(3)どうやら領地は豊作のようです
オリヴァーの堆肥改良は成功し、秋には麦だけでなく野菜や雑穀まで大豊作となった。
キャベツ、人参、玉ねぎ、大蒜、エンドウ豆、空豆などが大量に採れて質も高く、大麦小麦もまあまあ良い出来だ。
朝食に、コックが焼いた素朴な人参ケーキを食べながら、アルバート王子が言った。
「今日は兎を退治しに行く」
「森で狩りをするなら、もっと早く森番に連絡しないといけませんよ?」
ジェームズは当然確認したのだが、違っていた。
「いや、ケント君の畑でだ」
「ケント君? どなたで?」
聞きなれない名前なので尋ねたら、とんでもない言葉が返って来た。
「ケント君はキャベツ作ってるんだ。
同い年だから仲良くなったんだけど、もう嫁さんの腹ん中に子供がいるんだって」
「キャベツ…… ケント君とは、もしかして農民なんですか??」
「うん。キャベツが育ったら兎が荒らしに来るようになってしまって、今日は一緒に罠を沢山仕掛けて来る。
見ておれよ、兎め!」
悪い笑顔で話すアルバート王子を前に、ジェームズは絶句していた。
元々人懐こい性格の王子だが、とんでもないことである。
いくらこのド田舎領に同世代の貴族が少ないからといって、何も農民と友達にならずとも、と、ジェームズは思う。
更にジェームズは、オリヴァーにも後ろから撃たれた。
「僕はこれから、農村地区を巡視する予定ですが、みなさんに兎料理のお勧めを聞いてみますね」
アルバート王子と共に失脚するまでは「侯爵の養子となり後継ぎになるはずだった」オリヴァーまでも、すっかり庶民派になってしまっている。
だがジェームズは思い出した。
王都で彼等は、元・庶民だった男爵令嬢に夢中になり、王子が婚約を破棄したことを切欠に失脚したのだ。
(二人共、元から庶民派だった……)
ジェームズは肩を落とした。
「……護衛は必ず付けてください。
くれぐれも怪我などなさいませんように」
無理に止めて聞くような相手ではないし、身の安全だけは確保するよう言い含めた。
「はい!」
アルバート王子の妙に良いお返事が響いた。
なんだか憎たらしく聞こえてしまい、ジェームズは苦笑した。
*
朝食後、ジェームズは領主館に隣接している聖堂へ向かった。
ここは主に領主とその家族が、そしてジェームズのような上級使用人たちが礼拝するための教会だ。
一般の領民は自由に出入りすることはできない。
聖堂側の人員は計7名。
貴族出身の司祭が2名と助祭2名、寝泊まりして仕えてる奉仕者1名(鐘つきや御者などもする)が所属し、通いの掃除人と庭師各一名が出入りしている。
ジェームズは、領地の財政再建のためにここを縮小したかった。
だが司祭いわく。
「建物も庭も広く、助祭2名だけでは手入れが行き届きません。
司祭の私どもが手伝ってもまだ不十分です。
こちらも現状で一杯一杯なのですよ」
言い分は、もっともだった。
「……」
ジェームズは黙って頷いた。
単純に人員を削るのは難しい。
人員削減は諦めるしかないのはわかっている。
だが、前回話し合った時に約束したように、領主館の帳簿を持参して司祭に開陳した。
「私たちがここに来た時から、領主館は赤字も赤字で真っ赤なのです」
恥を覚悟で、領主家の財政状況を司祭たちにも理解してもらう。
「なるほど…… なるほど……」
帳簿を見ながら、司祭たちは青ざめた。
聖堂は領主館と隣接しているので、彼らも領主家の生活状況や経済状態はある程度分かっている。
厨房の小麦が底をついて雑穀を主食にしていたことも、領主自身が魚を釣って食卓に提供していることもだ。
そのお裾分けを、領主自身が満面の笑顔で持って来ることもある。
だから寄付についても、他所の領地とは違い、領主に強く強請ることは司祭たちにもできなかった。
領主側と聖堂側が互いの事情を理解した上で、今後の人員や運営を考える関係になるのが今回の訪問の目的だった。
自分たちをか、領主館をか、そのどちらをも嘆いてか、司祭たちは目頭を押さえている。
話は続き、時間は昼を回っていた。
「よぉーし! 兎退治の罠、たっくさん仕掛けたからなあー!」
外からアルバート王子の能天気な声が聞こえて来た。
ジェームズはつい、苦笑してしまう。
「うちの領主さまはこれだから」
司祭たちに顔を向けて、ジェームズは微笑んだ。
「あまり落ち込んでいても仕方ありません。
殿下のようにとまでは無理ですが、私たちも前向きに参りましょう」
「そうそう!」
司祭の一人がポンと手を打って話を切り替えた。
「出入りの者が薄焼きのビスケットを持って来ましてな。
よろしければ少しお持ちになってください」
「それはそれは」
(お腹を空かせた可哀そうな子供のように思われたのだろうか?)
