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御鏡本町駅から少し離れた線路沿いで奈緒を見つけた龍世は彼女を連れ電車に乗り、御鏡東を降りて真っ直ぐ清水家へ向かった。
最寄り駅から少し離れた丘一帯に広く新しい公道から伸びる並木通りを通し、モザイク煉瓦の洒落た車道で周辺地域を隔てた上位中流層住宅地である。
時刻は午後三時半を既に回るが、当然外はまだまだ明るく、市街の気温は依然として高かった。
「奈緒、今日はもう家から出るな。部屋で涼しくしているんだ」
警告するが、奈緒は頭痛を催し表情を顰め、聞いているのかいないのかといった感じだ。
明日、彼女はもしかしたら夏期講習には出て来ないかもしれない。
自分の態度が奈緒を追い込んだ。龍世は奈緒にも、また明日会うだろう壬生や平安にもどんな言葉をかければいいのか分からなかった。
奈緒が見つかったと一応二人にもチャットを送っておいたが、向こうからの返信は一切見ていない。どうしてそうなったのか理由を聞いてくるはずだ。携帯のSNSを開くのが怖かった。
「龍世……ごめんね……」
──違う。
だが龍世が奈緒の謝罪を否定しきらないままに彼女の姿は玄関へと消えて逝く。
今、はっきりと謝るべきは龍世の方だった。けれどそれすらも素直に出来ず、奈緒の居なくなったその場に暫く立ち尽くし茫然としている。
高校生活最後の夏休みはまだ始まったばかりだった。
それなのにこんなところで、自分を慕ってくれる周りの人達を虐げ迷惑をかけ、進路も家庭もおざなりのまま。
「何をやっているんだよ、俺は……」
帰途につき、
龍世はそれから御鏡東駅へと一度寄ったが電車には乗らず更に構内を通り抜け、その足は自然とある場所を目指していた。
御鏡東の街並みは駅周りから外れてくれば後は住宅ばかりで浄張市中央区に近い雰囲気こそあったが、こちらの方が物価が高くそれこそいい家が立ち並ぶ。奈緒などは言ってみればあれでそこそこのお嬢様だったが、今この辺りはそれより幾分一般向けの家屋が建つ。
閑静な住宅街の中にある新しい霊園墓地だった。
近年の和洋折衷を取り入れた少し背の低い墓石が区画毎に列を成し、芝までどれも綺麗に整えられている。霊園が石材店数社と地元寺院と提携し、多くは生前から墓地の予約販売を行い敷地の保管と緊急の葬儀また法事関連の一式を手配し購入者を案内する。
持ち主がそれ程墓地の管理をしなくても済む最近あるタイプの霊園だ。
葬儀の記憶を辿り、龍世が一つの墓石の前に立つ。
清水家、と──
丸みがかった今風の竿石の側面には今のところ奈絵の名前しか彫られていない。
墓誌があり読み方の分からない仰々しい戒名が一つあるがそれが奈絵のものだ。
奈絵はいつも龍世に対して何処か厳しく、何事にも当たりが強かったように思う。
怠惰な龍世をよく叱った。双子の妹の奈緒が龍世へ懐くのが相応しくないのだと、もしかすると内心そう思っていたのかもしれない。
それでもやはり奈絵は「姉」だった。去年のあの花火大会の豪雨の日、川上へ向かった二人を心配し後から追いかけて来たのだ。
そうあの時──
待て、
何かが可怪しくないか?
