第2話
ユリアン・ロックゴールド公爵が起こした騒動も一旦は落ち着き、 家へ着く頃には既に夕暮れを迎えており、 辺り一面は茜色に染まっていた。
そんな夕暮れを長めながらアルバートは今後の為にやらなければいけない事の整理を行っていた。
先立って行うのは、 ネイアをクァラリス家に滞在してもらう事だろう。 その点は町へ向かう際に幾つか方針を決めているので、 それを使う予定である。
後は現在の人界の国や情勢をある程度把握していく事だろう。
どういった国があり、 どの国が危険因子となり得るか…大袈裟かとも考えたが、 知っておいて損することは無いというネイアのアドバイスを受け、 その通りだと納得した。
それに付随し実力を身に付けておく事も忘れない。
そして、 直近で起こるであろう『神罰会議』への対応策。
神罰会議というものに知見のないアルバートは、 それがどういうものなのかを知らない以上それを知る事が優先される。
最後に、 父親の所在…クァラリス家現領主であるクロード・クァラリスの生死だろう。
記憶に残る伝言。
伝言の内容を踏まえると、 恐らく既に死んでいるであろうと考えられるものの、 未だみつかっていないとエレクシアは発言していた。
そんな事を考えていると、 気付いた頃にはクァラリス家へと到着していた。 門を通り過ぎ、 玄関を開けるエレクシア。 鍵を掛けていなかったのは、 アルバートが帰ってきたと報せを聞いて飛んで出てきた為だろう。
「ネイアさんも遠慮せず上がって下さい! 大したおもてなしは出来ないですけれど、 アルの恩人ですから精一杯させてもらいますよ!」
ぐっとガッツポーズをするエレクシアは、 気合いが入っているのか鼻息を荒くしてネイアを我が家へと迎え入れる。
「使用人は雇っていないのですか?」
「えぇ! 自分の家の事くらい出来ないとダメでしょ?」
通常貴族の屋敷ともなれば玄関の開閉などは使用人が行うものだ。 しかしクァラリス家は子爵ではあるものの屋敷はそこまで大きくなく、 使用人は1人も雇っていない。
恐らく町の領主として屋敷はある程度の見栄えは必要だったのだろうが、 使用人を雇うような余裕や無駄な散財をしないように務めていたのだろうと予測される。
貴族としては珍しい部類に入るだろう。
エレクシアは腕まくりをしながらキッチンの方へと姿を消し、 残されたアルバートはニムとネイアを連れて父親の書斎へと向かった。
書斎を開けると綺麗に整理された本や書類の束が見え、 現領主のクロードが不在の今、 慣れないまでもエレクシアが必死で務めていたのであろうと伺える。
『領主運営の基礎』と書かれた本には無数の付箋がされており、 机にかじりついて勉強するエレクシアの姿が目に浮かぶようだった。
書斎に来たのは他でもない、 人界の詳しい情報を手に入れる為だ。
クロードの情報も何か手に入るかも知れないとも考えていたが、 エレクシアも足を運んで居ることを考えるとその可能性はかなり薄い。
何も言わずともネイアはアルバートとは別の書類や本を探し始め、 アルバートは机にある書類へと目を通し始める。
書斎に入ってどれくらい経過したかも把握出来なくなっていた頃、 ガチャリと書斎の扉が開く。
「あら、 ここにいたのね……」
夕飯の支度を終えたエレクシアはみんなの姿が見当たらず探し回っており、 書斎に辿り着いたのだが…アルバートとネイアを見つけた瞬間、 息を呑んだ。
椅子に座り、頬杖を突いて何かの本を真剣な表情で読むアルバートと、 そしてそんなアルバート膝の上に向かい合うようにして座り書類を眺めるネイア。
年齢や体格差を考えればネイアの膝の上でアルバートが本を読む…というのが通常なのだろうが、 完全に逆である。
しかし、 エレクシアが息を呑んだのは勿論構造が逆だからではなく、 逆なのにも関わらずそれが正解であるかのような空間が形成されていたからだった。
