41 斉王府の人々
当然の如く、斉王府は非常に広かった。
呂慈の案内で斉王府を半日かけて見て回ったが、覚えるのに時間がかかりそうだ。
とはいえど、主要な建物は限られている。使用人は多いが、仕えるべき主人は二人だけなのだ。使われていない部屋の方が遥かに多い。
それでもきちんと管理が行き届いているのは、さすがと言うべきか。
「布地などはここで保管しています」
最後に呂慈が案内したのは、布地等を保管する建物。王府全体で見れば南に位置しているのだが、これは使用人が寝起きする使用人部屋や、厨房なども含まれている。
素月が与えられた縫い子部屋は、ここよりも母屋に近い。
「鍵を持っているのは私と衛簡殿、それから郡主様だけです」
「わかりました」
「中へ。説明します」
呂慈の後に続き、建物の中へ入る。室内は壁一面に布を保管するための棚が取り付けてあり、引き出し付きの棚には様々な糸が種類別に保管されていた。管理を任されている呂慈の几帳面な性格がうかがえる。
「必要なものがある場合、必ず私に報告を。数が合わなくなっては困るので」
「わかりました」
呂慈は丁寧に一つ一つのものを説明してくれる。花仙楼でも様々な布地や糸を扱ってきたが、種類だけで言えばやはり花仙楼の方が豊富だ。
斉王府でも衣を仕立てたり繕ったりすることはあれど、使う布地の種類などは限定的。
だがさすがは斉王府。布地の中に下賜品を見つけた。
「殿下も郡主様も、あまりこういったものに関心を持たれないのです。手つかずのまま置いてあるものも、少くはないのですよ」
「そうですか……」
使われないのはもったいないとは思いつつ、徐慧の性格を考えればらしいとも言える。
郡主が関心を示さないのは意外ではあるが。
「質素倹約に努めていらっしゃるので、あまり華美なものは好まれないのです」
素月の頭の中を覗きでもしたのか、呂慈が疑問の答えをくれた。
「殿下の常服はどこまで終わっているのですか?」
「二着のみ仕立て終わっております。そちらは花仙楼の繍女としてお渡ししております」
「では残りの八着は斉王府で仕立てるのですね?」
「そのつもりです。殿下にはお伝えしていますが、郡主様には何も」
「私から伝えておきましょう。──必要なものをこちらに。後ほど、阿念にでも持って行かせます」
呂慈に筆と紙を渡され、素月は一礼してから棚に並べられた布地に目を通す。棚には数字が振ってあるので、その数字を紙に書けば良いらしい。
斉王府の縫い子として正式に雇われることが決まってから、素月は依頼されていた徐慧の常服の仕立てを止めた。ややこしくなるからだ。依頼された仕事なのは間違いないが、それを花仙楼の繍女として仕立てるのか、それとも斉王府の繍女として仕立てるのかで、使える布地や糸、払われる銀子の行く先など、色々と変わってくる。
花仙楼がそのまま引き継ぎ、別の繍女が仕立てるのであれば問題はないが、徐慧がそれを望まなかった。
なので仕事を区切りのよいところで止めたのだ。
「阿念さんは、呂慈さんの部下なのでしょうか?」
必要なものを確認し終えた素月は、紙を呂慈に手渡す。
いきなり必要なもの全てを用意されても困るので、まずは数着仕立てるのに必要な分だけを書き込んだ。
「あの子は殿下がどこからか連れてきた子です」
「連れてきた?」
「詳しいことは知りませんが、私の部下でないことは確かですね。殿下に色々と頼まれているようですが……あまり深入りはしないように」
なんとも曖昧な、はっきりとしない答えではあるが、妙に納得はできた。
阿念と実際に言葉を交わしているからだろう。
他の使用人とは明らかに雰囲気が異なるのだ。
「説明は以上です。これらは昼過ぎには用意させます。今日から仕事を始めなさい」
「はい、失礼します」
一礼して、素月は部屋を出る。
仕事を始められるのはありがたい。何もしないまま時間だけが過ぎていくのは、どうにも落ち着かないのだ。後宮入りから逃れるため斉王府の縫い子になったが、この肩書きは飾りじゃない。
「……立派ね」