夕方、急に風が出てきた。
空を見上げると遠く、群雲が西から覆いかぶさるように市内を包み込もうと進行していた。
サンガ荘へ戻った龍世を出迎えたのはそこに住むいつもの三人の見知りだ。庭先に何やら折り畳み式の長机と木製のベンチを並べる。
「おー龍世、やっと帰って来た。ちゃんと彼女に謝ったか〜?」
早速か真新しいベンチに腰を掛ける貴船が長机に立て肘を突けながら加熱式タバコを吹かし態度の大きな様だ。
露出のあるラフなホットパンツから伸びる美脚で足を組みサンダルをかぱかぱと鳴らす。
「ちょっと結さん、防蟻剤塗ってますから、そのお御足に付けないで下さいよ」
「うむ、正也よ。苦しゅうないぞ」
殿と家臣かと龍世が呆れる。
確かに貴船の足元で何やら作業している玉置が平伏している様に見えないこともない。
「もう結ちゃん、タバコあんまり身体によくないわよ」
伏見が心配するが、
「それよりは人体に有毒じゃないでしょ」
言って貴船は玉置がベンチの足元に塗っているオレンジ色の液体をタバコを持つ手で指差す。
「屁理屈言わないの」
「何やってんだ?」
「だから防蟻剤塗ってんだって。譲二さんに頼んで会社にあるやつを分けてもらったんだよ」
白アリに家具や建物を食われないように塗る浸透性の防虫剤だ。
効果は野外で5年ほど持つと言われる。
「このベンチ、これから庭に置きっぱなしにするってこと?」
「そう、正也君のバイト先から一式持って来たのよ。私が庭仕事するから休憩用にベンチの方はそのまま残して、長机は花火終わったら納屋に片付けるんだけど」
「花火……?」
龍世の顔色が少し変わった。
沙門川の花火大会を当日に此処から観賞する気だろう。
「夜に皆で集まって此処から花火見ようぜってさ。椅子足りない分は譲二さんからキャンプ用の借りて何脚か出すから」
「私が焼きそば作ったりするから。龍世君も夜はサンガ荘に帰ってらっしゃい」
花火大会当日は奈絵の一周忌だが──
法事が終われば『あちら』の皆は奈絵の事もあり集まろうという雰囲気にはならないだろう。
「神爾江から沙門川のやつを観るんじゃ、遠くて流石に花火小さくないか?」
「祭りは人混みの雑踏がいい時もあるけどな、でも此処なら小さくてもゆっくり堪能できるじゃん?そうだ、龍世お前、奈緒ちゃん連れて来いよ」
「あ、いや……」
気安く言う。
「何、アンタ。まさか謝って来てないの?」
「……してますけど……」
してない。
夏期講習に出る、とは言った。
それもあったが、
「俺だけ特に何も準備してる訳じゃないし、それで奈緒を呼ぶのもちょっと……」
単純に図々しく気不味い。
すると貴船が龍世の様をさも意外そうな者を見る目だ。
「龍世、こーゆーのにいちいち自分に役割が無きゃいけないなんて思ってんの?」
「……え」
言われた事に驚く龍世。
そこまで大袈裟なことを言ったわけでもないが、だが貴船が言う事にも実際理解を得なかったのだ。
「見掛けによらず、アンタ割りと厳しく躾けられたのねぇ……まあ、あんま感心しないけど」
龍世がぎくりとする。
図星だが、然し自分がそんなに特殊な感覚をしているのだろうか?
「誰かに『やった』『してもらった』を事細かく貸し借りばっか押し付けするもんじゃないのよ、特に距離の近い親しい間柄の人達には」
「でも、それじゃ……片方だけがいつでも損してしまうじゃないか」
「それよ、そーれ!」
貴船が立ち上がると、龍世へ掴み掛かり渾身のヘッドロックを決める。
タバコの臭いと貴船の香りとがその鼻に突く。
「ちょっ、貴船さん!痛いって!」
「素直に感謝して相手に『ありがとう』って言っときゃいいのよ!それともアンタ、人を好きになるのに何かやってもらわないといけないわけ?」
ぎりぎりと脇を搾る力を貴船が上げていく。
ジム通いしスタイルを整えているせいか細い腕に存外筋力があり龍世が振り解けない。
「あががっ!決まってるって!」
「結ちゃん!龍世君、痛がってるから」
咄嗟に伏見が龍世と貴船を引き剥がす。
いつでも凶暴な女だ、と龍世が絞めつけられた頭を抱えながら貴船に怯える。
しかもここまで構われるのも正直恥ずかしく思う。
「全くアンタは本当にヘタレね、男が小っさいわよ?少しは許し合うことも覚えなさい」
許す?
誰を?
何を?
