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予測、というよりはマーフィーの法則だった。
思考を巡らせ龍世の考え着いた先は「奈緒は電車には乗っていなかった」という結論だ。チャットの返信を受けてからこの答えを導き出すまでに数秒も掛からなかったが、実際には奈緒が学校には来なかったという可決情報があり、その他の答えとしての数字当てだ。
だがこれは「間違いであって欲しい」という龍世の希望的観測を含んだものである。連日の猛暑により外気温度は近日三十五度を超えており、高八咫線の御鏡本町駅より下りは都内某霊山の麓に向かって路線が伸びる田舎だ。一駅間の距離が上りより長くなり神爾江から御鏡本町まで徒歩で歩けば大人の足でも優に二時間半はかかる道程である。
そんな所をこの猛暑、しかも逃げ込む日陰の少ない田畑の田舎道を奈緒に歩いていて欲しくはない。
「奈緒……お前、何やってんだよ……」
それを強いたのが自分の態度であったのなら、尚更のことだ。もし今朝方、奈緒があの距離を御鏡本町に向かって歩き出したとしたら、休みを挟んでゆっくり進行して今頃、本町駅の側だ。
この推察を平安に伝え奈緒を探しに学校を出ようとする龍世へ、平安は自分の折り畳みの日傘を一本貸してくれたが奈緒に出会うまでそれを差すことは憚られた。
彼女がこの灼熱の中を今、自分に見つけてもらう為に歩いているのかもしれない。
この状況で自分一人だけ日傘を差していようなどとは、どれ程の間抜けだろう。
奈緒が龍世の気を引く為に起こした行動は確かにこれまでも幾度とはある。あるが、この気温ともなればもはや命に関わろう。
危険を賭して彼女が行なったもの、龍世の記憶の中でもそう数はないが、
一年前──
御鏡市沙門川の「花火大会」だ。
これと言って名物を持たなかった御鏡市が街興しの一環として地域の花火工業や煙火店を抱き込み年に一度の夏、3〜4店舗程を川上に集めて演し物を出展させる。
その時ばかりは土手沿いにテキ屋も並び盛況なものだったが、昨年の当日は少し様子が違った。
温暖化による線状降水帯の雨雲が西東京全体に掛かっていたのだ。祭りの委員会や花火師達は直前まで空の様子を覗ったが、結局その日の開催は見送られ後日へ繰り越しとなったのだが、
奈緒は諦めなかった。
「空を見て、西から凄く濃い雨雲が来てる。やっぱり中止になるかも」
奈絵が言う。
「でもさっき少し花火上げたじゃん」
「あれは段雷っていって最初に試験打ちするヤツだ。催しの本命じゃないよ」
壬生が奈緒へ分かりやすく説明すると奈緒がつまらなそうにしている。
奈緒も奈絵も平安も、その日は揃って浴衣を着た。慣れない下駄や木履も履いた。
「せっかく皆で集まったのに……」
「まあほら、延期して別の日にまた打ち上げやるだろうし」
平安が奈緒を宥めるが奈緒はまるで子供のようだ。
「今日がいい」
「ねえ奈緒、帰ろう。雨が降ってからだと皆濡れちゃうよ」
沙門川の土手沿いに集まっていた回りの祭囃子や来客達も散り出している。携帯に表示されている御鏡市の降水確率は90%、これはもうほぼ降る。
そこまで大きな川ではないがそのせい、土手上は舗装が為されておらず雨が降れば足元が悪くなる。浴衣の裾だって泥まみれになるだろう。
「じゃあさ、本当に中止になるか私と龍世で川上の河川敷まで見てくるよ」
「お前なぁ……」
すると奈緒が龍世の手を引き颯爽と走り出す。
残された三人が呆気に取られていた。
「あ、奈緒待って」
奈絵が止めようとするも声は届かず。
──豪っ!