ジェームズは(まあいいか)と思った。
(私にもアルバート王子の能天気が伝染っているのかも)とも。
*
その日は朝から、オリヴァーは予告通り農村地区を巡視していた。
領主館と聖堂の建つ丘を下ったところが役所等がある市街地になっている。
夕刻に市街地側から領主館を見上げると、金朱色の夕日に染まる美しい姿が見られるが、今は朝だ。
小さな街なりに馬車や荷車の行きかう様子は活気がある。
市街地を過ぎると、丘の湧水から流れてきた小川に隔てられた左右二つの村があった。
市街地を含むサンヒル村と、横並びにブルック村がある。
この二つの村では小麦・大麦と野菜が主に作られている。
ブルック村の方には馬牧場があり、馬車や荷車を曳く駄馬を育てていた。
さらに下るともう一つ横長に広がるリバー村がある。
丘から降りる小川は流れが大きく曲がり、農地寄りになっているが、市街地と違って石の橋ではなく木で作られた素朴な橋だった。
リバー村では、小麦は採れないこともないが収穫は少なく、大麦や雑穀の方が育ちが良い。
そのせいでサンヒル村やブルック村よりも貧しかった。
だがここをさらに下って行くとトニー川と呼ばれる大きめの河川に突き当り、川の流れによって東西に荷を運ぶ船着き場がある。
前章で登場した船町西である。
ここは「王都から見捨てられたド田舎」の割に、実は立地そのものは悪くない。
領地を整備しようとする領主に恵まれないまま、発展せずにいるのだった。
*
オリヴァーはリバー村を巡り、改良した堆肥の出来具合と、熟成したものから使うようになった畑を見て回った。
村内の船町西からトニー川を挟んだ対岸には、船町東という荷下ろし場とそこを含むリード村があるのだが、今日は時間的に無理なので、明日にすることにした。
サンヒル村とブルック村は既に別の日に巡視していた。
「人参もビーツも南瓜も、よく採れたで!」
「この村じゃ麦の育ちは良くねえんだが、ハァ、でも、今度の秋撒きはぁ期待できそうだんべ」
「玉葱やキャベツも楽しみだべよ!」
改良堆肥の効果は上々だった。
オリヴァーは領民たちと喜び合いながら、内心ホッとしていた。
改良のために、彼らにも作業をさせていた。
だから豊作の報告は嬉しさだけでなく、安堵も彼にもたらした。胸がじわじわと温まる
「よかったあ!」
つい子供じみた声を上げたオリヴァーを、領民は笑って受け止めた。
中には彼の頭を撫でてやろうとする者もおり、
「僕はもう学園を卒業しているのですよ!」
とオリヴァーに抗議された。
「あれま! あんたいくつになるんで?」
「16歳です。もう少しで17歳になります」
「俺の倅と大して違わねえな」
結局、頭は撫でられた。
「子供じゃないのに!」
彼の抗議は笑いによっていなされた。
日はもう低くなり始め、暗くなる前に領主館に戻ることにした。
農具や空き樽などを乗せた荷車を馬に曳かせ、帰り道を行くオリヴァーは、丁度村の教会の玄関から出て来た司祭に挨拶した。
「司祭様、ごきげんよう」
「ああ、オリヴァーさん、ごきげんよう」
「お出かけですか?」
「いやいや、庭を掃いておこうとね」
この領の農村地区にある教会はどこも小規模だ。
助祭や小間使いはいるが、司祭が教会の手入れをすることもある。
「そうですか。お手伝いが必要なことがありましたら、僕にもお声をかけてくださいね」
「ありがとう、その時はお願いしますよ」
続けて、司祭は堆肥に関係する話をした。
「作物はとても良く育ってるようですね。
