第七十話 サボろうよ
二人は身を寄せ合い、ただ押し黙っていた。
分厚い雲は引き摺られるように去っていき、青空と太陽が抱き合う二人を照らす。
学校のチャイムが背中で鳴り響いた。
遅刻である。
道路を走り去る車は、ガルーラ君とイブちゃんの横を高速で走り抜ける。
ガルーラ君はイブちゃんの頭を避けるようにして、その車の運転席の人間がこちらを凝視する様を見た。
イブちゃんは自分の腕の中でモゾモゾとし、胸に頭を押し付けていた。妹がいたのなら、こんな感じなのだろう。
ガルーラくんは、シスメお姉ちゃんとアダムくんと結婚すると決めているので、大変申し訳ない気持ちになりながら、猫のように顔を擦り付けるイブちゃんを見下ろした。
「ゴロゴロゴロゴロ」
イブちゃんである。
猫である。
二人は暫くして体を離す。
イブちゃんの体が離れた時、ガルーラくんは冬の容赦ない冷気を受け、身震いした。
イブちゃんも盛大にくしゃみをぶちかましていた。
鼻を啜りながら、ジト目気味で上着のポケットを弄るイブちゃんは非常に可愛らしく、ガルーラくんは再び顔が赤くなった。汗が吹き出し、そういえば抱きついた時汗臭くなかったかな、この子はいい匂いだったなとか、色々考え始めた。
「…………?ん…………?」
イブちゃんはポケットをごしょごしょしながら、小さく唸っていた。ジト目の中で、鼻水が外に出ないように啜りながら、ノールックでポケットを弄る。
「ん…………?ズビビッ!!んっ?………」
ビニールがぐちゃぐちゃと擦れて、ひしゃげる音が冬の風に乗ってガルーラにも届く。
『見つからないのかな。ティッシュが。』
ガルーラより遥かに小さいイブは、そのジト目を時々ガルーラに向ける。
先ほどの体温の分かち合いの恥などなかったように、彼の顔を暫く注視しては、再びポケットに突っ込まれた腕を不思議そうに見つめるのだ。
「な……にゃにこれ………四次元ポケッ……ぶっほーーーい!!!」
お前もそのくしゃみなんかい。
ガサガサ。ぶっほい。
ガサガサガサガサ。北風ピュー!ぶっほーーい!
「最近……ぶっほーい!最近花粉来てない?」
イブちゃんは鼻水を揺らしながら、マイペースにガルーラ君へ声をかけた。
鼻水のせいで濁声で、可愛く小さい顔は鼻水と眠たげなジト目に塗りつぶされているのだが、ガルーラくんはアダムの地獄の底から這い出る亡者のような鼻毛を何度も何度も見てきているので、この程度のことは茶飯事であった。
他の男子が見れば、若干蛙化するだろう。
「あ……うん。そうかも。寒さもあるかも。」
ガルーラくんも、片腕の手袋を外し、ポケティを弄り始めた。イブちゃんは、ポケットからガムのゴミや、キーホルダーや、乾いたウェットティッシュのゴミや、猫の印刷をされたパンツや、コンビニのおにぎりのゴミやらを色々ポイポイしながら、ポケティを探す。
全てコンプラを意識して、イブちゃんのポケットへバキューム回収されていくので、彼女のポケティ探しは再び難航した。
それより早く、ガルーラくんはビニールの小さな包みを発見し、ポケティを発掘した。
「これ使ってよ。」
ガルーラくんは、そのポケティを差し出し、未だ不思議そうに唸っているイブちゃんの前へ歩み寄った。
この距離感、この青紫の頭髪が自分の顎下にやってくる感じ。先ほどの抱擁を思い出し、ガルーラくんは再び顔を赤くした。
そして、この後待っているクラスでの公開処刑も同時に思い出した。
「あ……ありがと……」
イブちゃんはティッシュを受け取ろうにも、ポケットから手が抜けず、もう片方もポケットに突っ込んでいたため、両手が塞がっていた。
「ごめん。鼻に当ててくれない?」
普通なら嫌である。
ただ、ガルーラくんはたまに風邪を引くシスメお姉ちゃんの看病の際、彼女のわがままを聞きながら、身の回りの介抱をしているので、慣れっこであった。
イブちゃんの前に、5枚ぐらい重ねた分厚いティッシュを差し出し、ゆっくりと鼻に押し当てる。
柔らかく、小さいながらも、くっきりとした高めの鼻に、ガルーラ君の手が触れる。
