいますから」
「……」
オーレスとソーラは、再び口を閉じて、淡々と木剣を打ち合った。
なんて官能的な体験だろう、とソーラは思った。剣を振るうとは、本来、相手を殺そうとする行為である。それなのに、自分にも相手の男にも、お互いの隙を突こうという意図は全くない。決まった動作を繰り返しているわけでもないのに、次に起こすべき動きを共有しているように思われる。
それは、お互いの何もかもを知り尽くしている二人が、即興のダンスを踊っているかのようだった。即興であり、しかも洗練され、完成している。そんなことができるのは、心が一体になっているからとしか思えない。
愛し合うとは、何も肌を重ね合うことばかりではない。ソーラはふと、そう思った。もっとも、目の前の男とそんなことをした経験はないのだが。
「素敵ですね」
半ば無意識に、ソーラは言った。
「何がです」
「この木剣を本気で打ち込めば、わたし達はお互いを殺すことができます。でも、決してそんなことは起こらない。それは、とても素敵なことだと思うんです」
オーレスは少し考えるような顔をしてから、静かに答えた。
「ご承知の通り、ぼくは、それほど信頼できる人間ではありません」
「あら、それは、わたしが決めることですわ」
と言って、ソーラは嬉しそうに笑い声を立てた。
きっと自分は今、恍惚とした表情をしているだろう、とソーラは思った。オーレスとの一体感に身を委ねながら……。
(けど、オーレス先生はどう感じているのかしら?)
ふと、ソーラは思った。
きっと、自分と同じ感情は持っていないだろう。剣はただ剣、稽古相手はただ稽古相手と割り切る男だから。
「オーレス先生、先ほどの話ですが」
ソーラはふいに冷めたような顔になって、言った。
「はい」
「わたしがとうとうガゼフさんに勝てるようになった時、ガゼフさんは言ったんです。『これからはソーラ先生とお呼びします』って。その時、気付きました。周りのみんなが、わたしに期待をして、大切に育ててくれたということに」
「……」
「それは、重たくて、正直あまりありがたくない期待ですが、それでも、父や家を嫌っていた気持ちが薄れていきました」
「……嫌っておられたんですか?」
「ええ、嫌っていました。それもまた、バランスを取るために必要だったのだと思います」
「なるほど」
「でも、その気持ちはなくなりました。それがなぜか、というのはうまく説明できませんが……わたしを信じて、サルト流を託してくれたことが分かったから、とでも申しましょうか」
「……」
「シュタルテに対する先生のお気持ちも同じですわね、オーレス先生」
突然シュタルテのことを持ち出され、オーレスは顔に途惑いを浮かべた。
「先生はシュタルテのためを思って、厳しく指導しておられるんですわよね」
「それは――」
「もしそうでなくて、先生が意味もなく女の子を痛めつけ、それを今後も続けるというのなら――」
言って、ソーラは急に鋭く踏み込み、木剣を打ち下ろした。オーレスはとっさに両方の剣で防ごうとするが、間に合わない。
オーレスの首を打つ寸前で、ソーラの剣はぴたりと止まった。
「わたしは先生を嫌いになりますわ」
そう言って、ソーラはほほえんだ。
(この訓練は、シュタルテ君のためになるのだ。そのはずだ……)
町外れの草原で、オーレスはシュタルテに向かって左腕を伸ばし、魔力弾を放った。
「散れ!」
言いつつ、シュタルテが右手に持った短剣を振るう。シュタルテの眼前に迫った魔力の弾丸が、剣に触れると同時に、空中でかき消えた。
瞬間、オーレスはカッと目を見開き、次の弾を撃った。
これまで弾が飛んでくるペースは常に一定だったが、この一発は明らかに早すぎた。シュタルテは反応できず、腹に弾丸を受け、後ろへ倒れた。
それを目にしたオーレスは、ふいに、固い地面に膝をついた。
「あ……ああ……」
両手を地につけたオーレスは、うつむいて呻きながら、涙をこぼしていた。