麦にも改良した堆肥が効いてるようですよ。
収穫が楽しみですね」
「ええ、本当に楽しみです」
オリヴァーは笑顔で応えた。
「村の人たちもこの冬は飢えずに済みそうだと、行く先々で言われましたよ」
「そうでしょうねえ。ああ、そうそう、」
司祭は思いついたように言う。
「しばらく顔を見せなかったトム爺さんが、また主日の礼拝に見えましてね。
あまり多くの肥料はいらないはずのカブや豆まで沢山取れて、腹いっぱい食べたから体も動かすようにしているのだとか」
「わあ、それは良かったですね!
でも年が年ですし、あまり無理するなって、司祭さまからもお伝えください」
「はい、心得ましたよ」
そんな世間話をして、オリヴァーはまた道を進んだ。
教会の持つ情報は実は馬鹿にならない。
農村の経済状況や村人の健康状態などが、捧げられる作物の量や人々の礼拝出席率によって、意外と推し量ることができるからだ。
この領地に着いたばかりの頃にジェームズと挨拶に周った時には、都会から来た若者に警戒する者は多かった。
だが、堆肥改良や公衆便所設置で村々を行き来している内に、オリヴァーは、今やすっかりと顔なじみになっている。
オリヴァー自身も、侯爵家跡継ぎとして王都で過ごしていた頃の高いプライドは手放していて、村の人々や無位無官の聖職者らと交流するのに抵抗がなくなっている。
*
木橋を渡った時、橋桁がやけにギシギシと煩いのに気付いた。
木橋は、古い橋のため修繕が始まっていて、足場が固定されていた。
領民が毎日使うため、封鎖されてはいない。
だが音が気になる。
どこか外れている部分があるのか、「組み」が悪いのか、オリヴァーにはわからないが、帰ったらジェームズに報告しようと思う。
空は金朱色に染まりつつあった。
広葉樹の葉も黄色味や赤味を増していて、景色は秋らしくなっている。
領主館の建つ丘の麓に着いた時には、すっかり暗くなっていた。
紫色の夕闇に建つ領主館の屋根に、陽の名残りがそこだけ小さく金色に反射していた。
*
翌日のことだ。
アルバート王子は、畑の罠にかかった兎を三羽分けて貰って帰宅した。
ジェームズもオリヴァーもまだ視察から戻って来ていなかったので、先に兎を厨房の裏手へ持って行き、血抜きをして、使用人に皮を剥いでくれと頼む(王子はやり方がわからなかったので)。
ジェームズの乗った馬が戻って来る音が聞こえて来た。
アルバート王子は大急ぎで手と顔を洗い、泥だらけの服を着替えた。
少し後からオリヴァーも戻って来た。
身支度を整えた三人が食堂に集まった。
忙しい時は部屋でそれぞれ食べているが、朝か夕食にはなるべく顔を合わせるようにしている。
このド田舎領に来た当初、ジェームズは、食事の時も侍従らしくアルバート王子の給仕をしたがったし、オリヴァーは使用人同士で食べると申し出たが、
「一人きりで食べるのは寂しい!」
と言って聞かないアルバート王子に、二人は折れた。
今夜の献立は、兎とインゲン豆のソテー、人参のバター煮、ケント君の畑で採れたキャベツ入りのスープ、それに大麦のパンだ。
節約生活はまだ続いていて、小麦のパンは滅多に焼けないが、旅用の携行ビスケットや雑穀生活が長かったせいか、アルバート王子は大喜びで大麦のパンを食べている。
そして今夜は兎の肉がどっさりだ。
「美味いなあ! 美味いなあ!」と連呼していたアルバート王子が、ふと、しみじみと言う。
「みんなで食べると美味いものがもっと美味くなるよな」
「セリーナがよく言ってましたね……」
