(6)救援対策
アルバート王子が隣領へ向かって留守にしている間、ジェームズは絶好調だった。
ゆっくり睡眠を取れ、すっきり爽やかに目覚め、食欲も増し、顔色がとても良くなった。
身のこなしも物凄く活き活きとしている。
「殿下のお世話から外れただけで、こんなに……!」
領主館の者たちも、代官たちも、驚いたし、妙に納得したのであった。
トニー川両岸への大水災害救援対策会議においても同様だ。
「殿下がお戻りになるまでに、できることはやってしまいましょう!」
代官たちからの報告に耳を傾け、テキパキと対応するジェームズの姿は輝いていた。
*
「材木が足りません」
リバー村の子爵代官の補佐役に周った、サンヒル村の男爵代官から、木橋の造り直しについて報告が来た。
ジェームズは即答する。
「森から伐り出しましょう」
代官が躊躇った。
「領主さまが御留守ですが、森の木を伐採する許可は?」
ジェームズは安心させるように微笑んだ。
「殿下には後で報告します。
でも森のことは『いいよいいよ』と仰せになりますよ」
「ああー、ええ、きっと」
得心した男爵代官に、ジェームズは続ける。
「非常時ですから」
そしてジェームズは机に広げてあった地図を指さした。
「では、伐採する場所を決めましょう。どこからが良いでしょうか?」
「どれどれ」と男爵代官も地図を覗き込む。
「街道を使うなら、こちらから搬出した方が早いでしょうな」
「では、そのように」
「わかりました」
男爵代官に目を合わせて、ジェームズは頷いた。
「お願いします」
ジェームズは、控えていた従僕に森番のところへ行くよう指示した。
伐採区域と大体の量のメモを渡し、詳しい事は口頭で伝えさせるのだ。
ジェームズ自身もアルバート王子の奏者をすることがあり、従僕はそれをよく見ていた。
「急いでおくれ。でも足元がぬかるんでいるから、よく気を付けて」
「はい」
従僕は速足で部屋を出、玄関を出ると走って森へ向かった。
*
「救護所の薬が足りません」
船町西で采配を振るっている子爵代官から早馬が着いた。
「薬品類は現在、伯爵代官から他の村の薬師に問い合わせているところです」
使者は困り果てた顔で言う。
「こちらはすぐに必要なのです。特に傷薬」
「でしたら蒲を使ってください。
穂綿は当て布の代わりに、花粉は傷薬に。
無事だった倉庫に積んであります。
木箱に印が付いていますからすぐにわかりますよ」
「蒲は売り物にする予定だったんですよね」
「予定は予定です。今は怪我人に使うのが先です」
「でも」とジェームズは続けた。
「薬が使えない時は、まずは清潔な真水で傷を洗い流しましょう。
大雨洪水の直後で、もしも井戸の地下水が濁っていたら、一度布で濾した後に、アニーさんの食堂で大鍋に沸かしてもらって、冷めてから使ってください」
*
一度領主館に戻って来たオリヴァーが、両手に何やら必要な道具を抱えたまま「災害対策本部」の部屋に来た。
「湯を沸かす薪が足りません」
「オリヴァー、丁度良い時に来ましたね」
不安そうなオリヴァーに、ジェームズは落ち着いた顔で応える。
「森から伐った木のうち、建材に使えないものを、救護用の薪に回すよう連絡しておきます。
貴方が堆肥用に確保していた藁と落ち葉も使えそうですね」
「藁も落ち葉も、燃料に回してしまったら、堆肥が……」
「藁や落ち葉は、これが落ち着いた後で補給できます」
「ああ、確かに!」
「オリヴァー」
ジェームズは手招きした。
こっそりと小さな砂糖菓子を一つ手渡す。
オリヴァーはムッとした顔になった。
「また子供扱いして」
「子供のオヤツではありません。疲労回復のための糖分です」
「なるほど」
オリヴァーは砂糖菓子を口に含んだ。
甘味に目を細め、美少年はあどけない顔になる。
ジェームズはこの年下の同僚を、静かに労った。
「お疲れ様」
*
救援対策本部で、休憩中の代官たちとオリヴァーはハーブ茶を飲みながら話をしていた。
オリヴァーはまだ未成年だが、代官たちも今はもう、大人顔負けの働きをするオリヴァーを不安に思うことはない。
ただ、今この場にはジェームズの姿はなかった。