瞳を瞑り、長いまつ毛が重なり、無防備な顔を差し出す彼女。唇から漏れる息が、ガルーラくんの小指を撫でて、そのまま手のひら全体を満遍なく包んでいく。
『目覚めそう……!』
ガルーラ君である。わからんでもない。
イブちゃんは間髪入れずにチーーンして、満足気に深呼吸をしていた。
「どうもありがとう。それもらうね。」
ガルーラくんの片腕に乗っかるティッシュの玉を指差し、イブちゃんはポケットからおにぎりのゴミを取り出して、ティッシュで包んだ。
蛙化直線ルートである。
しかし、ガルーラくんは一生懸命にティッシュをおにぎりのゴミで包むイブちゃんを見て、なぜか胸のときめきを感じていた。
あれほど近寄ってはいけないと感じていたのに、彼女の鼻をかむ手伝いをした瞬間、イブちゃんがとても身近な人間であると感じたのだ。
その感覚は、ガルーラ君を正直な体にして、胸のドキドキを誘発するには十分である。
ガルーラ君は、その思いから逃げるように、イブちゃんに背を向けて校門を潜ろうとした。
一声かけて、クラスの公開処刑を受ける覚悟を決めた。
ロシア文学のようなヘラり方をしかけたが、純粋な主人公枠の彼はやめた。アダカスならしていただろう。
「ねぇ、今日学校サボろうよ」
鮮明に聞き取れるようになった声音で、イブちゃんの声が再びガルーラくんの背中へ降り注いだ。
暫くの間ののち、ようやく放たれたような一声であった。
ガルーラくんは後ろを振り向こうにも、自分がどんな表情をしているのかわからず、ただ陽に照らされて押し黙る学校の外装を眺めるのみである。
赤煉瓦で造られた、重厚で胸を圧迫するような外観である。しかし、今日の彼は、それから発されるプレッシャーが大して気にならなかった。
ただそのプレッシャーは、学校の反対側、自分の後ろから発されているように思えた。
そう、もちもちプレッシャーである。
イブちゃん本人に、プレッシャーをかけているつもりはない。ただ、持ち前の無表情と、緊張すると顔が強張る彼女の特徴が、オーラとなってガルーラくんの露出したうなじの皮膚感覚で伝わっていた。
「でも、学校サボったことないし……」
ガルーラくんは、ここでキッパリと断れない自分を悔いた。しかし、未知の体験への好奇心もあった。
「いいからサボろうよ。今日避難訓練でお昼で終わりなんだし。」
イブちゃんは緊張で、どんどん声が低くなっていた。
ガルーラくんの知るところではない。
もちもちプレッシャーが強くなった恐怖以外は意識できなかった。
逆らえない。ティッシュに包まれる妹のような彼女は最早どこにもいなかった。
ただ、もちもち野獣がその場に佇んでいた。
ティッシュに包まれる妹の代わりとして。
「そ、そういえば弁当持ってきちゃった。」
「なら、尚更サボって私が食べないとね」
もちもちがもちもちと近づいてくる。
ガルーラのリュックに、ガッと両手が掴まれた。
「い、いきまふ!」
ガルーラくんは承諾するほかなかった。
イブちゃんのもちもちプレッシャーは、解除され、代わりにパァッ!とお花が咲いた。
「ご飯いこ!ご飯!!」
イブちゃんは校門前で大はしゃぎし始めた。
「え、でも朝の八時三十分だよ……?」
ガルーラくんは腕時計を見つめて、目の前でぴょんぴょん跳ねるイブちゃんへ声をかける。
彼女が跳ねる拍子に、黒いタイツ越しの短いスカートから、紫と白いリボンのおパンツがまじまじと存在を主張していたが、ガルーラくんは腕時計を注視してことなきを得た。
そのおパンティーは、紫、そして白いリボン。精巧な柄。
太陽の光をを受けることが絶対にない。
輝く運命を持たないステンドガラスのように思えた。
バッチリ見てるのであった。
「何ダメなの。朝の八時にご飯食べにいくのはダメなの。宗教で決まってるの?マイコン・ラムゼイくんは。」
イブちゃんのもちもちプレッシャーが帰ってきたので、ガルーラくんは渋々承諾した。
朝ごはんもシスメお姉ちゃんのセレブ愛情たっぷり量もたっぷりご飯であったので、もうお腹ははち切れそうであった。遅刻寸前の原因は、それを残さず食べていたからである。
「いえ、無宗教です。」