「…あら、 アルバート様」
「ん? あ、 母さん? どうしたの?」
「…あ! 晩御飯出来たわよ!」
書斎の入口で佇んでいたエレクシアに気付いて声を掛けると、 はっとして食卓へ集まるように返事をする。
2人からまるで夫婦のような空間を感じていたエレクシアは、 クロードの事を思い出し一瞬だけ寂しげな表情に曇らせていた。
エレクシアに呼ばれて食卓へと向かうと、 貴族の食事…とは言えないだろうが、 それでも並べられた食事は長年森で暮らしていたネイアには豪勢と感じる物があった。
麦パンにチキンのソテー、 色とりどりのサラダにカボチャのスープ。 綺麗に飾り切りされたフルーツと、 そんな食事に目を奪われていた。
「す…素晴らしいお食事です」
「うふふ、 アルが無事で帰ってきてくれたし、 ネイアさんの為に腕を振るいましたっ!」
「ママ! ごはん!」
お腹を空かせたニムが我先にと椅子に座り、 その隣にエレクシア、 食事を挟むように正面にアルバートとネイアが並んで着席する。
「どうぞ遠慮せず食べてください!」
「では、 お言葉に甘えて…」
勧められるがままパンへ手を伸ばし、 少しちぎって口へと運ぶ。 アルバートもそれに続くようにパンを手に取りそのままかぶりついた。 香ばしい表面に包まれたもちもちとした内側に舌鼓を打ちながら、 初めて食べる食事であるにも関わらず身体が懐かしさを覚えていた。
「ア、 アルバート様っ!? 私が食べていたパンが消えてしまいました!」
驚きの声をあげるネイアに目を向けると、 頬を膨らませたネイアが無くなったパンを探していた。
ちぎりながら食べていたのではなかったのかと疑問が出るが、 無くなったと主張するパンの所在は誰が見ても明らかであった。
「まだありますから、 大丈夫ですよ! ふふ、 ネイアさんって、 凄い美人さんなのに意外と子供っぽい所もあるんですね」
エレクシアに言われた事に対し無言で咀嚼を続けるが、 顔は耳まで赤みを帯びていた。
それから皆で食事を済ませ、 ニムは満腹になるとすぐに船を漕ぎ始めた。 エレクシアがニムを寝室に運んでいる間、 アルバートとネイアは食事の片付けを名乗り出た。
並んで皿洗いを行っていると、 やけにネイアは嬉しそうにしていた。
「こういう事…少し憧れていました」
「そうだったのか?」
「私も年頃の女の子でしたからね。 竜人族にもこういった生活…その、 人族の夫婦のような習慣はなかったですから」
竜人族は妻となる竜人が狩りを行い、 夫は家の安全を守るという習慣があるとネイアが昔話をしていた事を思い出した。
子孫を残すという使命のある夫は勝手に死ぬことが許されず、 逆に妻の方はその子孫を残す手助けのような立場なのだと。
そんな会話の中気付いたら片付けも終え、 2人は再び椅子に腰掛ける。
と、 そこへニムを寝かせて来たであろうエレクシアが食卓へ戻ってきた。
「母さん、 少し話しておきたい事があるんだけど…いいかな?」
「ふふ、 良いわよ…何でも話してね」
誘われるままに先程と同じ椅子に腰掛け、 アルバートへ笑みを向ける。
「こうやって真面目そうな話をするのは初めてね。 それで、 何の話?」
「幾つかあるんだけど…まず、 ここにいるネイアをうちの使用人として滞在させられないかなって」
「却下します」
即答だった。
拒絶されたと感じたネイアは、 身体をビクリと震わせる。
アルバートも即答で却下された事には驚いたものの、 それが表情や態度に影響を及ぼす程ではない。
この短時間の会話、 記憶にある『エレクシア・クァラリス』という人物が、 何も理由もなく子供の意見を突っ撥ねるような人物ではないと知っているからこそ平静を装う事が出来た。
「…アルは意外と驚かないのね?」
「いや、 正直驚いてはいるけど…理由も無いのにそんな事言わないんじゃないかなって」
