第0章 7話 優勝旗
「優勝した組には、旗と、王都の劇場への招待を贈ります」
後ろの席で椅子が鳴った。
「先生、芝居は選べるんですか!」
「勝ったら相談しましょう。まずは競技の話を聞いてください」
ヘイル先生が黒板へ劇場の名を書くと、教室のあちこちで芝居の名が飛び交った。エレナがクラリッサの机へ身を寄せる。
「あそこ、入ったことないの。外から見ただけで。一緒に観に行きたいね」
「そうね」
「じゃあ、隣がいい!」
クラリッサは頷いた。あの劇場には、両親と何度か行った。
隣がエレナだったら、明かりが落ち、幕が上がるのを黙って待っていられるだろうか。役者が現れたとき、こちらを振り向くかもしれない。
「でも、何を着ていこう。観劇って」
「制服ですよ」
先生の声で、エレナは前を向いた。
補給競技は、学園で代々続く春の行事だった。去年も、競技が終わったあとまで上級生たちが作戦の話をしていた。課題と交換条件は年ごとに変わる。
「今年は、各クラス二十四人を一組として、北の丘の宿営地へ補給品を届けてもらいます。三日後の朝八時に出発、納入は午後四時まで。途中の昼食は別に支給します」
配られたのは、道の図と、採点や交換条件を書いた紙だった。届けるのは、飲用水、乾いた薪、調理済みの食事、それに幕。品ごとに点数と、納める量の上限と下限が決められている。
「全ての最低量をそろえて納めた順に、先着点も付きます。一着二十点。以下、四点ずつ下がります」
「一番に着いても、荷が少なければ負けるんですね」
「そうです。速さを取るか、品を増やすかも、皆さんで考えてください」
元手はどの組も、同じ量の布と縄と食材。それを品物や用具と交換し、足りないものは加工してそろえる。
取引先は競技に協力する近隣の工房や商人で、基本の交換は各組が一度ずつ利用できるという。
「条件を変えたい場合は相手と相談して、合意した内容を書き残すこと。品を受け取る前に済ませてください。競技区域へ入れるのは当日からですので、準備には今配った資料を使ってくださいね」
先生が教室を見渡した。
「では、組の作戦をまとめ、取引の窓口になる代表を決めましょう。引き受けたい方は」
クラリッサは条件を読みかけて、隣を見た。エレナが紙の端に、劇場の名を書いている。
一緒に見たいと思った。終わったあとも、帰るまでずっと、その話ができる。
気づいたら手が挙がっていた。
「ローズグレイス嬢ですね。ほかに希望する方はいらっしゃいますか」
前の席の生徒が振り返った。後ろではもう、椅子を持って立つ者もいる。先生が黒板へ名前を書くのを見て、クラリッサはようやく手を下ろした。
「それでは、お願いします」
エレナがこちらを見ていた。
「びっくりした」
「……私も」
*
「完成した品を買って、すぐ運ぶなら七十三点。川で飲み水を作って、薪も乾かせば七十八点ね」
クラリッサが二つの案を並べると、ユーグが道の図を寄せた。
「でも、加工してる間に二組に抜かれたら、先着点で八点損するぞ」
「水作りなら、私が魔法を使っているあいだに、みんなに水をくんで運んでもらえば、一時間半くらいで終わると思う」
エレナが指した加工場では、用具を借りる代わりに、出荷する板材を包む仕事を引き受ける。
作った飲み水の一部は、食材と合わせて隣の炊事場で食事に換える。残りの水と乾かした薪に、幕を加えて運ぶ案だった。
「火魔法を使うなら、薪を乾かすほうをやりたいな」
バスティアンが手を挙げ、風魔法の得意な生徒へ顔を向けた。
「一緒にやってくれる? この競技での働きぶり、卒業後の推薦にも響くらしいよ。上級生から聞いたんだ」
頼まれた生徒が頷いた。ほかにも声が上がり、クラリッサは希望を聞いて担当を書き込んだ。
板材の梱包には、ユーグたち六人。エレナたちで、水くみと浄水、桶の運搬を分担する。火魔法と風魔法で薪を乾かす担当は、運び手も含めて六人になった。
「私たち三人で、食事を受け取ってくるわ。荷車の積み場所も空けておく」
マノンが言った。クラリッサは取引を引き受け、手の足りないところを手伝うことにした。
「板材は六人で三十分くらい。ただ、包み終わるまで用具を借りられないんだな」
ユーグの言葉に、エレナが顔を上げた。
「じゃあ、飲み水ができるまで、二時間かかる?」
「先に借りられないか、相談したいわ。梱包をする人は残るのだから」
クラリッサは条件の余白に、訊くことを書いた。