部屋へ戻る途中、素月はふと足を止めて中庭を見た。手入れが行き届いた、見事な庭だ。
今までそれなりに裕福な屋敷に出向いたこともあるし、歴史ある名家に仕事を任されたこともある。
どの屋敷も立派ではあったが、斉王府と比べると見劣りしてしまう。
これだけの広さを持て余すことなくきちんと管理できる数の使用人と、それらを維持するだけの財力がある。見せかけではないということの証明だ。
そして財力よりもずっと手に入れ難い家格をも備えている。
──不思議と、羨ましいとは思わない……
時々、忘れそうになるけれど──いっそ忘れてしまった方が良いのかもしれないが、一国の公主だったのだ。大事に育てられた。宝物のように。
でもあの頃に戻りたいとは思わないし、斉王府の暮らしを羨ましいとも思わない。
もう一度会いたい人はいるけれど、公主に戻りたいか、と問われれば首を横に振る。
「素月さん、よね?」
立ち止まったまま動かない素月に、誰かが声をかけた。
素月が声のする方に視線を向ければ、そこには柔らかな笑みを浮かべる女性が立っていた。間違っていなければ、この女性の名前は「玉秀」だ。
「挨拶が遅れてしまってごめんなさい。はじめまして、私は玉秀。どうぞよろしくね」
「素月です。よろしくお願いします」
敵意を感じさせない優しい笑顔を浮かべる玉秀に、素月は当たり障りのない挨拶を返す。
「もしかして迷ったのかと思って声をかけたの。ここへ来てまだ、二日目でしょう? 良ければ送るわ」
「……お願いします」
本音を言えば、道は覚えた。全部ではないが、与えられた縫い子の部屋までの道は、きちんと頭に入っている。
だがせっかくの申し出を断るのは失礼だろう。
いずれはここを去る身の上ではあるが、だからといって誰とも関わらずに過ごすことはできないのだ。敵も作りたくはない。
「ここは広いから、ゆっくり覚えれば大丈夫よ」
「お気遣いに感謝します」
玉秀の声音は穏やかだ。落ち着いているし、背筋も伸びていて歩き方に迷いがない。衣が下女の物とは違うようなので、ある程度の地位を与えられ、相応の仕事を任されているのかもしれない。
──玉秀には気をつけなよ。間違いなく、あんたに対して良い感情は持ってない
阿念の言葉が脳裏に蘇る。
だが出会って間もないのは、阿念も玉秀も同じ。
阿念の言葉を無条件に信じるわけにはいかない。先入観を持って相手と接すれば、それこそ無意味に敵を作りかねないのだ。自分で判断しなければ。
「何か困ったことがあれば、気軽に声をかけて。同年代なんだもの、助け合いましょう」
「ありがとうございます。──ここは長いのですか?」
「今年で三年目よ。叔母が郡主様の侍女の文四娘なの。その伝手で働き始めたのよ」
「そうなのですね。都の生まれなのでしょうか?」
「まさか。斉王府で働くために呼ばれたのよ。生まれも育ちも花相州。知ってる?」
「はい、知ってます」
花相州は郡主の生まれ故郷だ。
ここ天香に次ぐ大きさの都市と言われている。
素月は行ったことはないが、話は花仙楼で聞いたことがあった。
「敬語じゃなくていいわ。素月と呼んでも? 私のことも玉秀と呼んで。構わない?」
玉秀の提案を断る理由はない。
素月が頷けば、玉秀は嬉しそうに微笑んだ。
「私は仕事に戻るわね。また話しましょう」
去っていく玉秀を見送り、素月は自分の仕事部屋へと戻る。室内は当然、誰もおらず静かだ。作業机の下から椅子を引っ張り出し、腰を下ろす。
先ほどまでの玉秀とのやりとりの中に、自分への敵意は感じられなかった。優しく穏やか。顔立ちも整っており、所作には優雅さも感じられる。
──郡主の侍女の姪、か……
あまり勘繰りたくはないが、妙齢の美しい娘をわざわざ呼び寄せたのだ。
それなりの理由はありそうだが、自分が気にするようなことではない。
「……自分で運べば良かったわね」
午後になるまで、することが何もない。
阿念に運んでもらうのを待たず、自分で運べる分だけでも持ってくればよかった。
そうすれば今すぐにでも仕事を始められただろうに。