「そう…ね。 でも、 ここではっきりしておかないと2人の為にならないと思うの」
「……え? 私達の為、 ですか?」
エレクシアの言葉に少し呆気に取られてしまう。
当の本人達はネイアがこの家に滞在出来るようになる事がベストだと考えていたからこそ、 2人の為と言われて理解が追いついていけなかった。
「ネイアさん、 貴女はそれでいいの?」
追撃のように放たれた言葉に、 ネイアは自然と視線を逸らす。
そんな仕草を見て、 ネイアには何か思い当たるような事があるのかとアルバートは考えるが、 今は2人の会話が優先だろうと判断し口を挟まない。
「わ、 私は…何か助けになれればと思っています」
「そうですか…ネイアさんは魔術の腕もとても素晴らしい方でしたので、 手を貸して頂けるのであればすごく助かると思います。 わかりました…使用人としての滞在を許可します」
断られた時はどうなる事かと少し肝を冷やしたが、 許可が降りたことに安堵の表情を見せる。
「使用人として…なのであれば、 アルとは深く関わる事は許可しませんよ?」
「----っ!?」
そう言われ、 安堵したのは束の間であり、 すぐに驚愕に変わるネイア。
ここでようやくアルバートはエレクシアの言っていた事を理解した。
未だ年齢的には幼いとはいえ、 アルバートはクァラリス家の次期当主という立場となる。 そして使用人としてクァラリス家に加入するとなると、 ネイアとアルバートは立場同士の節度というものを持たなければいけない。
今までの言動からもエレクシアの目から見ても、 ネイアがアルバートへ向ける視線は女性が男性に向ける視線であった。
だからこそ、ネイアへの「それでいいの?」という問いだった。
通常であれば大人の女性が年端もいかない少年へ、 そのような視線を送る事はおかしな事だろう。
当のエレクシアも、 初めは何か理由があって近付いて居るのではないかとも考えていた。 少年といえどアルバートは子爵家次期当主という肩書きもある。 そういった立場を利用するつもりで近付いて来ているのではないか…と。
だが、 それにしては余りにもアルバートも気を許しすぎているとも感じていた。 森で助けられ、 短い間過ごしたという事を踏まえても、 エレクシアの思考の範疇には収まっていなかった。
そんな疑問が渦巻く中、 書斎での2人を目撃したのだった。
それを目撃した時、 エレクシアはすぐに理解した。
ネイアが向けるあの視線は、 かつて自分もよくしていた…と。
その視線には嘘偽りなく、 本気なのだと。
だからこそ、 エレクシアは問う。
「もう一度聞きます、 ネイアさん。 貴女は我がクァラリス家の使用人として…でよろしいのですか?」
次は逸らさない。
2人の視線が交差した時、 ネイアはハッキリと告げる。
「申し訳ありません…薄情、 と思われるかも知れませんが、 私が全身全霊を持ってしてお傍に居たいのはアルバート様ただお一人です」
そんな返答に、 エレクシアは微笑む。
「うふふ…それだったら、 クァラリス家の使用人なんてしてる場合じゃないわね。 その時が来るまで、 外には『次期当主専属従者』という立場で通しておくといいわよ!」
専属従者という言葉に瞳を輝かせているネイアを見て、 エレクシアは自分の事のように笑顔を見せる。
「お母さんは、 いつだって恋する乙女の見方よ!」
堂々とブイサインを見せつけポージングするも、 段々と恥ずかしさを覚え「お、 お茶入れてくるわね…」と言い残しキッチンへと足取り早く消えていく。
少しして何も無かったかのような表情でカップを3つ持って来ると再び椅子へ腰掛ける。
勿論アルバートは掘り返す事もなく次の話題へ切り替える。
「母さん、 次の話なんだけど…明日またネイアと一緒に父さんを探しに森へ行こうと思ってる」