その時、黒雲から更に天へ向かって赤い稲光が伸びた。
「レッドスプライト……!?」
「初めて見たな」
壬生は関心して空を見上げるが、これは不味い。
下方で降雨が起きている時に出る気象だ。
「嫌っ……」
「静香?」
雷音はまだ遠かったが平安が怯える。奈絵と壬生は顔を見合わせ平安をこのままにはしておけないと思った。
「とりあえず近くのコンビニに避難しよう」
壬生が言うと奈絵は平安の背に手を添え、土手下の公道まで平安を誘導する。
二人が向かって行った川上の先と空とをちらと見据えた。
「痛っ」
「おい、大丈夫か?」
奈緒が突然止まった。
駆けた拍子に慣れない木履で鼻緒ズレしていた。皮膚が擦れて少し出血している。
「大丈夫だよ」
「……」
絆創膏を持っていた奈緒が親指の付け根にそれを貼り、それから龍世へ少しからからと木履を鳴らして見せつける。
「ね?」
着付けに慣れている奈絵だったら、履物もしっかり合わせたのだろう。
遠く雨の匂いがする。
いつも無茶をするヤツだ。
あの日、二人で打たれた豪雨は後のニュースで河川の氾濫が警報レベル5に迫るかなり危険なものだった。
そして今日の熱中症警戒アラート。
猛烈な陽射しに当てられて、学校から出た龍世が本町駅南口の繁華街を線路沿いに抜けてそろそろ三十分といったところ。
午後一時過ぎとなり気温は最高潮に達している。
額の汗は拭うだけもはや無駄だった。周囲の人の気配も疎らになり始めているが、とくに浄張市側から御鏡市に向かって歩みを進める者など一人としていはしない。
「本当に、学年の上から数えた方が早いのかよ……」
この温暖化による近年、日本の夏の異常気象の中を身の安全も計らず彷徨く者の学力が学年で上位クラスだという。突発的なわがままは確かに奈緒らしくはあったが、それが自分のせいであれば龍世にも彼女を捕まえる責任がある。
霞むアスファルトの蜃気楼の中、地熱で歪む景色に意識は溶け込み朦朧とする。寧ろ、うすら眠気が催すほどだ。
この中を本当に奈緒が歩いて来るのか?
自らで立てた推測だったが龍世は次第に恐ろしくなった。奈緒が何処かで熱から避難していないか、出会わない可能性の方を龍世は期待していた。
進む道路の先を見ると学生服を着た女子生徒が一人、反対側の路側帯をゆっくりとした足取りでこちらに向かい歩いてくる。
奈緒が、やはりこの猛暑で外を出歩いていたのか。その一瞬、緊張と落胆の混ざる奇妙な衝撃を受けた龍世だったが、
「……いや、あれは違う」
遠目でも分かる、龍世の視る『人の色の輝き』が違うのだ。
──紫色──
それも青味の強い桔梗色を放つ女子生徒だった。奈緒はいつも朱色に近い淡い赤というのが龍世の感受する彼女のイメージシンボルだった。
まだもう少し下りの路線沿いを歩いているのか?もしかすると浄張の市街地内でコンビニか喫茶店にでも逃げ込み、今頃涼んでいるのかもしれない。
そんな切望を抱いてその女子生徒の脇を抜けようとした時だった。
「……っ!?奈緒!」
彼女だった。
それは、彼女だったのだ。
中央線の無い5mの車道を跨ぎ直ぐさま奈緒の元へ駆け付け、ながらに平安から預かった折り畳みの日傘を開いた。
「お前っ、何やってんだよ!」
傘の影に奈緒を入れ肩を引き寄せる。
龍世の掌に彼女の体温の暑さが伝わり、しかもその表情は何処か生気を失っていた。
「龍世……」
「こっちが見えてるなら、声ぐらいかけろ!」
苛ついていたのは自分自身にだったが、
「龍世さ、私のこと……全然、見つけてくれなくなっちゃったね」
「何言ってんだよ、こんなとこまで探させて!直ぐ電車乗って、家に帰って涼むんだ」
熱中症の明らかな初期症状が出ていた。
近くの自販機で冷たい飲み物を買い奈緒に持たせる。ここまで馬鹿な奴だとは思わなかった。今日一日を朝からやり直せたらと龍世が後悔する。
「……出るから、講習」
「龍世?」
自らの贖罪。
卒業する彼女を、いや彼女達を自分は見送らないといけないと思った。
こんなことを二度と奈緒にさせてはいけない。平安は奈絵が居なくなってから奈緒は勉強を頑張っていると言った。なのに自分は皆の足を引っ張り堕落させている。
こんな危険な日に長時間外まで出歩かせた。