「断られたら、品を渡す前に買う案へ戻しましょう。それから、荷車を引いて宿営地まで、休みも入れて二時間半くらいだったわね」
「ああ。坂もあるから、それくらい欲しい」
「では、遅くても午後一時には川を出ることにしましょう」
*
「食べる場所空けてもらえる?」
エレナが二人分の皿を置こうとしたので、クラリッサは地図を卓の端へ寄せた。
「クラリッサさん」
呼ばれて顔を上げると、イザベルが卓の脇に立っていた。同じ組の令嬢が、通路で彼女を待っている。
六通目の封筒は来なかったが、エレナは食堂でイザベルを見かけるたび、隣の席を勧めていた。
別の組の授業の話をしたり、試験の点を比べたりするうちに、イザベルとも名前で呼び合うのが当たり前になっていた。
「あなたが代表をお引き受けになったと聞きましたわ。本当でしたのね」
「ええ。あなたも?」
「もちろん。どういう風の吹き回しですの。こういう役は、いつも人にお任せでしたでしょう」
「劇場へ行きたくて」
「ご自分で行けますでしょうに」
「この組で行きたいのよ」
イザベルはクラリッサを見たあと、隣のエレナへ目を移した。
「それは結構ですけれど。こちらも、譲るつもりはありませんわよ」
「譲っていただくものでもないでしょう」
「そうおっしゃるなら、楽しみですわ」
イザベルは満足そうに頷いた。話が済んだかと思ったが、彼女はまだそこにいた。
「ところで、あの劇場でいま掛かっている喜劇、ご覧になって?」
「まだだけれど」
「でしたら、結構ですわ。うちの組で、あれがいいという方が多いものですから」
「もう、芝居を選んでいるの?」
「勝ってから揉めて、先生に決められては困りますもの」
隣でエレナが、笑いかけた口を匙で隠した。クラリッサは自分たちの紙の端にある劇場の名を思い出した。
「観た方なら、ほかに訊いておきましょうか」
「そこまでしていただかなくて結構ですわ。……その紙には、どちらの道を?」
イザベルの視線が、今度は地図へ下りた。
「あなたの組の道も、教えてくださるの?」
「いいえ」
即座に返ってきたので、クラリッサは地図を鞄へしまった。
「では、こちらも内緒ね」
イザベルは笑った。待っている令嬢に呼ばれて振り向き、またこちらを見る。
「宿営地では、お待ちしておりますわ」
「先に着くつもりなのね」
「その二十点を、人に差し上げる気はありませんもの」
イザベルは一礼して、待たせていた令嬢のところへ戻っていった。
向こうの卓では、イザベルが席に着くと、二人が同時に紙を差し出していた。
こちらの卓でも芝居の相談が始まり、エレナが椅子を寄せてきた。
「王宮に行ったときみたいな服じゃなくて、よかった。あんなの持ってないもの」
「制服なら、隣に座っても同じね」
休暇中に見た王宮の庭の話は、エレナにもした。内示のことは、まだ口外を禁じられている。話せる日が来たら、自分から伝えたかった。
「ねえ、こっちのお芝居は、どんな話?」
エレナが尋ねたので、クラリッサは差し出された題名を覗きこんだ。
*
三日後の朝、学園の裏門には、組ごとの札を立てた荷が並んでいた。
「クラリッサ!」
エレナが人のあいだを抜けてきた。息を弾ませたまま空を見上げる。
「よかった、晴れたね」
「ええ。ずいぶん早いのね」
「クラリッサもでしょ」
まだ八時まで間があった。荷を確かめておこうと思って来たのだが、ユーグたちはもう集まっている。
梱包を担当する生徒たちが布の受け取り場所に並び、マノンは別に支給された昼食の包みを受け取っていた。
「緊張してる?」
エレナに訊かれ、クラリッサは頷いた。
「あなたは?」
「うん。でも、楽しみのほうが大きいから、早く始まってほしいかな」
そう言いながら、また門の時計を見ている。クラリッサも顔を上げた。さっきから、針がなかなか進まない。
「皆さん、そろいましたね」
ヘイル先生の声に、周りの話が途切れた。
「納入は午後四時までです。ほかの組に追いつこうとして、危ない運び方をしないこと。では、用意はよろしいですか」
返事が上がった。隣の組では、誰かが両手を叩くのと同時に、八時の鐘が鳴った。
「開始です。荷を受け取って、出発してください!」
布と縄を受け取る者に続いて、エレナも食材の籠を持ち上げた。
「勝とうね」
「ええ。行きましょう」
クラリッサは地図を持って門を出た。最初は用具所へ。隣にエレナが並び、後ろから皆の足音が付いてきた。




