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30 舞い込む褒美と大仕事

 素月と娟如の目の前には、たくさんの褒美が並べられていた。銀子は当然のように中央に置かれ、その左右には茶葉や絹、装飾品の入った箱が重ねて置いてある。


 素月は斉王の吉服を見事に仕立て上げた。園遊会での評判は良かったと聞いている。


 そのため、通常の料金とは別に斉王府から褒美が出ると言うことで、娟如と共に斉王府へやって来たのだ。


 だが思っている以上の褒美の量に、娟如はずっと口を閉じたり開けたりを繰り返している。

 これほどの褒美は、そうそう与えられない。


「仕立てた繍女と、その繍坊への褒美だということを忘れぬように」


「……承知しております。郡主様に感謝いたします」


「感謝いたします」


 娟如に続き、素月も跪く。


 ここに並んだ褒美の大半は、花仙楼預かりとなるだろうが、三分の一は仕立てた張本人・素月に受け取る権利がある。

 当然、娟如がそれらを不本意に取り上げたりなどすることはないが、さすがにこの量は喜びを通り越して震えてしまう。


「いくつかは皇太后様と皇后様がくださったものよ」


「それはまことなのですか?」


 白蓮は優雅な動作で、茶器を手に持つ。


「特に皇太后様は斉王の吉服を大層お気に召したようで、褒美を奮発してくださったようね。わたくしも驚いたわ」


 予想もしていなかった人物の登場に、素月の表情が曇る。


 園遊会は皇后が主催したと聞いているが、そこにどうやら皇太后も出席したようだ。


「郡主様、もしや──」


「心配せずとも、花仙楼の名しか出しておらぬわ。一人の繍女が仕立てたと言っても、信じられないでしょうし」


 白蓮の配慮に、娟如が安堵の息をつく。

 素月も内心、安堵した。


 皇太后や皇后に名を知られたくなどない。

 花仙楼は優れた繍坊である、その事実だけが残ればそれで十分だ。


「これらは花仙楼へ運ばせるわ。──素月、お前には早速仕事を頼むことにするわ」


 白蓮が茶器を卓に置き、使用人に指示を出す。

 使用人たちは次々と褒美が入った箱を持ち上げ、部屋の外へと持って行く。馬車にでも積み込むのだろう。


「承知いたしました」


「以前、董楼主に斉王の衣を仕立てさせたけれど、どうやら寸尺が変わっているようね」


 徐慧はあまり衣を新調しないらしい。みっともなく見えなければ、多少きつかったりしても構わず着続ける性格のようだ。


「外でそれなりに身なりに気を使っている反動なのかわからぬけれど、王府での装いがあまりにも適当すぎるわ。古いものは処分して、新しいものを仕立てなさい。そうね──十着ほど。靴や褻衣なども」