「俺に講習出ろって言って、奈緒の方が休んじゃ駄目だろ」
「うん……」
壬生と平安に連絡を入れようと龍世が携帯を見開く。するとSNSに未読のチャットが一件届いていた。
朝に兄へ送ったものの返信だ。
「好きなことをやれ」
相変わらず話しの噛み合わない人だと龍世が思った。
龍世からして奈緒と奈絵は似ても似つかぬ、と言うほどの区別がついた。
高校一年の秋の終わり頃から、奈絵は髪を伸ばし変わりに奈緒の方を短くしたのは回りが二人の見分けをつけられず学生生活に少々不便をもたらすことがあったからだ。近年は夏から彼岸過ぎまで気温が高かったので髪を伸ばそうとしていた奈絵も涼しくなるまでは、と見送っていたのだ。
奈緒にとって龍世は正しく「王子様」だった。これまで姉妹の違いを見分けられる者に出会えることはなく、奈緒の龍世に対する好意はあからさまだ。御鏡第二に辛うじて入学した龍世は一学年の初頭から勉学はやる気無く怠惰で、その性格もヘソが曲がっているような天邪鬼だったが、そういう部分も含めて奈緒にとっては等身大としてその存在を近く感じた。
姉妹仲は良かったが、運動も勉強も出来て落ち着いている奈絵は「姉」そのものだった。だからこそ奈緒には龍世しかいなかった。龍世だけが奈緒の存在を承認出来る唯一無二の人間であり、自分の運命の人なのだと、そう彼女は強く想った。
実は、龍世の視る『人の色の輝き』の話しを奈緒にはしたことがある。
「何で龍世は私と奈絵の区別がつくの?」
「そんなこと……別に、何だっていいじゃんか」
今まで誰もが信用しなかった話しだ。
だが奈緒にとってこれはとても大事なことだった。
「教えてよ、聞きたい」
龍世の腕を引き組み付く奈緒の振る舞いはまるで龍世の彼女そのものだ。
煙たがることはしなかった龍世はだが、自分を頼る奈緒が少し怖かった。
自分は彼女を守れないから。
いつも何かに付けて父親の存在を思い返す。その脳裏に厳しく子供を怒鳴り付ける彼の、機嫌と傲慢でのみ他者を叱咤する歪んだ人格を。
「……はぁ」と短い諦念の溜め息を吐く龍世。
「笑うなよ?」
「笑わないよ」
奈緒から視線を外して龍世が言った。
「人の……色が視えるんだ」
「色?」
「そう、何ていうかソイツの周りにさ。珍しいと金とか銀とかもある」
奈緒が目を輝かせて聞いていた。
龍世の話しを疑うということが彼女にはまるで無かった。やっぱり龍世は自分の王子様なんだ、と正しくそんな感じだ。
「ねえ龍世、私の色は何色なの?」
女子は占いみたいなオカルトが誰でも好きだなと龍世が少し面倒くさそうに、
「……あー、赤だよ。朱色っぽい感じかな」
「えー、なんかあんま可愛くない」
奈緒が少しむくれる。
「そうか?俺は好きだけどな」
「本当?じゃあ私も好き」
言って気安過ぎたと思わず龍世が口を噤むが奈緒は機嫌が良さそうだ。
表情のよく変わる子だと思った。
「ねえ、奈絵は何色?」
まあ聞くだろうなと龍世。
「青、というより藍色みたいな」
「静香と壬生君は?」
「あのな……」
「いいじゃん、友達のも知りたい」
友達を知りたい、というより奈緒は龍世を知りたいのだろう。
言い出すと奈緒は聞かない。
「あーもう!分かったから、でもこれで終わりだからな」
「早く早く〜」
むぎゅう、と龍世の懐へ戯れる猫の様に抱き着き頭を擦り付けて来る。
くすぐったくて思わず呼吸が少し止まる。
「ちょっ、お前……よせって」
「言え、コノ〜」
「こ、虎太が水色……薄浅葱っていうか……平安は、翡翠っぽい緑釉だよ」
言ってようやく奈緒が龍世から頭を離すが、
「おまけでもう一人教えて」
「最後って言ったろ」
「龍世の色、聞いてないよ?」
聞かれ、どきりとした。
「あ……いや、俺は……」
返答に困る。
勿論、龍世自身それは確認してみようとこれまで試してみたことはある。然し龍世の眼差しは肉眼でしかその人の色が視えなかった。何か物を通しては愚か水鏡でも駄目だった。
「いいんだよ、俺のは……」
皆に在るものが、自分には無いのだ。
そんなふうに龍世は思った。
そして何の役にも立たない、誰にも信じてもらえないようなどうでもいいことが出来て一体何だというのか?
双子の姉妹の区別が出来る。
今はただそれだけだった。