彼は伯爵代官の被官の魔術師からアルバート王子に貸し出されていた伝言鳩が到着し、報告を受けていた。
「……そう言えば」
オリヴァーが話を切り出した。
「殿下がいる時のジェームズさんって、いつも眠そうでした」
「でしょうなあ」
「あ、こら」
同意したサンヒル村の男爵代官を、隣村のブルック村の男爵代官が窘めた。
オリヴァーは苦笑して人差し指を唇に当て、「ここだけの話ですよ」と言った。
コケティッシュな天使スマイルに、代官たちは逆にオリヴァーを不憫に思う。彼に付けられた仇名が酷すぎて。
それはさておき……
やつれた顔をしたリバー・リード両村担当の子爵代官が感慨深そうに言う。
「あの人は、第二王子殿下の侍従をやりながらこれだけ仕事をしてたのだ……」
「殿下は体に悪い」
ぱしん。
不敬(?)なことを口走ったサンヒルの男爵代官が、ブルックの男爵代官に無言で腕を叩かれた。
一同のカップが空になった頃、ジェームズが困った顔で部屋に戻って来た。
伝言鳩が記録した言葉を従僕に聞き書きさせてまとめたものを手にしている。
「石の買い付けは成功したそうです」
「おお、殿下もやりますな!」
サンヒルの男爵代官が声をあげた。
「それで、お帰りは予定通りに?」
ブルックの男爵代官が尋ねる。
「それが…… 三日ばかり遅れるそうです」
ジェームズが何とも形容し難い表情で応えた。
「あちらの領主殿と意気投合して領主館に泊めていただくことになり、領内を色々見せてもらうのだそうです。
良い温泉が出るとかで、入浴して来るそうです……」
「はあ??」
オリヴァーが素っ頓狂な声を上げた。呆れた声で続ける。
「殿下、観光旅行してるおつもりですか??」
「そうかも知れないね……」
ジェームズは一同から目を逸らした。
「ああ、そうだ」
ジェームズは報告を追加した。
「自分達が道中で飲むのに持って行ったエールが隣の領主にも大好評なので、増産してくれ、だそうです」
「……!」
子爵代官が顔をあげた。
『大麦のパンが美味いんだから、大麦の酒も美味くできないかな?』
『今年は天使の堆肥のおかげで大麦の育ちがとても良い上に、味まで良くなってましてね』
子爵代官は、アルバート王子が視察に来た時の遣り取りを、リバー村の村長から聞いていた。
そして避難民へと元締めに供出させたエールは、船着き場が壊れなければ他領で売る予定だったことを。
(特産品とやらも、作れてしまうのではないか?)
子爵代官の喉がゴクリと上下した。
翌日、ジェームズは船町西を視察に来ていた。
水も引き、浸水した建物を早速修理したり壊したり、汚れてしまった家具や何らかの器を洗ったりと、人々は大忙しだ。
浸水は出入口の床だけで済んだアニーの食堂の前に馬を止め、手荷物を背負って下馬した時、ジェームズは
(軽いな)
と気付いた。
(殿下の着替え一式には靴も入れていたし、重かったんだなあ)
今は、水筒やおやつも用意しなくて良いし、何か仕出かすのを警戒せずとも良いし、何かと呼びつけられることもない。
(楽なのだよな……)
ジェームズはしみじみと思い、現在隣領でアルバート王子と同行している家令を、心の中で励ました。
*
アニーの食堂では、オリヴァーが濾過器の実演をしていた。
底に穴を開けた甕に、数日前から領主館でそれぞれ洗って乾かしておいた小石、砂利、炭、砂、布を順に詰め、大水以来今一つ濁りの取れない井戸水を注ぐ。
「へえ~、奇麗になっちゃった!」
甕の底から出て来た透明な水を見て、アニーが驚嘆の声を上げた。
「大きな汚れはこれで取れましたが、飲んだり料理に使ったりする時は、念のため沸かしてからにしてください」
「ああ、わかったよ。これで奇麗にした水で、怪我人用にも湯冷ましを沢山作っときゃいいんだね!」
「はい、飲み水にするのは勿論ですが、それで傷を洗うんです。
アニーさん、お願いしますね」
「任しとき!」
「また天使が奇跡を起こしたかあ?」
休憩に来ていたピートが揶揄った。
「僕じゃなくて、そちらのジェームズさんの発案です。
水魔法が使えればもっと奇麗な水を出せるんですが、僕には使えませんし、なら道具で濾過したらいいって」