「承知しました……」


 これは予想していた以上に大変だ。

 斉王を担当すると言われ、実際にその役目を任されたとき、数ヶ月に一度、大きな注文を受ける程度だと勝手に思っていた。

 だがまさか、常服のみならず褻衣なども仕立てることになるとは。


 しばらく素月は他の注文を受けることはできないだろう。

 こちらに集中しなくては。


「北斗!」


「奥様、こちらに」


 白蓮が名前を呼べば、少年が現れた。細身で溌剌とした笑顔を浮かべている。

 素月と同い年くらいに見えるが、笑うと幼く見えるので実年齢が予想しづらい。


「今後、斉王の衣はすべて、この素月が引き受けることになる。しまってある衣を見せて、不要なものは処分なさい」


「承知しました! 素月殿、ご案内します」


 表情だけでなく、北斗と呼ばれた少年は声までも明るい。


「郡主様」


「心配せずとも、花仙楼まで送らせます。楼主は先に帰りなさい。護衛をつけるが、道中、気をつけるように」


「感謝いたします」


 娟如の不安を見透かした白蓮は、先のことまで考えていたようだ。

 娟如は穏やかな笑みを浮かべ、素月の肩を優しくさする。


「あなたなら大丈夫よ。しっかりと仕事をなさい」


「はい。郡主様、楼主、失礼いたします」


 二人に礼をし、素月は部屋を出る。


「こちらです」


 北斗の案内で素月が通されたのは、徐慧の私室だった。部屋は広く、奥の方が寝室だろう。


 ──この部屋はあまり、松香の匂いがしないのね


 本人からはしっかりと香りがするのに、この部屋はあまりにも弱い。

 それを不思議に思いつつも、素月は自分の仕事を果たすべく衣裳箪笥に歩み寄る。

 さすがと言うべきなのか、見事な螺鈿細工が施された箪笥だ。


 素月がゆっくりと箪笥を開けば、中にはいくつもの衣が丁寧にきちんとしまわれていた。


「…………?」


「どうかされましたか?」


 一枚の衣を手に取ったが動きのない素月に、北斗が声をかける。


「殿下がこの箪笥の中の衣に袖を通したのはいつですか?」


「それは……」


 北斗が即答できないところを見るに、素月の予想は的中したのだろう。

 徐慧はこの箪笥の中の衣のほとんどに袖を通していない。


 その証拠は、衣についた折り目だ。常服の一枚を広げてみたが、折り目がしっかりと残っている。

 別段、古くなったわけではなさそうだが、ここまでしっかり折り目がついているのは、取り出したりする頻度が極端に少なかったことを意味している。


 素月は改めて、部屋の中を見回す。


 この部屋はとても片付いている。手入れが行き届いていて、塵ひとつ無さそう。

 でも誰かが生活をしている空気を感じない。


「殿下は書斎にこもられてばかりで、この部屋はほとんど使っていないんです」


「そうですか……」


 こんなにも広く立派な部屋だというのに、使われないとは。


 だが素月が気にするようなことでもない。自分がすべきなのは斉王の衣を仕立てることだ。


「何か飲み物を用意しますね」


「お気遣いなく──……行ってしまったわ」


 素月の言葉を聞く気がないのか、北斗はさっさと部屋を出ていってしまった。


 普通、主人の私室に部外者をひとり残していくものではない。何かを壊したり、汚したり、最悪、盗られたりでもしたら、責を負うのは素月だけでなく、目を離した北斗もなのに。


 素月はそんなことするつもりはないが、北斗の行動の甘さに少しばかり呆れてしまう。


「あれで付き人が務まるのかしら……」


「それはどういう意味だ?」


 低く重い声に、素月の体がこわばる。声の主を、知っているからだ。


 素月は自分自身を落ち着かせるために深い呼吸を二回繰り返してから、後ろを振り返る。


「斉王殿下にご挨拶いたします」


「礼は不要だ。なぜここにいる?」


 大理寺の官服をまとう徐慧は、今日も愛想の欠片もなく、厳しい眼差しをこちらに向けている。


「郡主様より、殿下の常服を仕立てるよう申し付けられました」


「それでなぜこの部屋へ? 誰が案内をした?」


「殿下の付き人の北斗殿の案内です。郡主様より、古いものは処分せよとのことですが……」


 素月は目を伏せたまま、問われたことに対し、なるべく簡潔に偽りなく答える。


「──なるほど。北斗はどこへ行ったんだ?」


「飲み物を持ってきてくださるらしいのですが」


「────なるほど」


 呆れたような徐慧の声に、素月は自分が帰った後、北斗が罰を受ける気がして申し訳なくなる。

 あんなにも純朴そうな少年が罰を受ける姿は、あまり想像したくない。


「この部屋にあるものの大半は、ほとんど着た覚えがない」


 徐慧は箪笥の中から、適当に取り出した一着を広げる。深い緑色の常服だ。

 その衣も、やはり折り目がしっかりとついてしまっている。


「今着ようと思っても、きついだろうな」


「処分されますか?」


「他に活用できるのか?」


「仕立て直すことも可能ではあります。それを賜与(しよ)されてもよろしいかと。もちろん他の活用方法もありますが」


「着ていないという理由だけで処分されるのも不憫だな。手間でないのであれば、活用してやってくれ。私の方から手間賃を上乗せするよう家令に伝えておく」


「承知しました」


 仕事が増えてしまったが、徐慧の不憫という言葉に素月は深く同意する。

 次から次へと衣を新調する金持ちを何人も見てきた。繍坊としては注文がいくつも入ることは喜ばしいが、やはりひとつひとつの衣を大切にしてほしいとも思うのだ。


「ちょうどいい、今着ているものの補修も頼む」


「承知しました。それらは今どちらに?」


 素月の問いに、徐慧はなぜかこちらを真っ直ぐに見つめ返し、何も言わない。

 自分はおかしなことを聞いてしまったのだろうか?

 いや、そんなはずはない。


「ここにはない」


「ここにはない? それは、あの──」


 徐慧は困惑する素月に背を向け、部屋の出入り口に向かって歩き始める。

 素月は慌てて衣を箪笥にしまい、徐慧の後を追う。


「殿下! いつお戻りになられたのですか?」


 ちょうど素月が外へ出ると、驚いた顔の北斗がお盆を持って徐慧と向かい合っていた。


「お前には後で説教が必要だな、北斗」


「な、なぜですか?」


「自分の胸に手を当てて考えてみろ。どんな失態を犯したのかを」


「失態……? あ、殿下! どちらへ?」


「書斎だ。──素月殿、迷われたら面倒だ。遅れずついて来るように」


 二人のやりとりを黙って見守っていたが、徐慧は言うべきことだけ言って、さっさと歩き始める。


 それを素月は、早足で追いかけるしかない。


 徐慧は歩調を合わせる気はないようなので、こちらが合わせるしかないのだ。


 ──また仕事が増える……!


 仕立て直すだけでなく、補修までする羽目になるなんて。

 これはとんだ大仕事になる。



褻衣 肌着のこと

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