「なら食べいけるね。じゃあ、いこうね。」
イブちゃんのもちもちおててが、ガルーラくんの指先全てをキュッと強く握り込んだ。
「あ!手柔らか!もちもち!あったけ!自分より小さい手に包まれて、ほかほか!安心感!幸せ!!」
全部言うガルーラである。
はっきり言うときもい。
「どこにいく?」
イブちゃんはそんなこと全く気にせず、じゅるりとしながら、ガルーラくんをどんどん引っ張る。
「お弁当は………?」
「……?それはお昼でしょ。朝ごはんはお店行くよ。」
「家で朝ごはん食べないの?」
「ちくわとかまぼこでご飯8杯かき込んだけど……」
練り物オンパレードのイブちゃんである。
当たり前のように、ガルーラくんを引き摺る。
飯ハラである。
「どうする?ファミレスでも良いけど、この時間空いてるのかな。」
イブちゃんは逐一ガルーラ君をチラチラと見ては、校門から遥かに離れ、どんどんと商店街や食堂が並ぶ先へ向かっていく。前方に木で造られた外装の定食屋や、文字が錆びて抜け始めている中華料理屋など、様々なお店が並び、イブちゃんはその度にメニューを確認していた。
ただ、どこも朝早いので開店前であった。
「ラーメンいいね」
ガルーラくんは、中華料理屋の食品サンプルを見て、小皿に乗せられた半チャーハンや餃子を見て、これなら胃の隙間にねじ込めるだろうとと思い、手を引っ張るイブちゃんへ声をかけた。
イブちゃんは猫のような耳が生えて、ピーン!と嬉しそうに反応し、ニマニマし始めた。
「むふふ……むふ!ラーメンいける口なんだ。」
大層嬉しそうであった。
ラーメンいけない口の方が少ないだろ。
「うん、まぁ。実は……」
ガルーラくんも、何で返事をすればいいのかわからず、半ば反射で返事をした。
なぜ、ラーメンがゲテモノのように扱われているのか。
「そっかそっか。じゃあ入ろっか。」
ガルーラくんは、イブちゃんの早すぎる反応を見て、ガチ焦りし始めた。もう少しお店を吟味して、途中でドン○やらに寄ってお茶を濁し、なんとかお弁当のみで終わらせようとした矢先、自分の余計な一言でお店が決定しかけている。全くお腹は空かない。というか押し込んだら吐くだろう。
「はぁっ!はあっ!」
動悸が始まった。冬のひんやりとした新鮮な空気が、今となってはありがたかった。
「マイコンくん……!お腹が減りすぎて!?」
イブちゃんのおばか食いしん坊解釈が始まった。
急いで扉を開き、店内に頭を突っ込むイブちゃん。
「大将!二人行ける!!危篤なんです!友人が空腹で!」
友人という響きは、ガルーラくんにとって心の底から嬉しいものであった。ただ腹ははち切れそうだし、吐き気が襲い始めていた。
「今すぐ入れ!!」
地獄が始まった。
ラーメン屋の大将、メノクス(設定忘れたので32)は、この時間は客が来ないからと、煙草を吸いながら新聞を広げ、天井に張り付くブラウン管のテレビでニュースを見ていたが、危篤の学生を捨て置くほど薄情な男でもなかった。
「マイコンくん!ご飯はすぐそこだからね!!」
おばかがガルーラの肩を持ち、ガルーラくんはただ項垂れていた。タオルを頭に巻いたメノクスが暖簾を手で退けて、扉から心配そうに顔を覗かせた。
「顔真っ青じゃないか!女の子も顔色悪いな!二人とも腹減りか!サービスしてやるから早く入れ!」
メノクスおじさんは、二人を寒く厳しい世界から守るために暖房を付けて、店内の扉をガラガラと閉じた。
「サービスだって……むふふ」
イブちゃんは座席に腰掛け、鞄を隣の椅子に乗せてニマニマしていた。
「う、おえっ!」
ガルーラ君は腹一杯の中に飯を押し込まれる妄想をしてえすいていた。
メノクスが急いでお冷と瓶のオレンジジュースを差し出して、ガルーラ君は一心不乱にそれをあおいだ。
「そんなに腹減りか!坊主!!注文早く決めろよ!すぐに出してやる!」
『こっちだって、出すもんはすぐに出せちまうよ!』
やめろ。
ガルーラくんは、オレンジジュースを嬉しそうに飲み干すイブちゃんを見て、やはり胸の高鳴りを感じた。しかし、すぐにその全てが胃のムカムカに掻き消された。