「やっと帰ってきたばっかりだからもう少しゆっくりしていて欲しいって思ってるけど、 何か気になることでもあるの?」
ネイアの実力は騎士達を見事に返り討ちにした事で知っている為、 あまり心配自体はしていない様子だった。
だが、 再び森へ行く意味があるのかは疑問を覚えていた。
「ここに戻ってくる時、 まだ整備されていない『異空洞窟』があったんだ。 可能性の話だけど…そこに行ったんじゃないかなって」
100年前には存在していなかったが、 今は『異空洞窟』と呼ばれるものが度々出現している事が分かった。
突如現れ始めた異空洞窟の中は特殊な空間となっており、 魔獣が生息している。 しかし利点もあり、 エネルギーとして利用価値の高い魔石が採掘出来るらしい。
その危険性等から発見時は出現した国に報告し、 その異空洞窟で確保出来た魔石の何割かを報酬として受け取れる。
「もしそこに父さんが居なかったとしても、 クァラリス領への資金へ充てる事も出来るし、 どちらにせよ行かない手はないと思う」
アルバートの提案は実に正しいものだ。
しかし、 子を思う母としては手放しで頷く事は出来ていなかった。
広大な領地であればその領地で抱える戦力を投入する事も出来るが、 小さい領地は国の抱える騎士を派遣してもらうという手がある。 その場合は割合が減り、 その割合が手数料となる。
「騎士を派遣してもらわない理由はあるの? ネイアさんが凄く強いのは分かってるつもりだけど…それでも危険よ?」
「騎士を派遣してもらう手もあったんだけど、 派遣される騎士は選べない。 万が一この話を聞きつけたロックゴールド家が強制介入してくる可能性もゼロじゃないと思う。 それに、 国が派遣する騎士はあくまでも異空洞窟を封鎖する為に行動するから全てを探索する事が出来ないし、 それだと本来の目的が達成出来ないと思う」
異空洞窟の中に生息する魔獣は外に出てくる。 それを避ける為に発見された異空洞窟は可能な限りの採掘を終えると、 洞窟主を討伐しその異空洞窟を破壊してしまう。
実の所、 書斎にあった資料の中にその魔獣を模写したイラストや異空洞窟内の詳細が書かれていた内容を踏まえた時、 アルバートは1つの仮説が浮かんでいた。
それを確かめる為にネイアと2人で行く方が良いと考えていた。
エレクシアへ説明した内容は、 言ってしまえば建前だ。
しかしエレクシアもアルバートの話を理解しながらも未だ悩んでいた。
それは母親である以上、 心配という単純な理由だが、 逆に母親である以上当然とも言える。
「お義母様、 ご心配には及びません。 この私が必ずやお守りしますよ。 もし危険と判断するような事が起きればアルバート様の制止も聞かずに逃走致します。 異空洞窟を脱出する魔術も備えていますので」
「そんな魔術まであるんですね…分かりました! ネイアさん、 アルをお願いしますね!」
ネイアの後押しもあり、 ようやくエレクシアも異空洞窟へ行く事を許可する。
母としての心配は拭い切れるものではないだろうが、 書斎を引き継ぎ、 領土運営を行っていたエレクシアが残していた最終手段を使わせない為にも、 なんとしてでもクロードを見つけ出す必要がある。
「ありがとう母さん、 ちゃんと明日中には帰ってくるから。俺達は明日に向けて早めに寝るから」
「そうした方がいいわね! あ…まだネイアさんが寝られる部屋がないから、 今日はアルの所でゆっくりしてもらって大丈夫だけれど…えっちなのはまだだめよ?」
「えええええっちな事なんて!!!」
からかわれている事に気付かずに、 思った通りな反応をしてもらったエレクシアはくすくすと笑いながらカップを下げていく。
しかし、 エレクシアに言われて気付く。
「そうか…今の俺の身体は……」
そんな独り言に少し頬を赤らめるネイアは、 いずれ来るその日を待ち遠しく思っていた。