オリヴァーが遠い目で呟いた。
アルバート王子は頷いて、続ける。
「あの子の言ったことは、全部間違ってたわけじゃないぞ」
自分の言葉に、アルバート王子は自分で「うん、うん」と頷く。
そして兎のソテーを口一杯に頬張った。
「美味い!」
食べながら、三人は今日の報告をする。
「畑に七つ仕掛けた罠の、全部に兎がかかってた!」
「良かったですね」
「うん!」
そしてニッと笑って言った。
「毛皮で三人分のミトンかマフを作れたらいいな!」
今日はアルバート王子の話はこれで終わりだった。
いつもこんな調子なので二人も何も言わなかった。
「昨日オリヴァーが言っていた、小川の橋を見て来ました」
ジェームズが視察結果を切り出す。
「確かに、足音が妙に煩かったね」
「修繕の最中ですから仕方がないのかも知れませんが」
「気になるよね。
やはり修繕を急いだ方が良いと思うんだが、でも、急かして何かを見落としてしまったら、そっちの方が大事だ。
故意でなくとも失敗を隠す者は多いものだし」
「ですよね……」
「街道も周って来たんですが、石畳が少し気になる」
「六頭立ての馬車が普通に通れる道幅のはずですが」
「うん、そんなに心配することないのかも知れないけどね」
「……」
オリヴァーは、ジェームズを心配性だとは思わなかった。
川と街道はどちらも運送の要だ。
何かあれば領民の生活に直撃するし、領の収入にも影響が大きい。
「俺も橋を見に行きたい!」
口を挟んだアルバート王子に、二人は苦笑した。
「釣りに行くわけじゃありませんからね」
「わかってるって!」
王子は唇を尖らせた。
ジェームズが話を変えた。
「……オリヴァーは、今日はリード村まで行ったのだよね?」
「ええと」
オリヴァーは申し訳なさそうな顔になる。
「堆肥関係の話になりますので、報告は食後でいいですか?」
「勿論」
*
食後、三人は食堂から居間へ移動した。
長椅子には満腹になったアルバート王子がごろりと横たわる。
ジェームズが注意した。
「眠いならお部屋へお戻りになられますよう」
「視察の報告を全部聞くまで寝ないぞ」
「そうですか」
「俺、領主だもの!」
「……ええ、殿下は領主ですよね?」
「何故そこで疑問形なの?」
「さあ?」
冗談(??)を言い合いながらジェームズは手を動かす。
ハーブ茶(この世界にまだ紅茶は存在しない)を淹れて二人に手渡した。
それを合図に、オリヴァーが報告を再開した。
「船町西は特に問題はなかったので、すぐ東側へ渡りました。
あちらは本当に水はけが悪くて、地面に板を置いてその上を人が歩く場所がいくつもありました。
船町東の荷置き場と集落内に設置した公衆便所も確認したのですが、あれでは人糞堆肥を作っても、使える畑があまりないかも知れません」
「凄いね……」
「辺り一面、葦と蒲だらけでした。
蒲は傷薬が採れるからいいのですが」
「私も巡視で行った時は驚いたよ。
辺り一面が湿地で、それが遥か遠くの隣領まで続いているなんてね」
「夏場は蚊柱だらけで前が見えないとか。
領民は目の細かい網を被って歩いているそうです。
でも面白い話、あの辺りでだけ採れる蒲から、熱病に良く効く薬ができるそうですね」
「へえ~!」
アルバート王子が興味深そうな声を上げた。
「薬草学はフレデリックが詳しかったよなあ」
遠い目をして、学園で自分の取り巻きだった者の名前を挙げた。
「――」
ジェームズは静かにため息をついた。
言いたくないことを言わねばならない時が来た。
(続く)




