第2話 踏めない 踏み出せない
第2話 踏めない 踏み出せない
イクト
音が違う、土を踏む音が。細い足が土を踏む。足の裏の感覚が鈍い。今日は四股がうまく踏めない、そういえば昨日も。まわしが浮いているように感じる。
夏を乗り越え、秋になった。毎日決まった時間にまわしを締め、四股を踏んだ。取り組みはまずない。四股踏み、腰を落とす、踏ん張る、受け身。続く。果てしなく続く。
ふとした拍子に、学校を休んだ。
ケイ中学校
三日、四日、五日、一週間。祝日があり三連休になった。もう何日も行っていない。
「・・・身体が反応しない」
気づけば二週間以上行っていない。
登校への誘いがたくさん来たと思う。よく覚えていない。原因は浮かばない。
アコ、声が聴きたい。
外は下校する小学生の声が聞こえる。かつての自分がいるみたいだ。中学生の声は聞きたくもない。自然と聞かない、聞こえない、音は消えた。
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秋風が吹いたり、晴れたり。秋雨の中、もう一か月は行っていないよな、そんな思いでいた。
ふと、髪を触った。
結構伸びていた。果てしない罪悪感に襲われた。
切らなきゃ。
でもいいや。
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男って。
ビバリが言う。男じゃないと、女だから、・・・。
もう何週間も空いている俺の席。
俺の腕。あざがない。もちろん傷もない。
教室の男たちの体に時々目が行く。半袖になると、がっしりした腕が目に入る。
「あの遊んでいる小学生も、いつかあんな腕にね。なるかな」
ビバリは思ったことすぐ口に。窓の近く。
「え、何。」ショウコ
「何でもない」
思いつきで話すと後味が悪い。いつもそうだ。
これでなんど困らせたか。
ショウコにはこれからもそばにいてほしい。
思いがうつろう性格をビバリは自認している。
ビバリは本を読むと一文字一文字を吸うように覚える。
発する言葉はちぐはぐ。
あの小学生もいつかあんなきつい目に遭う。その先は思うだけにする。
ショウコ、ビバリ そばにいる。
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ぼさっと伸びた髪を触りながら考えた。明日こそは学校、そうだ、中学校だ。
小学校の校舎が中学校の校舎か混乱している。
俺は暗い雨音の中、布団と窓を交互に見ながら財布を握った。
床屋へ行こう。俺の居場所、ケイ中に行く前に。
切らなくちゃ、はあはあ、切らないと、はあはあ、こんなに息が上がるとは思わなかった。
傘を差し、歩けばいいとわかっていても小走りになる。
イクトの前に赤信号。
「やめようか」
髪を指で挟む。
雨の商店街だった。
引き戸を開け、駆け込むように入った。息が整わないまま。
「いらっしゃ・・」
「いらっしゃい」
伸びた髪を見て一瞬目をそらされたが、いつもの変わらぬ目になった。
「6mmね」
3mmという言葉を聞かなかった。
白いケープを首に巻かれた。バリカンの音が響いた。
今から、あの季節にもどる。
俺の目は、鏡、天井、床、落ち着かなかった。
髪が床に落ちる。長いこと切ってないな。まあそうだよな。
髪の毛一本一本が細く感じた。
バリカンの振動が頭皮に伝わってきた。三月と同じ振動。
6mm。
三月からの季節が頭の中で繰り返される。でも、明日、学校に、いくんだ。
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帰り道、曲がり角。
俺の肩のあたりに震えが来た。
アコがいるんじゃないか、怖くなった。
いない、よかった。足早に帰る。
いいよな女は。
意識せず言葉が出た。
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家に帰った。濡れた傘を玄関に立てた。鏡を見た。
6mm。三月と同じだった。でも三月の自分じゃなかった。
布団に入った。雨の音が続いていた。
明日、行けるだろうか。考えるのをやめた。
風呂に入り、温まった体に水道水をかける。我慢。
身体を拭く。
明日この胸は外の空気にあたる。足も。足先も。
枕に刈りたての頭が当たる。寝返りを打つたびに、じ、じ、音がする。
砂漠の中をさまようような感じだった。
明日の準備ができたか不安だった。
さっき適当に教科書をつめた。
さっき習慣のようにまわしに手を伸ばした。目を背けながら、つかんでカバンに入れた。
明日も稽古がある。足先をつかむ。
寝返りを打ちながら左肩に手を当てた。
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雨上がりの朝、俺は何事もなかったように朝食を食べ、いつもの時間に家を出た。
腹の下に力が入る。
同じ学校なのに、遠く感じる。
自席につく。いつも通り始まる。いつものように授業を受ける。何も起こらない。
久しぶりに来る。
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時間が来た。いつものように足早に皆が動く。
当然のように体が動くが、重い。時間の流れがおかしい。
裸になれるんだ外で。なれる。ここで。
着替え小屋まで、はやく、はあ、はあ。
廊下を進みながら視線を上げたら、時間が動き出した。
小屋、入る。
脱ぐ、靴、靴下、シャツ。ズボンに手をかけると手が止まった。