「龍世君、結ちゃんだって別に何も手伝わないし気にしないの。この子、ぐーたらなんだから」
「いや千鳥さん、アタシ当日はスイカぐらいは皆に買ってあげますって」
「じゃあ結さん、早めに買っておいて下さいよ。俺、いい時間から冷やしておきますから」
知らぬ間に誰かを搾取し、
知らぬ間に誰かへ何かを強いている。
だがそれは知らぬ間ではなく、
損する不利になると、ただ周りに対して感謝を忘れていただけだ。
ずっと小さな頃の記憶。
「ヒカエおろう!このモンドコロがめにはいらぬかー!」
わあっと舞台に上がる歓声。
幼稚園児の演し物だった。最初、桃太郎だか浦島太郎だかをやる予定だったのをその組の園児達が嫌がった。
理由はお伽話しがダサいから。
変わりに決まったのが有名な時代劇の、水戸の御老公諸国漫遊のお話し。黄門様に助さん角さん、風車の弥七に陽炎お銀、隠者の飛び猿。
短いが殺陣があり特にこのシーンばかりはと主演とやられ役の悪代官一味の園児達も必死に台詞と立ち回りを覚えた。小道具は特に背景を熱心に手作りし、武者袴は大きな画用紙で園児各々が仕立て舞台当日まで破けないよう慎重に保管された。
だが一つだけ、舞台発表の二日前にですらどうしても決まらなかった役がある。
八兵衛さんだ。
園児達の誰もが八兵衛さんをやりたがらなかった。食い意地がはり、黄門様の身の回りのお世話もするが殺陣には参加せず、喋る言葉も行動も的が外れていて情けない役柄だ。
八兵衛さんはダサい、やりたくない。
組の全員がずっとそうなっていた。結局物語の進行上、居ても居なくてもいい役どころだったので最悪『八兵衛さんの居ない』お話しで舞台は進むはずだった。
ところが、
「龍世君、八兵衛さんやるよね?」
「え……」
突然だった。
「台詞、一つしかないから。最後に一瞬だけ出れば『全部終わり』だから、ね?」
やりたくない。
他の園児達と変わらない。小さな龍世だってそんな役はやりたいはずがなかった。それどころか八兵衛さんが別に居なくても話しは進んで「めでたし、めでたし」となると先生が言っていたはずだ。
保護者会で演し物が決まったと報告すると、何組がどんな演し物をし誰がどんな役をやるのか大人が熱心に粗探しを始めた。
八兵衛さんの居ない黄門様のお話しが保護者一同には「有り得なかった」のだ。
「八兵衛さんが居ないんですか?」
「どの子かにやらせたらいいじゃないですか」
子供の嫌がるダサい役をやらせる。
そういう感覚が彼らには無い。子供にも自尊心がある事を大人の彼らが分からないのだ。ただ八兵衛さんの居ない「有り得ない話し」をこの組は舞台でやろうとしている。
楽しい楽しい園児の頃のお遊戯の思い出を『保護者の自分達』の思い出を八兵衛さんの居ない黄門様のお話しでは到底「許すこと」が出来ない。
担任の先生が龍世を八兵衛さんに選んだのは「断ろうとしないから」保護者のハラスメント回避に龍世の八兵衛さんは今、必須だった。
台詞はたった一つ。
それまで舞台には只の一度も出番は無く、しかも幕が降りる瞬間の黄門様一同とはそこ此処へ一緒に並ぶことはない。二日前まで八兵衛さんはこの話しには「登場」しなかったのだ。
終幕の少し手前、
事件が解決し一段落する瞬間に舞台の袖から出てきた龍世が台詞を喋るマイクに向かって一言、
──こうもんさま、そろそろおなかがすきましたね。
会場となる体育館に爆笑が起こる。
皆笑っている、他の園児達も先生も保護者達も。
龍世以外の全員が──
八兵衛さんを、龍世を、性の無い奴だと全員が笑っているのだ。
そうか、皆がこれをやりたがらなかった。
舞台の上から眺める全ての『色』が今、龍世には真っ黒に沈んで視えていた。
龍世が初めて『人の色の輝き』を視た瞬間、それは会場の皆の光や輝きではなく黒い『影』だった。
そういえはあの時、全員が同じ色をしていたことを何故か今頃になって思い出した。