「へえ~、学のある人は違うねえ」
ピートがジェームズに顔を向けた。
庶民が宮廷伯子息に向かって使うような言葉ではないが、言われた高位の側も誰も気にしないのはアルバート王子の影響だ。
「オリヴァーが自分用に作っていた濾過器を見て、食堂でも使えるようにしてくれと言っただけですよ」
そんなことを言いながら、ふとジェームズが遠い目をしたのにオリヴァーは気付いた。
「……」
「こいつでエールも作って、天使のエールだって売り出そうぜ!」
ピートの陽気な声が響く。
「今年は普通に美味いけど、奇麗な水で作ったらもっと上手くなるんじゃね?」
「それだ!」
いつの間にか子爵代官が来ていた。
疲労により隈ができているが、目が爛々と輝いている。
「ひえっ! お代官さま!」
ピートが素っ頓狂な声を上げ、ジョナサンに腕を引かれて後ろに退く。
子爵代官は太い指を立てて語った。
「この装置を、もっと大きな樽で沢山用意して、奇麗にした水でエールを仕込むのです。
幸い今年は大麦の出来が素晴らしく良い。
『天使のエール』と名付けて売り出したら、他の領でもきっと売れますよ!」
『自分達が道中飲む用に持って行ったエールが隣の領主にも大好評なので、増産してくれ』
伝言鳩から伝えられたアルバート王子からの言葉を、ジェームズとオリヴァーは思い出した。
きっと子爵代官もそうだろう、とジェームズは思った
(殿下、しっかりいい仕事をしちゃいましたねえ)
ジェームズは「ふ」と笑う。
笑顔がなんとなく寂しそうに見えて、オリヴァーが
「殿下がいないから、ジェームズさんも寂しいのかも?」
と呟くと、子爵代官が小さく苦笑して同意した。
「僕も寂しいんですよ」
そう続けたオリヴァーに、子爵代官は、
「そうでしょうねえ」
と応えた。
そしてジェームズは気付く。
子爵代官の目の下は黒く、皮膚の色艶も悪い。
頬も以前よりこけている。
疲労が随分と溜まっているのだろう。
「子爵は、御長男にリバー村、御次男にリード村で、支援の指揮を取らせていらっしゃるのですよね?」
「ええ、下の倅もやっと三十になりまして、一人前とまでは言えませんが、あれこれやらせております」
「どんどん引き継いでおしまいなさい。
貴方に倒れられてしまったらにっちもさっちも行かなくなります」
「は、はあ……」
「顔色が良くありません。
キリの良いところでちゃんと休憩してください」
「他の皆様もそうです」とジェームズは続けた。
「代官の皆様あってのこの領、くれぐれもご自分のお体を大事になさってくださいね」
*
その日の視察や話し合いが終わると、オリヴァーは元締めに捕まってしまった。
ジェームズも呼ばれて共に元締めの屋敷に行き、夕食を振舞われる。
ジェームズとオリヴァーは、どう見ても領主館より豪奢な調度品の数々に囲まれて食事をし、元締めから「供出させられたエールの美味さ」を惜しむ愚痴を聞かせられた。
「おじいちゃま、恐いお顔ないないして!」
三歳の孫娘に叱られて、元締めは太い眉を八の字にする。
「おじいちゃまは、笑うと可愛いのよ!」
孫娘は得意顔で自分の描いた元締めの顔を披露した。
オリヴァーが手をポンと打って提案した。
「次に作るエールも同じくらい美味しくできたら、お孫さんの絵を目印にして、『親分エール』として売り出しましょう!」
「そんなの全部『天使エール』でいいじゃねえかよ、ウンコ天使!」
照れた元締めが憎まれ口を叩く。
「ウンコ天使のエールなんか売れませんよ!」
オリヴァー本人が言い返した。
ジェームズが笑って提案した。
「普通に作ったものは『親分エール』、濾過した水で作ったものは『天使エール』でどうだろうか」
*
そうこうしている内に、ようやくアルバート王子が帰還した。
ずらりと並んだ使用人一同と、災害対策本部で話し合いをしていた代官たちを見て気を良くしたアルバート王子は、
「うむ、皆の者、苦しゅうないぞ」
と口走って困惑させた。
「ただいま! 楽しかったぞ~!」
と言葉を続け、
(ああ、帰って来てしまったなあ)
と、全員に思わせた。
(続く)