「早く脱ごうぜ」
急にいつもの声が聞こえてきた。何もなかったように、おろす。
胸にまわしの先をあて、股間を通す、数回巻く。締めあげる。
きゅ、ぎゅ、たてみつが食い込む。締める
「うっ」
容赦ない。
敏感になる。足裏から腰まで。
小屋の外へ。
下から突き上げる感覚だ。股に感覚が集中する。歩きにくい。
戻ってきた、この場所。
秋の日差しと風が頭に当たった。
丸刈りに手を当てる。切ったばかり。空気の粒が通り過ぎる。
呼吸。はー、はあ。
昨日の雨でぬかるんでいる。
肌の色が違う。肌の厚みが違う。なんだよ、みんな。
いいのか。俺の肌に風を当てる資格があったのだろうか。
急に背中を曲げてしまった。
足の指に濡れた泥が入る。
四股を踏む。うまくいかない。
腰より上がぐらぐらする。
腰を下ろして前進、受け身。手足がバラバラに動く。
イップス。
終わりの合図が来た。
息は上がって、体には泥がついている。雨で濡れた土も初めてじゃない。
冷たい土が口元についている。
ふと見ると女子たちがグラウンドの端にいる。動かない女子。棒みたいだ。
でも今は自分のことで精いっぱいだ。
まわし、ほどかなきゃ。股間をずっと突き上げるもの。
泥を落とす。服を着てもざらざらする。
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プロのまわしは洗わないと聞く。
俺たちは気が向いたら洗う。一週間に一度というのが多いけど、今日はかなり汚れた。
雨上がりのグラウンドはいつもそうだ。
乾くだろうか。別に生乾きでもたいしたことない。どうせ汗にまみれる。
家に帰り、コンクリートの上にまわしを広げた。簡単に洗って軒先に干した。久しぶりの作業だった。
明日の学校が気になる。その前に起きれるだろうか。
まわしを見ながら思いがめぐる。
この布一枚で何時間過ごしただろう。締めると歩きにくいな。下から突き上げてくるのはなぜだろう。
しばらくすると慣れるよな。痛い。きつい。
四股やらないと。
・・・男じゃなかったら。
背徳感がよぎった。
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無意識に俺の足が動く。歩く。
ダメなこと、脳がフル回転している。
俺は気づいたらいつもの曲がり角にいた。
アコの顔が浮かぶ。
「学校いけたじゃん」と言ってほしいのか。
アコはいなかった。そんなうまいこと行かない。無駄足だった。
小さな声が聞こえた。「あっ あー。」
アコだ。何言っていいかわからないのだろう。
「あー」と言われて「おう」と返す。
「昨日雨だったね」アコが言う。
「体中泥だらけになったよ。今、まわし洗ったところ」いろいろ省略したので通じたのかわからない。
「うちも洗わないと。泥がぬるっと」アコが言う。
何を洗うかを言わない。
お兄ちゃんのまわしを妹が。アコにとっては何事でもない。
当然じゃん、私、妹なんだから、そんなことを言いそうな口元を見た。
水場のアコの姿が目に浮かんだ。
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自宅に帰り、軒先を見る。乾いていない。部屋で干すか。
俺はまわしをつかみながら、女だったら・・・小さく口に出した。
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アコは自宅に帰る。兄がまわしを洗っている。
「いいよ、代わる、今日は私がする。早く寝て」
何度かに一回は妹が洗うのが日常になっていた。
ブラシで大まかに洗い、やわらかい素手で細かな汚れを取る。
こり、こ、こ、きゅ。洗剤、水。
ていねいに。よごれをとる。
こうべを垂らしながら。
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布が揺れる。隣も向いも、干してる。
妙に俯瞰的になっている自分がいた。筋肉痛がする。
机について教科書を開く。
十ページ以上きれいなままだ。
頭に手を当てる。ざらざらざら。
昨日切った髪が手のひらに刺さりながら滑る。ぴん。指で頭をはじく。
髪の毛の太さだいじょうぶかな。気のせいだ。
6mmって。
3mmでいいのに。なんだよ。あのおやじ。
ぐるぐる。丸刈り頭の中。
腕を見る。ちょっと皮がむけている。手のひらで抑える。
今日、まわししたよな。裸になったよな。白い布だけ。
四股を踏むだけなら、受け身だけなら、体操服でいいんじゃないか。
やっぱり、まわしがいい。
足先を触る。靴はいて四股はない。
言葉が次々に浮かぶ。
俺は両手を握りしめ、仁王立ちになっていた。
力を抜いた。
まわしを締めあげて、小屋を出て風を感じた記憶が残っていた。
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起きれなかった。
俺の席は空いている。
ビバリ、ショウコ、
「イクト、昨日一日だけだったね。」
空いた席を見ながら言う。
「いきなりみんなと同じことしていた。まわし締めてたらしいいよ。」
「えぐ」
俺は皮がむけた腕を見た。
まわしを押し入れに入れた。
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ビバリ。
空いている席を見る。欠席。
相撲が嫌なんかな。でもまわし持ってたよ。
汗もかいてた。みんなと同じ。違う?
ビバリはうつろいやすい頭の中で考えた。
今日のショウコはよく叱られた。座り方は崩れる。敬語のミス。髪の結わい方。
ビバリは暗記よし。でも場違い。
誰もわかってくれない。
ビバリは自分の性格に嫌気がさしていた。この性格のせいでアレコレ。
忘れ物も多いし。もちろん遊びも上手くいかない。
髪。女子の髪。
「アコって短いよね」ショウコが言った。
「うん」
「あれくらい切ったらいいよ。結ばなくていいし」
ビバリは少し考えた。遠目にアコを見た。短い。ばっさり切るのか。
言葉がまとまらない。
うまく結えない、
叱られる、
もう限界。
短くしたいけど、
「このままにする。切らない」
とビバリは小声で言った。
「私、切るね。」ショウコが突然言いだした。
「耳出したかったんだよね。まえから切りたかったんだ」
ショウコの長い髪が揺れる。
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ショウコは美容院に行った。
「どのくらい切りますか」
ショウコは少し止まった。アコの髪を思い浮かべた。
「あれくらい」と言えるわけもなく、「短く」とだけ言った。
「耳は少し出るくらいでいいかな。これくらいね。」
「はい、あっ」何と言っていいかわからない。
切って、切って。はやく。
背中まであった髪が、ざくっ。
おー、もっと、もっと。
髪が耳たぶに優しくふれる。
いい。
鏡の中に明るい顔がいた。
美容院を出る。風が首をつつむ。
「なんか、軽い、わっ、わぁ」
髪だけじゃない。ジャンプ。
「ビバリに見せよっと」
タタタ。
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「えー切ったの」
「いいでしょ」
「似合うね」
ショウコは弾んでいた。
「もっと切ろうかな」
「もう十分短いよ」
「次は耳全部出すね」
「すごーい」
弾む。
「いっそのこと坊主に」
空気が変わった。
弾んだ顔が曇る。
ビバリが急に止まる。
坊主は違う。あちら側の覚悟を簡単に言うものではなかった。
数秒後。
「どうする、ビバリはいつ切るの、いつまで長くしてんのよ」
「えー、切りたくないよ」
必死に空気を戻した。
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ビバリは鏡台の前にいた。
横髪、後ろ髪、おでこの髪 あちこち触った。
ショウコ弾んでた、いいなあ。
髪ももちろんだが、なにより軽やかなショウコがうらやましい。
私なんて切ってもね、あそこまで切れない。怖い。
体を左右に揺らした。
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考えがどんどんかわるビバリ。
「はやく、すぐに切りたい」
美容院を予約した。急げ。
長い髪を疎ましく思いながら。
心臓が高鳴る。どこまで言えるだろうか。
「どれくらい切ろうか。きれいな髪ね。このくらいかな」手が、控えめに髪にあたる。
たいして切る様子もない。肩くらい。
「もっと」声が詰まる。もっと短くしてほしい。
「もっと短くしたいのかな」冗談のように言われた。
はい、と言えばよかった。口が動かない。
「なんてね、それにしてもきれいな髪ね」
何事もなかったように、ハサミが動く。
代り映えのない顔が鏡に映る。肩のちょっと下まで黒い髪がいつものようにある。
「軽くなったね、いいね」満面の笑顔で言われても。
うかない顔で会計を済ませた。全然おもしろくない。
独り言が次々出る。
帽子の中に髪の毛を押し込んでいた。
「ただいま」ばたん。




